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03・元第二王女の述懐

 姉の去った離宮は静かになりました。


 姉専属だった侍女は姉に着き従うなり別部署へ移るなりしてこれもまた離宮から姿を消し、私専属の侍女は暇を持て余すようになりました。


 何しろ私が呼びませんから。


 メイドと違ってあまりにも暇そうなので、事務方に書類を出して専属侍女も殆ど他部署へ移らせました。


 王女専属侍女の人数は決まっているそうですが、必要ありませんしね。寝込んでばかりなので用が無い。手を余らせるくらいなら他所で使うべきなのでは、王宮の予算も有限なのだし、と言うと、事務方は素直に引っ込みました。


 暫くは母を警戒していましたが、今まで通り王女宮へ寄りつくことはなく。


 静かに日常は過ぎていきました。


 私は王宮図書館の薬草学や薬学の書物の読破に余念がなく。


 隙を見て訪問する先生に教えを受けつつ、合格点を頂いた薬を外部で売ってもらっていざという時の為の資金を用意し。


 そうやって過ごしていましたが、ある日父が突然退位を表明しました。


 王太子である従兄弟が十八になったからだそうです。


 そういえば、姉と歳が同じでした。


 父はまだ三十八。早すぎるという声も当然多くありましたが、だいぶ前から準備していたらしく、粛々と事を進めている様子でした。


 私は完全に蚊帳の外でしたが。


 それは母も同じだったらしく、珍しく王女宮に尋ねてきたかと思うと、知っていたかと詰問されました。


 「いえ全く。驚きました」と答えると(本当ですし)、母は何事か考え込むように唇を噛みました。


 それから、ふと顔を上げ、私の部屋を見回し、くんと匂いを嗅ぎました。


 「なんだか薬臭いわね」


 今更です。


 「私は虚弱ですし」


 薬草学の勉強をしていると言う必要もなく、母はそれで納得したようでした。


 「私もあなたのことは言えないわ。術の行使もきつくなってきたし」


 そう言われて、母の顔色を見ると、先ほどまでは激昂していたので血が巡っていたのでしょうが、今は血色はあまりよくありませんでした。


 この所、術の後だけでなく、帰ってきてからも寝込む日が多くなったと聞いています。


 別段、私から奪う魔力がゆっくりになったからではないと思います。


 最終的に奪われる量は同じですからね。


 つまり、母の身体も異常が起こっているということです。


 先生に聞いた所によれば、歴代の聖女は殆どが短命で、更にほぼ平民であったがために酷使される傾向にあったと。


 力の行使には魔力だけでなく体力も削られてしまうようです。


 間断なく使用していれば、それは健康も損なうでしょう。


 母はそれなりに配慮されてはいましたが、それでも限界は近かったのでしょう。


 足下がふらついているような気もしました。


 「お母様、休まれた方がいいのでは。お具合が悪そうですよ」


 そう言って、背後の母の侍女を見やると、慌てて二人ほどが母の両脇へやってきて支えようとしました。


 「ええ、そうね……」


 言われて自覚してしまったのが悪かったのかぐらりと身体が揺らぎました。


 更に慌てて侍女たちが母の身体に手をまわしました。



 母は私の部屋で倒れてしまいました。



 少しして、母もまた、聖女引退を表明しました。


 神殿からの横槍など色々ありましたが、これ以上の聖女業務に耐えられる体調ではない事が明らかとなり、更にまたそれについてもあれこれとありましたが、母はなんと王籍を離れると言い出しました。故郷の両親の元で療養しながら余生を過ごしたいと。


 驚きましたが、そこへ私を伴っていきたいと言い出してますます驚きました。


 もう術の行使はないのですから、私が必要とは思われませんが、一体どういうつもりなのでしょう。


 と、思いましたが、私を王宮へ残せば、私は王女のままとなります。それが気に入らないのでしょう。多分。


 試しに、王宮を離れたくない、と母に言ってみました。


 「まあどうして?私の故郷は田舎だけれどいい所よ。あなたもきっと体調が良くなるわ」


 母の離宮は私の部屋と違って相変わらず豪奢でした。寝台の中から母は慈愛の表情で言いましたが、とても胡散臭かった。


 「私は王宮図書館から離れたくないのです。田舎では本が充分に読めません」


 「まあ、またそんなことを言って。本が健康より大事なんてことはないでしょう」


 母はたしなめるように言いました。


 「なら、今までだって私を連れ歩かず、田舎へ送って下さればよかったでしょう。何故今になって取ってつけたようなことをおっしゃるのです」


 もうそろそろ、母に逆らってもいいでしょう。


 そう思って遠慮なく言いましたら、母は顔色を変えました。


 「まあ酷いわ。一人で行動するのは寂しかったのよ。そう言ったでしょう?」


 「そうですか。子供の健康よりご自分の寂しさの方が大事だったのですね」


 ご立派な聖女様です、と言うと、母はついに鬼の形相を浮かべましたが、侍女たちの目がある事を思い出したのか悲しげな顔に換えました。


 素晴らしい。上流階級らしい振る舞いでしたが、鬼の形相は減点です。


 「あなたは理解してくれると思っていたのに」


 そう言う母はふと、具合が悪そうに咳をしました。


 侍女が何かの薬と水を持ってきました。そして非難するように私を見ました。


 「王妃殿下はこの通りお具合がお悪いのです。あまり興奮させるようなことはおっしゃらないでくださいまし」


 仮にも王女である私に向かってそう言い放ちました。


 母は咎めもしません。


 「そうですか」


 私は言って、椅子から立ち上がり、寝台に半身を起こしている母の傍へそっと身体を近づけました。


 「申し訳ありませんでした」


 そういって耳元へ口を寄せました。


 「背中の印の事は知っていますよ。あなたが私に何をしてきたのかも」


 内緒ごとのように告げました。


 母はぎょっとしたように私から顔を離しました。


 私はそれ以上何も言わず、にっこりと微笑みました。


 母は信じられないものを見るように私を見ました。


 「それでは失礼いたします」


 そう言って母の部屋を辞しました。




 恐らく母は、過去の聖女たちが短命であると知って、自分の寿命を測ったのではないかと思います。


 医師には療養すれば体調は戻ると言われてはいましたが。


 私を王族のまま残して王女の待遇で今後を過ごさせるのは業腹で、自分の離籍の巻き添えにして王家から引き離してしまおうと考えたのでしょう。


 母の故郷がどんなところで、母の両親がどういう人間かは判りませんが、どんな目に遭わされる事か。


 それほど私が、父の元婚約者に似た存在が憎いのでしょうか。


 執念深い事です。




 父は母が私を連れて行く、と言うのに反対しませんでした。


 もとより病弱な王女では役に立たない、と思っていたのでしょう。


 厄介払いできてこれ幸いと思ったのではないかと思います。


 母を引き留める事もしませんでした。


 長らく国の為に役立ってくれたのだから望みのままに、と。


 寛容なようで、無関心。


 そう思いました。


 そもそも誰にも相談することなく退位を決めた時点で、父の母に対する情もどの程度かは推し量れました。


 母は王妃でなくなる事に一時的にでも激昂したわけで。


 父は母の気持ちなど慮ってはいなかった。




 父はただただ王族らしく行動しただけでした。恐らく。


 では父の本来の感情は何処にあったのでしょう。




 母は私に若干怯えるようになりました。


 隠してはいましたが。


 それでも私を王女でなくす事の方が重要だったのか、田舎へ私を伴う事を取りやめはしませんでした。


 私は先生に頼んで、ずっと煩わしかった背中の魔法印の効力をなくしてもらいました。


 手鏡で確認しましたが、印からは色が抜けていました。


 真っ白になったそれは、わざと残してもらいました。


 「物好きだねえ」と先生は言いましたが、これは母の罪の証拠です。わざわざ消してやる事はないと思います。


 私はもう、誰はばかることなく、自室で調薬しました。王女宮に残った侍女や出入りするメイドに隠すこともしなくなりました。


 どう思われたのかは判りません。どうでも良い事です。


 そうやって、母の故郷へ旅立つ日までを過ごしました。


 母はますます床に臥せる日が多くなり、横たわって移動できる馬車を二台仕立てました。勿論、私と母が乗る為のものです。そんなに調子が悪いのならもう少し待てばいいのに、と思いましたが、母は取り決めた日時を頑なに変えようとはしませんでした。




 母一行は王都を出ました。


 馬車を何台も連ねた豪華な列になりました。王都民が名残惜しそうに街門の所へまで押しかけて見送ってくれました。母を。


 私の馬車は後方におまけのように続いています。


 いつもの通り、私の馬車は私だけが乗っています。


 母の、より豪華な馬車には世話のための侍女が同乗していますが。


 そう、一人きりの筈の気ままな空間。読書や魔法の訓練も数日たって飽きた頃。


 常のように空気の中からすっと現れたのは先生でした。何度見ても不思議です。


 転移魔法だそうです。私の魔力量であれば練習次第で習得も可能と言われてはいますが、未だできる気がしません。


 「顔色はいいようだね」


 先生は言いました。もうすっかり敬語は抜けています。先生ですからね。私もその方がいいです。


 「ええもうすっかり。あの魔法印、母に魔力を吸い取られる他にも体力も奪っていたのではないかと思うくらいです」


 反対に私は常に敬語になりました。


 普段から敬語でしたからね。この方がしっくりくるのです。


 「そうかもしれないよ。魔力と体力は不可分な所もあるから」


 そうであれば、極端に虚弱に変じたのも不思議ではないと思います。そして、母の調子がこの所ぐっと悪くなったのも。


 「それに、遠目から見た所、あの人の魔力は尽きかけているようにも見える」


 「え、そうなんですか?」


 ではやはり、聖女が短命というのは、母であっても逃れがたい運命なのでしょうか。


 「あの人の場合、もう二十年近く前から徐々に魔力は減っていたようだったんだよ」


 そして驚くべきことを聞きました。


 「徐々にではあったけどね。ついに限界が来たという所なんだろう」


 「では随分無茶をしてきたということなんでしょうね」


 そう言えば、昔は金と銀の魔力は半々だったのが、徐々に銀の割合が多くなり、その銀の魔力も目減りしていったように思います。


 一番最後の術の時は、もう銀の魔力も薄く薄く……。


 母はあの後昏倒したのでした。


 「もうあんたから魔力も奪えないしね」


 「では、母もまた歴代の聖女たちと同じく、すぐに寿命を迎えると言う事なのでしょうか」


 先生は少し考え込むような顔をしてそれから首を振りました。


 「判らないね。聖女の力を失うだけで、長く生きるかもしれないよ。憎まれっ子世にはばかると言うだろう」


 「まあ、ただの人として長く生きるのですか?それはまた、母としては自尊心が傷つく事でしょう」


 『特別な人間である自分』が大好きな母ですから。


 はっはと先生は笑いました。


 「そもそもね、神聖魔法というのは謎が多いんだ。聖女、聖人にしか行使できない。あんたが母親の魔力は金色だと言うけれど、恐らくそれに関係があるのかもしれない。普通の人間の魔力はそんな色していないんだろう?」


 言われて頷きました。


 普通の人の魔力は色として見えず、湯気か靄のようです。多少色づいて見えても、うっすらとしています。


 もっとも、人の魔力が「見える」という私の能力についても先生には驚かれましたので、私の見え方が何かの法則に当てはまるかどうかも良く判らないのですが。


 私の魔力も金色です。母の物と比べるとだいぶ薄いですが。


 「あんたが光魔法が得意で、本来なら神聖魔法特有の治癒や浄化なんかを簡単に会得出来たのもその辺りが関係しているのかもしれない。聖女の血なんだろうかね」


 聖女の血と聞いて、姉を思い出し、少し不快な気分になりました。


 姉の婚姻話は、最初はそれを目的に組まれようとしていたのです。


 過去を遡ってみると、聖女との婚姻はそれがためになされてきた筈が悉く失敗しているにも関わらず。聖女は子ができにくく、短命であるが故、とされていましたが、色々と明らかになった今では酷使が原因ではないのかと思われますが。


 姉の魔力はうっすらと桃色をしていました。恐らく金色の魔力こそが必要なのであれば、姉の子にそれが発現する可能性は、全くないとは言いませんが低かっただろうと思います。


 逆に私の子には発現する可能性が高い。


 そう考えて、不本意とは言え、早々に王家の婚姻話から離れ、また今や王家から離籍さえしたのは幸いだったと思いました。


 「所で、これからの話なんだがね。このまま母親の故郷まで行く気かい?」


 不意に先生に尋ねられ不思議に思いました。


 当初はそういう予定でしたから。


 「何か不都合が生じましたか?」


 逆に尋ねると、先生は大きく溜息をつきました。


 「あんたの父親の元婚約者の話を知っているかい?」


 いきなり話が変わりました。


 「ええ。まあ、父と十年婚約していたにも関わらず、父はその方を切って母を選んだ事しか知りませんが」


 色々な噂はあるがどれも不確かだ。


 「元婚約者がその後どうなったかは?」


 「いえ。確か領地で静養なさっているとしか」


 王都にいられなくなって領地へ引きこもったと。それ以来、誰も姿を見ていない。


 魔力量を除けば力も中途半端な伯爵家の出では、次の縁談も不本意な相手しか見つからなかったのかもしれず、仕方のない事かと思っていました。


 「移動途中で賊に襲われ、行方不明になっている」


 「え……」


 驚いて息をのみました。そんな話は聞いたことがありません。


 「父は知っていますの?それとも伯爵家が隠して?」


 婚約破棄で傷物となった上、それでは外聞が悪すぎる。


 「あんたの父親が知っているかどうかは判らない。伯爵家は隠しているようだが」


 そういった事はどこからか漏れたりもするものです。とはいえ、関心がなければ知りようもなく。


 「馬車は焼かれていたが、おびただしい血痕が残されていたそうだよ。それを持って、伯爵家は長女が死んだと思っている」


 「まあ……。死亡届を出さない理由は?出してませんのよね?」


 「死体が無かった事と、あんたの父親が、まあ、言い含めていたそうだ」


 「なんて……?」


 「婚約破棄は国政の為だから堪えてくれ。悪いようにはしないからと。それを婚約者と当主にも」


 呆然とそれを聞くしかありませんでした。


 父はなんということを言ったのでしょう。


 つまりそれは、伯爵家にとってもなにがしかの優遇を秘密裏に約束したことになり、恐らく娘の命あっての話でもあれば、伯爵家も秘匿する事を選択したと。


 確かにその後、伯爵領は発展したと聞きます。長女の事はさておき、次女の婚姻で公爵家と繋がりが出来、更に次女は王妃補佐として能力を発揮し、それはそれは潤ったと。ですが、それだけではなかったということですか。


 「馬車は勿論護衛を連れていたが、誰一人戻らなかったそうだよ。その場に遺体もなかった。御者のものすら。どうやら逃げたらしい」


 「つまり?」


 「謀略を疑うべきだね」


 伯爵家か父かそれとも神殿か。


 どのようにも考えられる。


 「その方を始末して、誰が一番得をするのでしょう?」


 既に婚約破棄がなされてしまったのであれば、殺した所で意味は無いように思われます。


 伯爵家が邪魔に思って始末しようと?婚約者は前妻の娘と聞きますし。


 とはいえ、父が「悪いようにはしない」と言ったのであれば、それは抑止力になったのでは。どちらかというとそういう事態を危惧したのかもしれません。父なりに情があったとすればの話ですが。


 情、が、あったのでしょうか。


 そこまで考えて、ふと湧き上がってきた想像に息を止めました。


 「あの、まさか……」


 先生は頷きました。


 「あんたの母親は見かけによらず苛烈だよ」


 父のあるかどうかも判らない『情』。


 それを母が感じ取っていたなら。


 とはいえ、まさか、あの母とはいえ、そこまで?


 「証拠は、ございますの?」


 声が震えているのが自分でも判りました。


 「元婚約者の直属の護衛がいてね。何故か移動馬車に同行を阻まれ、伯爵邸で足止めを食らったそうだが、すぐ後を追ったそうだよ。そこで、神殿の騎士を捕えたそうだ」


 「神殿の騎士、ですか」


 賊の真似事をするような者がいるのだろうか。聖騎士は矜持も自尊心も高い。


 「聖騎士は監視役だったそうだよ。賊を雇ったのは色々な経路を経てはいたが大元はあんたの母親を熱烈に崇拝していた司祭」


 「その、司祭の独断だったということは……」


 「聖騎士はあんたの母親の専属護衛の一人で、その日は聖女の用件で神殿にいたはず、だそうだ。聖女から賜った剣帯飾りが自慢で常につけていたそうだが、それを切り落として、その晩聖女の枕元に置いても、何の騒ぎにもならなかったそうだよ」


 「枕元に……?」


 心配する事も悲鳴を上げることもなく。


 それどころか、夜中に枕元にまで迫った存在がいた事さえ公にせず?


 それはもう、関与していると言っているようなもの。


 「何故そんなことをご存じですの……?」


 先生はそっと手を伸ばしてきました。


 私は少し恐ろしくなってびくりと震えましたが、構わず先生が触れたのは私の手首の腕輪。


 先生が渡してくれた大容量の魔力蓄積器。


 ずっと私を助けてくれた。


 「これを作ったのは私の弟子だよ」


 「ええ」


 最初にそう聞いていました。


 「そして、その元婚約者でもある」


 衝撃というだけでは物足りない感情に襲われました。


 その方は、敵の娘を助けていたということです。


 何故ですか。恨みは無いのですか。


 「……生きておいでなのですね?」


 ややほっとして尋ねました。


 「死んだ方がましだったと本人は思っていたようだがね。あんたの背中の印と同じ作用をする腕輪をつけられて、瀕死状態からなかなか脱却できず、傷が癒えてもあんたの母親に魔力を奪われて床から起き上がれない。それが十年続いた」


 「待ってください。その腕輪をつけた上で何故殺そうとしたのです」


 筋が通らないではありませんか。


 「そりゃ、腕輪をつけたのはあんたの父親だからね」


 「ええ……」


 私は混乱し、先生は苦笑を浮かべていました。


 「あんたの両親は愛し合っているというわりに、隠し事が多いよ。あんたの父親が聖女に送った指輪は有名だよね?「真実の愛の証」。貴重な魔法銀を使った指輪を揃いで着けた。だが、何故魔法銀である必要があったのか。それは、あんたも知っている魔法教師が作った魔法道具だったからだよ」


 そう言われて、私は久しぶりに老魔法使いの顔を思い出しました。


 恐らくは私の背中に魔法印を刻んだ男。


 「まずね、当時聖女は絶大な力を持っていると言われていたが、徐々に魔力量が減っていた。そりゃ全体量が多いから微々たるもので、気付く者もいなかった。魔法教師を除いてはね。とはいえ、長期的に見ればそのうち問題になるだろうと、魔法馬鹿のあの男は指輪を二つと腕輪を一つ作った」


 ま、聖女や国を案じるというよりは、単なる趣味の為の言い訳に過ぎなかったに違いないけれど、と先生はまた吐き捨てるように言いました。


 「腕輪は、元婚約者に着けられ、聖女に嵌められた指輪がその魔力を吸い上げる。聖女はそれを使って己の魔力を補いつつ術を行使する。王の指輪は呪い避けだ。これは単純におまけだね。こっちは聖女の指輪を通して魔力を受け取り、呪いを弾く。あの男の中ではとても合理的な仕組みだった。元婚約者の魔力を遊ばせておくことをとても惜しんでいたからね」


 「その、お話を聞いている限り……」


 指輪も腕輪も父がそれぞれにつけた事になるのですが。


 「あの男、魔法使いは、婚約破棄を聞いて、それらを王家へ嬉々として献上したそうだよ。ぜひ試してほしいと。伯爵令嬢の魔力は利用しないともったいないと」


 本当に元婚約者の方の魔力は特別だったのですね。あの老魔法使いがそこまで惜しむほど。


 そういえば、母が術を行使する際にだけ溢れ出ていた銀色の魔力は、では、その方の物だったのでしょうか。


 珍しい色でした。


 金色が聖女の魔力であれば、銀色は一体何なのでしょう。


 「あんたの父親はそれを使う事を選んだ」


 先生の言葉は現実逃避しかけた私の心を引き戻しました。


 「元婚約者に「離れていても心はともにあるから」と言ってその腕輪をつけたらしい。拒絶する間もなかったそうだよ。聖女には何と言って渡したのか。聖女はあの指輪を「魔力を増強してくれる道具」と捉えて使用していたようだから、愛の証にというよりは、役立つ道具だと言って渡されたのかもしれない。どちらも勝手には外れないように作られていた。本当に大変だったよ」


 先生は過去を思い出したように溜息をついた。


 「何しろ当時は聖女も己の価値を見せつける為か頻繁に術を行使していたし、その度、己の力ではなく指輪の力を使うもんで、弟子の傷はなかなか治らない。瀕死だったからね、何度か心臓が止まりかけた。表面上傷が癒えても、衰弱状態からなかなか回復しない」


 私もその状態を長い事経験してきていますから、どれほど苦しいかは判っています。


 その上重傷を負っていたとあれば、更に苦しかったことでしょう。


 「ついに弟子は、自分の左手を腕輪ごと切り落としたよ」


 ひゅっと喉が音をたてました。


 呼吸が苦しい。


 「弟子はそれはもう楽になったと笑っていたよ。王家とも縁が切れて清々したとも」


 心臓が激しく脈打っています。


 胸を押さえて喘ぐと、先生がそれに気が付いたように背中をさすって肩を柔らかく叩いてくれました。


 そしてほんのりと身体に、慣れた清涼感のある魔力が注ぎ込まれました。


 「悪かったね。あんたを苦しめるつもりはないんだ。だが、事情は知っておいて欲しいと思ってね」


 ほっとして目を閉じかけましたが、気を失うわけにはいきません。私はむりやり目を開いて、いえ、と首を振りました。


 「左手を落とすまで十年。落としてから十年」


 緩く背中を叩かれながら先生の話は続きます。


 「聖女は指輪の力を使い続けた結果、十年で力が半減したようだ。どういう作用なのかはわからない。自分の力だけで術を行使し続けていたらまた違ったのかもしれないが、検証のしようがない。そして、弟子の落とされた左手と腕輪は、切り離された後も魔力をそれなりに含んでいた為、聖女はその左手の魔力を使う事になった。徐々に減っていき、やがてはなくなる力を」


 そういえば、私が母に連れ歩かれるようになったのは、丁度その頃なのかもしれません。


 術の後、以前は多少は余裕があった筈の己の魔力がからっぽになってなかなか回復しない。指輪は恐らく、術の時にしか作用しない。となれば、だれかから奪うのが手っ取り早い。手近に、己と似た魔力を持つ娘がいる。魔力量も多い。となれば、そこから奪うのがいいだろう。

 そういう事だったのでしょう。


 たまたま身近に、そういう相談ごとをかなえてくれる老魔法使いという存在があったことも幸いした。


 私にとっては不運だっただけですが。


 「左手だけで、聖女の十年を補ったと言う事ですか。すさまじいですね」


 「私も驚いたよ。どうやら弟子は、何度も何度も魔力枯渇に陥り、命さえ尽きかけた結果、魔力量を更に伸ばしたらしい。昔から言われている事だが、命の危機に瀕した際には魔力量が飛躍的に伸びる話は本当なのかもしれないね。それと、まあ、腹の立つ話だけれど、あの腕輪、魔力蓄積機能もあったらしい。装着した人間から切り離されると作動するように作られていたようだ」


 言われて私は思わず自分の左手首に嵌った腕輪を見ました。


 「ああ、それはその機能を利用して弟子が作ったんだよ。安心押し。ちゃんと外れるだろう?」


 言われて無意識に右手を添えると、輪の幅が広がり、するりと手から抜け落ちました。


 「もう必要ないし、嫌なら外しておしまい」


 右手でシーツの上へ落ちた腕輪を拾い上げました。


 上質な魔法銀で作られたそれは、内側にぐるりと魔法式が刻まれています。前に渡された物よりも細かく緻密に。


 根気のいる作業なのではないかと思います。


 「その方はもう魔力枯渇に陥ったりはしていないのですよね?」


 「そうだね。一時に比べれば元気になったよ」


 「では、ここに溜まった魔力はどうしましょう」


 もったいない気がします。


 先生は笑いました。


 「変な事を気にするね。そうだね、ではこの利用法を考えてみようか」


 「聖女の術は使えませんが、どこかの土地を肥やしたり花を咲かせたりしたいです」


 「そうだね。それもいいかもしれないね」


 穏やかな声でそう言って、それから不意に表情を厳しくしました。


 「その前にね、一つ解決しなければならない事がある」


 「なんですの?」


 「もうすぐ西領の山に入るが、ここは魔獣や盗賊が出やすい」


 「……はい」


 「ここまで言えば判らないかい?」


 「……」


 まさかという思いに駆られましたが、馬車の速度が落ちたような気がしました。


 窓から少し顔を出して、確認しました。


 既に山道に入っています。


 私の馬車は一番最後でしたが、両脇には護衛が馬でついていました。


 その護衛が、僅かに馬車の前方に移っていました。


 殿の護衛も馬車を追い抜くかどうかといった位置にいます。


 「あんたの母親はもう一度同じことをするつもりのようだよ」


 「……元王妃一行から王女だけが姿を消して盗賊に襲われる……。どう言い訳するつもりなのでしょう」


 後が面倒ではありませんか。


 「王都から遠い辺境の山の中で何が起ころうと、誰にも判らないよ。この一行の護衛も侍女も全員が聖女の心棒者。私が聞き耳を立てた限りでは、あんたは賊に襲われるが、生きていることにされる」


 「つまり?」


 「侍女の一人があんたと同じ年頃の娘を連れている。娘と言っているが血のつながりはない。神殿の孤児院から引き取ってきた子供だ」


 「私を殺して身代わりを立てて誤魔化すということ?」


 「辺境に用意された屋敷には孫に会うのを楽しみに待つ聖女の両親がいるが、あんたに会ったことは無い。入れ替わりはばれず、そのうち病弱で通っていたあんたは死んだことにされる」


 溜息をついた。


 「一体、母は、何故そんなにも私を憎むのでしょう」


 義理の娘というわけでもなく、特に逆らった事もない。母に似た所もあるはずなのですが。


 「いや、あんた、母親に脅しをかけただろう?」


 言われて思い出しました。


 「ああ、そう言えば……。あれくらいで?」


 何をするつもりもなかったのですが。


 「あんたがそれ以上の事をするかしないかは母親には判らないよ。今まで築いてきた聖女像を守りたいのだろうさ」


 「もし父に背中の魔法印の事など訴えても、父は何もしないと思いますよ?」


 「それだってあんたの母親は理解していない。多分、退位の件で、疑うようになったんだろう」


 「何をです?」


 「本当に自分を愛しているのかどうか」


 思わず瞬きしてしまいました。


 二十年も王宮にいてまだ理解していないのでしょうか。


 父は王族らしく振舞うだけです。


 聖女として立派に勤め上げた王妃を望みのまま引退させ、お互いに綺麗な引き際を見せる。


 体面を保つにそれ以上の事はなく、今更母の私に対する非道を告発したとて、握りつぶされておしまいです。


 「夢見がち、って事でしょうか……?」


 それもまた違うような気がします。


 あれでも母は、父に愛されているとは信じて結婚したのでしょうか。


 母の方は恐らく野心満々で父に取り入ったと思うのですが。


 「例え愛していても、あの父は王家の体面を守るためなら母を切り捨てるでしょうし、逆に体面の為なら愛などなくても不問とするでしょうに」


 「あんたの母親は、王家の体面なんて考えたこともないのさ」


 ああ、そういうことですか。


 考えたこともないものは想像することも出来ません。


 母は父の行動原理を理解できていないのです。


 「……困りましたわね」


 馬車はどんどんと山道へ入っていき、速度は落ちていきます。


 もう一度外を見ると、前の馬車も護衛の姿も随分と小さくなっていました。


 「どうする?」


 先生はのんびりと問いました。


 「賊を迎え撃つか、このまま姿を消すか」


 「そうですわね……」


 列の最後尾が見えなくなって、取り残された頃、馬車はゆっくりと止まりました。




 



 王都へは元王妃一行が無事辺境に用意された屋敷へ入ったと連絡が入った。


 全て恙なく、と報告された。


 元王妃の両親は久しぶりに会う娘と初めて会う孫に大層喜んだとも。


 そして、元王妃一行が通り過ぎた直後、西領の山中で数人の賊の遺体が発見されたと警備隊から報告が上がった。


 いずれも綺麗な太刀傷の一撃でこと切れていたと。


 見事な技に、元王妃一行の護衛の仕事だろうと警備隊からは辺境の屋敷へ感謝が届けられた。


 元王妃は微笑んでそれを受けたと言う。

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