02・元第二王女の述懐
いつの間にか、薬師の事を先生と呼ぶようになっていました。
先生は申し出通り、私の空き時間にやってきました。
遠征先の部屋は元より、移動中の馬車の中、果ては王宮の自室へまで。
最初の内は驚いたものですが、そのうち慣れてしまいました。
先生は最初に私が思った通り、大魔法使いだったようです。
どこへでもするすると現れ、決して誰にも感知されない。
流石に王宮内でまでそれはどうかと思いもしましたが、私の周囲からは何故か侍女が全て消えてしまう時間が日に何度もあり、それをすかさず感知して先生はやってくるのです。一体どうなっているのでしょう。
先生には魔法の実技を教わりました。
基礎理論の勉強は例の魔法教師によって終えていたからです。
魔力操作、魔力感知、実際に火や水を出す方法なども教わりましたが、先生は私がもっとも適性のある魔法も見出してくれました。
光を灯し、治癒や人の心の安寧を導く魔法。
やはり少なくとも母の血を引いているが故の特性でしょうか。
神聖魔法ではなく、それでも治癒が出来る魔法の属性は光で、先生が薬師をしながら独自に開発した魔法だそうです。
どの属性の魔法も努力次第で身に着ける事は可能だが、向き不向きはある、と先生は言います。
私は光の魔法にとても向いている、そうです。
少し、複雑な気持ちになりましたが、その御蔭で、母に魔力を奪われて体調不良になった時にそれなりに対処ができるようになりました。
以前とは違い、魔力はゆっくり抜けていくので、気を失ったりする前に魔力回復促進剤を飲む余裕があります。
最初は先生が渡してくれていましたが、作り方を教わったので自作するようになりました。
そして、先生が持ちこんでくれた魔力を溜めておける魔法道具。あの黒い石と逆の作用ではありますが、内包できる魔力量は数倍のそれは、腕輪の形をしていました。
「これはあの男の理論を応用したものです。業腹ですが」
先生は不本意そうに言いながら私にそれを渡してくれました。
そこへ自分の魔力を事前に籠めておくのです。
意識して籠める事も可能ですが、普段から手首につけておいて自動で僅かずつ溜めるのが良いようです。
三つほど渡されて、一杯になると順次付け替えていましたが、少しすると、大容量の腕輪を持ってきてくれました。
何でも優秀なお弟子さんがいて、作ってくれたそうです。
母は以前と違って術の後、二、三日は寝込むようになりました。
当然その間、私は放っておかれますので、腕輪の魔力を使ってじっくりと回復する事ができるようになりました。
私の場合、繰り返される魔力欠乏のせいで、内臓含めて全体が弱っていたようで、誰の目にも触れない状態で数日過ごせるのは僥倖でした。
己自身の身体を光魔法で癒すのです。
ほっとするひとときでした。
先生も様子を見に来てくれましたし。
薬草の事など教わりながら過ごしました。
このままでは自分の将来は母に縛られたまま虚しく時を過ごすことになると判り切っていましたので、いすれ王籍を抜けて市井で薬師をやりたいと思うようになりました。先生は苦笑いしながらも、そうなった時は協力すると言ってくれました。
私の体調不良が以前よりはやや改善されたわけですが、それを母に不審に思われはしないかと最初は不安でした。
しかし、母の方の不調期間が長くなったせいで、私の事へ意識を向ける余裕がなくなったようで、幸い気づかれる事はありませんでした。
一応、具合が悪いと言って部屋へ閉じこもってはいるわけですしね。
そうやって改めて、私は王宮内の誰からも関心を持たれていないことに気が付きました。
母の普段の住まいは離宮でしたが、私の部屋は姉と一緒に別の宮にありました。
姉の周囲は相変わらず賑やかでしたが、私の部屋には誰も来ません。
侍女もメイドも、私の世話は姉のついでのようで、皆姉の傍にいたがっているようでした。
別段それで構わなかったので、体調不良を理由にして、皆を遠ざけました。用があれば呼び鈴を鳴らすからと。
皆安心したようにいなくなりました。
護衛だけはついていましたが、それは部屋の外です。
私の背中の魔法印がいつつけられたのかは判りませんが、入浴や着替えの世話をするメイドが気づかなかったとも思えません。いくら関心がなくとも。
入れ替わりのタイミングを狙ってつけられたのかもしれませんが、事情が分からない以上、周囲の人間は誰も信用できなくなりました。
出来るだけ、自分の事は自分でするようになりました。
幸い先生に調薬を教わって、湯を沸かしたり紅茶を入れたりは直ぐ問題なく出来るようになりました。
薬草の世話をするのには普段のドレスより簡易なワンピースとエプロンがよく、その着脱をするうち着替えにも慣れました。
浴室には魔法道具が備えられ、湯の用意も別段侍女やメイドが必要というわけでもなく、洗顔も入浴も一人で済ませるようになりました。
掃除も簡単な事なら出来るようになりました。
勿論、本来の掃除や食事の支度などは今までどおり使用人に任せてはいましたが。
少なくとも、「第二王女は身体が弱いがその分大人しく手がかからない」という認識を周囲に刷り込み、その上に「人嫌い」を加える事で、私は私の安心できる空間をなんとか手に入れる事に成功しました。
私は自室で薬草学の本を読みふけり、中庭の隅で薬草を育てられるよう庭師に内緒で頼みました。庭師は身体が弱い(ことになっていた)私を気の毒に思ってくれていたようで、快く応じてくれました。
そうやって私は、自分で作った薬で自分の体調を整えるようになりました。
光魔法も使いましたが、魔法印で繋がってしまっている母に何が切っ掛けで気付かれるか判りませんので、少しずつ制御しながら魔法行使するしかありませんでした。
皮肉にもそれが、魔力操作や制御の訓練になってしまい、「良い事ですから、どんどんおやりなさい」と先生に笑いながら推奨されてしまいました。
数年はそのように、華やかで賑やかな母や姉の影に隠れてひっそりと過ごしていました。
そんな中、いよいよ婚儀が近づいた姉がある日ふらりとやってきました。
私は中庭にいて、薬草畑の手入れをしていました。
その頃には姉は、私が薬草学を独学で学んでいる事を知っていました。
同じ宮に住んでいますしね。
ただ、誰も私に関心が無いので、それがどこかに報告される様子もなく、私は放置されていました。
「体調はどう?」
姉はにこにこと笑いかけてきました。
私は姉をガゼボに誘い、麦わら帽子を脱ぎました。庭仕事の途中でしたので、平素のようにワンピースとエプロン姿でしたが今更です。
常には殆ど姿を見せない侍女が、すかさず茶の用意をします。
少し呆れました。
「自分で薬を調合するようになってから少しマシにはなりました」
「まあそうなるわよね。お母様も主治医もなんにもしてくれないもの」
姉の言におや、と思いました。
「みいんな、お母様だけが大事なのだものね」
姉はにこにこしていましたが、言葉には毒がありました。そして、くるりと振り返ると、背後にいる侍女たちを見ました。
「妹と内緒話したいの。ちょっと話が聞こえない所まで下がってくれない?」
皆一瞬躊躇ったようですが、姉がにっこり笑ってみせると、命じられた通りガゼボから離れました。
普段いない私の方の侍女も姉の命令に従ってさっと遠ざかっています。もう一度呆れました。
「ねえ、私、結婚で王宮を出るのよ」
姉は当たり前の事を言い出します。
「ええ、そうですね」
私は頷きます。
姉は少し苛立たしげな顔をしました。
「あなたはどうするつもりなの」
少し驚いて姉の顔を見ます。
これまで姉が私の事を何か気にしたことはなかったように思うのですが。
「このままずっとここにいるつもりなの?」
どうやら姉は私の事を案じているようでした。
少し、いや、かなり驚きました。
「私のことなど関心が無いのだと思っていました」
そう言うと、姉は大きく溜息をつきました。
「そうせざるを得なかったのよ。まずは自分を守るのに精一杯だったし」
そして茶器を持ち上げて、一口紅茶を飲み、心を落ち着けたようでした。
「私は怠け者なの」
思わず目を瞬かせます。
「隣国の王太子に嫁いで将来王妃になるなんてとても無理。向いてないし」
私はあまり賢くないのよ、と姉は言いました。
だからと言って、わざと勉強の手を抜いていたのはどうかと思いますが。
「お母様のように優秀な補佐がいれば良いと言われるかもしれないけれど、私に望まれているのはまずは子供に神聖魔法が発現する事よ」
姉はうんざりしたように顔を歪めました。
「私は繁殖用の雌じゃないっての」
いささか口悪くそう言いました。そういった物言いをどこで覚えてきたのでしょう。
「私たち半分平民の血が流れているのよ。心の底ではどう思われているか判らないわよ。どう扱われるかもわからないわ」
それは悪くとらえ過ぎではないかと思いますが、まあ、例えばこの国という後ろ盾がなければそのように扱われる可能性は高いでしょう。
「うちは男子が生まれず、結局従兄弟が立太子したでしょう?次代になった時、この国においてさえ私たちどう扱われるか判らないわよ」
だから、国内の有力貴族に嫁ぎ先が決まるよう画策したのだと姉は言いました。
「私は安泰よ。でも、あなた一人ここに残るわ。お母様に連れまわされて、実質将来を潰されたようなものじゃない」
姉は姉なりに私の事を案じていたようです。
「お母様がどういうつもりかは判りませんが……」
私は慎重に話し始めました。
「この所、術の後の消耗が激しく、活動も抑え気味でしょう?遠からず聖女は引退、ということになると思います」
「そしたら、今以上にあなたに執着するかもしれないわよ?」
姉は顔をしかめますが私は首を横に振りました。
「あの人は多分、自分にしか興味がない人です」
「……まあ、そうね」
姉は否定しませんでした。
「平民出身の聖女でありながら、王太子と恋に落ち、王妃にまで上り詰めた私。これまでにない程の強大な力を持つ聖女である私。国民に愛される私。そういう自分が大好きで、多分それ以外に関心はありません」
姉は苦笑いを浮かべました。
それは天真爛漫からは程遠い表情でした。
「そういう理想の自分の中に、家族と愛し合って、国民の模範となる私、があれば大問題ですが、そもそもそんな理想があれば、こんなに私たちはお母様に放置されてはいないでしょう」
「そりゃそうか……。でもあの人外面はいいじゃない。表向きには愛し合う家族を装っているじゃない。胸糞悪いけど」
今度は私が苦笑しました。
「ま、それに巻き込まれる前に、私は退散しますよ」
姉は表情を変えました。
真剣な顔でじっと私を見つめます。
「当てはある、のね?」
私は笑って見せました。答えるつもりはありません。
「ならいいけど……」
姉もそれ以上追及しようとはしません。
「助けが欲しいなら言ってね」
幾ら有力貴族の元へ嫁いでも、それでなんとか出来るかどうかは未知数ですが、私を助けようとする気持ちは有難かったです。
「いざとなったらお願いします」
私の返事に姉はため息交じりに笑いました。
「ま、私の出る幕はないだろうけども」
「気にかけてくださって嬉しかったです」
微笑み返すと、姉もまた微笑みました。
明るく快活な、人をひきつけてやまない微笑でした。
「お父様は当てにしない方がいいわ」
そんな表情で姉は言いました。
「あの人は生粋の王族。支配階級の人間よ。正直お母様はお父様の事を舐めすぎだと思うの」
常日頃、私がうっすらと感じていた事を姉ははっきりと言います。
「お母様は強かだけど、所詮平民の出よ。お父様から見れば可愛いものだと思うわ」
大恋愛の末結ばれた二人、と未だ国民から人気の高い夫婦ですが、お互い利用価値を見出していただけのようにも思えます。確かに。
母はあの調子ですしね。
自分のしたい事だけをしている。
勿論、聖女の務めをきちんとこなし、国に貢献しているのですから、文句のつけようはありません。
たとえ王妃の政務を他者に丸投げしていても。
そして父はそんな母を寛容に容認している風ではありますが、毎度術の度に調子を崩す母を心配しつつもやめろとはいいません。
「お母様は、聖女の術さえ行使できれば安泰と思っていたのでしょうけど、それが出来なくなるかもしれない事態は想像していなかったのかもね」
それがなくなれば、王妃としての価値もない。
勿論、そうであっても父は母を大事にするでしょう。表向きは。
ですが、多分それまで通りともいかない。
「いずれにせよ、年経てまで聖女を務めた人間というのは聞いたことが無いわけで、いずれ引退、という事は考えておくべきことだったわよね」
ここまで自分の思い通りに進めば後はどうにかなるとでも思っていたのでしょうか。
母の甘い部分ですね。
あらゆる可能性と数十年、或いは百年先の事まで考えて行動する父のような人間とはそこが違うのでしょう。
恐らく、自分の事しか考えていない人間と、公というものを考える人間の差でもある。
「お姉さま、意外と王妃に向いているのではありません?」
冗談めかしてそう言うと、姉は途端に顔をしかめました。
「やめてよ。私は周囲をよく見ていただけよ。敵と味方の見分けをつけ、自分が不利にならないように」
それが根拠なのですが、これ以上言うとご機嫌が悪くなってしまいますね。
「あなたこそ、自分の実力を隠しているじゃない」
それでも私の言いたいことが判ったのか、姉は唇をむっと突き出して言いました。
「お母様が私を遠征に連れ出すようになったのは私が十一歳の頃ですよ。それから教育を受ける機会を奪われてしまいましたので、実力も何も……」
「ああ、そう言えばそうね。あなたは読書家で教師達には将来も期待されていたのに。もしかしてお母様って……」
何事か考え込むようにヘイゼルの瞳が中空を睨みました。
姉は髪も瞳も母譲りのこげ茶で、王家の特色からはかけ離れていますが、瞳にうっすらと緑が浮かぶのです。そこは唯一母と違う所で、またそこだけは王家の翡翠の瞳の系譜を継いでもいるようです。とても綺麗で神秘的です。
「ねえ、お父様の元婚約者ってとても優秀だったんですって」
そんなことをぼんやりと考えていると姉がいつの間にか視線を私の方へ戻していました。
「ええ。まあ、あの王妃補佐のお姉さまと聞きますから」
「大人しくて読書家で教師たちの評判が良くて控えめ、ねえ、これってあなたじゃない?」
そう言われてなんとなく姉の言いたい事を理解しました。
「その上、髪は銀色瞳は青。とても貴族らしい見た目だったそうよ」
私は王家の特色、金髪で緑の目ですが、まあ、貴族らしい外見と言えばそうです。
そう言えば、王妃補佐の方は、漆黒の瞳と髪の持ち主です。元婚約者とは腹違いと聞きました。母親は遠国の王族で、これはこれで珍しい色です。淡色が殆どの貴族階級のこの国にあって、異分子というか異質ではあります。王宮内で優秀さを認められながらもどこか孤立しているのはそのせいもあるのかもしれません。
「お母様に嫌がらせしたとか害そうとしたとか噂はあったらしいけれど、婚約破棄の原因は結局明らかにされていないのよ。であればそれって単なる噂に過ぎなかったのでしょうし、そんな噂を流して得をするのは誰かって話になるわけだけど、まあ、それは置いておいて、お父様、本当に未練なく婚約者を切ったのかしら?」
姉の瞳の中で緑が鋭く光りました。
それは、どうなのでしょうね。
「だってあの王妃補佐の姉よ?手放しがたいと思って当然だし、十年付き合って気心も知れていたでしょうし、情もあったかもしれないわ」
あの父が?
私の顔にそれを読み取って姉はにっと笑いました。
「お母様の方がそう思っていても不思議ではない、という話よ」
確かに、父の心は判りません。何故なら、王家の人間らしく完璧に隠しますから。
「あなたもしかして、その人を彷彿とさせるのかもしれないわね」
それで、わざと私の未来を潰すような真似をした、と。
傍迷惑な話ですが。
「お姉さま」
私は顔を上げ、姉の美しい瞳を見ました。
姉も顔つきを変えました。
「私が突然行方をくらましても、心配しないでくださいませね」
姉は何度かぱちぱちと瞬きしましたが、やがて微笑みました。
「了解」
微笑もまた、大層美しかったのでした。
姉はその一ヶ月後、嫁いで行きました。




