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父が倒れた時「お前が駆けつけて何か意味あるのか?」などと言う夫とはもう一緒に生活できません

掲載日:2026/02/21

 私の夫ザイム・ディセインはとても厳しい(ひと)だった。

 いつも苦虫を噛み潰したような顔をしていて、ピリピリとした雰囲気を纏い、笑顔を見せることはほとんどない。

 部下や使用人に対して、たとえばミスをした時は怒鳴ることこそ少ないが、容赦のないチェスのような問い詰め方をするので、常に恐れられていた。

 そして、妻である私、アリシアに対しても――


「いいか、夫人などというものは男にとっては装飾品のようなものだ。私に恥をかかせてくれるなよ」


 こう言って、厳しく所作を監視する。少しでも夫の望む“理想の夫人像”から外れると叱責を受けるし、自由な外出も許されない。


「父上から私が任されている地域の報告書を出せとの命令だ。私の次期当主としての実力を試したいのだろう。アリシア、お前に任せる。きちんと書かねば承知せんぞ」


 領地経営に関する仕事も大量に任される。チェックは厳しく、疲れは溜まっていく一方。

 でも、これぐらいは仕方ないと思っていた。

 ディセイン家は名門といっていい伯爵家、私のマレーズ家は一山いくらの子爵家。

 この差を考えれば、多少の理不尽な扱いは仕方ないし、耐えられる自信があった。


 だけど、それはあくまで自分のことだから耐えられるのであって――



***



 昼下がり、邸宅に私あてに兄から書簡が届いた。兄はすでに家督を継いで、子爵の地位にいる。

 虫の知らせというものだろうか、読む前からなにか嫌な予感のようなものを察したのだけど、不幸にもそれは的中してしまう。

 兄からの書簡は「父が倒れた」というものだった。


 父は貴族としての冷徹さやしたたかさには欠ける人だったけど、優しかった。

 なかなか社交の世界に馴染めない私を励ましてくれたこともあったし、私がディセイン家に嫁ぐ時は、純粋に私の幸せを願って涙を流して喜んでくれた。

 そんな父が病に伏しているという。

 いきなり夫に相談するのはためらわれたので、幾人かの使用人に相談してみる。


「ご心配でしょう。すぐにお帰りください」

「後のことはお任せください!」

「奥様、どうか心配なさらず」


 みんなが「帰ってあげてくれ」と言ってくれた。

 そして、夫に相談する。父が心配なので、三日ほどこの家を空けたいと。

 すると――


「ダメに決まってるだろ」


 バッサリこう言われた。

 普段の私であれば、これで引き下がる。しかし、父が心配だった私は、この時ばかりは食い下がった。


「お願いします。どうしても父の元に行きたいの」


 夫は心底間抜けを見るような表情でこう言う。


「お前が駆けつけて何か意味あるのか?」


「え……」


「お前が駆けつけたら、そのとたん父親が回復するのか? それともお前は医者なのか? 病気になった父親になにかできることがあるのか? 診察や投薬ができるのか?」


 ミスをした使用人らを問い詰める時の口調で責め立ててくる。


「それは……でも、病気になって心細いでしょうし、私の顔を見て元気を取り戻すこともあると思うの」


「どこの絵本の話だ。お前がそんな夢見る乙女だとは思わなかったな」


 この時は、私も思わず両目に力が入ってしまった。


「なんだ、その目は。なにか不服なのか」


「……いいえ」


「だったら家にいろ。いいか、今のお前は私の装飾品だということを忘れるなよ」


「……はい」


 見舞いに行くことはできない。

 私は心の中で父に、「お父様、ごめんなさい」と謝った……。



***



 それから二週間ほど経ち、日中またも書簡が届いた。今度は母からだった。

 内容は――いよいよ父が危ないらしい。

 目を閉じると、あの優しかった父の顔が思い浮かぶ。

 同時に、ベッドの上で苦しんでいる父の姿も想像できてしまう。


 幸い、今は急を要するような仕事も抱えていない。

 私は今度こそと、夫に実家に一時帰省したいと申し出てみた。


「お願いします! 今ここで帰らないと一生後悔する気がして……!」


「だからお前が駆けつけて何の意味があるというんだ」


 相変わらずの言葉で返される。


「意味はないかもしれません。助けられないかもしれません。ですが、苦しんでいる父に娘として寄り添ってあげたいんです。今は領地経営の仕事も落ち着いていますし、お願いします!」


 夫にも少しぐらいあるであろう情に訴えてみる。

 だけど、この人にはそんなものは欠片もなかった。


「お前が実家に戻った後、なにか大きなトラブルがあったらどうする? お前はディセイン家に嫁いだ。優先するべきはこのディセイン家の事業のはずだ」


「それは……そうですが」


 夫は続ける。


「それに、お前の父親が死んだところで国にとっては大した損失ではない。分かったら、すぐにディセイン家のための仕事をしろ」


 ――この瞬間。

 私の中で何かが砕けた。

 今まで私を支えていた柱のようなものが跡形もなく崩れ去った。

 だけど、どこか心地よかった。


 もう、我慢する必要はない。

 私は私がやりたいようにやる。夫もディセイン家も知ったことか。


「分かりました」


「ようやく分かったか」


「許可が得られないと分かったので、私は勝手に実家に帰ります」


「……なに?」


「では失礼します」


 頭を下げ、私は歩き出す。背中に声がぶつかってくる。


「……待て! お前、離婚されたいのか!? こんなことは許されんぞ!」


 私はこれには答えず、すぐ邸宅の外に出た。

 こうなった以上、一秒でも時間が惜しい。

 ディセイン家で雇われている御者に、すがりつくようにお願いする。


「私を大急ぎで実家まで連れて行って!」


「かしこまりました」


 御者は即答し、すぐに馬車を支度してくれた。

 私としてはありがたいことだけど、御者の身も案じてしまう。


「仕事を失ってしまうかもしれないけど、いいの?」


 御者はうなずく。


「かまいませんよ。それに、あの家に仕えている人間はみんな同じ気持ちのはず」


「……ありがとう」


 御者は「今日はいい走りをしてくれそうだ」と愛馬を撫でる。

 馬車は私の故郷、マレーズ家の邸宅に急いだ。



***



 ディセイン家領地からマレーズ家領地までの道のりは馬車を飛ばしても半日はかかる。

 それも、決して平坦な道ではない。


 時には山を登り、森の中を走ることもある。

 とはいえ、御者の腕前は一流で、私は安心して身を委ねていた。


「奥様、ノンストップで参りますので」


「ありがとう。でも無理はしないでね」


「分かっております」


 ある山道を通っていた時のこと。

 誰もいないはずの場所に人影が見えた。


「あら?」


「誰かいますね……」


 前方に男性がいた。

 銀髪で白いコートを羽織っている。

 こちらに必死に手を振っている。助けを求めているのは明らかだ。おそらく山道で迷ってしまい、身動きが取れなくなってしまったのだろう。

 御者は厳しい口調で言う。


「このまま突っ切ります」


 冷酷ではあるけど、私の一刻を争う事情を考えると正しい判断だった。

 だけど、私は声をかける。


「待って。助けてあげてちょうだい」


「しかし……」


 解雇も覚悟で私の願いを聞いてくれただけあって、御者も決して冷たい人ではない。

 でも、今は私をマレーズ家に送り届けることが最優先。

 誰かを助け、まして乗せたりしたら、それだけ到着も遅れてしまうという判断だろう。

 それでも私はあの青年を放っておけなかった。

 それに――ここで誰かを助ければ、もしかしたら神様が見ていて、私の父を助けてくれるかもしれない。そんな不純な考えもあったと思う。


「お願い。私のことはかまわないで」


「分かりました」


 御者は馬車を止め、私は青年に声をかける。


「どうぞ、乗ってください」


「ありがとうございます」


 青年は襟足の長めの銀髪で、瞳の色はサファイアのような青さ。白いコートを羽織ったその姿は、なにか研究者のような職業を思わせる。

 そして、にっこり笑む青年は美しかった。


「申し訳ないけど、これは急ぎの馬車で、このままマレーズ家の領地まで行ってしまうけど、よろしいかしら?」


「はい、もちろんです」


 私は馬車に備えてあった食料を全て青年に渡した。

 よほどお腹がすいていたのか、青年はそれを平らげると、ぐっすり眠ってしまった。

 その寝顔はとても安らかで、寝息さえも整っていた。

 私はこの人を助けることができてよかった、と思った。



***



 実家に戻った時にはすでに夜になっていた。

 私は馬車を降り、父の元に駆けつける。

 寝室では、父がベッドで苦しそうに横たわっていた。


「アリシア、戻ってきてくれたか!」と兄。


「よかった……」母も涙ぐんでいる。


「お父様!」


 弱り切った父が、私に目をやる。


「おお、アリシア……立派になったな。一目見たかったよ。しかし……ディセイン家の方は大丈夫なのか?」


「ええ、なんとか許可をもらって……」


 私は嘘をついた。

 専属の医師によると、父はまだあまり研究が進んでいない難病に冒されているとのこと。

 もし助けたいのであれば、より優れた医師に診てもらう必要があるが、そういった医師は王家や上級貴族のお付きになっていることが大半であり、マレーズ家のコネではとてもそんな人と引き合わせてもらうことはできない。

 つまり、父を助ける方法はあるが、その方法にたどり着ける方法がない。

 私は悲しみと歯がゆさで肩を落とす。

 そんな時だった。


「あの……お父上の病気、私に任せてもらえないでしょうか?」


 先ほど私が助けた青年が言い出した。


「え……?」


 私やみんなが呆然としていると、青年は懐から一枚の名刺を差し出した。


「申し遅れました。私、リカール・シーデンハイトと申します」


「シーデンハイト……!?」


 シーデンハイトといえば、貴族でその名を知らない人間はいない。王家の直属医も務める名門侯爵家。

 国に疫病が蔓延した時、王が大病を患った時、幾度となく活躍したとされる伝説的な医師の家系だ。

 今の国王陛下も「余は息子や臣下の言うことはあまり聞かぬが、シーデンハイトの言うことはつい聞いてしまう」と漏らすほど。

 青年――リカール様はそんな家の次期当主と目されている。


「そんな人がなぜ、あんなところに……?」


 リカール様は頭をポリポリとかく。


「薬草探しに夢中になりすぎまして……ちょっと迷ってしまって……」


 彼を馬車で拾った場所は、とても“ちょっと迷う”くらいでたどり着ける場所ではなかった。

 どれだけ夢中になっていたのだろう。私は呆れてしまう。

 一方で、この探究心がシーデンハイト家の繁栄を支えているのだろうとも思えた。


「ですが、おかげで希少な薬草を入手することができました。お父上の病気、ぜひ私に任せてください!」


 シーデンハイト家の人間にこう言われて、断る人間はこの国にはいない。医師も兄も了承し、私はリカール様に申し出る。


「私にもできることがあれば、お手伝いします!」


「ではお願いします。まず、桶に水を汲んでください」


「……はいっ!」


 父の命運に光明が見えたので、私は張り切った。

 リカール様の指示は分かりやすく、私を的確に導いてくれた。


「この丸薬を飲ませれば、だいぶ症状は落ち着くはずです」


 リカール様が調合した丸薬の効果は素晴らしかった。

 まるで魔法のように父の容態は安定した。

 マレーズ家の専属医師は頭を下げる。


「シーデンハイト家の医術をこの目で見ることができて光栄です。おかげで旦那様を救うことができました」


「いえ、あなたがいたからこそですよ。あなたの処置がなければ、この方は助かりませんでした」


 むやみに自分の医術を誇ることはしない。にこやかに笑むリカール様はまるで天使のようだった。

 数日後、すっかり体調が回復した父に、これなら大丈夫と、私は全てを打ち明ける。

 夫は私が実家に帰ることを猛反対していたと。


「……そうだったのか。反対を振り切って駆けつけてくれたのだな」


「おそらく私は離婚されると思います」


 うつむく私に、父はにっこりと笑う。


「いいじゃないか。もうそんな男とは別れてしまいなさい。もちろん、今回のことだけではない。そんな有様であれば、お前はずっと苦しい目にあってきたことだろう。もう我慢する必要はないんだ。気づいてやれなくて、すまなかった……」


「お父様……」


 ディセイン家との繋がりがなくなれば、マレーズ家も苦境に立たされる。

 それでもなお、父は私の離婚を許してくれた。

 兄も「家のことならなんとかなるさ」と後押ししてくれた。


 そして、父を救ってくれたリカール様を見ると――


医師(わたし)の立場から見ても、あなたはその方とは別れるべきです」


 この言葉に、私は力強くうなずいた。


「……はい!」



***



 ディセイン家に戻った私を、夫ザイムは案の定ネチネチと罵った。


「アリシア、よくもまあ装飾品の分際でのこのこと戻ってこれたもんだ。謝罪の言葉はしっかり考えてきたんだろうな」


 私は首を横に振る。


「いいえ、あなたに謝ることなどなにひとつありません」


「……なんだと!」


 夫の眉間が吊り上がる。


「私は装飾品ではない。一人の人間です。あの時私が行かなければ、父は助からなかった。その判断に間違いはありませんでした。ですから、あなたに謝罪などしません」


 背筋を伸ばして言い放った私に、夫は指を突きつけてきた。


「離婚だ! お前など離婚だぁっ!」


 向こうから言い出してくれたので、手間が省けた。

 普段はチェスのような問い詰め方をする夫が、この時ばかりは取り乱していた。

 “装飾品”の反乱がよほど予想外で、悔しかったのだろう。


「はい。大変お世話になりました」


 私は頭を下げると、手荷物を持ち、しずしずと邸宅を出た。とても晴れやかな気持ちだった。そんな私に呼応するように、天には青空が広がっていた。

 家の門では待っていましたとばかりに、私を実家まで運んだ御者が待機してくれていた。

 後日、書面による手続きで、私とザイムの離婚は正式に成立した。



***



 それから――私がリカール様を助け、リカール様が父を助けてくれた縁で、私たちは交際を始めた。

 カフェで紅茶を飲みながら、リカール様が朗らかに笑う。


「私が今生きているのは、あの時あなたが私を拾ってくれたおかげですよ」


「それは同じことです。あなたがいたから、私は今こうして生きているのです」


 もしリカール様がいなければどうなっていただろう。

 父は亡くなり、私は一生ザイムに逆らうことのできない人生を送っていただろう。

 それを考えると、恩が大きいのは私の方なのだ。父と私、二人の命を救ってもらった。

 私はリカール様とともに、時には診察をし、時には薬草を採りに向かい、時にはデートをし……と今までになく楽しい人生を過ごすことができた。


 一方、かつての夫ザイムはというと、私と離婚後、なんと全ての使用人に辞められてしまったとのこと。

 このことは父であるディセイン伯にも伝わり、私と離婚した原因も知られてしまうことになる。


『父親の身を案じる妻に帰郷も許さぬ夫がどこにいるかッ! しかもそれが元で使用人にも去られてしまうとは……貴族は冷徹でなければならぬとは教えたが、無情であってはいかん。情なき主君についていく者などおらぬからな。お前にはこの家を継ぐ資格はなかったようだ』


『お待ちください、父上っ……!』


 ザイムは次期当主の座から外され、今は本邸でひっそりと鬱屈した日々を過ごしているという。

 容赦のない人間には、容赦のない鉄槌が下されるものだなぁ。彼の末路を見て、人々はこうささやいた。


 程なくして、私とリカール様は結婚式を挙げる。

 リカール様はシーデンハイト家の当主となり、王家の直属医として腕を振るう。

 私もそんな彼の補佐役として働き、医術の知識もずいぶん吸収できた。

 さらに、リカール様は市井の人々の役にも立ちたいと、国中の医師や薬師に教室を開くなどの試みも行っている。

 リカール様のおかげで、王国の医療はさらに発展していくことだろう。


「アリシア、今日は王家の定期診察に参りましょう」


「はい、補佐はお任せください」


「頼りにしていますよ。あなたという支えがいてくれると、私の医術の効能はより高まりますから」


「ふふっ、リカール様こそ私の力を引き出すのがお上手ですね」


 白いコートをたなびかせるその背中を見ていると、私はとても幸せだ。






おわり

お読み下さいましてありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
従者を付けないで大事な次期当主?を行き倒れにさせるシーデンハイト家って何、と思いました。
返信ありがとうございます。 父親が倒れた時なら普通は送り出しますよね。 「腰が痛い」って言って突然行方不明になった知人がいたのですが、さすが親が倒れてるかどうかなんてわからないですよね。 こんな事件が…
妻の親の死に目の看取りを妨害するとか、貴族云々じゃなくて人として生きている価値がないドクズ。 使用人全てが一斉に暇乞いするとか、普段からありえないドクズっぷりだったんでしょうね。 こんなドクズのザイユ…
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