「魔力が泥のようだ」と捨てられたら、不眠症の魔術師様に『極上の睡眠薬』として確保されました。「ん、ここが一番濃い」って手首の脈に吸い付くのは反則です!膝の上でとろとろに溶かされ、一生離してもらえません
キラキラしてる。
シャンデリアの光が、目に刺さって痛い。
磨き上げられた大理石の床、優雅なワルツの旋律、楽しそうな笑い声。
この空間にある「輝き」の全部が、私――アーデルハイド・ヴァインベルグを、「お前なんか仲間じゃない」って拒絶してる気がする。
ここは王城の大広間。
建国記念のパーティーなんていう、国で一番華やかな場所。
普通なら、婚約者のアルフレッド様と腕を組んで、ダンスを踊ったり、愛を囁き合ったりする場所なんだろうけど。
今の私は、会場の隅っこにある太い柱の陰に、コソコソ隠れてるだけ。
髪型も地味だし、ドレスだって流行遅れの深緑色。
壁の花どころか、壁のシミになりたい。誰にも見つかりたくない。
冷え切った指先をきつく握りしめながら、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
「……ねえ、あいつでしょ? 噂の『泥の魔女』って」
「ああ、ヴァインベルグ家のアーデルハイド嬢ね。……うわ、こっち見た。目が合っただけで空気が重くなった気がしない?」
「本当に。あんな陰気で不気味な女が、光の貴公子アルフレッド様の婚約者だなんてねぇ。家柄だけ良くても、あれじゃあね」
「魔力が『泥』だなんて、魔術師として終わってるよ。近くにいるだけで息苦しい」
ヒソヒソ声が聞こえてくる。
扇子で口元を隠してるけど、その目が笑ってるのは丸わかりだ。
慣れてるはずなんだけどな。
何度聞いても、胸の奥を錆びたナイフでグリグリされるみたいに痛い。
私、アーデルハイド――通称アリスの魔力は、ちょっと特殊だ。
この世界じゃ、いい魔術師の魔力は「風」みたいに軽かったり、「水」みたいに綺麗だったりするらしい。
でも、私のは「泥」。
重くて、ベタベタしてて、まとわりつくような質量があるんだって。
私がちょっとでも魔法を使うと、周りの空気がズンと重くなるから、繊細な魔法を使う貴族たちからは「不快だ」「吐き気がする」って嫌われてきた。
地味な容姿に、不快な魔力。
そんな私が、キラキラしたアルフレッド様の婚約者でいられるのは、おじい様たちが決めた契約があるから。それだけ。
私が彼にとってお荷物なのは、自分が一番よくわかってる。
わかってるけど、小さい頃に彼が言ってくれた「アリスの瞳は、森の奥の湖みたいで綺麗だね」って言葉だけを頼りに、今日までしがみついてきた。
(……帰りたい。今すぐ部屋に帰って、お布団かぶりたい)
吐き気にも似た息苦しさを感じて、小さく息を吐いた時だった。
「……アリス」
名前を呼ばれた。
聞き慣れた、でも最近はずっと聞いてなかった、トゲのある声。
ビクッとして顔を上げると、そこには不機嫌そうに眉を寄せたアルフレッド様が立っていた。
純白の礼服が似合う彼は、いつ見ても物語の王子様みたい。
……その隣に、ピンク色のドレスを着た可愛い男爵令嬢が、ベッタリくっついてなければの話だけど。
「アルフレッド様……」
「探したよ。こんな陰気な場所に隠れているなんて、君らしいな。カビが生えそうだ」
声が冷たい。私を突き放す響き。
隣の女の子が、「まぁ、怖い。空気が重いですわぁ」なんて言って、わざとらしくアルフレッド様の腕にしがみつく。
甘ったるい香水の匂いがして、頭が痛くなってきた。
「ここ数日、ずっと考えていたんだ。これ以上、君のその陰気な空気に耐えるのは限界だって」
周りの視線が集まってくるのがわかる。
嘲笑い、憐れみ、それから「何が起こるんだろう」っていう野次馬根性。
みんな期待してるんだ。この「泥の魔女」が捨てられるところを。明日の朝食の話題にするために。
「君の魔力は、僕の繊細な魔法構築を邪魔するんだよ。君と一緒にいるだけで、僕は息が詰まる。それに比べて、彼女の魔力は春風みたいに軽やかだ。僕を癒してくれる」
彼は隣の子の腰を抱き寄せて、見せつけるみたいに笑った。
その子は頬を染めて、勝ち誇った目で私を見下ろしてくる。
「ごめんなさいね、アーデルハイド様。でも、愛のない結婚なんて不幸なだけですわ。アルフレッド様みたいな素敵な方を、貴女みたいな重たい女が縛り付けるなんて、罪だと思いませんこと?」
「それに、君は彼女への嫌がらせもしていたそうだな」
アルフレッド様の冷たい声に、私は弾かれたように顔を上げた。
「え……?」
「とぼけるな! 君のその重苦しい魔力で、彼女を威圧し、脅していただろう! 彼女は『睨まれただけで金縛りにあったみたいに動けなくなった』と怯えていたぞ!」
「ひどいですわ、アーデルハイド様。……私、怖くて夜も眠れませんでしたのよ?」
男爵令嬢が私の顔を見て、ニヤリと口角を上げたのが見えた。
嘘だ。そんなことしていない。
でも、誰も信じてくれない。周りの令嬢たちも「やっぱり、あの陰気な女ならやりかねないわね」「まさに悪役ね」と囁き合っている。
心臓が、早鐘を打つ。
息ができない。視界がチカチカする。
来る。言われる。
ずっと怖くて、でもいつか絶対言われるって覚悟してた言葉が。
アルフレッド様が、大きく息を吸い込んだ。
会場中の注目を集めて、高らかに宣言しようとする。
「アーデルハイド! 僕はもう我慢ならない! よって、今この時をもって、君との婚約をは――」
ドサッ。
「……ぐえっ!?」
変な声が出た。
自分でもびっくりするくらい、潰れたカエルみたいな声。
アルフレッド様が最後まで言い切るより早く、私が絶望するより早く。
背中から、とんでもない「重さ」がのしかかってきたのだ。
◇◆◇
重い。
熱い。
それから、嗅いだことのない濃い匂いが、全身を包み込んだ。
スパイスと、深煎りのコーヒーと、雨上がりの夜の匂いが混ざったような、深く複雑で、頭がクラクラするような匂い。
「……あー、やっと、みつけた……」
耳元で、低く、溶けるような声がした。
すごくダルそうで、掠れてて、でも色っぽい声。
思考が停止した。
会場が、シーンと静まり返る。
私の背中にのしかかって、全体重を預けてきた「何か」は、私の肩に顎を乗せて、ふぅー……って、長く熱い溜め息を吐いた。
うなじに息がかかって、鳥肌が立つ。服の上からでもわかる体温が、熱い。
「……え、あの……?」
恐る恐る動こうとしたら、腰に回された腕がギュッて強まった。
逃がさない、って言われてるみたい。
背中に張り付く男性の硬い胸板。良いスーツ着てるはずなのに、その下の筋肉の形までわかっちゃいそう。
なにこれ、私、どうなってるの?
「……動かないで。……マジで、電池、切れそう……」
電池?
意味わかんない。
でも、視界の端に金色の髪が映った瞬間、私は息を呑んだ。
手入れされてないボサボサの、でも太陽の光を集めたみたいに綺麗な金髪。
近くで見ても毛穴ひとつない、陶器みたいな肌。
整ってるのに、どこか危険な香りがする美貌。
そして、いつも眠そうに細められた碧眼と、目の下の濃いクマ。
首元のネクタイは緩んでて、シャツのボタンも二つくらい開いてるから、鎖骨が見えちゃってる。
エリオ・ランセル。
この国で最強って言われてる、「宮廷筆頭魔術師」様だ。
一人で竜を倒せるし、本気出せば国ごと消せるって噂の生ける伝説。
でも同時に、会議も式典も全部すっぽかして寝てばっかりいる「眠れる獅子」としても有名な人。
そんな雲の上の人が、なんで今、私の背中に張り付いて、ダラダラしてるの?
まるで、大きな猫が、お気に入りのクッションの上で溶けてるみたい。
彼の心臓の音が、私の背中にドクン、ドクンって響いてくる。すごく速い。
◇◆◇
「な、な……!? エ、エリオ様!?」
最初に声を上げたのは、言葉を遮られたアルフレッド様だった。
顔を真っ赤にして、引きつった笑いを浮かべながら、震える指で私たちを指差してる。
「な、何をされているのですか! その女から離れてください! いくら筆頭魔術師殿とはいえ、他人の婚約者に触れるなんて無礼すぎませんか!」
アルフレッド様が叫んでも、エリオ様はピクリとも動かない。
むしろ、うるさそうに眉間のシワを深くして、もっと強く私にくっついてきた。
大きな手が、私のお腹の前で組まれてる。完全にホールドされてる。逃げられない。
彼の体温が、冷え切ってた私の体にじわじわ染み込んでくる。
「……んー……うるさい……」
エリオ様が、私の耳元で不機嫌そうに唸る。
低い声が、骨に響く。
「エ、エリオ様! 貴方みたいなすごい方が、なんでそんな『泥の魔女』なんかに触れてるんですか! その女の魔力は泥みたいに重くて、不快なんですよ!? 近くにいるだけで気分悪くなりませんか!?」
アルフレッド様が必死に訴える。
私のコンプレックスを、こんな大勢の前で大声で。
恥ずかしくて、惨めで、消えてしまいたい。
やっぱり、エリオ様もたまたま倒れ込んだ先が私だっただけで、正体に気づいたらすぐに離れて、軽蔑した目で見るに決まってる。
だって私は、みんなが嫌う「泥」なんだから。
そう思って、身を縮こまらせた時だった。
「……は?」
ドロリと。
会場の空気が、急に重くなった気がした。
重力が増したみたいな、息苦しいプレッシャー。
エリオ様から出た魔力が、会場全体を押しつぶそうとしてる。
エリオ様が、私の肩から顔を上げて、気怠げな目をちょっとだけ開いてアルフレッド様を睨んだ。
その青い目は、眠そうに濁ってるのに、底知れない殺気でギラギラしてた。
深海みたいな、嵐の前の海みたいな、怖い青。
「不快? ……お前の感覚、腐ってんじゃないの」
低く、地を這うような声。
会場中の空気が凍りつく。
「この重さが、最高なんだけど?」
「は……?」
アルフレッド様がポカンと口を開ける。
隣の子も、顔を引きつらせて固まってる。
私も、意味がわからなくて固まった。
エリオ様は、私の腰を抱く腕に力を込めて、私の背中に顔をスリスリと擦り付けた。
猫が自分の匂いをつけるマーキングみたい。
ゴリゴリと額を押し付けられて、ちょっとよろけそうになる。
「あー……すごい……。脳みそが、泥に沈んでく感じ……。ガンガン響いてたノイズが、全部消える……」
彼はうっとりした声で呟いて、私のうなじに鼻先を埋めて、深く、長ーく匂いを吸い込んだ。
スゥーーッ……って音が、静かな会場に響く。
まるで、砂漠で水を見つけた人が、必死に飲んでるみたいな音。
「俺は不眠症なんだよ。魔力が強すぎて、世界の音がうるさすぎて、もう一週間もまともに寝てない。虫の羽音も、人の悪意も、全部が金切り声に聞こえる。……でも、こいつの魔力があれば、眠れる」
彼の言葉は、悲鳴みたいだった。
強すぎるからこその苦しみ。感覚が鋭すぎて、生きてるだけで辛いなんて。
そんな彼にとって、私の「重い魔力」は、唯一世界を遮断してくれる防音壁になるってこと?
「俺の安眠枕に、大声出すなよ。……匂いが薄れるだろ」
彼は私の肩に顎を乗せて、気怠げな目でアルフレッド様を見下ろした。
それは、獲物を狙う肉食獣の目だった。
自分のテリトリーを荒らす敵は許さない、絶対強者の目。
「な、何を訳の分からないことを……! どいてください! 僕はその女に婚約破棄を言い渡すところで……! これは正式な手続きで……!」
アルフレッド様が一歩踏み出した、その瞬間。
「邪魔」
エリオ様が、短くそう言った。
彼が私の腰を抱いたまま、空いた片手の人差し指をくい、と動かす。
ただそれだけ。
ドォォォォォンッ!!
いきなり突風が吹いて、アルフレッド様を直撃した。
悲鳴を上げる暇もなく、彼はキリモミ回転しながら真後ろへ吹き飛ばされて、大広間の分厚い扉を突き破って、夜空の彼方へ消えていった。
キラーン、と星になる勢いで。
隣にいた男爵令嬢が、白目を剥いて腰を抜かして、その場にへたり込んだ。
会場は、シーンとするどころか、時が止まったみたいだった。
筆頭魔術師が、高位貴族を一人、ゴミみたいに掃除した。
しかも、詠唱も杖もなしに。指先一つで。
「……ふあ」
当の本人は、周りの空気なんてお構いなしに、大きなあくびを一つ。
涙目になりながら、完全に脱力して、私にさらに重くのしかかってきた。
「……帰るぞ。限界」
「えっ、ええっ!? ど、どちらへ!?」
「俺の塔。……抱き枕がないと、寝れない」
拒否権なんてなかった。
エリオ様は私を軽々とお姫様抱っこすると、呆然とするみんなを一瞥もしないで、転移魔法を発動させた。
視界が歪んで、世界がひっくり返る。
キラキラしたシャンデリアも、意地悪な貴族たちも、全部が遠のいていく。
私の「断罪イベント」は、最強の魔術師様の理不尽な乱入によって、強制終了させられちゃった。
◇◆◇
転移した先は、薄暗い部屋だった。
窓の外には満天の星空が広がってる。地上からの光は届かない、かなり高い場所だ。
部屋の中には、天井まで届く本棚と、床に散らばった古書や羊皮紙、怪しげな光る実験器具、そして部屋の真ん中にある巨大な天蓋付きのベッド。
王城の敷地内にある、筆頭魔術師専用の塔。
関係者以外立ち入り禁止の聖域で、魔術師たちの憧れの場所。
その最上階にある私室だ。
生活感ゼロ。
埃っぽくはないけど、人の温もりがしない。
ただ、研究と魔術のためだけにある、冷たくて静かな空間。
ここが、この人がたった一人で過ごしてる場所なんだと思うと、背筋が寒くなるような孤独を感じた。
「……ん」
エリオ様は私を抱いたまま、迷わずベッドに向かった。
ドサッ、と乱暴に、でも怪我をさせない絶妙な力加減で、私がベッドに降ろされる。
ふかふかの高級な羽毛に体が沈み込む。
逃げなきゃ。
そう思ったけど、体は動かなかった。
すぐに、エリオ様が覆いかぶさってきたから。
「え、あ、エリオ様……!?」
彼は靴も脱がないでベッドに上がり込んで、私を逃がさないように両腕の中に閉じ込めた。
そして、そのまま私の腰に跨って、私を縫い留めるような体勢をとった。
私の太ももの上に、彼の大腿部がのしかかる。重い。
男性のしっかりとした骨格と筋肉の重みが、私の自由を奪う。
近い。
顔が、あまりにも近い。
整った顔立ちが目の前にあって、彼の気怠げな吐息が私の唇にかかる。
碧眼はとろりと濁ってて、焦点が合ってるのかいないのかわかんない。
まるで、高熱に浮かされてるみたいな、それか薬に酔ってるみたいな目。
「……重い」
彼が呟いた。うわ言みたいに。
「魔力が、重い。……最高だ。深海に沈んでるみたいだ」
彼は私の肩に額を押し付けて、ぐりぐりと擦り付けた。
まるで、マタタビを与えられた猫が、酔っ払って絡みついてるみたい。
でも、その腕の力は強すぎて、振りほどくことなんて絶対に無理。
華奢に見えて、やっぱり男の人なんだって思い知らされる。
「あの、エリオ様。私、泥の魔女って呼ばれてて……魔力が不快で……」
「だから、それがいいんだって」
彼は顔を上げて、不満そうに口を尖らせた。
子供が駄々をこねるみたいな顔。
「普通の奴らの魔力は、軽すぎて、甲高くて、キャンキャンうるさい。ガラスを引っ掻いた音みたいに、神経に障る。……でも、お前のは違う」
彼は私の頬に触れた。
指先が冷たい。でも、掌は熱い。
その温度差に、ゾクッとする。
「お前の魔力は、泥だ。底なし沼だ。……俺の過敏すぎる神経を、塗りつぶして、沈黙させてくれる。……これがないと、俺はもう、死ぬかもしれない」
死ぬ。
その言葉は、脅しには聞こえなかった。
目の下の濃いクマ。充血した目。微かに震える指先。
彼は本当に、限界ギリギリの状態で立ってたんだ。
強すぎる力を持つ代償。
世界の全てがノイズに聞こえるほどの鋭敏な感覚が、彼を蝕んでる。
私たちが感じる「風の音」が彼には「暴風」に、「人の話し声」が「絶叫」に聞こえてるのかもしれない。
私の「重い魔力」が、この人を救える?
誰からも嫌われてきた、この泥みたいな、不快な魔力が?
彼にとっては、静寂をもたらす「防音壁」になるっていうの?
「……もっと、濃いのが欲しい」
エリオ様が、夢遊病者みたいに呟いた。
彼の視線が、私の顔から、首筋へ、そして腕へと滑り落ちていく。
その視線だけで、肌を撫でられたみたいな熱さを感じる。
ねっとりとした、渇望に満ちた視線。
「……充電、させて」
彼は私の左手を掴んで、強引に引き寄せた。
◇◆◇
彼が執着したのは、無防備な私の唇でも、首筋でもなかった。
左手首。
いつもは袖口に隠れてて、誰にも見せない白く細い手首の内側。
薄い皮膚の下で青い血管が透けて見えてて、トクトクって生きてる音がする、あの場所。
「……ここ」
エリオ様の親指が、私の手首の脈をゆっくりとなぞる。
ただそれだけなのに、背筋に電流が走ったみたいにゾクッとした。
そこは、魔力の通り道が一番皮膚の近くを流れてる場所。魔術師にとっての急所だし、命綱みたいな大事な場所だ。
他人に触らせるなんて、普通じゃありえない。そこを握られるってことは、自分の命の蛇口を預けるのと同じことなんだから。
でも、抵抗できなかった。
彼の手のひらが熱くて、逃げ場なんてどこにもなかったからだけじゃない。
彼が見つめる瞳の熱量に、魂ごと射抜かれちゃったから。
さっきまで眠そうだった青い目は、今はもう獲物を見つけた肉食獣みたいに鋭くて、どうしようもなく飢えてる。
「一番、濃いのが流れてる……」
彼はうっとりした顔で、夢見るみたいにそう呟いた。
そして、私の手首をまるで宝物か何かみたいに両手で包み込むと、焦らすように、ゆっくりと自分の顔を近づけてくる。
熱い吐息が手首にかかる。湿った空気が、皮膚の産毛を揺らすのがわかる。
触れるか触れないかのギリギリの距離で、彼の唇が私の肌の上を滑る。
「っ……!」
声にならない変な音が、喉の奥から漏れた。
唇の感触が、直接神経に触れてるみたいに生々しい。
彼はすぐに吸い付いたりはしなかった。
まず、舌先でチロリと、脈打つ部分を舐めた。味見をするみたいに。
「ん……、いい匂いだ。泥と、夜と、……甘く熟した蜜の匂いがする」
彼が低く笑う振動が、手首から腕を伝って心臓まで響いてくる。
その言葉に含まれた熱に、顔が一気に沸騰しそう。
そして、もう我慢できないとでも言うように、彼は観念したように私の手首に唇を押し付けた。
ちゅ、と小さく吸われる濡れた音がして、私の体はビクンと跳ね上がった。
「ん……」
エリオ様が、深く、深ーく息を吸い込んだ。
肺の奥の奥まで、私の魔力を満たすみたいに。
その瞬間、体中の力が底から抜けていくような、とんでもない脱力感に襲われた。
血を吸われてるわけじゃない。痛みはない。
でも、それよりもっと根っこにある、生命力そのものを吸い出されてるみたいな錯覚。
私の体の中を重たく流れてる、ベタベタして不快だって言われてきた魔力が、彼に吸われて流れ出していく。
私の「泥」が、彼の中に入り込んでいく。
まるで、点滴の逆だ。
私の命が、彼の命に繋がって、とくとくと流れ込んでいくのがわかる。
「はぁ……」
エリオ様の喉が鳴る。
彼は私の手首に顔を埋めたまま、何度も何度も、深く呼吸を繰り返した。
酸素ボンベから必死に空気を吸う遭難者みたいに。それか、カラカラに乾いた大地が雨を吸い込むみたいに。
彼の呼吸に合わせて、私の魔力も波打って、吸い上げられていく。
時々、彼の歯が肌に当たる。
甘噛みされるたびに、鋭い快感が脳みそを走って、私は彼の膝の上で震えることしかできない。
目の前がチカチカする。世界が回る。
魔力を奪われる感覚って、お酒に酔った時みたいにふわふわする。
これは、いけない。
こんなの、キスなんかよりずっと、濃厚で、背徳的だ。
誰からも拒絶されて、「陰気だ」「不快だ」って罵られてきた私の「重い魔力」。
それを、この国で一番高貴な魔術師様が、「美味しい」とでも言うみたいに、貪欲に、一滴も残さず飲もうとしてる。
私の手首を掴む彼の手が、強く食い込む。
痛い。でも、その痛みが心地いい。
まるで命綱を掴むみたいに。
これがないと生きていけないって、すがるみたいに。
「あ、エリオ様、そんなに吸ったら……っ、私が、おかしくなりそうです……!」
魔力を抜かれる浮遊感と、手首を愛撫される快感が混ざり合って、思考が白く染まっていく。
彼が私の魔力を吸い上げて、自分の体の中で循環させて、浄化していく。
そのプロセスが、まるで二人が溶け合って一つになってるみたいな錯覚を起こさせる。
「……うるさい。黙って吸われてろ」
彼は顔を上げないまま、私の手首を強く吸い上げた。
キスマークを刻むみたいに。消えない「自分のものだ」って印を焼き付けるみたいに。
痛みと快感が同時に走って、私は短く悲鳴を上げた。
彼は私の手を強く握りしめて、逃げられないように固定すると、さらに深く、強く、唇を押し付けた。
ズズズ、と重い何かが吸い出される感覚。
頭がクラクラする。視界が滲む。
でも、嫌じゃない。むしろ、もっと吸ってほしい、空っぽになるまで吸い尽くしてほしいって思っちゃう自分がいる。
私の魔力を吸うたびに、彼の強張ってた肩の力が抜けていくのがわかる。
苦しそうだった呼吸が、深く、穏やかなものに変わっていくのがわかる。
トゲトゲしてた彼の魔力が、私の泥に包まれて、静かな湖みたいに鎮まっていくのがわかる。
ああ、私が彼を癒やしてるんだ。
私のコンプレックスが、この最強の魔術師様を、救ってるんだ。
その事実が、たまらなく嬉しくて。
そして、どうしようもなく甘くて。
必要とされる喜びが、脳を痺れさせる。
私は、彼の薬になれる。彼の安らぎになれる。彼の一部になれる。
私は抵抗するのをやめて、彼の金色の髪にそっと指を絡めた。
サラサラした髪の感触。少し汗ばんだおでこ。
彼はそれに応えるみたいに、喉の奥で満足げな音を漏らして、さらに強く、長ーく、私の手首を吸い上げた。
体温が溶け合う。
境界線が曖昧になる。
私は彼に溶かされて、彼もまた、私っていう泥沼に沈んでいく。
それは、共依存っていう名前の、逃げ場のない契約の儀式みたいだった。
◇◆◇
どれくらいの時間が経ったんだろう。
永遠みたいにも、一瞬みたいにも感じられた「充電」の時間が終わって、エリオ様はようやく唇を離した。
ぷはっ、と熱い息を吐き出す音が、静かな部屋に響く。
彼の顔色は、さっきまでの土気色が嘘みたいに良くなってた。
目の下の濃いクマも薄れて、肌には健康的な赤みが差してる。
そして何より、目が違う。
眠そうに濁ってた青い目には、理性の光が戻ってた。
……ううん、理性っていうよりは、満腹の猛獣みたいな、満ち足りた光だ。
とろっと潤んだその目が、私を捕まえて離さない。
私の手首には、赤いキスマークがくっきりと残ってた。
まるで赤い花が咲いたみたい。
それを見て、エリオ様はニヤリと口角を上げた。
ひどく色っぽい、雄の笑み。
「……あー、生きた心地がする」
彼は私を抱きしめたまま、ベッドにゴロンと横になった。
当然、私も一緒に倒れ込むことになる。
彼の腕は、私の腰にしっかりと回されたままだ。
広いキングサイズのベッドの上で、私たちは絡み合うようにして横たわる。
まるで、一本の木に絡みつくツタみたいに。
「アリス」
名前を呼ばれた。
耳元で囁かれると、低い声の振動が腰のあたりをゾワゾワさせる。
「お前、もう帰さないから」
「え……?」
「あの馬鹿な婚約者も消したし、実家にも『筆頭魔術師の権限で徴収した』って使い魔を飛ばしておいた。お前は今日から、俺の専属だ」
専属。
それって、公的なお仕事としての意味なのかな、それとも……。
「……あの、それは、魔力供給役として、ということでしょうか?」
私が恐る恐る聞くと、エリオ様は半眼を開けて、呆れたように私を見た。
「それ以外に何があるんだよ」
ですよね。
少しだけホッとして、同時に胸の奥がチクリと痛んだ。
所詮は、便利な道具として見られてるだけなのかも。
「泥の魔女」なんて、魔力以外に価値はないんだから。
でも、それでもいいと思った。誰かに必要とされるなら、たとえ道具としてでも、ここにいたい。
あの冷たい実家に戻るくらいなら、この温かい腕の中で利用されていたい。
そう自分を納得させようとした、次の瞬間。
「……ああ、いや」
彼は私の腰をグイッと引き寄せて、逃げ場がないほど強く抱きしめてきた。
ドクン、と。
重なった胸の奥から、さっきよりもずっと速くて、激しい心音が伝わってきて、私はカッと顔を赤くした。
見上げると、彼の瞳の色が、昏く、熱っぽく濁っている。
それはもう、ただの魔力補給じゃ済まされない、男の人の目だった。
「魔力だけじゃ、足りないかもな。……お前の全部、俺の泥沼に沈めてよ」
ダルそうなのに、言ってることは強欲だ。
気怠げな瞳の奥に、暗い独占欲の炎が揺らめいてるのが見える。
彼は私の髪を指で梳きながら、囁く。
「俺は一度気に入ったものは手放さない。……お前が俺を救ったんだ。責任取れよ?」
理不尽だ。勝手に連れてきて、勝手に救われて、責任を取れだなんて。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
「泥の魔女」って蔑まれてきた私を、こんなにも必要としてくれる。
私の「重さ」がないと生きていけないって、すがってくれる。
それは、自己肯定感の低かった私にとって、何よりも甘い毒だった。
もう、戻れないかもしれない。
この甘くて重い沼からは。
「……私で、いいんですか? 私なんかと一緒にいたら、エリオ様まで『陰気だ』って笑われますよ? 『泥臭い』って嫌われますよ?」
私が一番怖がってることを口にすると、彼は鼻で笑った。
「誰が笑うんだ? そいつら全員、大気圏外まで吹き飛ばすけど」
彼は事も無げに言った。
冗談に聞こえないのが怖い。きっと本気でやるだろう。この人は、世界中を敵に回してもあくびをしてそうだ。
「それに、俺は、お前がいいんだよ」
彼は私の手を取って、もう一度その手首に口づけを落とした。
今度は吸い付くんじゃなくて、優しく、慈しむように。
唇の形がわかるくらい、丁寧に。
「この泥みたいな重さが、俺を底まで沈めてくれる。……軽薄な春風なんかじゃ、俺の熱は冷ませない。お前のこの重さだけが、俺にとっての最高の睡眠薬だ」
その言葉は、呪いみたいで、これ以上ない愛の告白みたいでもあった。
最高の睡眠薬。
「不快」じゃなくて、「最高」。
「重い」ことが、「価値」になる。
私のコンプレックスを、彼は全肯定してくれた。
胸の奥にあった冷たい鉛みたいな塊が、とろとろに溶けていくのがわかる。
ああ、もうダメだ。
この人に、抗えるわけがない。
◇◆◇
私は彼の方へ体を寄せて、その胸に顔を埋めた。
心臓の音が聞こえる。
規則正しく、力強い音。私が「充電」したからこそ動いてる、彼の命の音。
私がいないと、この心臓はまた過敏になって、悲鳴を上げちゃうんだ。
そう思うと、愛おしさが込み上げてきて、胸がいっぱいになる。
彼は私の頭に顎を乗せて、大きな欠伸をした。
もう限界みたいだ。
瞼が半分閉じてて、呼吸が深くなってる。
「……寝る。……動くなよ」
命令口調だけど、声は甘えてる。
彼は私を抱き枕みたいに抱え込んで、足まで絡めてきた。
重い。
ずっしりとした、大人の男性の重み。
でも、それが心地いい。私がここにいていいんだって、教えてくれてるみたいで。
「……はい、エリオ様。貴方が眠れるまで、ずっと側にいます」
「ん。……いい子」
彼は満足そうに目を細めて、すぐに寝息を立て始めた。
一週間ぶりの、深い深い眠り。
泥のように重く、甘い眠り。
あんなに怖かった最強の魔術師様が、私の腕の中ですやすや眠ってる。
無防備な寝顔。
長いまつ毛が頬に影を落としてて、子供みたいにあどけない。
世界中の誰も知らない、彼の一番弱い姿。
この寝顔を守れるのは、世界中で私だけなんだ。
「……仕方ないですね」
私は手首に残るキスマークを指でなぞりながら、小さく微笑んだ。
母性本能なのかな、それとももう恋なのかな。
胸がいっぱいになって、自然と涙が滲んでくる。
今まで流せなかった涙が、温かい雫になってこぼれ落ちた。
窓の外では、また新しい一日が始まろうとしてる。
でも、この塔の中だけは、時間が止まったままだ。
不眠症の魔術師様と、泥の魔女。
私たちは互いに溶け合って、沈み込んで、もう二度と離れられない共依存の沼へと落ちていく。
彼が私を必要とする限り、私は彼のための「重石」であり続けよう。
その時、エリオ様が寝言みたいに呟いた。
「……ん、逃がさない……」
抱きしめる腕に、ギュッと力がこもる。
痛いくらいの強さ。
でも、それが嬉しい。
「逃げませんよ。……おやすみなさい、私の愛しい人」
私は彼のおでこに、そっとキスを返した。
手首の脈打つ熱さを感じながら、私もまた、彼っていう抗えない重力に身を委ねて、瞳を閉じた。
それは、今までのどんな夜よりも深く、安らかな眠りへの入り口だった。
◇◆◇
翌朝。
小鳥のさえずりと、カーテンの隙間から差し込む日差しで目が覚めた私は、自分がまだ「捕獲」されたままだってことに気づいた。
「……んー……まだ、寝る……」
エリオ様は、私の腰に腕を回して、私の胸元に顔を埋めて眠ってた。
ボサボサの金髪が私の鎖骨をくすぐる。
どうやら、夜通し一度も離してくれなかったらしい。
私たちの体温は完全に混ざり合って、どっちがどっちの熱なのかわかんないくらいだ。
「エリオ様、朝ですよ。……よく眠れましたか?」
「……知らん。俺の世界はまだ夜だ」
彼はむにゃむにゃと呟くと、目も開けずにまた私の左手首を掴んで、口元へ持っていった。
寝ぼけ眼のまま、ちゅ、と吸い付く。
朝一番の「充電」だ。
「っ……あ、あの、朝からそれは……」
刺激が強すぎる。
朝の敏感な肌に、彼の唇の熱さがダイレクトに伝わってくる。
「……朝だからこそ、だろ。燃料切れ。……もっと寄越せ」
彼は私の抵抗なんて気にしないで、もっと強く吸い上げる。
舌先で脈を弄びながら、喉を鳴らして私の魔力を味わってる。
その貪欲な姿に、私はため息をつきつつも、愛おしさを抑えきれずに彼のボサボサの髪を撫でた。
どうやら、私の新しい生活は、この甘えん坊で強欲な魔術師様に、身も心も吸い尽くされる日々になりそうだ。
でも、それも悪くない。
だって私は、彼だけの「最高級のまたたび」なんだから。
「……ふふ、いっぱい食べてくださいね」
「ん……ごちそうさまは言わないけどな。一生、食い続けるから」
窓から差し込む朝日が、二人の重なる影を長ーく伸ばしてた。
泥のように重く、どこまでも甘い、私たちの共依存生活はまだ始まったばかりだから。
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