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「なんというか、コメディリリーフの演目だったね」

「私、上演中にあんな風に声を上げて笑っていいだなんて、思いも寄りませんでしたわ」


 観劇後、人が引くのを待ってから劇場を出て、近くの喫茶店に移動した。

 一息ついた後に出て来るのは、やっぱり先ほどまで見ていた舞台の感想で、温かい紅茶の注がれたカップが空になるまでの間、のんびりとお話して過ごす。


「あぁ、貴族街の劇場でやろうものなら白い眼を向けられるだろうが、その、ちょっと楽しかったよね」

「そうですわね。なんだか不思議な体験でしたわ」


 エリックの言う通り、楽しかった。

 演目はもちろん、シーンごとに観客の反応があって。演者もその反応を楽しみ、少し言い方は悪いのだけど、演者も観客の反応を煽っているようで。観客と演者が一緒に舞台を作っていて、こういう楽しみ方もあるのかと感心した。

 最初こそ驚いてエリックと顔を見合せたけど、最後の方は二人して肩を寄せて笑いあうほど楽しい経験だった。本当にこれは、貴族街の劇場ではできない経験だったわ。


「うん、私もいい経験だったと思う。旅をして色々と見分を広めたつもりだったが、改めて同じものでも立場や状況によって楽しみ方が違うのだと思わされたよ」

「慣れ親しんでいない考え方でも、そのように受け止められるのですから、エリックは立派ですわ」

「そうかな?」

「そうですわ」


 実際同じ観劇を趣味にしている貴族でも、あの劇場では開演前のざわつきの時点で雰囲気が合わないと判断してしまう方だっているかもしれませんし。

 そういう意味では戸惑いつつも、郷に入ってはと、カーテンコールまで観劇し、最後には楽しかったと言えてしまうエリックは、柔軟な考え方を持つ人だと思う。よいと思ったものは素直に受け入れ、より良い方向へと導く貴族として持つべき資質を十分に持っている。

 まぁ、その良いと思ったものの中に、トレーニングが煌々と輝いているのはすこし戸惑ってしまうけど。


「あれ? エリック?」


 不意に、聞き覚えのある声が、エリックを呼んだ。どうしてかしら? 声を聞いただけで、一瞬にして心臓がきゅっと縮み上がった気がする。そんなに驚いたわけではない。でもそんな風になった理由だけは、嫌というほど理解している。

 私は、この声の主であるクルミさんが、苦手だから。


「やぁ、クルミ。買い物?」

「うん、シスターのお使い。マリーさんもこんにちは」

「こんにちは、クルミさん」


 にこにこと、快活そうな笑顔を向けてくれるクルミさんに挨拶を返す。お使い、と言っていた通り、大きめの紙袋を抱えていて、パンや瓶が袋の口から覗いている。

 ああ、よかった。今日は常識の範囲だわ。前回は五キロの小麦粉を抱えていたし、今日も何か大荷物をもっていたらどうしようかと思った。


「そうだ。マリー、今日のチケットはクルミに貰ったんだ」

「……まぁ、そうでしたの。とても楽しませていただきましたわ」

「いえいえ! 私は誘う相手もいないし、楽しんでもらえたなら何よりです!」


 ふーん、そっか。貰い物だとは言ってたけど、チケット、クルミさんにもらったものだったんだ。もちろん舞台自体は楽しかったし、頂いたのだからちゃんとお礼は言うわよ? でもなんだかやっぱり、もやもやする。

 私とは違い、はきはきとした溌剌な彼女は、じっとしているのが苦手だと言ったけど、多分、それはエリックも同じなのよね。

 公的な場などに慣れているから平気なだけで、エリックだって話の節々にトレーニングの話題を入れているし、もしかしたら本当は観劇よりも体を動かしたいのかもしれない。

 実際、一緒にトレーニングにしないかと誘われたこともあったし。


 趣味に走って忘れようとしていた感情が、ぶり返してくる。

 クルミさんに嫉妬する度に、自分がエリックを好きなのだと自覚する。隣にいて、笑顔を向けて私の前では、彼女のことを褒めないで。


 良くない良くない。これはダメな感情。こんなこと口にしたら困らせてしまう。嫌われたくない。ただでさえ、この間はしたないところを見られてしまったんだから、これ以上失望されたくない。

 いい子でいなきゃ。完璧にはできなくても、せめて品の良いお嬢さんでいなきゃ。


 不満があるならきちんと伝えなさいとか。家族になるためには努力が必要とか。わかってるけど、やっぱり全部はできないよ。頑張るけど、ちゃんと息ができなくて苦しいよ。

 ああ、嫌だな。きっと私が観劇に夢中になったのも、きっと自分じゃない誰かになりたかったからだ。できない私を、取り巻く環境すらも、別の何かで塗りつぶしたかったから。悪い考えを持つ自分を見つめ直したくないから。

 だからエリックが好きなことも、クルミさんに嫉妬していることも。別の誰かが作り上げた世界で埋め尽くして、考えない様にしていた。


 楽しそうに談笑しているエリックとクルミさんを前に、にっこりと笑顔を作る。

 大丈夫、大丈夫。テーブルの上の紅茶が、冷たくなるまでの我慢だ。


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