02 苺のミルフィーユ
エリックが帰ってきた。
それは良いのよ。随分と姿が変わったのも、まぁ驚きはしたわ。でも同時に、一年前までよく聞いていた懐かしい声に安心感もある。
お兄様たちや、屋敷の者たちにも私は少し鈍いところがあると言われるけれど、そんな私でも気が付くくらいには、なんだか今日のエリックは距離が近い。
いつまでも立ち話をするのはいかがなものかと進めたサロンのソファに並んで座り、首を傾げる。え、あ。隣に座るのね。
サロンにお茶とお菓子を持ってきてくれたメイドが、こちらを見て一瞬肩を跳ねさせて驚いた。ねぇ、それは私たちの距離感について? それとも私の婚約者がムキムキになっていたから?
「ミルフィーユだね」
「はい、城下のパティスリーから取り寄せました」
どことなく緊張した面持ちのメイドがエリックに答える。
皆にぎこちない態度を取られると言っていたのは、こういうことかぁ。まぁわからなくもないわね。エリックはうちにもよく顔を出してくれていたのだし、以前の彼を知る人ほど変化にびっくりしちゃうというか。
一年前、エリックを見送った時はもっと細身で、それこそパーティーに参加すれば、参加した女性陣にダンスを望まれる程度には見た目の良い人だと認識している。
まぁ。私自身は幼い頃から一緒にいたのもあって、特別意識をしていなかったけど、知り合いの令嬢たちにエリックの容姿について褒められることは多々あった。
それが、どういう心境でそうなったのかはわからないが、我が家のお抱えの騎士たちもびっくりなムキムキになってしまっていれば、戸惑いもあるでしょう。そう誰に聞かせるでもなく言い訳をして、当たり障りのない言葉を口にする。
「その、たくさん鍛えたと言っていたけど、すごく頑張ったのね」
無事、無事? に帰って来てくれたはずなのに、目の前にいる婚約者の姿が一年前と違い過ぎて何を話せばいいものかと戸惑っているのは確かよ?
再会する前は一年の旅を経て大きく成長しているかも。でも、それは精神性についてであって肉体的なものを想像していたわけじゃなかった。
でも、だからって精神性も私の知らない方向性に尖って帰って来るとも思わないじゃな?
「ああ! わかるのかい? 旅の途中でトレーニングにはまってね、続ければ続けるだけ結果が出るのが楽しくて気が付いたらこうなっていたよ」
「まぁ、そうでしたの」
必要に駆られて、ではないのね? 街の外には魔物もいるわけだし、過酷な旅だったのかと心配したのだけど、結構楽しんでいらした?
国王が誂えさせた剣を携え、選ばれたからにはその使命を全うするべきだと意気込むエリックを、きっと元気に帰ってきてくれるだろうと信じて送り出したのは何だったのかしら。
いえ、大変な旅の中に、楽しかった思い出があるのはきっといいことなんでしょうけど。
嬉々とした表情でエリックがこの一年間であったことを教えてくれる。まぁ、その大半が体を鍛えるトレーニングについてなのだけど。
道中、十分な設備がない中でいかにしてトレーニングを積むか。あるものをどのように利用するかを話しているのだが、何を言っているのか半分もわからない。こうはいきん? だ、だいたいしとうきん? って何? 同じ言語を話しているはずよね?
「苦労はあったが、その分変化が付いてきてからはどんどん楽しくなってね」
「そ、そうなの。えぇと、ミルフィーユはお嫌いだったかしら?」
よくわからない単語に逃げるように話題を反らせば、机の上に手を付けられないまま置かれたミルフィーユにたどり着く。
最近流行っているパティスリーから急ぎ取り寄せたらしいミルフィーユは、カスタードがパイ生地にサンドされ、上には行儀よく苺が座っている。
楽しそうにお話している最中に水を差すのは心苦しいけれど、忘れ去られているミルフィーユも寂しそうだ。折角なのだし美味しい内に召し上がっていただきたい。
「嫌いではないのだが、より良い筋肉を作るには高脂質は敵と言うか。すまない」
食べものに敵って表現する人初めて見たわ。
以前は食べていらしたし、食の好みが変わった、ということかしら。よければ君が食べてくれ、と言われて素直に頷いておく。
「では、何か代わりの物を用意させましょうか?」
「いや、気にしないでくれ」
筋肉ってよくわかんない。
気を取り直して再び、八割トレーニングの話を絡めた道中の思い出を語るエリックの話を聞きつつフォークでミルフィーユのパイ生地を突く。ぱりぱりと崩れる生地が零れないように注意しつつ、口に運べばカスタードの甘みが広がった。
「美味しい?」
「ええ、とても」
「それは良かった」
微笑むエリックの表情は以前と変わらず優しい。
変わったのは見た目と、トレーニングに対する情熱だけみたい。なら、変に意識する必要もないのかもしれない。
見た目や趣味が変わっても、エリックはエリックなのだし。トレーニングについてはよくわからないけど、楽しそうにしているのならなんの問題もないはず。
そんなことを考えていたら、不意にエリックがフォークで手元に置き去りにされていたミルフィーユの上の苺を突き刺した。
それからゆっくりと、フォークの先をこちらに向ける。
「はい」
これは、いったい何でしょう?
「食べないのかい?」
そうは言われましても。数度、瞬きをしてフォークの先の苺から視線を上げれば、相変わらず、にこにこと微笑んでいるエリックがいて。
わけもわからず、唇に押し付けられた苺は、今まで食べたどの苺よりも甘酸っぱかった。
エリックは 苺を 食べさせた!
マリーは こんらん している!