10 たまにはお外で
とうとうこの日が来てしまった。
別に嫌だったわけではないけど、できればその、もうちょっと心の準備ができた後の方が良かった。
そんな私の気分とは裏腹に空は快晴無風。麗らかな日差しが降り注ぐ、絶好のお出かけ日和。うん、雨天延長とはいかなかったわね。
私よりもずっと楽しそうなメイドたちの手によって、着飾られる。先日仕立てたばかりのワンピースのフリルが、ご機嫌に揺れている。
今日下ろすのかぁ。婚約者とのデートの日に新品を下ろすのは、服からすると名誉なのかしらね。服の気持ちなんてわからないけど。
「やぁ、マリー。今日も綺麗だ。少し歩くが、かまわないかい?」
あぁ、ほら。いらないことを考えているから、エリックの挨拶に、途中で何かが交じった気がする。
非常に自然な動作で迎えに来てくれたエリックが、私の手を取って馬車へと乗せてくれる。こういう紳士なところは以前と変わらないのよね。
メイドたちに見送られて、馬車に備え付けられたソファーに身を預ける。
「今日はどちらに?」
「うーん。多分、マリーが普段行かないところ、かな」
「普段、行かない」
そう言われてもパッとは思いつかない。理由は、興味や意識の外にあるからではなく、普段私が出歩かなさ過ぎて。
買い物なら外商が家まで来てくれるし、流行りのお菓子は取り寄せが出来てしまう身分なので。こういうのを思い出す度に甘やかされて育ったなぁって自覚するのよね。
そんなことを考えていたらいつの間にか、馬車の窓を流れる景色が見慣れないものになっていた。
「あら? ここって……」
「うん。市民街だね」
確かに、普段来ないところね。貴族階級が多く住む区画とは違い、庭のある建物もほとんどなく、なんだか小さくて可愛い。あの中に、生活スペースがきゅっと詰まっているのかしら?
ゆっくりと馬車が止まって、外に出る。目の前にあるのは小さなパーラーだった。来たかったのはここ? わざわざお店まで来たのは、ここでしか食べられないものがあるのかしら?
カラコロとベルを鳴らし木製の扉をくぐる。
なんとなく見渡した店内は、豪奢なわけでもなければ質素というほどでもない。程よく落ち着いている。こういうところで道行く人を眺めたりして、のんびり過ごすのも悪くないのかもしれない。
ただまぁ、エリックに促され覗いたショーケースの中に並んでいたのはケーキではなく、色とりどりのフルーツサンドだったのは驚いたわね。
「マリー。どれがいい?」
「では、苺のものを」
「うん。苺サンドを二つ、テイクアウトで」
え? 持って帰るの? いい雰囲気のお店だから、ここに来ることが目的なのだとばかり。それに二つって……、エリックも食べるのよね? 以前、高脂質は筋肉の敵だって言っていたけど、これ、生クリームたっぷりよ?
店員によって手際よく包まれた苺サンドを受け取ったエリックが、なんだか楽しそうに笑って私の手を取った。
「ここから歩くよ。そう遠くないが、疲れたら言ってくれ」
「わかりました。あの、どちらまで?」
「近くの公園」
そこにいったい何があるの?
よくわからないままエリックに手を引かれて付いて行く。速さは別に問題ない。ヒールを履いている私に合わせて気持ちゆっくりと歩いてくれている。ただ、つながれたままの手が気になるだけ。
以前から、さっきみたいな馬車の乗り降りやエスコートが必要な時は手を取ってもらうことはあった。でも今は、その時とは手の感触が全く違う。グローブ越しでも少しごつごつしたエリックの手に、一年の月日は決して短くはないのだと感じた。
「この辺りでいいか。さ、座って」
「えっと、ここに?」
連れてきてもらった公園は、よくも悪くも何もないところだった。その端の方、丁度木陰になっている辺りでエリックが言った。
ハンカチを敷いてくれたものの、背の低い草の上に腰を下ろすのは少し戸惑ってしまう。新しいワンピース、は、まぁいいか。エリックがやりたかったのは、先ほど買った苺サンドをここで食べることだったの?
避暑地などでは外で軽食を取ることはあったけど、管理されてない場所では初めてだわ。いそいそとワンピースの裾を畳んでハンカチの上に座る。
「旅の途中、よくこうして仲間と食事をしてね。移動中は平野での野宿するのが常だったから」
「まぁ、とても大変だったのね」
「うん。でも楽しかったんだ」
つまり、その楽しかった思い出を私と共有したい、と。その疑似体験のために、お互いに貴族街で暮らしていれば殆ど足を踏み入れる機会のなかった区画に、私を連れ出して来たの。ふ、ふーん?
生クリームたっぷりの苺サンドを私に渡しながら、あの店も旅の仲間に教えて貰ったのだと話すエリックに視線を向ける。
「よろしかったの? このサンドウィッチ、生クリームが入ってますけど?」
「普段は甘いものを食べないんだが、今日はチートデーということで」
また知らない私の知らない言葉を使って。でもまぁ? 今日のところは機嫌がいいので許して差し上げます。
こうしてこの公園に私を連れてきたのも、よく私のわからないトレーニングの話をするのも。エリックが自分の楽しかった気持ちを共有したいからというのが、わかったわけですし?
本音を言うと、もうちょっと私のわかる言葉で言ってもらえると嬉しいけど。
旅の道中で食べた物や、自分も調理に参加した話をするエリックの声を聞きながら、ぺりぺりと苺サンドの包装を外す。生クリームが乾燥しないように巻かれたアルミ箔は、カサカサしてちょっと食べにくいけど、こういうのも外で食べる醍醐味なのかもしれない。
公園の中央で遊び回る子供と、エリックの声を聞きながら食べる苺サンドは、甘酸っぱくて美味しかった。
マリーは瓶詰めの金平糖や、リンツのポーチに入ったチョコとかが好きなタイプ。