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聖域  作者: 横野坂下
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第四節 共犯者

ファシズム。


黒崎沙耶の口からその言葉が出た瞬間、カフェの空気が、まるで真空になったかのように感じられた。彼女は、いつもそうだ。議論が佳境に入ると、躊躇なく、最もラディカルで、最も危険な概念を持ち出してくる。それは、相手を黙らせるための最終兵器であり、同時に、自分自身を追い込むための諸刃の剣でもある。


『この主人公は、読者一人一人にとっての、小さなヒトラーなのよ』


彼女の言葉は、私の頭の中で、不気味な残響となって響き渡る。見事な論理の飛躍だ。ウェブ小説の主人公と、20世紀最悪の独裁者を結びつける、その大胆さ。アドルノの『権威主義的パーソナリティ』の研究を踏まえた、挑発的で、しかし無視できない指摘。


悔しいけれど、一本取られた、と思った。私が、この小説を新自由主義社会におけるガス抜き装置として、いわば社会の「機能」の観点から分析したのに対し、彼女は、その深層にある心理構造、それも最も病理的な部分を、白日の下に晒してみせた。


「……面白い視点ね」


私は、平静を装って、そう答えるのが精一杯だった。動揺を悟られてはならない。このゲームの鉄則だ。


「偶然性の排除、ね。確かに、それはこの物語の、一つの本質かもしれない。世界を完全に自分の理解の内に置きたい、という欲望。それは、ホルクハイマーが晩年に懸念した、世界の完全な管理化への道と繋がっているわね。人間も自然も、すべてが合理的な管理の対象となり、そこからはみ出すものは、すべて異常なものとして排除される社会」

「そうよ。そして、この物語のヒロインたちは、その『管理』を、自ら進んで受け入れている。これこそが、最も恐ろしい点だわ。彼女たちは、主人公の予測不可能な気まぐれや、感情の揺らぎといった『人間的なもの』すらも、彼の魅力として肯定する。支配されることの中に、快楽を見出してしまっている。マゾヒズム的な倒錯よ」

「本当に、そうかしら」


私は、反撃の糸口を探す。沙耶の論理は、強力だが、それゆえに隙がある。彼女の議論は、常に「かくあるべき人間」という、極めて高い理想を前提にしている。その理想から外れたものを、彼女は「病理」や「倒錯」として、あまりにも簡単に切り捨ててしまう。


「私は、そのヒロインたちの姿に、もっと切実なものを感じるけど。彼女たちは、ただ支配されたいだけの、マゾヒストなんかじゃない。彼女たちは、カイトという絶対的な他者を通してしか、自分自身の存在を、確認することができないんじゃないかしら」

「どういう意味?」

「考えてみて。彼女たちは皆、カイトに出会う前は、何かしらの形で社会から『役割』を与えられ、それに苦しんでいた。奴隷、政略結婚の道具、追放された者。彼女たちには、主体的な自己がなかった。そして、カイトに『救済』された後も、結局は『カイトのハーレムの一員』という、新たな役割を与えられたに過ぎない。彼女たちは、一度も、自分自身の足で立ったことがないのよ」


沙耶は、黙って私の言葉を聞いている。彼女も気づいているはずだ。この議論が、もはや作品分析というレベルを超えて、私たち自身の問題に近づきつつあることに。


「彼女たちがカイトに求めるのは、支配じゃない。承認よ。絶対的な他者であるカイトに『お前はここにいていい』と認めてもらうことで、初めて自分の存在価値を実感できる。その承認が、たとえ支配という歪んだ形を取っていたとしても、何もないよりはマシなの。これは、現代の承認欲求の問題と、深く関わっていると思う」

「承認欲求……。また、通俗的な心理学に逃げるのね」


沙耶は、軽蔑を隠そうともせずに言った。


「違うわ。これは、哲学的な問題よ。ヘーゲルが『精神現象学』で述べた、主人と奴隷の弁証法を思い出して。奴隷は、主人のために労働することで、対象を形成し、その中に自分自身を発見する。そして、最終的には、主人よりも自立した意識を獲得していく。でも、この物語のヒロインたちは、どう? 彼女たちは、何も生産しない。ただ、カイトに奉仕し、彼を承認するだけ。そこには、弁証法的な発展がない。奴隷が、永遠に奴隷のままであり続けることを、自ら望んでいる。これこそが、現代社会の病理そのものじゃない?」


私は、ヘーゲルという、アドルノやホルクハイマーの思想的源流の一人でもある巨人の名前を出すことで、沙耶の土俵に上がってみせる。彼女が、このボールを打ち返せないはずがない。


「……面白いわ。ヘーゲルを持ち出してくるとはね。でも、あなたの解釈は間違っている」


案の定、沙耶は即座に反応した。その瞳には、獲物を見つけた肉食獣のような、獰猛な光が宿っている。


「アドルノは、『否定弁証法』で、ヘーゲルの弁証法を批判したわ。ヘーゲルは、最終的に、対立するものが和解し、より高次の全体性へと統合されると考えた。でも、アドルノにとって、その『和解』は、暴力的な同一化に他ならない。特殊なものが、普遍的なものの中に、無理やり飲み込まれてしまうことよ。この物語のハーレムは、まさにそのヘーゲル的な『偽りの和解』の戯画じゃない? 多様な個性を持つはずのヒロインたちが、『カイトを愛する』という一つの目的の下に、何の矛盾もなく共存している。ありえないわ。現実の人間関係は、もっと非同一的なもの、決して和解できない他者との、絶え間ない緊張関係のはずよ」


彼女の言葉は、まるで鋭いナイフのように、私の論理を切り裂いていく。


「この物語が読者に与える安らぎは、まさにそこにある。現実の、ままならない人間関係の苦痛から、読者を解放してくれる。そこでは、誰も傷つかない。誰も対立しない。すべての矛盾が、主人公の『絶対支配』という名の、暴力的な全体性の中に、解消されてしまうから。あなたの言う『承認』なんて、その全体性に吸収されるための、甘い口実に過ぎないわ。彼女たちは、承認されたいんじゃない。ただ、その他者との面倒な関係から、逃げたいだけなのよ」


完敗だった。少なくとも、このラウンドは。


彼女は、私の持ち出したヘーゲルの概念を、アドルノの否定弁証法という、より強力な武器で打ち砕いてみせた。その手際の良さ、論理の切れ味に、私は戦慄すると同時に、ある種の恍惚感さえ覚えていた。


これだ。私が求めているのは、この知的な緊張感だ。誰も理解できない、私たち二人だけの、高度なゲーム。


ふと、私はあることに気づいた。


私たち、黒崎沙耶と白川由希乃もまた、このカフェという空間の中で、奇妙な「共存」をしている。私たちは、互いの思想的な立場を決して認め合わない。常に、相手の論理を打ち破ろうと、火花を散らしている。私たちの関係は、沙耶が言うところの「非同一的なもの」との「絶え間ない緊張関係」そのものだ。


しかし、同時に、私たちは、この「論争」という一つの目的の下に、ここに集っている。私たちは、互いを論破しようとすればするほど、互いを必要とする。私たちは、互いにとって、最高の「他者」であり、最高の「共犯者」なのだ。


この関係は、果たして、あのハーレムの少女たちの関係よりも、本当に「高尚」だと言えるのだろうか。


私たちは、アドルノやホルクハイマーの言葉を借りて、互いを「承認」し合っているだけではないのか。私たちのこの会話自体が、現実の、ままならない社会から逃避するための、二人だけの、閉鎖された「聖域」なのではないか。


その考えが頭をよぎった瞬間、私は、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。


「ねえ、沙耶」


私は、無意識に、そう呟いていた。


「私たちって、一体、何をしてるのかしら」


私の問いに、沙耶は、初めて、答えに詰まったような顔をした。彼女の黒い瞳が、わずかに揺れている。


その揺らぎの中に、私は、今まで見たことのない、彼女の脆さのようなものを、垣間見た気がした。



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