松本みなみの婚活日記 1話
「はい、永久凍土で夏にコケが生える地域をツンドラと呼ばれていて……。」
私は松本みなみ。
今年からこの学校の社会科教諭として教鞭をしている25歳だ。
ああ、ちがうちがう……今日で私は26歳になりました。
将来の安泰を考えて教師になってみたものの、教師とはなかなか大変な仕事です。
「チリコー!!ツンデレなの?」
「……。」
ちなみにチリコとは私が基本的に地理を教えてるところから、ヤンキーに愛称をこめられてニックネームを付けられてます。
「山田くん……ツ・ン・ド・ラね!」
「へー、チリコ彼氏にはツンデレなの?」
「そんなの……いないわよ!」
「まじー?かわいいじゃん!」
教室内に笑い声が込み上げてしまう。
いけない……ヤンキーにいじられてはついムキになってしまった。
頭の中でかーってなってしまう。
元々地味子だったから、ヤンキーの対処法はよく分かりません。
無視しても答えても遊ばれてしまいます。
こうなることなら……もっと若い時に遊んどけばよかった。
キーンコーンカーンコーン……。
「あ、てかチリコー!もう授業終わりだな?ありがとうございました!」
「な!ぐぬぬ……ありがとうございました。」
私の授業はいつもそんな感じだ。
職員室に戻り、自分の席に座る。
「松本先生、お疲れ様です。」
「布施先生……。」
この人は布施先生、社会科のベテランの先生だ。
そしてわたしの教育係も兼ねている感じだ。
「最近は授業の進捗……いかがです?」
「あー……まだ冷帯などの解説までですね。」
「……ほかの先生に比べると2単元ほど遅れてますね。この前のテストでも松本先生のとってるクラスの平均点が低かったように思えます。」
ぐうの音も出ない。
教師の仕事の本質はキチンと教えることなのだから。
「すみません、ペースを上げたりしてみます。」
「そうしてくださいね。」
そう言って布施先生は少し冷たく私から去っていく。
以前、だってヤンキーが授業中にいじってきた旨を伝えたのだが、それも含めての教育ですと一蹴されてしまった。
教師としても新任なのだが、それ以前に私は社会人としてもルーキーだったので、これを切り抜ける術は未だに持ち合わせてなかった。
アラサーなのに……情けない。
今から急いで問題を作って平均点や定着を図ろう。
大丈夫、もうちょっと時間配分を気をつければ、今からでもまきかえせ……。
「松本先生いますか?」
「……諏訪先生。」
そして、この人こと諏訪先生がいつものようにニコニコとこちらに近づく。
見た目はダンディで穏やかな喋り方から想像もつかないのだが……。
「すみません、生徒会の予算チェックと企画書と……後、生徒総会の事前準備もお願いできますか?」
「ええ!?あれ……諏訪先生がやるって……。」
「あははは、ちょっと陸上部の活動があるのを忘れてたんですよ。他にもいろいろ仕事があって出来そうになくて……。」
そう、この人……はっきり言って無能である。
何故この人が学年主任やってるのか分からないくらい業務が曖昧ではことある事に人に任せてサボりながら成果を出しているのだ。
「……分かりました、今からその作業もやります。」
「あっはっは!さすが松本先生、期待してますね!」
いかん、殴りたい……この笑顔。
そして私は諏訪先生のクソムーブによって仕事量が増えるのだが……それだけに留まらない。
「チリコ先生!手芸部の予算の承認お願いします!」
「わかったわ、一先ず預かっておきます!」
こうやって話しかけやすいのもあるのだけど、ほかの雑務も入ってきては……私は気がついたら20時まで残業をしていた。
私は誰も居ないことを確認して、缶コーヒーを持っては屋上にダッシュする。
そして、屋上に着いてから私は景色のよう夜空のパノラマに向かって息を思いっきり吸って叫んだ。
「ちくしょーーーーーーー!仕事量多すぎんだろクソがーーー!!!!」
淑女要素1%も無い怒号。
心からの叫びだった。
叫んでしばらく無言になった後に私は缶コーヒーを飲む。
コーヒーの香りが私の心を癒し、タスクに溢れてオーバーヒートした脳が急にスッキリした。
ふと、あることに気がつく。
私の頬が妙に暖かいと思ったら、目から涙が零れていた。
うそ、私……なんで泣いて……。
急いで拭うのだけど、どうにも落ち着きそうにない。
よかった、私一人だけで……。
今日はもう十分に頑張った……帰ろう。まだちょっと仕事残ってるけど、もうなんかむしゃくしゃだった。
帰りの列車に乗って、私はやっと涙が止まったのを感じた。
家に帰って、私はいつものように缶ビールとコンビニのカレーを買って食べてはすぐ布団に入る。
お風呂は……めんどくさいから朝にやろう。
せめて、スーツのまま寝てはいけないと思い何とかジャージに着替えて眠りにいる。
私、女として終わってるな……なんていつもの見慣れた天井が現実ごと私を押し潰しそうだった。
突然、母親から電話が来る。
あー、もう……うっさいな。
私は少し出るのを躊躇ったけど、電話をすることにする。少し話したらやめよう。
「もしもし……?」
「みなみ、大丈夫?」
「あ〜……大丈夫だよ。」
「今日、誕生日だったわよね、おめでとう!最近はちゃんと食べてる?」
「うん、食べてる。」
母親はいつも確認のように色々聞いてくる。
心配してくれてるのは嬉しいけど、今の私にとっては中々きついものがあった。
「いい人はいるの……?」
「母さん、私は振られたばっかよ。」
つい先日までは彼氏はいたのだけど、普通に二股されてた……というか、既婚者だったのを黙ってて私はプチ不倫をさせられていたのだった。
そんな事がまるでRPGの毒ダメージのようにじわじわと私を苦しめてくる。
「そろそろ、婚活でもしてみたら?」
「うっさいわね。」
「でも、やってみるだけでも変わると思うわ。貴女頑張りすぎちゃうから……誰かに支えてもらった方が……。」
そんな当たり前なことを諭す親に私は腹が立ってしまう。
腹の中がムカムカして顔は酷く歪んでいた。
「うっさいわね!もう寝るわ。」
「ちょっと……まだ話は……。」
そう言って……私は親の電話を無理やり切る。
私、なんのために生きてるのかな……。
私今日誕生日なのに……。
そんなことを思いつつ、また天井を見つめる。
暗闇のなか薄いカーテンから月明かりが照らしていった。
それをしばらく見つめていたら徐々にわたしの頭は冷静になる。
確かに……今は人肌恋しい。
誰かに話を聞いて欲しいし、優しく抱きしめて欲しい。
それだけでもこの無機質な天井だって見え方が違うはずである。
言われてからやるのは癪だけど……やってみようかしら、婚活。
仕事に追われて、同じことの繰り返しで20代もそろそろ終わる。
明らかに数年前とは劣化した肌を見てはそうせねばあと焦ってしまう。
とにかく、なにか小さなことを始めてみよう。
そう決めて、私は予備の缶ビールを一気に飲み干す。
ビールの苦味と炭酸が喉を刺激して、私の心はスーパードライになる。
そして、とにかく私はチリコじゃない私……松本みなみとしての婚活を始めることとなる。
暖房の効いてない部屋は暗さも相まって手足が徐々に冷えてくる感覚がありつつも、私は手始めにマッチングアプリをダウンロードして、布団にもぐって眠ることにした。
それだけでいい、まずは……そこからなのだから。




