表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

51/53

第五章 星のピノ、ハートのピノ その十五

【りんこにあったちょっと怖い話☆その三】



 りんこが、またおかしなことを言いだした。


 りんこがおかしなことを言うのはいつものことだけれど、今回はいつにも増して訳が分からない。


 れいは、りんこの言葉の意味が理解できず、大きく(かぶり)を振った。



「どうして、この時女(ときめ)とかいう怪異を殺すと、りんこが死ぬのよ。寿命? 止まっていた時間? 何を言っているのか分からない。()()()()()()()()()


 れいは、ぜんぜん分からない、という部分の語気を無意識に強めていた。

 それは、わずかながらに思い当たる節がある事実を、あえて忘れようと、否定しようとするかのようだった。



「えー? いつだか、れいちゃんには見せてあげたことあったでしょ。忘れちゃったの?」


 りんこが可笑(おか)しそうに()()()()と笑う。

 その様子になんら違和感はない。



「りんこが、小学校五年生のときの記憶だよ」


 りんこに言われるまでもなく、れいははっきりと覚えている。

 忘れる事などできるはずもない。


 だってそれは、中学校の入学式の日の出来事。


 りんこと初めて会った、りんこと仲良くなるきっかけにもなった、とても奇妙で、とてもとても大切な思い出でもある出来事だったから。



 れいの頭の中に、あの日みた不思議な夢の映像が再上映(リバイバル)される。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 ―――夕暮れ時、逢魔(おうま)(とき)とも呼ばれる、古くから魔に出会いやすいとされる時間帯。



 カーテン越しに差し込むオレンジ色の光に照らされて、鮮血をぶちまけたみたいに(あか)(あか)い色に染められた病院の一室。


 清潔な真っ白のシーツが敷かれたベッドの上には、身体のあちこちにたくさんの(くだ)や配線が取り付けられ、口もとに呼吸器が装着された、今と違ってまだ髪が長かった頃のりんこの姿。


 他には誰の姿もなく、ベッドの(かたわら)に置かれた四角い箱から規則正しく発せられる冷たい電子音と、白く(くも)った酸素マスク越しに()れ聞こえる、尋常(じんじょう)ではないほど高まった熱を(ともな)う苦しそうな息づかいの音だけが、静まりかえった室内に、まるで広がる()みみたいに響いていた。



 朦朧(もうろう)とする意識の中、うっすらと開いた目に映ったのは、りんことは逆さまの向きに宙に浮いて向かい合う、なんとも不気味な、見た事のない少女の姿だった。



 今なら、れいにも理解できる。


 この少女が、『時女(ときめ)』。


 りんこにとり()いている、赤いワンピースの怪異の正体だ。



 およそ体温などないかのような青白い肌。

 浮いているのに垂れさがる事無く、空中で(うごめ)くように(ただよ)(つや)のない真っ黒な長い髪。張り付かせたような笑みを形作る口角のつり上がった口もと。

 そして、赤と黒がぐるぐる、ぐるぐると渦を巻き続ける奇妙な瞳。


 その黒に満ちた小さな世界の中、小柄な身を包む赤い赤い、気味が悪いくらいに赤いワンピースだけがむやみやたらに鮮やかで、吐き気を(もよお)さずにはいられない。



 その身体つきも、髪の長さも、なにもかもがよく似通った二人の少女。




 ―――かわいそう。あなた、もうすぐ死んじゃうね。



 張り付いた笑顔のまま、口も動かさずに話す時女。



 ―――あと九回、お日様が昇ったら死ぬ。でも、安心して。それまではけっして死なないよ。どんなに苦しくても、どんなにつらくても、それこそ()()()()()()()()()()()に襲われても、()()()が来るまではぜったいに死ねない。わたしにはわかるの。だって、わたしには未来がみえるから。



 張り付いた笑顔のまま、時女はりんこに避けられない死の(おとず)れと(のが)れられない苦痛の継続を告げた。



 れいはこの時、はっきりと感じた。

 りんこの心に、絶望の闇が広がっていったのを。



 今、こんなに苦しいのに、こんなにつらいのに、まだ(うえ)があるのか。まだ(さき)があるのか、と。



 そして、りんこは強く強く思った。

 死にたくない、と。




 ―――苦しいよね? つらいよね? かわいそうに。でも安心して。わたしなら、きっとあなたを助けてあげられる。ううん、病気は治してあげられない。私は人間の医者じゃないし、()()()()怪異(そんざい)でもないから。



 ―――あなたが私のお願いをひとつ聞いてくれるなら、私はあなたのお願い事をひとつ(かな)えてあげられる。むずかしい言葉で等価交換(とうかこうかん)って言うんだけれど、わからないよね。これは、世界でいちばん古くからある、いちばん単純で、いちばん強い契約のかたち。だいじょうぶ、あなたのお願い事はぜったいに叶うから。




 この時のりんこは、瀕死(ひんし)の状態で、(わら)にも(すが)る思いだったけれど、朦朧とする意識の中で、それでも真剣に考え、たしかに(みずか)らの意思で答えを導き出した。


 そう。

 けっして時女の言葉に踊らされたわけではなく、自分で決めたこと、だった。


 れいには、りんこの選択が正しかったのか、それとも間違っていたのかは分からない。

 今さら、意見を言うことは許されないし、ましてや過去を変えることなんてできない。



 だから、ただ黙って静かに、この夢の終わりを見届けた。




 ―――じゃあ、お互いのお願いを、せーの、で言いましょう。いい? 一度きりの恨みっこなし、だからね。



 りんこが、かすかに(うなず)いた。



 ―――せーの……。


 ―――せーのっ!



 りんこと、時女の声が重なる。

 そして、契約の瞬間が訪れた。



 ―――死にたくない。


 ―――人間として、生きたいっ!




 ふたつの願いは、とてもよく似ていて、まったく異なるものだった。


 そうして源初(はじまり)の契約が発動し、ふたつの魂は混ざり合い、そして再びふたつに分かれた。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「んふふ、思いだした?」


 りんこが期待に満ちたような眼差(まなざ)しで、れいの顔を上目づかいでのぞきこんだ。



「りんこはねー、りんこの身体はまだあの時のまま、なんだよ。あと九回お日さまが昇って朝になったら死んじゃう、あの時のまま」


 病気を治すことはできない。

 夢の中で時女が言っていたことだ。



「時女は時間を止めたり動かしたり、そういうことができる怪異なの。すっごーい! でしょ」


 りんこが得意気(とくいげ)な顔で、にしし、と笑う。



「だから、時女を殺したら、止まっていた時間が動き始めて、りんこはまた病気になって死んじゃうんだよ」


 理屈はわかる。

 わかるけれど、れいはまだ納得ができないでいた。



「それじゃあ、りんこはこの先どうなるの? ずっと時間が止まったままって、それって……」


 れいは、りんこの頭の旋毛(つむじ)を見下ろしながら問いかけた。


 出会って以来、りんこの身長は一ミリメートルたりとも伸びていない。

 ふたりで一緒に撮った星の数ほどの写真を並べて見ても、季節や場面によって服装や髪型こそ違えど、その背丈や体型、顔かたちはどれも同じ。

 中学校では結局、卒業するまで制服はぶかぶかのままだったし、高校でもそうなのだろう。



 ―――高校では伸びるよ。



 ―――来年には、れいちゃんと同じくらいになってるかもね。いや、もっとかも。



 ―――背も伸びるし、おっぱいも大きくなる。



 いつか交わした、他愛もない会話が思い出された。



 今、りんこが話している内容が本当なら、背は伸びないし、おっぱ、胸も大きくなったりなんかしない。

 れいは、言葉では言い表しようのない焦燥感のようなものにかられて、目の前のりんこを問い詰めた。



「そうだねー。たぶん、ずっとこのままかな? あ、でも、もしかしたら、おっぱいは大きくなるかもよ?」


 自分の胸に手を当てて、胸のサイズが大きくなるような仕草をするりんこ。

 れいちゃんみたいにはならなくても、(あかり)ちゃんくらいにはなるかも、などと何の根拠(こんきょ)もない持論(じろん)を展開する。



「ふざけないでっ!」


 れいが語気を強める。

 りんこの小さな身体が見てわかるくらい、びくっと跳ねた。



「りんこ、あたし知ってるんだからね! あんた、()()だってないんでしょ?」


 れいは薄々(うすうす)気がついていた。


 自分は特にけっこう()()方だから、日ごろからりんこを見ていて、なんとなくおかしいと感じていたのだ。



 女性として心身が成長する過程(かてい)で、ある一定の時期を迎えると誰にでも起こる身体的な変化。


 女性特有の、『生理』とか『月経』と呼ばれる現象が、りんこには起きていない。


 それはたぶん、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()から。



 そして、れいは、生理とは別のある事実に気がついてしまった。

 くらくらとした眩暈(めまい)に襲われる。



「れいちゃん、怒らないで。ふざけたりなんかしないから。ね? でも、れいちゃんもさっき見たでしょ? 時間が止まっているおかげで、りんこは死なないんだよ。そうじゃなかったら、今ごろ大変だよ」


 りんこには、れいが何故、何に対して苛立(いらだ)っているのか分からない。ただ、おろおろとするばかりだった。



「りんこ、りんこ、あんたわかってるの? どうして分からないのよ。死なないって、ずっと今のままだって、それって、それってさあ。いい? ()()()()()()年をとるんだよ? あたしも、灯も、いつかおばあちゃんになって、そして、いなくなっちゃうんだよ? あんただけ、いつまでもそのままって、そんなの、そんなのっ!」


 れいは、最終的に自分が何を言いたいのかまとまらないまま、感情のままに言葉を吐き出した。



「れいちゃん、わかんないよ。じゃあ、どうしたらいいの? どうしたらよかったの? あのまま、病院のベッドの上で死んじゃったほうがよかったの?」



「そんなの―――」



 りんこの、ちょっとつり目がちの大きな目が涙で(うる)む。

 れいはその顔を見て、はっと口をつぐんだ。



「そんなの、あたしにもわかんないよ」


 消え入るようなれいの言葉。



「ごめん、言い過ぎた。あの、悪いんだけど、本物のりんこと話をさせてくれない? いつものりんこと」


 れいは顔を手のひらで覆い隠しながら空を仰いだ。

 頭を冷やして、少し冷静にならなければいけない。



 しかし、この時、れいはまだひとつ大きな勘違いをしていた。


 てっきり、これまでの様子から、りんこはいわゆる二重人格のような状態なのだと考えていた。通常、人間のりんこが表に出ていて、時折おかしなことを話しているのは怪異の方の人格なのだと。


 今、会話しているのは、りんこにとり憑いている『怪異』の方で、本当のりんこの意識は眠っているとか、隠れている状態なのだと、そう勝手に思い込んでいた。



「ん? だから、りんこはりんこだよ? もともとは怪異の時女だけれど、今は人間の更科(さらしな)りんこ。いつものりんこはりんこでしょ? 本物の、っていうとむずかしいんだけど、えっと、もともとのこの身体の持ち主の、()()()()()りんこは()()()


 りんこが身振り手振りを交えながら、困ったような顔で説明する。

 そして、最後に怪異『時女』の方を指さした。



「え? ときどき入れ替わったりしてるんでしょ?」


 ぽかんと、呆気(あっけ)にとられたような表情でつぶやくれい。

 りんこは、れいが言っていることがよく分からないといった様子で首を(かし)げた。



「なんで? してないよ? りんこは、もうずっと前からりんこのままだよ」


「ずっと、って、いつから?」



 れいの思考が、また事実に置いてきぼりにされる。



「いつからって、契約したときから? あの瞬間、魂が入れ替わったの。だから、れいちゃんが知っているりんこは、初めっから今までずっと、りんこのことだよ」



 無邪気な笑顔を見せるりんこ。




 ―――もうホームルームも終わっちゃったよー。もうみんな帰っちゃったよ、ごじゅうすずかわさんってばー。



 ―――おー、よく知ってくれてたねー。いすじゅがわさん、りんこの隠れファン?



 ―――更科さらしなりんこだよ。よろしくね。



 ―――入学記念もあるけどー。ふたりの、おともだち記念でしょ!



 ―――じゃあねぇ、幽霊がみえるから()()()()()



 ―――にしし。



 出会ったときから。


 最初から、りんこは怪異だった。

 りんこの中身は怪異で、()()()りんこはあの赤いワンピースの怪異の方。



 出会ってから今まで一緒に過ごしてきた時間や思い出の数々が、ぐるぐるとれいの頭の中を回っている。



 にしし。にしし。にしし。にしし。にしし。にしし。にしし。にしし。



 口もとに手を当て、おかしな笑い方をする小憎たらしい親友の姿が、なんだか恐ろしいものに感じられた。




「あ、灯―――」


 咄嗟(とっさ)に灯に助けを求めようとして、彼女がこの場にいないことを思い出す。



 助けて。

 誰か。


 灯。

 お母さん。

 佐久間さん。

 美咲さん。

 ルゥナー。

 真昼先輩。

 駄菓子屋のおばあちゃん。

 商店街のおじさん、おばさんたち。

 この際、学校の先生でも、大嫌いなクラスメイトでも、誰でもいい。



 誰か、誰でもいいから、助けて。



 れいの心は限界だった。


 何が正しくて、何が正しくないのか。

 何が大切で、何が大切ではないのか。

 何を拾い上げて、何を捨てるべきなのか。



 りんこと、時女(りんこ)を交互に見比べる。

 れいの、不偏(ふへん)太刀(たち)を握るその手に、ぎりりと力が込められた。





 つづく

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ