第二章 昔なつかしアイスクリン その二
【れいちゃんの過去編 その一】
れいの生まれた家は、四百年以上続く神職の家系だった。
由緒正しい神社を代々管理してきた女系の社家で、順当に継承していれば、れいで十八代目にあたる。
その歴代の当主は、常人がおよそ持ち合わせないような『神通力』と呼ばれる不可思議な異能を持って生まれ、神の化身『現人神』として崇拝の対象ともなっていた。
しかし、どういうわけか、れいの曾祖母にあたる十五代目のころより神通力の発現が徐々に衰えはじめ、れいの母、またれい本人にいたっては、かろうじて心霊、怪異の類をみることができる、ただそれだけの力にとどまっていた。
神通力の消失、それに加えて戦後の高度経済成長期から現在に続く民衆の宗教観、超常の存在に対する意識の変化により、一族は急激に衰退の一途をたどることとなった。
ついには、数百年つづいた神社の土地建物、権利のいっさいが人手にわたることとなり、十数人いた使用人もみな離れていった。
そうして、れいの母はまだ幼かったれいを連れて、なんの当ても頼りもなく各地をわたり歩く根無し草の生活に身をやつすことになる。
そもそも旧態依然とした、上げ膳据え膳の環境で育ってきた世間知らずの母子は、一般社会における常識すら満足に身に付けてはおらず、また生きていく術を持たなかった。
数少ない働き口もなかなか長続きせず、日によっては寝る場所、食べるものすらままならない。仕方無しに街のかたすみで占い師のまねごとをして、なんとか生きていくしかなかった。
心霊や怪異などをみることができたれいの母は、街ゆく人、特に憑いている人に占いをもちかけ、その心霊の特徴からささやかな助言をし、時おりいくばくかの謝礼をいただいて、その日の空腹をなんとかしのぐような貧しい生活がしばらくの間つづいた。
生来、世の中のため、人のために尽くすことを美徳とするような生粋の善人だったれいの母は、苦しい生活の中でも、けっして悪事に手を染めることはなく、むしろ進んで他人のために行動し続けた。
時には、心霊などみることができない世間の人から、占いや助言を詐欺やペテンだと罵られ酷い扱いを受けることもあったが、それでも誰も恨むことなく正しくあろうとする。
れいはそんな母のことを心から誇りに思っていた。
「もしや、お嬢様では? それに、おひぃさま」
そんなある日、流れ着いたとある街で、かつて使用人だった初老の男性に声をかけられた。
男性の名は佐久間といい、ひとりまたひとりと去っていった使用人の中で、最後まで仕えてくれたいちばんの忠臣だった。
「お懐かしゅうございます。なんと、なんとお労しいお姿に」
佐久間は人目をはばかることもなく涙をこぼし、母子のすっかり痩せ細った手を、とても大切なものを扱うようにそっと自らの手にとった。
そして何も聞かずに母子を自宅に連れ帰った。
佐久間は、田舎街の一角で小さな喫茶店を営んでいた。カウンターとテーブルをあわせても十席ていど。建物は古く、狭くもあったが、手入れの行き届いたこぎれいな店だった。
店に入ると、光量を抑えた照明が疲れきった母子を優しく迎え入れた。
生まれて初めて感じるコーヒーの香りに、れいがすんすんと鼻を鳴らす。
佐久間は母子をテーブル席にうながすと、カウンターの奥で手際よく料理をつくり始めた。
静かな店内に、包丁の音や、なにかを炒める音が心地よく響き、もう思い出すことすら難しくなっていた温かい食べ物のかぐわしい匂いが鼻腔をくすぐった。
やがて、エプロン姿の佐久間が、丸い皿を両手にもって現れた。
「おなかがすいているでしょう。まずはお召し上がりください。お話はそのあとで。大丈夫、時間はいくらでもあります」
くしゃっと、顔にきざまれた皺をさらに深くしてほほ笑む。
テーブルには、まだ湯気のたつオムライスがふたつ。
真っ白な皿に、黄色いたまごと赤いケチャップ、そして緑のパセリがとても鮮やかだった。
ふんわりとした楕円形のごちそうに、れいの目はくぎ付けだった。
たべていいの? と、母に問いかける。
母は堪えきれず大粒の涙をこぼしながら、れいに優しく笑いかけた。
この日たべたオムライスの味を、れいは生涯わすれないだろう。
この日を境に、喫茶店に母子の看板娘が姿を見せるようになった。
つづく