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第五章 星のピノ、ハートのピノ その七

【美しき風の花 その三】



 りんこの血を浴び、全身が真っ赤に染まったれいは、自分の血塗られた両手と、(かたわら)らに横たわるりんこの身体、そして、美咲のミニクーパーの隣りで気を失って地面に崩れ落ちる(あかり)の姿を、順番にゆっくりと眺めていった。


 目から入った情報は脳で適切に処理され、発生した事象として確かに認識されている。




 ―――ああ、りんこが死んじゃった。




 筑波祢(つくばね) 真昼(まひる)の手にかかり、今もその手に握られている不偏(ふへん)太刀(たち)によって、りんこの小さな身体は腰の少し上あたりから二つに分断されて、れいの左右にそれぞれ横たわっている。




 ―――ああ、りんこが死んじゃった。




 れいを助けようとして、真昼に体当たりでも仕掛けようとしたのだろうか。その無謀すぎる行為が(あだ)となり、一刀のもとに切り伏せられた。



 恐らくは、即死だったのであろう。

 りんこは悲鳴を上げることも、苦痛の声をあげることもなく、その愛らしい目を見開いたままこと切れている。



 ただ一言。


『れいちゃん! にげてっ!!』


 それだけを言い残して。




 ―――ああ、りんこが死んじゃった。




 だいたい昔から、いつも考えなしに行動しすぎなのだ。

 考えるよりも先に身体が動いてしまう。


 通学路で野良猫を見かければ、すぐに駆け寄って無邪気に遊んで授業に遅刻するし、散歩中の犬を見かければ全力で(たわむ)れてやっぱり遅刻する。


 休み時間に姿を見かけないと思ったら、頭のてっぺんからつま先まで、全身、木の葉や小さな枝だらけになって帰って来ることもしょっちゅうだった。


 そんな時は、決まって必ず、『にしし』という、あのおかしな笑い方で仔猫みたいな顔をしてはにかんだ。




 ―――ああ、りんこが死んじゃった。




 れいの頭の中で様々な記憶が呼び起こされる。

 それとはまったく別に、れいの思考、いや感情と呼ぶべき部分は、ただひたすらに同じ言葉を繰り返していた。




―――ああ、りんこが死んじゃった。




 やがて、(せき)を切ったように涙と鼻水が(あふ)れ出し、肺と心臓が痙攣(けいれん)を始めた。


 震える手。震える視界。



「ああ、りんこが、りんこが、し、死んじゃった。死んじゃった」


 れいは、せき込みながら、ようやく事実を認めるように、なんとか絞り出すようにしてその言葉を口にした。


 おろおろと狼狽(うろた)えながら、りんこの切断された胴体の断面からこぼれ出た内臓を、手で押し込んで元に戻そうとする。



「りんこが、りんこが、ああ、どうしよう、どうしよう」


 内臓を力任せに胴体の中に戻し終わったれいが、真っ赤に染まった自分の手を見て驚く。

 そして、辺り一面がまるで血の海のようになっていることに気がついて、二つに分断されたりんこの身体を引き寄せた。



「こんなに、こんなに血がたくさん、は、はやくくっつけないと、はやく、血をとめないと」


 人目もはばからずに、わんわんと大声で泣きながら、りんこの身体をなんとか元通りに(つな)ぎ合わせようとして、切断面を手で押しつけて藻掻(もが)き続けた。




 そんなれいの様子を、真昼はすぐ(そば)に立って、静かにじっと見下ろしていた。


 かつて、クリスマスマーケットの会場で、(こわ)れ尽くしたルゥナーの亡骸(なきがら)を前に、同じように嘆き、悲しみ、狼狽えて、呪った記憶が呼び起こされる。



「そう、この子はあなたの大切な人だったのね」


 先ほどまでとは打って変わって、静かに、落ち着いた声色(こわいろ)で話す真昼。



「りんこ、りんこ。やだよ、おいて行かないで。りんこがいないと、また一人になっちゃうよ」


 手に伝わる、りんこに残されていたかすかな体温のぬくもりが急速に失われていくのを感じ、れいは小さな子供のように泣きじゃくった。



「つらいよね。悲しいよね。そう、今のあなたはあの時のわたしと同じ。愛しい人を理不尽に奪われて、この世のすべてを呪いたくなる。ねえ、そうでしょう? 憎いでしょう? 壊したいでしょう? あなたも」


 どす黒い闇に覆われた真昼の顔が、同情するような憐れむ表情から、新しい友人を見つけたような嬉しそうなものに変わっていく。



「でも、大丈夫。安心して。あなたは私が殺してあげるから。今ならきっと、この子と同じ場所(ところ)に行けるでしょうね」


 その言葉には、()()()()()()()()()、という深い悲しみが込められているようにも思えた。



「それに、向こうに倒れている女の子と()()()()()()()も、後から送ってあげるわ。ほら、これならもう寂しくないわよね」


 真昼はそう言うと、不偏の太刀を片手で振り上げた。

 真っ直ぐに、銀に輝く丸い月にすら届くように手を伸ばし、ただ真っ直ぐに。





「一緒にするな」


 その時、れいがそう言って、真っ赤に泣きはらした目で真昼を(にら)みつけた。



「あたしは、あんたと同じじゃない」


 れいの言葉に、真昼の動きが止まる。



「ルゥナーとあんたの事は本当にかわいそうだと思うけど、あたしをあんたと一緒にするな。あたしは、誰かの事を呪ったりなんかしない。何の罪も無い人たちのことを傷つけたりなんかしない。ルゥナーだって、誰ひとり恨んだりしなかった。ただひたすらに、あんたの事だけを心配して()ったんだ。あんたが今みたいになっちゃったのは、誰のせいでもない。あんたの心が弱かったせいだ。ルゥナーの純粋な思いを、わからなかった。受け入れられなかったせいだ。この子(りんこ)があんたに何をした。ふざけるな。いいかげんにしろ。あんたなんかと、あんたなんかと、あたしたちを一緒にするなっ!」


 れいは真昼の目を真っ直ぐに見据えて、強い意志のこもった声でそう叫んだ。





 ―――そうだよ! れいちゃんはまひるちゃんとは全然ちがうっ!




 それは、聞きなれた声だった。


 もうずっと前から一緒にいて、毎日毎日飽きもせずに一緒に過ごして、ついさっきまで一緒にいて、そして突然聞こえなくなった。

 今となっては、とてもとても懐かしく感じる、ちょっぴり小憎(こにく)たらしいけれど、大好きな声。



「―――え? りん、こ?」


 れいが呆然と気の抜けた表情で振り返ると、そこにりんこが立っていた。



 いつもの意味不明なドヤ顔で、さっきまで身体が二つに分かれて内臓(なかみ)がはみだしていたくせに、そんな素振(そぶ)りも痕跡(こんせき)も一切残さず、切り裂かれた衣服も、バケツでぶちまけたような大量の血液も、すべてがまるで最初から無かったかのように、まっさらな姿で、りんこが仁王立ちで立っていた。



 れいは何が起きているのかわからず、りんこと、自分の身体や周囲の様子を見回した。

 すると、驚いたことに、れいが全身に浴びた血のあとすら、跡形(あとかた)もなく消えている。



 理解が追い付かない。


 何が本当で、何が夢や幻なのか。


 れいは、りんこに話しかけようとして、ようやくその背後にいるものの存在に気がついて、戦慄(せんりつ)した。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 困惑(こんわく)していたのは真昼も同様だった。


 自分が両断して絶命したはずの少女が、何事もなかったかのようにそこに立っている。


 生き返った?

 それとも、死んでいなかった?


 あの状態で死んでいないなどということがあるだろうか。 


 いや、そんなことはありえない。


 真昼の手には、たしかに胴体を切り裂いた感触が残っている。


 不偏の太刀の刃に残っているであろう返り血を確認しようと手もとに目をやると、そこに黒い()()()がまとわりついていた。



 なんだ、これは―――。



 それが、長い髪の毛のようなものだと気がついた瞬間。

 真昼の視界が一瞬で逆さまになった。


 正確には、一度、天を仰ぎ見るようになって、それから逆さまになり、今は地面が間近に見える状態で横倒しになっている。



 投げられた? いや、飛ばされたのか?

 真昼は困惑しながら、立ち上がろうと手足に力をこめ、そこでやっと手も足も、そして胴体すらもが、そこに無い事に気がついた。


 四肢(しし)がばらばらに寸断されて、しかもそれぞれが圧倒的な強い力で地面に()い付けられている。



 なにが起きた。

 なににやられた。


 状況を見極めようとする真昼の耳に、この場の雰囲気にそぐわない、場違いなほどに明るい声が聞こえた。



「まひるちゃんはさ、とっても強いマモノだけど、もともとが人間でしょ? だからどうしても人間だったころのじょうしき? とか感覚? とかにたよっちゃうよね。それが弱点かなー」


 そんな声の後、()()()、という変わった笑い声が聞こえた。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 れいが、りんこの背後に見たもの。

 それは、りんこにとり憑く、赤いワンピースの真っ黒な怪異の姿だった。


 おそらく、真昼と同様、ルゥナーの結界が消失したために、駐車場内に入ってきたのだろう。


 そして、それが実は、『れいちゃんの、なんとなく考えたアイデアその三』だった。


 この怪異をどうにかして真昼にぶつける。


 おそらく、りんこに危害が加わりそうになれば、何らかの反応はあると予想はしていたけれど、そんな作戦とも呼べないような無茶苦茶なアイデアは、れいが考えていたのとはだいぶ異なる形とはいえ、たしかに実現した。



 れいが、怪異の存在を自分の目で認め、振り返った時には、すでに筑波祢 真昼の身体はばらばらに寸断されており、それぞれ違う場所に怪異の黒い髪の毛のようなもので拘束されていた。


 わずか数秒にも満たない短い時間。

 その間、りんこにも、赤いワンピースの怪異にも目立った動きはなかった。



 れいの頭脳ではとうてい理解不能な状況であったけれど、そして、たぶんまだ安心できる状況ではないけれど、それでも、れいはりんこにこう言った。


 こう、言うしかなかった。




 ―――あんた、なに普通に生き返ってんのよ。……うれしいけど!






 つづく

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