第三章 ハーゲンダッツラムレーズン その四
【ハーゲンダッツ事件 その二】
「はいっ! っと、いうわけで! 私たちは今、いつものコンビニエンスストアさんにお邪魔していまーす」
通学路にある唯一のコンビニエンスストア。
放課後、毎日のように寄り道をしているこの場所で、風前 灯はあらぬ方向に向かって輝くような笑顔で手を振っていた。
その、まるでテレビの情報リポートのような立ち居振る舞いはなかなか堂に入ったもので、さすが元アイドル、と思わせるものだった。
(だれに言ってるのかなー)
(誰に向かって言っているんだろう)
灯の背後で取り残されたように立ち尽くすりんことれい。
教室でなかなか話が進まないことに業を煮やしたのか、灯は思いたったようにおもむろに立ち上がると、二人の手をしっかりと握って半ば強制的にここまで引っ張って来たのだった。
「そ・れ・で・はー……」
くるり、と華麗なターンで、灯がりんこの方を振り向く。
「はぁーい、りんこさーん」
「え? あ、はい?」
普段にもましてにこやかな灯が、急に名前を呼ばれて戸惑いの表情を浮かべ咄嗟に「はい」なんて返事をしてしまったりんこの肩を、がっしと両手でつかんだ。
その思いがけない強い力に、りんこがわずかに顔をしかめる。
「りんこさんはここに座っててくださいねー」
灯は有無を言わせない力強さでりんこをベンチに座らせると、笑顔のまま「すてい!」と声をかけて、つかつかと音を立てながら店内に入っていった。
ベンチにちょーんと大人しく座っているりんこは、まるで本当に犬のようである。
ほどなくして、ビニールのレジ袋を手に携え、灯が戻ってきた。
「あかりちゃん、おかえ―――」
「りんこさん!」
灯に声をかけようと口を開いたりんこを遮るかたちで、灯が先に呼びかける。
「これ! これ、全部あげますから、ここでおとなしく食べていてください!」
そう言って、レジ袋をりんこに押し付けるようにして手渡した。
「ええー? ちょっとまって、よ」
困惑したように灯の顔を見て、それから手元のレジ袋に視線を移す。その瞬間、りんこのくりくりとした大きな目がさらに大きく見開かれた。
「え、うそ。これ、ぜんぶ、はーげんだっつ!?」
信じられない、とばかりに大げさにかぶりを振るりんこ。
そう、レジ袋の中には、溢れんばかりにぎゅうぎゅうにハーゲンダッツが詰め込まれていた。
ハーゲンダッツと言えば、市販アイス業界に燦然と輝く、誰もが知る高級アイスである。いくらアイスが大好きとはいえ、月々のおこずかい頼みの一介の女子高生であるりんこが、そうおいそれと手を出せる代物ではない。
「すごーい! あかりちゃんありがと、だいすきー」
灯の術中に見事にはまったりんこは、ご機嫌な鼻歌を口ずさみながら嬉しそうに袋の中をのぞき始めた。
「ふふ、りんこちゃん、ごゆっくりどうぞ」
灯は笑顔でりんこに手を振ると、またもや軽やかなターンでくるりと回り、今度はれいの方に向き直った。
「これでしばらくは大丈夫です。ささ、れいさん、今のうちに」
そう言うと、灯は優雅な足取りで店内のイートインスペースに向かった。ガラス越しにれいに手招きをする。
うわぁ。これが芸能人の力か。
もとより思考や行動パターンが犬猫並みのりんこには太刀打ちできるはずもない。
って言うか、じつはこの人けっこう怖い人なんじゃないだろうか。
れいは灯の後を追うように店内に入った。
日本語が片言の店員からコーヒーのカップを購入すると、レジ横の全自動サーバーにセットし、カップが琥珀色の液体で満たされるのをしばし待つ。
焙煎された豆を挽く音が聞こえると、コーヒーのいい香りが漂い始めた。
最近のコンビニコーヒーの出来は素晴らしいと、以前、佐久間も言っていた。
味と価格、そして手軽さのバランスから言えば、もう街の喫茶店などでは遠く及ばないレベルにまで到達しているらしい。
『しかしですなぁ、おひぃさま。コーヒーとは、飲むまでにかかってしまう一見無駄な手間と時間を一緒に味わうものなのです』
そう言って淹れてくれた佐久間のコーヒーは、たしかに美味しいように思えた。
「ま、普段はこれでじゅうぶんだけど」
れいはサーバーからカップを取り出すと、イートインコーナーに向かい、灯の隣の小さな椅子に腰をおろした。
「お待たせしました」
れいの言葉に、灯は笑顔で応える。
「れいさん、コーヒーがお好きなんですか。大人ですね」
そう言う灯の手元には、四角いパックのいちごオレが置かれていた。灯のイメージに相応しいような気もするし、意外なようにも感じる。
「家が喫茶店なので昔から飲んでいただけです。正直、味の違いとかはわかりません」
佐久間が美味しいと言ったものを、そっくり真似して美味しいと思い込んでいるだけだ。
「わぁ、いいですね。私、自分の家がなにかのお店をやっているのとかすごく憧れます」
左右の手のひらをぺちりと合わせて、灯はほほ笑んだ。
「元アイドルの方がそれ言います? さっきのハーゲンダッツ、すごかったですね。失礼ですけれど、やり方が力技と言うか、さすがスター、みたいな」
ガラス越しに、ハーゲンダッツを堪能中のりんこを眺めながら、れいは苦笑いを浮かべた。
「そうでもないんですよ、私なんてまだまだです」
灯は少し恥ずかしそうにほほ笑みながら、静かに首をふる。
「でも、りんこちゃんみたいにわかりやすい弱点がある人が相手だとやりやすくていいですよね」
にっこり。
いや、やっぱり怖いよ、この人。
「あ、そうだ。それで、うちのお母さんに例の画像を見てもらったんですけれど」
灯のにこにこ笑顔に気まずくなって、れいは本題を切り出した。
「写真だけだと、正直なところよくわからないみたいなんですが、どちらの可能性もある、みたいです」
「どちらの可能性も、というと?」
れいの言葉に、灯は不思議そうに首を傾げた。
「はい。ひとつは、単なるいたずらとか忘れ物の可能性」
灯はうなずくと、こくん、と小さく喉を鳴らし、れいに続きをうながした。
れいは、言葉を選ぶように数秒のあいだ思案すると、やがて意を決したようにつづけた。
「そして、もうひとつは、おまじないとか呪いの儀式の類、あるいは」
―――それ自体が、呪物の可能性。
つづく