第三章 ハーゲンダッツラムレーズン その二
【転校生 風前 灯 その二】
―――それは、残暑と言うにはまだ暑すぎる九月初頭のことだった。
夏休みあけの教室。
むせ返るような熱気と気だるい空気の中、退屈きわまりない始業式を終え教室に戻ったれいたちの前に、見知らぬ女生徒が立っていた。
どこか異国の血が混じっているのか、きめ細やかな肌はぬけるように白く、背の中ほどまで伸ばした髪は、日本人ばなれした白金色で、窓から差し込む日の光を浴びてきらきらと不思議な輝きを宿していた。
わずかに目じりが下がったきれいな二重に、すっと立った鼻筋、ほほ笑みをたたえた口元など、すべてが異彩を放っている。
しかし、顔立ちや瞳の色は日本人の色が濃く、大人っぽさとあどけなさが混在した神秘的な風貌の美しい少女だった。
「風前 灯です。ご存じのかたもいらっしゃるかもしれませんが、昨年まで東京で ―――というグループで活動していました。どうぞよろしくお願いします」
そう大きな声でもないのに耳にはっきりと届く、とてもきれいな声だった。
れいは、普段からテレビもインターネットもあまり嗜まないため、そのグループとやらの名前に聞き覚えはなかったけれど、教室のあちこちから驚きの声がもれ聞こえ、それはやがて教室全体に広がっていった。
「風前さんは、去年おおきな心臓の手術をして長い期間入院していました。そのため、年齢的にはみなさんよりひとつ年上ですが、今日からは同じ教室で過ごす同級生です」
クラス担任の教師が大きな声で説明する。
先ほどまでとは違ったざわめきが広がっていった。
心臓とかヤバっ。
それって、留年したってこと?
「日常生活には問題ないとの事ですが、まだ退院して間もないですし、慣れない環境でもありますので、何か困っていたらみなさんでサポートしてあげてください」
教師が大げさな手振りを交えてそう伝えると、その意に反して生徒たちから戸惑いの声が上がった。
新学期早々に現れた転校生。
海外ルーツの血が混じった見慣れない容姿。
馴染みのない都会から来たうえに元芸能人だといい、おまけに心臓に病をかかえたひとつ年上のクラスメイト。
狭小な固定観念にしばられた地元しか知らない田舎の高校生たちには、あまりに遠すぎる世界の住人だった。
「あ、あの、なるべくご迷惑をおかけしないようにしますので、よ、よろしくお願い、します……」
やわらかな表情のまま、形の良い眉をわずかに寄せて困ったようにほほ笑む灯。
挨拶するその声は、教室内のざわめきにかき消されるように聞こえなくなっていった。
あからさまに拒否反応を示すクラスメイトたちを眺めながら、れいはきゅっと唇をかみしめた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それで、どうしてりんこが先に仲良くなってんのよ」
ベンチの背もたれに強くもたれかかりながら、れいは呆れたように空を見上げて大きく息をはいた。
あの日、灯の自己紹介は誰の目にも失敗に終わった。
このままでは良くないと思いつつも、なかなか話しかけられないまま放課後を迎えてしまったれいに対し、りんこはあろうことか新しい友だちだと灯を紹介してきたのだ。
いったい何をどうしたら、隣のクラスのりんこが、転校初日の灯とその日のうちに友だちになるのだろう。
そんなことを思い出しながら物思いにふけっていると、れいのつぶやきを耳にしたりんこが、先ほどから抱き着いている灯のからだ越しに顔をのぞかせた。
「だって、あかりちゃんかわいいし。おともだちになるでしょ」
当たり前のように言うな。この、コミュ力おばけめ。
「んふふ。それほどでもー」
にしし、と笑う。
いや、褒めてないから。
りんこもりんこで、容姿の上では灯に勝るとも劣らない美少女なのだけれど、ここまでタイプが異なると印象もまるで違って見える。
「あ、あの、それで、これって、えっと、どう思います?」
灯は、このままではりんことれいの与太話が永遠に続いてしまうと危惧したのか、本当に申し訳なさそうに二人の間に割って入ると、落ち着かな気に自分のアイフォンの画面を指し示した。
そうだった。
すっかり脱線してしまったけれど、今日の主たる議題はそれである。
りんこ曰く、おにんぎょう。
れいの感覚でいうところの、ピクトグラム。
その共通点は、人型。
灯のアイフォンの画面には、人型に見えなくもない謎の物体の画像が映し出されていた。
丸い頭に四角い胴体、ひじとひざが丸くて、両手と両足の先端は四角。
それぞれ緑色の粘土みたいなものを、細い串のようなもので刺してつなげている。
画像で見るかぎり、あまり精巧なつくりではなく、丸や四角の形はいびつ、串の部分の長さもまちまちで、ひどく不格好だった。
まだ、灯から詳しい話は聞いていないけれど、ひとめ見ての印象は、気持ち悪い、だった。
「これ、なんですか?」
れいは、画面を見つめたまま、灯に問いかけた。
「わかりません。でも、これが、あったんです」
いつもほほ笑みを絶やすことのない灯が、その表情をくもらせる。どう説明したらよいのか、考えあぐねているようだった。
「あった? どこにあったんです?」
「家です。引っ越したばかりの家の、天井裏に、これが」
ぞくり。
れいの背筋に悪寒が走る。
一見、小さな子どもの図工の作品みたいな人型のもの。
例えば、これが公園の一画にでも落ちていたというのなら、そこまで気にするものではないだろう。
「どうして、天井裏なんか」
そんなところ、あまりのぞいたりしないだろう、と思った。
少なくとも、れいは自宅の天井裏などみたことがない。
「偶然、です。荷物の整理をしていて、なんとなく押入れの中を見上げたら、天井の板が少しずれていて、それで、なんとなく気になって……」
わからなくもない。
れいも、もし同じ状況だったら、天井裏をのぞき見たかもしれない。
「あかりちゃんのおうちは新しいおうちなの?」
りんこが口を開いた。声の調子がいくぶん真剣味を帯びている。
灯はゆっくりと首を左右に振った。
「詳しくは知りませんが、そんなに新しくはない、と思います」
アイフォンを操作し、別の画像を映し出す。
そこには、平屋の一軒家が映っていた。古風な純日本家屋で、老舗の料亭かなにかだと言われれば信じてしまうかもしれないような立派な建物だ。
灯によれば、家族でこの街に引っ越すにあたり、中古の物件を購入したのだと言う。
「ふーん、お金もちなんだねー。やっぱりアイドルだから?」
りんこに悪意はない。しかし、その無遠慮ともいえる言葉にれいは眉をひそめた。
「いえ、アイドルって言ってもグループでしたし。ギャラとかも、たぶん世間で思われているよりは……」
―――それに、もうアイドルじゃありませんから。
灯はそう言って、いつものようにやわらかな笑顔を浮かべた。
その笑顔は、清々しいようにも、寂しいようにも、どちらともとれない複雑な表情だった。
「中古の家だとすると、前に住んでいた人の物だって考えるのが普通ですよね」
れいの言葉に、りんこがうんうんとうなずく。
「そう、ですね。うん、そうだと思います」
灯は、りんこを見てかすかに笑顔を浮かべ、自分に言い聞かせるようにつぶやくと、小さくうなずいた。
「その画像、送ってもらってもいいですか? こっちでも少し調べてみます」
れいはそう言うと、通学鞄から自分のスマホを取り出した。
後で、母に見せて意見を聞いてみよう。
「あー、ずるーい。あかりちゃん、りんこにも送ってね」
いったい何がずるいのか、まったくもって意味不明である。
たぶん、それほど危険なものではないし、別に問題は無いだろう。
そうして、この日は写真を数枚、共有して別れた。
これが、りんことれいが灯と出会い、そして三人で初めて挑んだ、とても奇妙で不気味な事件の幕開けである。
つづく