第三章 ハーゲンダッツラムレーズン その一
【転校生 風前 灯 その一】
「えっと、これ、なんですけど。どうでしょうか」
風前 灯は神妙な表情で、恐る恐る問いかけた。
りんことれいがともに通う高校の通学路にある行きつけのコンビニエンスストア。
以前は、老婦人が営むとても趣のあるひなびた雑貨屋だったものが、数年前に近代的な大手チェーンのコンビニエンスストアに生まれ変わっていた。
昼夜を問わず煌々と明るく、無いものは無いと思わせるほどの品揃えを誇り、あまつさえ国籍がよくわからない若者が店番をしている。
雑貨屋にはとてもたくさんの思い出があり、取り壊された時は惜別の涙をこぼしたりもしたけれど、最新のコンビニの利便性の前に、今ではすっかり順応してしまっていた。
目の前に立ち並ぶ桜の街路樹は、葉がすっかり落ちて、枯れ木の様相を呈している。
周囲の田んぼも、とうに稲刈りを終え、一面茶色の光景が広がっていた。
季節の移り変わりとともに吹き抜ける風も冷たさを増している。
そろそろ冬物のコートやマフラーなどを準備する頃合いかもしれない。
コンビニエンスストアの店内では、レジ横にいよいよ中華まんやおでんがずらりとならび、ついついもう一品と手をのばす誘惑を断ちきるための努力が必要となっていた。
店の前、すっかりりんことれいの指定席のようになっている、まるで時間の流れに取り残されたかのような古ぼけたベンチ。
今や雑貨屋時代の唯一の名残となった、この本来二人掛けを想定したであろうベンチに、今日は灯を含めた三人で座っている。
やたらと距離が近い。
近いというか、狭い。
すでに肩はふれあっており、お互いの息づかいまで感じ取ることができた。
灯はシックな茶色の手帳型カバーに納められた銀色に鈍く輝くアイフォンの、写真ギャラリーの画面を二人に見せた。
「なにこれ、おにんぎょうかなー?」
灯の右腕に自分の腕をからみつかせ、ほとんど抱き着くような格好で、りんこがアイフォンの画面をのぞきこんだ。
その肩口で切り揃えられたきれいな髪がさらさらと揺れる。
「ん、なんだろうね。ピクトグラム的な感じ?」
りんこと反対側でやはり画面をのぞきこんでいたれいが、無造作に伸ばされた長い黒髪を邪魔だとばかりに手で払いのけながら不思議そうにつぶやいた。
不意に左腕にれいの豊満な胸がふれ、そのふんわりとした感触に、灯は無意識に視線を動かした。
その拍子にれいと目が合い、その鋭い眼差しに気おされたように慌てて目を逸らす。
灯のその仕草に、れいはああ、とつぶやいて、眉を寄せて困ったような笑みを浮かべた。
「すみません。別に睨んだわけじゃなくて、生まれつきこうなんです」
長い前髪を指でくるくるともてあそびながら、それでも目元を隠すことなく謝るれい。目つきそのものは以前と変わらないものの、その雰囲気はずいぶんとやわらかくなっていた。
「んっふふー。れいちゃんの目、かっこいいでしょー」
りんこが得意気に自慢する。
どうしてあんたがドヤ顔なの、とれいが突っ込むと、灯がこらえきれずに小さく吹き出した。
「もう、笑われたじゃない」
れいが少しはずかしそうにそっぽを向く。
「笑ってごめんなさい。でも、れいさんの目、切れ長できりっとしていて私もステキだと思います」
灯は両の手のひらをぺちりと合わせながら笑みをうかべた。
灯はもともと、いつもほほ笑んでいるかのような柔和な顔立ちだけれど、笑うと目じりが下がってさらに穏やかな表情になる。それは見る人を安心させるような不思議な笑顔だった。
「だよねー! っていうか、なんでふたりとも敬語なのー?」
へんなのー、と言って、にししと笑うりんこ。
れいは、その笑い方の方が変だと突っ込みを入れたくなった。
「なんでって、風前さん、あたしたちよりいっこ年上だし」
人差し指をぴんと立てるれいに、りんこが口をとがらせる。
「だけど、れいちゃんとおんなじクラスでしょー? クラスメイトじゃん」
りんこが灯にからめた腕にちからを込め、むぎゅーっと抱きしめる。
灯はほんの少し頬を朱に染めると困ったような笑顔を浮かべた。
「りんこはクラス違うからクラスメイトじゃないけどね」
「えー、ひっどーい! なんでそんなこと言うのー」
べっ、と赤い舌を出すれいに、りんこがぷんぷんと可愛らしく怒る。
年齢的には下級生であるはずの同級生二人に左右からはさまれ、灯はただニコニコと笑っていた。
少しは困っていたのも事実だけれど、それ以上に、なかなか複雑な事情をかかえている灯に対して、こんなにも自然に接してくれているりんことれいの態度が嬉しかったのだ。
「ねえねえ、あかりちゃんはなんで敬語なのー?」
「ぴゃぃっ」
灯は急に自分に矛先が向けられ、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「いえ、わ、私は転校生ですし、その、留年とかもしちゃっていますし、ま、まだまだよそ者って言いますか……」
九月の新学期にあわせて転校してきてから、すでに二か月が経過したけれど、いまだクラスに馴染めていないことを日々実感している。
いつも遠巻きに様子をうかがうような視線に囲まれ、あいさつも会話もどこかぎこちなくて他人行儀、まるで腫物にでも触るかのような雰囲気だった。
「あー、それわかります。あたしもそうだった、て言うか今もそうですし」
れいは長い髪を雑にかき上げると、少し忌々しげに言った。
この地域に根深い田舎特有の排他的な雰囲気。
ひとたびコミュニティの内側に入ってしまえば、とてもあたたかく迎え入れられ、強い仲間意識のもと庇護の対象になるのだけれど、そうなるまでが非常に大変なのである。
れいと母は佐久間のおかげで商店街周辺のコミュニティの内には比較的すんなりと入ることができたけれど、れい自身はいまだ学校のクラスメイトの仲間にはなれていない。
灯もここで行動や態度の初動を間違えると、れいのように陰湿ないじめの標的にもなりかねない。れいはそのことを誰よりもよく知っている。
「でもいまはねー、ふたりともりんこのおともだちー」
にしし、とおかしな笑い方をするりんこ。
距離感とか気まずさとかいっさい関係なく、一瞬で間合いをつめて抱き着いてくる。これを意識もせずにやってくるのだから恐ろしいほどのコミュ力である。
れいも、これに本当に救われた経験がある。
最終的には灯しだいだけれど、りんこがこうやって両手を広げて迎え入れているのだから、れいもそうしようと思っていた。
それに、まだ短い期間しか交流していないとはいえ、この風前 灯という年上の同級生は、いつもニコニコと笑っていて物腰も丁寧、穏やかで争いごとを好まず、集団の中においては立場の弱い方に寄り添い自然とバランスをとろうとする、そんな温和な性格が垣間見えていた。
「ありがとうございます。とっても嬉しいです」
灯の明るい声。
その声は、まるで鈴が鳴るかのように耳に心地よい。
れいは、灯が転校してきた日のことをぼんやりと思い出していた。
『風前 灯です。ご存じのかたもいらっしゃるかもしれませんが、昨年まで東京で ―――というグループで活動していました。どうぞよろしくお願いします』
ただ、足をそろえて真っ直ぐに立っているだけなのに、その立ち姿には一分の隙も感じられない。
これが転校生、都落ちアイドル、風前 灯の第一印象だった。
つづく