第二章 昔なつかしアイスクリン その九
【過去編:ふたつの出会い その五】
アイスクリンを食べ終わったりんこが、その細い手足を大きく広げて、ん~~っと伸びをする。気持ちよさそうなその様子は、まるで猫のようだった。
腕を目いっぱい伸ばして、ようやく制服の袖から小さな可愛らしい手のひらが姿を現す。
りんこは誰の目にもはっきりとわかるくらい小柄だった。
背が低いのはもちろん、手足はとても嫋やかで、全体的に華奢である。大きく張り出したセーラー服の襟からのぞく白い首などは本当に細く、誇張ではなく簡単に折れてしまいそうだ。
何となくつられて、れいも上半身だけ伸ばしてみたが、りんこのように可愛らしくないと思い、途中でやめた。
れいは背が高い。入学式のおり周囲を眺めてみたが、クラスの中でれいより背が高いのはほんの数人で、しかもその全員が男子生徒だった。
高身長ではあるが、体型的には痩せ型で華奢だと言ってもよく、これはこれで見る側の趣味嗜好によっては好まれそうなものだ。特に同性から人気が出ても不思議ではなかった。
もっとも、小学校時代から続く周囲からの差別的な扱いと、れい自身の自分の容姿に対するコンプレックスが拭えない限り、難しい部分もあるかもしれない。
少なくとも今のところ、れいの中では可愛いものとはあくまで小さいものと定義されているのだった。
「おいしかったねー」
りんこは、アイスクリンを食べ終わった後も、そのふっくらとした桜色の唇でいつまでもくわえていた木製のへらを手に取ると、つり目がちな大きな目を細めて笑った。
もともと猫っぽい顔立ちが、笑うとますます猫じみてくる。
「ん。美味しかった」
これは素直にそう思った。佐久間に話して、喫茶店で出してもいいかもしれない。古い、もとい、レトロな店の雰囲気によく合いそうだった。
「でっしょー! ほめてもいいよー」
にしし、とあのおかしな笑い方をする。
美味しかったのはアイスクリン自体の功績であって、りんこを褒める理由はないと思うけれど。
まあ、りんこのおかげということにしておこう。
ベンチでくつろいでいるふたりの向こうで、雑貨屋の前の道路を、古い軽トラックが荷台をガタガタと震わせながら通り過ぎて行った。
れいは、りんこに尋ねたいことがあった。
あの、赤いワンピースの怪異のこと。
それから、眠っている間、というより恐らく気を失っていた間にみた不思議な夢のこと。
想像するに、あれはきっとりんこの記憶だろう。
先ほど突然、りんこに重なるように現れたことから考えても、あの怪異がりんこにとり憑いているのは間違いない。
れいが見聞きしてきた限り、通常、あれほど強烈な威圧感をもつ怪異にとり憑かれたとしたら、すぐにでも体調や精神に何らかの異常があらわれるだろう。
しかし、今も隣でうれしそうに木製のへらをひらひらと振りながらアイスの話をしている少女からは、そんな不穏な様子は少しも感じられない。
―――ねえ、いったいいつからそうなの?
そう、口を開こうとして、しかし、れいは言葉をのみこんだ。
りんこの向こう、つい先ほど軽トラックが走っていたあたり、道路のアスファルトの上に、静かに、音もなく、いつの間にかあの怪異が立っていた。
小柄な少女のシルエットの内側は、先が見通せない深い深い闇が渦巻いている。吐き気を催すほど鮮やかな赤い赤いワンピースを着ているようにも見える正体不明のナニカ。
怪異は真っ直ぐにれいの方をみていた。いや、目というものが確認できないのであくまで感覚的ではあるけれど、肌にビリビリと痛いくらいの、突き刺さるような視線を感じる。
それはまるで、その話題には触れるな、とでも言っているかのようだった。
ヤメロ。ヤメロ。ヤメロ。ヤメロ……。
無言の威圧感。
これは警告だ。おとなしく指示に従えば良し。従わなければ……。
「ね、ねえ。気になってたんだけど、制服ちょっと大きすぎない?」
れいは、つとめて冷静を装いながら、りんこにそう問いかけた。自分から危険に飛び込むようなことはしない。むしろ、わざわざ警告してくれてありがとうと怪異にお礼が言いたいくらいだ。
ほら、話題を変えたよ。
これで、消え……ていないのかよ。
先ほどと同じ場所で、怪異は変わらず佇んでいる。
ただ、すでにれいの方を見ていないのか、威圧感は消えていた。道路の真ん中で、ぼーっと突っ立っているようにみえる。
何をしているのだろう。
ひなたぼっこかな。
「制服って、すこし大きめにするものでしょ?」
りんこが袖口を指先でもって、腕を左右に広げた。そうやって握っていないと、手がすっぽり隠れてしまう。
「成長期だし。のびざかりだし。すぐにちょうどよくなるよ。そりゃあもう、あっという間だよ」
それはまあ、そうかもしれない。
しかし、中学校の三年間で、はたして腕の長さが十数センチメートルも伸びるものだろうか。
「たぶん、来年くらいにはぴったりかも」
りんこが、ぴょん、と立ち上がる。
そして、れいの正面に立つと、なんだろう、なにやらくねくねと身体をくねらせて奇妙なポーズをとり始めた。
「背も伸びるし、おっぱいも大きくなるよ。せくしーって感じ?」
それは、どうかなあ。
さすがに来年は難しくないかなあ。
こう言ってしまうのもなんだけれど、りんこの体型は完全に子どもそのものだ。
首の下から続く胸のラインは見事なまでになだらかで、すとーんと引っかかりひとつ無い。
腰からお尻にかけては女の子らしいやわらかな曲線を描くが、手足はまるで棒のようで、いわゆるセクシーさはまったくと言っていいほど感じられない。
世の中には着やせする人というのも存在するけれど、さすがに無理があるだろう。
「まあ、楽しみにしててよ」
自信たっぷりに、にしし、と笑うりんこ。
れいは、はんぶん呆れながら、楽しみにしてる、と答えた。
「ひすずがわさん、おともだち登録しようよ」
唐突に、りんこがそんなことを言った。
一瞬、ちゃんと名前を言えたかと思ったけれど、やっぱり噛んでいた。
りんこは再びれいの隣に軽やかに腰掛けると、通学鞄からスマホを取り出した。大きなウサギの耳がついたピンク色の可愛らしいスマホケースがつけられている。
「あ、ごめん。スマホ、もってない」
れいは、申し訳なさそうにあやまった。
れいの家は佐久間の喫茶店だ。
毎日、客足が途絶えることがないとはいえ、それほど収入が多いわけではない。佐久間はけっして口にしないけれど、家計が楽ではないだろうことは想像に難くない。
以前、スマホを持ったらどうかと勧められたことがあったけれど、れいは遠慮して、高校生になって自分でアルバイトを始めるまでは必要ないと断ってしまっていた。
その気持ちは今も変わらないけれど、今この時に限ってはとても後悔していた。
おともだち登録。
なんと魅力的な言葉だろう。
お互いにスマホに登録することで名実ともにお友だちになるのだ。言わば契約書みたいなものである。
逆に言えば、登録できないということは、お友だちになれないという意味でもある。
れいのこの偏った考え方は必ずしも正しくはないのだけれど、今まで友人というものがいなかったれいは、そう思い込んでしまっていた。
「そっかー。じゃあ、スマホを買ったらおともだち登録しようね」
りんこの言葉に頷きながらも、れいの目にじんわりと涙が浮かぶ。
千載一遇の機会を逃してしまった。
今はこう言ってくれていても、いざその時になったら心変わりしてしまっているかもしれない。
「それじゃ、きょうはりんこのスマホで記念写真ね!」
ぐいっ、と身体が引き寄せられる。
りんこは、その小さな身体をめいっぱい使って、れいに抱き着くように腕をまわした。
突然のことに驚いて、目を見開いて丸くするれいの青白い頬にさっと朱がさした。
「え、え、記念写真? な、なんの? 入学式?」
れいの顔のすぐとなりに、りんこが頬を寄せた。ふわっと、爽やかな甘い香りが漂う。
ほのかに体温が伝わってくるほどの至近距離に、れいは頭が混乱した。
無理やり屈まされて少し苦しい体勢だったが、もはやそれどころではない。
「入学記念もあるけどー」
りんこはスマホを操作しながら、ベストショットとなる角度を探っている。
「ふたりの、おともだち記念でしょ!」
れいの視界には、りんこを中心として色とりどりの花が咲き乱れ、無数のかわいいリボンやキラキラと瞬く星のイメージが、まるで現実のように映しだされた。
ピロリン。
撮影終了を告げる電子音が耳に届く。
りんこのスマホには、真っ白い歯を惜しげもなく見せて輝くように笑い、れいの肩に手を回して抱き寄せながら誇らし気にピースサインをするりんこと、耳まで真っ赤にして慌てふためいているれい、ふたりの記念すべき初めてのツーショット写真の画像が映し出されていた。
咄嗟に前髪で顔を隠そうとしながら横目でりんこを見つめるれいの視線は、うっとりと熱を帯びていて、完全に恋する乙女のソレだった。
いや、もう、まったく……
恥ずかしながら。
つづく