第二章 昔なつかしアイスクリン その八
【過去編:ふたつの出会い その四】
入り口から日が差し込む薄暗い店内。
壁沿いには店内を囲むようにぐるりと商品の棚が並び、また中央にも海に浮かぶ島のように、いやがんばっても湖、せいぜい池くらいだろうか、そんな小島程度のガラス製のショーケースが設置され、いずれも所せましと品物が並んでいる。
生鮮食料品をはじめ、調味料やお菓子やインスタント食品、また洗剤やトイレットペーパーなどの日用品に加え、食器に文房具に小さな子どもが喜びそうな玩具類、かなり対象年齢が高そうな衣類、はては虫とりや魚釣り用の網に竿にカゴなど、ここはいったい何屋なんだと考えさせられるような雑多な店内である。
入り口の外、店に向かって右側には、氷やアイスクリームなどが入った冷凍ケースが設置され、ゴーッと、低い作動音が響いている。反対側には、大きなマガジンラックみたいなものに、ものすごくたくさんの種類の野菜や果物の種が入った小さな袋が整然と陳列されていた。
さらにその横には、くたびれたベンチが置かれ、つめた~い、あたたか~い、などと書かれた色あせた年代物の自動販売機と、最近で言うところのカプセルトイ、いわゆるガチャガチャとかガシャポンとかいう物が並んでいる。
最近では、この辺りの地域でも、市街地まで足を延ばせば大手コンビニエンスストアがそこかしこに軒を構えており、いくら田舎とはいえこのようなひなびた個人商店はあまり見かけなくなっていた。
りんことれいは、はたして売り物なのか、それともただの趣味なのかわからない、チューリップやキンギョソウ、マーガレットなどが植えられたプランターやポットの寄せ植えを横目に、店の入り口から中をのぞき込んだ。
「おばあちゃん、いるー?」
りんこの声が、店の奥まで響く。
少し待ったが、店の主の老婦人は姿を現さなかった。
「まーた開けっぱなしでー。ここらだって、最近はぶっそうなんだって」
りんこは、その形の良い眉を寄せた。苛立っているというよりは、純粋に心配をしているのだろう。
「このお店、よく来るの?」
店主は外にいるのかもしれないと、きょろきょろと表を見まわしながら、れいは問いかけた。自分もそれほど頻繁に訪れていたわけではないけれど、少なくともこれまでにりんこを見かけたことはない。
「くるよー。店いちばんの常連客といってもいいかもね」
にしし、と、また変な笑い方をする。
いったいどれほど通ったら、いちばんになれるのだろうか。
「いしずがわさんは?」
噛んだ、というより違う川になってしまっている。
五十鈴川って、そんなに言いにくいかな。
「ん。あたしはたまに、かな」
喫茶店があるので、母や佐久間さんと一緒にどこかに出かける、というのがそもそも珍しい。ひとりで、というのはさらに希少だった。
時どき、何かの用事で出かけた際にたまたま立ち寄るくらいだから、機会があっても月に一、二度といったところだろうか。
でも、その一、二度がとても楽しみだった。
「そっかー、じゃあ今日からにばんめの常連を名のるといいよ」
りんこは、なぜか偉そうに腰に手を当て、そう言った。
二番目……。いったいどういう基準なのだろう。
でも、悪い気はしない。
「お店の人、いないね」
外にはおらず、店の奥から現れる気配もない。れいにとって、せっかくの初めての道草なのに、今日は何も買えないのかと少し残念だった。
「そのうち帰ってくるでしょ。なににするか選ぼっか」
えー、いいのかな。
れいは、店主がいない状況で店内に居座ることに少なからず抵抗感があった。泥棒と間違われたりしないだろうか。
「あそこに、ちゃんとお金おいとけばだいじょぶだよー」
りんこは店の奥にある見るからに古そうなキャッシュレジスターを指で示すと、入り口から外に出て行った。
「りんこは、あーいすぅ、あいすっくりぃーむー」
奇妙なリズムで口ずさみながら冷凍ケースをのぞき込む。色とりどりのアイスのパッケージが並んでいるのが、上面の白く曇ったガラス越しにうっすらと見えた。
アイスか。しばらく食べていないような気がする。
れいは、甘いものが特別好きというわけではなかった。別に嫌いではないし、時どき食べたくなることもあるけれど、今はそんな気分ではなかった。
コーヒーは、まあ、ないよね。
サイフォンはもちろん、コーヒーサーバー的なものも見当たらない。雰囲気的に初めから期待はしていなかった。
表の自動販売機にはあるかもしれないが、せっかくお店に来たのに缶コーヒーではあまりに味気ない。
「あたしもアイスにしよ」
せっかくりんこがここに誘ってくれたのだ。同じものを買って食べたら、もしかしたら仲よくなれるかもしれない。
「ねえ、何にしたの―――」
店内から顔を出し、そう言いかけたれいの鼻先に、ぬっと小さなアイスクリームのカップが差し出された。
「はい、これ。いっしょにたべよ」
ひとつをれいに差し出し、同じもうひとつを自分の顔の横に掲げて、りんこは白い歯を見せてにっこりと笑った。
丸い白色のカップに赤い縁取り、麦わら帽子の男の子のイラストが可愛らしい、どこかレトロでシンプルなパッケージデザイン。フタには『オハヨー乳業』『昔なつかしアイスクリン』と書かれていた。
「たべたことあるー?」
「ううん、はじめて」
れいはふるふると顔を振った。
その様子に、りんこはしたり顔でにししと笑う。
「めっちゃおいしいよー。ほっぺおちちゃうかも」
それは、ちょっと楽しみかもしれないと思った。知らず知らず、れいは自分の頬に触れていた。
ちょうどその時、店の主である老婦人が道路の方から歩いて来るのが見えた。のんびりとした足取りで近づいてくると、ふたりに「あら、いらっしゃい」と声をかけた。
りんこが、店を開けっぱなしで出かけていたことを注意すると、老婦人は微笑みながら謝っていた。いちばんの常連を自負するだけあって顔見知りらしく、並んで店内に入っていく。
それを、ぽつりと見送っていたれいに、老婦人が声をかけた。
「喫茶店の、きよらちゃんだろう。ほら、そんなところに突っ立ってないで、こっちにおいで」
老婦人が、自分の名前を憶えていたことに、れいは目を潤ませた。今日から、二番目の常連を名乗ろうと思った。
りんことれいは代金を支払うと、昔なつかしアイスクリンと小さなスプーン、と言うか木製のへらを手に、並んで外のベンチに腰掛けた。
脚を大きく伸ばして座るれいと、宙に浮いた足をぶらぶらと揺らすりんこ。ふたりはアイスクリンのフタをぱかりと外し、顔を見合わせる。
「いっただっきまーす」
「いただきます」
乳白色のアイスクリンにへらを差し込むと、思っていたのと少し異なる感触に一瞬戸惑う。普通のバニラアイスのような、なめらかな弾力があまり感じられない。
木のへらの先端にのせたアイスクリンを口に運び、舌の上に乗せると、ひんやりとした感触が伝わった。
れいがアイスクリンを舌の上で転がすと、二度目の戸惑いが襲ってきた。へらを差し込んだ時と同じように、なめらかなねばりというものがあまりなく、シャリっという独特の舌触りとともに、ふわっと溶けてなくなっていった。不思議な食感だけれど、それがけっして嫌ではない。
そして、口の中いっぱいに新鮮なミルクの濃厚な香りと卵の風味が広がる。余計なものを加えないやさしい甘さが心地よく、抜群の口どけの良さも相まって、さっぱりとしながら後をひく、いくらでも食べ続けてしまうような美味しさだった。
初めて食べるのだから、なつかしいはずがないのだけれど、それでも不思議となつかしく感じる。
その味わいは、まさに『昔なつかしアイスクリン』だった。
つづく