第一章 ビスケットサンド その一
☆ごあいさつ
はじめに、この小説を手にとっていただき、ありがとうございます。
この物語は、筆者が過去に体験した不思議な現象をもとに創作した架空のお話です。非常に都合よく物語が展開し、最終的にはなんとかなってしまうようにできています。物語を鵜吞みにせず、現実世界ではいわく因縁のある場所や物への接触はなるべく控え、おまじないや儀式等の行為は、用法・用量を必ずお守りください。
また、りんこたちは世界を救いませんし、人助けもあんまりしません。幽霊や妖怪を倒すこともないし、困った事態を解決したりもしません。ただひたすらに、慌てて、騒いで、驚いて、目を丸くするだけ。どんなに怖い目にあったって、帰り道のコンビニで大好きなアイスクリームを買って食べれば、それで満足なのです。
そんな彼女たちと一緒に、美味しいお茶とお菓子をいただきながら、不思議な世界をお楽しみいただければ幸いです。
春 花の咲きの盛りの山辺には、風吹き渡りて跡なく散りゆくがごとく
秋 円かなる月の夜の美空には、雲わき出でて爽けき光を覆うがごとく
ことに世は常ならず 人の命も今日ありて明日は知れずというなり
昼下がり。
教師が読み上げる、なんとなくわかるような、わからないような、とても風流そうだけれど興味を引く以上に眠気をさそう呪文のような言葉を耳にしながら、全身でやわらかな日差しを感じている。
窓の外に目をやると、ひらひらと風に舞う薄紅色の花弁がこれまた目に心地よく、肩口で揃えられた髪がそよそよとやさしくなびく感触とあいまって、よりいっそう瞼を重くさせた。
遠く、街並みの向こうに見える山々の上には、どんよりとしたねずみ色の雲がたちこめ、気まぐれな風向き次第ではやがて雨になるかもしれない。
「見納めかな、さくら」
りんこはほんの少し唇をとがらせ、誰にともなくつぶやいた。
本日の全課程の終了を告げる鐘の音が響き渡る。
教室のあちらこちらで、皆いちように背伸びをし、脱力したようなため息がもれ聞こえた。
「りんこちゃん、また明日」
笑顔で手をふる隣の席の少女に、笑顔で返す。
続けて数人と同じような他愛もないやり取りを交わしてから、りんこはようやく自分の帰り支度を始めた。
真新しい革鞄の中身を丁寧に確認し、机の中をのぞき込む。忘れ物がない事を確かめると、席を立とうと手足にちからを込めたところで、再び声をかけられる。
「またなー、ちゃんと牛乳のめよー」
まだ不慣れな新しいクラスのなか、中学校から良く知る数少ない男子生徒の声が教室に響いた。その無遠慮な声に、ほかの生徒たちの間で押し殺したような笑いがもれた。
「うん、ありがとう。またね」
なかば袖にかくれた小さな手をかるくあげ、目を細める。男子生徒があわただしく立ち去ったのを目で追い、ほかの目もない事を確かめると、ひとこと。
「よけいなお世話だっつーの」
んべっ、と赤い舌をのぞかせた。
その時、教室の入り口から視線を感じ、あわてて舌をひっこめる。
瞬時に、いつもの涼しげな表情に戻ると、内心の動揺などおくびにも出さずに、両手で革鞄をからだの正面に提げ、足をそろえて、小首をわずかに傾けた。
そして、視線の主を視界におさめると、わずかに安堵する。
「なんだ、れいちゃんか」
ぶしつけな物言いだが、声にも表情にもどこか嬉しそうな響きがあった。
「……おわった?」
れいちゃん、と呼ばれたのは、一目で強く印象に残るほど背の高い女子生徒だった。あまり手入れの行き届いていない黒髪を無造作に腰あたりまで伸ばし、幾筋も垂れる前髪の間から青白い肌をのぞかせる。小柄で、どちらかと言うとはつらつとした印象のりんことは様々な意味で対照的だった。
りんこは、れいちゃんに手を振りながら駆け寄ると、廊下に出て並んで歩き始めた。
りんこの友だちである「れい」という少女。
実は、このれいというのは本名ではなく、りんこが彼女につけた愛称である。その由来は本人にとっては甚だ不本意なもので、普通であれば悪口ととられても不思議ではないものだった。
それでいながら、本人を不愉快にさせることなく、いつの間にか親しくなってしまうあたり、りんこのどこか特殊な人間性のなせるわざと言えるのかもしれない。
れいは、スラリと伸びた長い脚を無造作に大きく投げ出し、くたびれたベンチの背もたれに身体を預けると、紙製のカップに入った琥珀色の液体をあまり上品とは言えない音をたてて、ひと口すすった。
しばしカップを眺めたあと、ほぅ、と吐息をもらす。
通学ルート上にある唯一のコンビニエンスストア。
幼いころは、当時の店主である老婆と同じくらいの歴史を感じさせる、なんとも慎ましい個人商店だったのだが、今では昼夜を問わず煌々と明るく、無いものは無いと思わせるほどの品揃えを誇り、あまつさえ国籍がよくわからない若者が店番をする近代的かつグローバルな商業施設へと変貌を遂げていた。
周囲を見渡すと、ぬけるような青空と田植えを間近に控えたのどかな田園風景が広がり、ひび割れたアスファルトの道がどこまでも続いていた。まさに絵に描いたような、模範的な田舎の景色である。
ここに腰をおろした時点では熱くて口をつけるのも躊躇したコーヒーが、すっかり飲みやすくなっている。
あの子はまだ悩んでいるのだろうか、と少し首に負担のかかる姿勢で店内に目をやると、軽快な電子音と、お世辞にも流暢とは言えない日本語でのお礼のかけ声とともに開いた自動ドアの奥から、件の少女りんこが姿を現した。
通りすがりの他人に同学年だと訴えても、にわかには信じてもらえないであろうほど体格差がある2人の少女。
同年代の少女より明らかに背が高い れいの隣に、おなじく明らかに小柄なりんこが腰をおろす。
れいが脚を大きく投げ出して座る横で、りんこは足をぷらぷらと揺らしていた。この光景を見る限り姉妹どころか母子に見られても不思議ではないだろう。
淹れたてのコーヒーが適温になる程度の時間を待たせていた友人に謝るでもなく、りんこは買ってきたばかりのアイスクリームの袋を嬉しそうに開けていた。
「それで、けっきょく何にしたの?」
それほど興味もなかったが、待たされた原因の結果を確かめようと傍らの少女に問いかける。
「んー、抹茶のモナ王」
「めずらしいね。食べてるのあんまり見たことない」
りんこは、「そぉ?」と小さく首を傾けながら、れいに視線を送った。身長差があるため自然と上目遣いになり、その仕草は同性のれいから見ても、とても愛らしかった。
「れいちゃんはコーヒーだけでよかったの?」
「ん。モナ王ひと口もらうし」
「えー、ひどくない? ……いいけど」
りんこが可笑しそうにころころと笑う。
モナカをひとかけら、ばりっと手折ると、れいに差し出した。断面からのぞく抹茶アイスの薄緑色がとても爽やかだった。
「おいし?」
りんこが小首を傾げてたずねた。
「ん。まあまあ」
「そこはおいしいって言いなよ」
「じゃあ、おいしい」
「ふふ、よろしい」
なんとも他愛のないやり取りだ。
れいは、普段からあまり感情や表情に起伏がない。それに対して、りんこは感情表現がとても豊かで、目まぐるしく変化する表情は見る者を飽きさせない。
「今日はねー、緑がラッキーカラーなんだって」
制服の袖に隠れた小さな手で、やたら大きく見えるモナ王をしっかりと持ち、はむはむと忙しなくかじりながら りんこが言った。
それで今日は抹茶なのか。
いちおう、ちゃんと選択した理由があるんだ。
「やっぱり制服のサイズ大きすぎない?」
少し呆れたようにれいは言った。
明らかなオーバーサイズ。セーラー服の袖は長すぎて手がほとんど隠れてしまっているし、丈も長すぎる。まるで、漫画などでたまにある身体が小さくなる薬を飲まされたようだった。それでも、スカート丈はひざ上を固持しているのには素直に感心する。
「すぐにちょうどよくなるし」
モナ王をパクつきながら、さも当たり前のように答える。
「中学の時も同じこと言ってた」
たしかに言っていた。しかし、残念ながら卒業写真に写る姿は、入学式の記念写真とまったく変わっていなかった。
「高校では伸びるよ」
その自信はどこから湧いてくるのか。
「来年には、れいちゃんと同じくらいになってるかもね。いや、もっとかも」
にしし、と笑う。
いや、さすがにそれは伸びすぎだろうと思ったが、そのポジティブさは称賛に値する。
「背も伸びるし、おっぱいも大きくなる」
本当にその自信はどこからくるのか。
あまりのドヤ顔に呆れてしまった。
「そんなにいいものじゃない。背もおっぱ……胸も」
ため息まじりにそうつぶやいた。
れいは背が高く細身のわりに、出るところは出ている。特に胸部に関しては「豊満」と表現しても差し障りないだろう。だが、当の本人はそれらを好ましく思わないどころか、鬱陶しく思ってすらいた。
「服のサイズは見つからないし、重くて肩こるし、走ると痛いし」
デメリットをあげ始めればきりがない。
「でた。巨乳あるある」
いつの間に話題が身長から胸のサイズに移ったのか。りんこはジト目で唇を尖らせている。
「れいちゃん。たとえばだけれど、男の子ってみんなバッキバキに割れた腹筋に憧れるでしょう?」
みんな、と言うのはどうかと思うけれど。まあ、そういう人も少なくはないだろう。
「それと同じで、女の子はみんなたわわなおっぱいに憧れるの」
それはどうかなあ。なんとも判断に困ってしまう。制服のサイズに触れたのは失敗だったかもしれない。いわゆる地雷というやつだ。
「そう言えば、ラッキーカラーとか気にすんだね」
なんとなく話題を変えたくなって、少々強引にきりだした。こちらにもそれほど関心はないが、たわわとやらよりは良いだろう。
「女の子なら気にするでしょ」
これまた断言。だんだん自分の常識が疑わしくなってくる。
「赤いものとか、黒いものは嫌い。赤って、怒っている色じゃない? 黒はなんだか怖い感じがするし。れいちゃん、よくそんな真っ黒なコーヒーとか美味しそうに飲めるよね。りんこはコーヒーとかぜったい無理だなー」
驚いた。感性が独特すぎる。
この子はコーヒーが黒いから飲めないのか。苦いからではなく?
「また難解なことを言うね。じゃあ、イチゴは?」
「イチゴは大好き! イチゴは怒っていても美味しいでしょ、ぜったい」
なるほど。コーヒーもたぶん苦いから飲めないのだろう。
そして、れいはもうひとつ驚いていた。
りんこの感性は独特だけれど、けっして間違ってはいない。
赤は怒っている色。
黒は怖い色。
ある分野では、それは極めて正しいとらえかただった。
れいは、りんこのうしろ、少し離れたあたりの虚空を見つめる。
(そんなに睨まないでよ)
アイスを食べたせいではなく、背筋にひやりと冷たいものを感じた。のどが渇き、耳鳴りがする。
隣でりんこが何か話しているが、あまり聞き取れなかった。
―――その時、近くで大きな音が聞こえ、我に返る。
直前まで感じていた巨大な重圧は瞬時に掻き消え、全身から汗がふき出した。
2人の目の前を、パトカーと救急車が緊急走行を知らせるサイレンを鳴らしながら通り過ぎて行った。
「なになに? 事故かな?」
りんこが立ち上がり、緊急車両が向かった先を見ようと小走りにかけていった。
サイレンの音が鳴り響く空は、先ほどまでの青空が嘘のように、どんよりとした暗い雲で覆われ始めていた……。
つづく
【りんこ☆スイーツコレクション】
ロッテのモナ王。
モナカアイスのジャンルには、森永製菓のチョコモナカジャンボという最強の帝王が長年にわたって君臨している。
ロッテは、そこにあえて「アイスモナカの王道」という名を冠した商品を投入した。奇をてらわないシンプルな味わいとし、ボリュームと満足感、コストパフォーマンスを重視したモナ王は、モナカアイスのスーパーカップともいうべき存在で、人気を博している。