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灯火を




「姫さま。」


 遠慮がちな女房の声がして、御簾がこちらを見えぬ程度に上がり、丸い高杯(たかつき)がすっと差し出された。


「少しでもお召し上がりくださいませ。」


 高杯の上には色とりどりの“ふずく(菓子)”が並べられている。


「ありがとう。」


 私の返事を聞くと安心したかのように、また御簾が下げられ、女房の気配が消えた。気を利かせて下がってくれたのだろう。


 私はゆっくりと視線を部屋へと戻す。

 視線の先には(しとね)の上で2度と会えないと思っていた想い人が浅い息をして横たわっていた。

 そっと近くに寄り手を握る。その温もりがまだこの世に彼が存在している証のような気がしてほっとしたが、食事をとることすらできなくった最愛の人の手は幼き日に手を繋いで駆け回った頃のようには生気には溢れておらず、その年齢には見合わない骨と皮ばかりに姿を変え、私の心の奥は絞られたかのように切なくなった。


「.........ん...。」


 そっと握ったつもりが変わり果てたお姿に心が痛くなり、つい軽く握りしめてしまったからだろうか、顕頼様のまぶたが小さく震え、ゆっくりと開く。


「......音緋向姫。」


 私の名を掠れた声で呼んで、慈しむように顕頼様は微笑んだ。

 彼からの愛しい者に向けるような視線に私の罪悪感はずきりずきりと心の中で主張し、彼が目覚めたらかけようと思っていた言葉すらどこかにいってしまったかのように口から紡ぐことができない。


「そう悲しい顔を...しないで。

 私は...ここに来たことを、あなたが、それを...望んだことを、とても嬉しく思って...いるのだから。」


 ただただ心苦しい思いで見つめる私に、力の入らない右手をなんとか持ち上げて、顕頼様はそっと私の頬に触れてくださった。


「でも、私は顕頼様の未来を奪ってしまったのですわ。」




 ーー道長様に文で訴えたとしても、顕頼様には2度と会うことはできないと思っていた。彼が病を回復しても私とは違う人生を歩むものだと。


 だけど、文を書いた2日後、顕頼様はこの屋敷に移られた。

 私はその日、透渡殿(すきわたりどの)舎人とねりに付き添われながら、こちらへと渡ってくるのを......いえ、すでに意識はあるのかないのかわからないほど遠目にもわかるほど病が進行してしまったのでしょう。舎人に身を抱えられながら、東の対である私の部屋へと移られてくる顕頼様のお姿を御簾の隙間から信じられない光景を見るかのように見つめていた。


 そして顕頼様がこの屋敷にやってきて今日で3日目。

 おいでになったその日には、お疲れになったのかそのまま意識が戻られることはなかったが、次の日の夕刻、彼は意識を回復し、心配そうに見る私の前で、ほんの少し粥を口に含んでくださった。私に「自分は大丈夫だ。」と安心させたかったのだろう。


 それからまた意識を失い、また意識が戻ると私の前で粥を一口含み、そしてほんの少し会話を交わすと彼はまた再び意識を失ってしまうのを繰り返している。


 彼が意識を失うたびに、このまま再び目覚めないのではないかという焦燥感にかられてしまう。

 だから、この世に彼が存在することを確認したくて眠りにつく彼の手を自然と握るようになっていた。

 


ーー今もその癖でつい握ってしまっていた。


 勝手に顕頼様のお身体に触れたことを申し訳なく、またそのことにより自身が彼の容態に不安をいだいていることを聡い顕頼様に勘付かれてしまったことに狼狽えていた私の頬を力無い手付きで顕頼様が優しく撫でた。


「私が道長様に文を書かなければ、顕頼様はここに来ることはなかったでしょう。そしてお元気になられたら......どなかたかとご結婚されて再び主上にお仕えするはずだったのに。

 私の我儘でこんなことに。」


 私の目から熱い何かが滴り落ちた。

 自分はあさましい。

 自分の勝手な気持ちで彼をそばに置く。

 なのに、そうなってしまったことに後悔はしていない自分がいるのだ。


 どうしても失いたくなかったの。

 幼き頃から変わった姫だと周囲が言う中で、彼だけは私を一度も否定しなかった。

 そんな彼を誰にも奪われたくはなかった。

 道長様にも。彼の命を連れ去ろうとする運命にも。

 

 自責と自嘲に苛まれる私を見上げて、顕頼様がふっと笑った。



「典薬寮が...匙を投げたのですよ。

 その後は...、病を悪霊のせいだと...部屋に...閉じ込められ、加持祈祷の...毎日。

 音緋向姫(あなた)が...私を...ここに呼んでくれなかったら、私は...こうやって中庭の風すら、感じられず、何よりあなたの声も二度と聞くことすら......できず、儚くなっていた...でしょう。」



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