空色に舞う
髪は美しく長く、歩みは遅く、顔は扇で隠し、異性とは几帳を張り巡らせ女房越しに話せ、と。
だったら、私の存在ってなんなのだろう?
皆一様に長い髪が良く同じ髪型をするならば、ここにいるのは私でなく、同じ髪型の他の人でも良いのでは?
例えば、庭先に可愛い猫がいると女房達が騒いでいる、なのにゆっくりと歩きすぎたらその愛い姿を私は見ることができないかもしれないわ。
顔を扇で隠すのはまぁ譲歩しても、几帳を幾重にも張り巡らして隠す必要があるのかしら。張り巡らせる女房達の大変さを考えたら一枚、二枚で良いのではないかしら。
「と、私は思うわけなのよ。」
「相変わらずですね。あなたは。」
ーーーそう言って貴方が微笑んだのはいつの日のことだっただろうか。
きっと顕頼様がまだご自身の足で立たれ、私や兄上達と顕頼様のお住まいである土御門殿の庭で走り回って遊んでいた幼いころの記憶だろう。
桜舞う中を時を忘れて駆け回り笑い合った。
今思えばあの時私の視界に映る全てのものは輝いていた。
そして私たちは成人した。
私と兄上達、顕頼様の間には薄いはずなのに分厚い几帳が世界を分けてしまうようになった。
独身である私は滅多に庭先に出ることを許されなくなり、兄上達は出仕に忙しく、私はただ1人日がな一日、部屋の奥から小さく見える空とその下につながる景色をぼんやりと眺めているばかりだ。
顕頼様に私の悲しみが女房越しに伝わったらしく、彼は私に文をくれた。空色の料紙は大切に文箱に収められていて、取り出す際にほのかに草花の香りがした。
それはまるであの輝いていた毎日を思わせるような色と香りで。
私は嬉しくなり、すぐに顕頼様に返事を書いた。
そしてその日から私と顕頼様は、毎日のように文を交わすようになったのだ。
側から見ると、まるで恋文を交わす若い男女のよう。だけど、その実はとりとめのない日常の日記のような内容の文であった。
そして季節が巡るごとに、文箱は折枝に変わり、花の香りはお互いが使う香を焚きつけたものへ、文の内容は日々の出来事から、お互いを思う歌へと変わっていった。
顕頼様は年上であるということもあるが、大人びていてあまり感情を出さない方であったが、秋の満月の夜に、『貴方が月を見て、月が貴方を見ているというのに、私が貴方の姿を見れないのはとても辛いことですね』という内容の歌をもらったことがあった。
満月に嫉妬する顕頼様に思わず口元が綻び、すぐに返事を書いてススキに結びつけて、返歌を送った。
『私が月を見ているのは、その月に照らされている貴方に想いを馳せているからです。風に揺れるススキのように、こんなにも揺れ動く心は一体誰が鎮めてくださるのでしょうか。』
そんな歌を書いた料紙を結びつけたススキを私の一の女房が、顕頼様の使いの者に渡しに行く様子を見ていたが、どうもいつもの使いの者とは違う者が来ていたようで、一の女房が慌てて低頭している。
誰か位の高い方が戯れに使いを代理したのであろうかと、不思議に思った私は、扇で顔を隠しながら、御簾をたくしあげ蔀近くまで来てしまった。
そして月明かりの中、その使いの者はゆっくりと庭へと歩いてくる。
一の女房が止めに入らないということは危険な人物ではないということだろう。
一体、誰?そう思ったとき、池泉にかけられた橋の中央まで来たその者の姿を月の光が照らした。
「顕頼様......?」
そう、その使いの代理の者は顕頼様ご本人だったのだ。
私に気付いた顕頼様は中島にかかる橋の上で微笑むとさっと舞を舞って下さった。
月に照らされ舞う顕頼様の美しさに、私はただただ息を呑んで見つめ、それはまるで時が止まったかのような一時だった。
それから何度文を交わしただろうか、美しい花を女房が見つけて部屋に飾ればそれを一房もらい文に添え、珍しい色の料紙を兄上が見つけてきてくれれば嬉々として顕頼様に歌を送った。
顕頼様は屋敷から出ることのできない私のために時には貝合わせに使って欲しいと珍しい貝殻を、鷹狩りに出かけた際には山にしかない木の実や葉を添えて文を送ってくださった。
そんな幸せな時間がずっと続くと思っていたのに。
「顕頼様が病に?」
目の前にいる一の女房は青褪めてがたがたと肩を震わせ、母上付きの普段は北の対にいる女房達も皆一様に青褪めて口元を袖で抑え、「おいたわしや。」「なぜかようなことに。」と嘆き伏せっている。
おかしいとは思っていた。
最近は交わす文が一日おき、ニ日おきとなりしだいに数が減ってきていた。
初めは仲睦まじくなればそんなものなのかと気にしてはいなかった。そして減っていく文の数に出仕の忙しさを心配したりもした。
他に気になる姫でも?とも思いもした。中小貴族の私の家よりも、大貴族である顕頼様には、ふさわしい姫との縁談が持ち上がってもおかしくはない。
でも、時折届く顕頼様の文には以前と変わらない想いが綴られていた。
そしてある時、私は違和感に気づいたの。
顕頼様の達筆であった美しい文字が、手元が定まらないかのように乱れてきていることに。
だから、顕頼様のご病気のことを聞いてもさほど驚きはしなかった。
「病のせいだったの......。」
「音緋向の姫さま......。」
呟く私に、一の女房が眉を寄せて何か言いかけたが言葉に詰まり黙り込み、再び静寂が訪れた部屋には、女房たちのすすり泣きだけが、ただ、ただ響き渡っていた。
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