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十字架

作者: 鰯田鰹節

十字架


 今日からあなたのプールはここですと言われた。

「毎日泳がなくてはいけません。それがあなたの仕事です。」

逆光で、彼女の表情は見えなかった。

「シスター。でも、メニューがありません。何を泳げばいいんですか?」

「ご自分で考えなさい。」

静かな声で告げると、シスターはクルッと背を向けて、あっという間に消えてしまった。

 5月の日差しは強くても、夕方に水着1枚でプールサイドに立つのは寒い。ビュッと風が強く吹いた。瞬間、私の髪を束ねていたゴムがプツッと切れた。パラッと髪の毛が舞った。

 よく手入れのされたプールだった。ただし、長方形ではなくて、十字架の形をしたプールだった。私は道具を取り出して、泳ぐ準備を始めた。


 プールは、水深が3メートルもあった。通常、深さは1.2メートルだから、その倍以上ということになる。もちろん足はつかないし、コースロープもない。

 私は、フィンを履いて泳ぐことにした。フィンは筋力を使うが、浮力が上がる。今の私が向こうまで泳ぎ切るには、これしかないと思った。

 水温計を引き上げて確認すると、28度だった。ここのところ、晴天が続いたから、水温も上がったのだろうか。手を入れると、確かに生ぬるかった。ただ、最深部はどうだろう。

 フィンを履いたまま、飛び込んだ。ドルフィンキックを3回打って、そのままフリーで泳いだ。フリーとは、クロールのことだ。

 そろそろ、25メートルかなというところでクイックターンをした。25メートルの感覚は、体に染み付いている。だから、ターンはバッチリ決まった。私は、これを何度も何度も繰り返した。


 真夏になって、朝から晩まで泳げるようになる頃には、仲間も増えた。シスターは、どこからかわからないが、私みたいな子どもを後から後から連れてきた。今は、私を入れて5人で、プール管理もしている。

 プールの真横には、低めの飛び込み台があった。建設は途中までだったようだ。飛び込むための飛び板がない。半端なところで鉄骨が剥き出し、工事が終わっている。

 私たちは踊り場の日陰に集まって、よく話をした。

「バッタのリズム、良くなったね。」

「重心を前にする練習を入れようか。」

「残留塩素、0.7だよ。いい感じだね。」

 日が昇ってから暮れるまで、かわるがわる、私たちは泳ぎ続けた。

 必要なものは、たまに訪れるシスターに伝えれば、たいてい買ってもらえた。フラットブイや、ゴムチューブを購入した。

 だが、コースロープとフラッグは、なぜだが、絶対に買ってもらえなかった。


 ある日、メニューに悩んでいると、

「みんな、あなたに救われてるよ。」

と後ろから声をかけられた。私たちは、互いの名を知らない。もとより、名前を持っていない。

「こうして、毎日、目的に合わせてメニューを作ってくれるから、助かってる。面と向かって言わなくても、みんな、感謝してる。」

 私たちには、得意種目がない。4種目、すべて、一律に正確に泳げるようにならなければいけない。得意種目を作ってはいけない。そう、シスターから言われている。

 均一に泳げない場合、シスターがやってきて、別のプールへ連れて行かれるらしい。今のところ、誰も連れて行かれてない。

 私たちは、こまめに互いの泳ぎを見合い、弱点を指摘し合っている。克服できるよう、メニューを作っている。

 始めは少し差があった私たちの泳力は、今や、ほぼ等しくなった。

「よかった。自分がやってること、本当に正しいのかなって、時々怖くなってたから。」

 私は、ノートパソコンのメニュー表に『3strok 1breath』と打ち込んだ。3回腕をかいて1回息継ぎをすれば、フリーの場合、左右交互に息継ぎすることになる。

「右左右。左右左。」

左右均等な泳ぎをするための練習だ。


 ー 均等

 ー 均一

 ー 一律

 ー 平等

 ー 公平


 私たちは、ただただ、この十字架の中で『等しく』在ることを求められている。出る杭も出ない杭も、存在することは、決して許されないのだ。

 


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― 新着の感想 ―
[一言] 不思議な世界観に惹かれました。 何故主人公はここに来たのか、シスターのねらいは何なのか、平等に泳げない子ども達はどこに連れていかれてしまうのか、そして――この日々はいつまで続くのか。 謎が謎…
[一言] ただ泳いでるだけなのに、ディストピアみたいな世界ですね(^-^; 別のプールへ連れていかれたらどうなるんだろう?
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