8.売られた聖女は謁見する
庭で陛下とお会いしてから数日。
ようやく陛下との謁見が整った。
私は実家から持ってきた礼装を着て謁見の間に向かう。
ドレスは私の瞳にあわせた薄い藤色を基調に白色も取り入れた装いだ。
実家で父と母に作ってもらった物だった。
白いレースもふんだんに使用されていて、上品に見えつつも豪華で、陛下との謁見にも耐えうる品だ。
エヴァンデル王国から共に戻った使者様と共に謁見の間に入る。
通路の横には、この国の大臣や重役に就く方々が居並んでいた。
奥の玉座には、先日睡蓮の庭で話をしたばかりのフェリクス陛下のお姿が見える。
今日も軍服をお召しのようだ。
その上に金糸と白い毛皮で飾りのついた濃い青のマントを身につけておられる。
こちらを見つめるまなざしはまっすぐで、彫りの深い顔には少しだけ憂いがにじんでいた。
謁見の間に差し込む光が金色の髪を輝かせ、まるで神話の軍神が抜け出してきたようなお姿だった。
私はいくつもの視線の中を使者様と共に玉座の前まで進み出て、休んでいる間に教わっていたこの国の作法通りに一礼する。
そのまま顔を伏せていると、すぐに頭上から声がかかった。
「顔をあげよ」
言葉の通りに顔を上げると、フェリクス陛下と目が合った気がした。
すぐに真面目な顔に戻されてしまったけれど、私をみとめて一瞬だけ目元をやわらかく緩め、微笑んでくださる。
「発言を許す」
陛下が言うと、まずは使者様が口上を述べる。
「エヴァンデル王国から、かの国で六年もの間、聖女のお役目を務め上げられ、浄化の使い手でもあるセシーリア・ロセアン様をお連れ致しました」
「大儀であった」
使者様をいたわったフェリクス陛下が私に視線を向ける。
「セシーリア・ロセアン嬢。
はるばる遠いところをよく来てくれた。
そして、到着早々にも関わらず私に施してくれた治癒の技はさすがとしか言い様がなかった。
女神の加護の厚いエヴァンデル王国とは違い、この国に女神の御手はほとんど届いておらぬ。
私以外にも瘴気で苦しんでいるものは多い。
まれなる力を持つそなたに、どうか今後もこの国の力になってほしい」
「この身で、できうる限りお手伝いいたします」
私はそのために呼ばれたのだ。
背筋を伸ばして答えると、フェリクス陛下が続ける。
「ロセアン嬢の実力はこの身をもって知っている。
頼もしい限りだ。細かな話などは、宰相と詰めてほしい」
「かしこまりました」
あっさりとした謁見だが、この場には陛下の他にも大臣などの立場のある方も出席されている。
このやりとりをもって、私は正式に客人としてフェーグレーン国に迎え入れられた。
その日の午後、私は宰相様の執務室に呼ばれた。
午後の日差しが窓から入り、室内はとても明るい。
窓を背に木でできた大きな机が置かれている。
机の手前には、ローテーブルとソファもおかれていて、私はそちらへ案内された。
滞在している部屋まで迎えの方が来てくれたので、マリーは部屋に残っている。
「どうぞ、おかけになってください」
「失礼いたします」
私が着席したところで、トルンブロム宰相も正面に置かれたソファに腰を下ろした。
宰相の後ろに、ここまで案内してくれた方が黙って立つ。
秘書みたいなお仕事をされているのかもしれない。
「お会いするのは、ご到着された時以来になりますね」
「そうですね」
トルンブロム宰相の長い金髪は、今日も後ろで一つにくくられている。
人当たりのよい柔らかな笑顔を浮かべているが、それがかえって何を考えているのか計り知れないという印象を受ける。
「こちらでの生活にご不便などないですか?」
「はい。おかげさまでつつがなく過ごすことができています」
「侍女ともうまくやれているようで安心しました」
マリーと一番打ち解けることができているが、他に来てくれている侍女とも親しくなってきている。
「では、本題に入りましょう。
この国は、陛下の件以外にもロセアン殿のお力を必要としています。
都度、ロセアン殿のお力をお借りすることになると思いますが、もしその中に対処が難しいものがありましたら、遠慮なくおっしゃってください。
ロセアン殿のお力はお借りしたいですが、そのために先日のようにそのお命を危険にさらしてまで助けを得たいとは思っていませんので」
フェリクス陛下の浄化で倒れたことを言われ、私は頷きながらも反論を返す。
「わかりました。先日の件は、私の見込みが甘かったと反省しております」
「お願いします。ロセアン殿を損なえば、エヴァンデル王国との国際問題になりかねません」
そのような可能性は低いと思ったけれど、反論する根拠もないため頷いておく。
おそらくこのトルンブロム宰相も、私が国外に出ることになった経緯はもう把握しているだろう。
建前上の言葉だと受け取っておく。
「そして、ロセアン殿のお働きに対する報酬に関してです。
まず衣食住に関しては、王宮が負担します。
あぁ、もし今の部屋にご不満があれば部屋替えもいたしますが、いかがされますか?」
「不要です」
こちらも、遠慮ではなく、今の部屋は気に入っている。
「給与に関しては、こちらの額面を毎月。
この国の筆頭医師の扱い、とお考えください」
見せられた紙面に、軽く目を見張る。
思っていた以上に高い金額だった。
そもそも、給与が支払われると考えていなかったのだ。
「ご不満が?」
「いえ、ただ、このような高額を頂いてよろしいのかと……」
眉を寄せるトルンブロム宰相に、言葉尻が消えていく。
「エヴァンデル王国の聖女には、報酬はないのですか?」
「聖女は、いずれ王族の一員となり、国を守るための義務をもちますので、報酬は出ないという形になっておりました」
破棄されてしまったけれど、そういう意味では王太子との婚約は報酬だったのかもしれない。
「そうですか。ですが、このフェーグレーン国では、労働には対価が払われるべきという考えでおりますので、御了承ください」
「はい」
「代わりに、たくさん働いてもらいますから、覚悟されてくださいね」
「わかりました」
宰相は、手に持った紙をめくる。
「早速ですが、ロセアン殿には、まずは王宮の騎士団にも先日の陛下と同じような癒やしの技をふるって頂きたいと思っています。
騎士団のメンバーは、即位前の陛下と共に、長い間辺境で瘴気に触れています。
浄化や治療が必要な者に手当てをお願いします」
「わかりました」
「念のためにいいますが、陛下の時のように、一気に行う必要はありません。
人数も多いですし、適度に休みを取りながら治療を行ってください。
休日の間隔も王宮の医師と調整して設けていますが、万一、そのペースで体調を崩すようであれば、調整するので教えてください」
念押しされ、この宰相様はどれだけ私が無理をするのだと思っているのだろうと思いながら頷いた。
陛下の件は急がなければ危ないと思ったから無理をしたけれど、普段は私だってそんなに無理をしたりしない。
「それと、私は毎日ロセアン殿についているわけにはいきませんから、休日以外は毎日こちらの事務官のエーリクをつけます」
先ほど客室に迎えに来てくれた黒髪のエーリク氏は、優雅に一礼する。
秘書だと思っていたけれど事務官だったのか。
目が合うと、ニコっと笑ってくれる。
優しそうな人だ。
「私からの連絡や、こちらからのお仕事のご連絡は彼を通して行うことが多くなるでしょう。
それでは、今日話した内容はこちらの書面にまとめておりますので、相違がなければサインを頂きたく思います」
そして、私は渡された書面をその場で読んだ。
話に聞いた内容と相違がないかよく確認し、サインを行う。
「それでは、これからよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
お互いに挨拶を終え、私は退室を切り出そうとしたところで、トルンブロム宰相から声がかかった。
「ロセアン殿」
「はい」
宰相を見ると、トルンブロム宰相は私をまっすぐに見つめ、エヴァンデル王国風の礼の姿勢をとった。
「陛下を救っていただき、ありがとうございました。
この国の宰相ではなく、私個人として、礼を言わせて頂きます」
トルンブロム宰相は体を起こすといつもの様子にもどった。
しかし、よく見るとその耳は赤く染まっている。
照れているのだ。
私が驚きに固まっている間に、宰相は続ける。
「引き止めて申し訳ありませんでしたね。エーリク、ロセアン殿を頼んだぞ」
「はい」
そして、宰相は先程の様子が嘘のようにもとの調子に戻った。
そのうえ返事は不要とばかりに、有無を言わさず扉の外まで促される。
客室への帰り道、宰相の最後の行動はどういうことだろうと考えていると、エーリク事務官が口を開いた。
「宰相閣下はむかし、陛下の家庭教師をしておられたそうです」
「そうなのですか?」
家庭教師というには、トルンブロム宰相の見た目は若い。
もしかして、見かけよりも年長の方なのかしらと思っていると、エーリク事務官が続ける。
「私は直接見聞きしていないのですが、先王陛下の時代、この国では戦争に反対するような人から戦場に送られていたそうです。
陛下のご兄弟もすでに戦場に立たれており、ここは閑散としていたと聞きます。
そんな状況ですので、当時、まだ幼かった陛下の家庭教師のなり手もなかなかおられず、兄上のご学友でもあり、首席で学院を卒業された宰相閣下が、先王陛下から指名されたそうです。
その時から、お二人はとても親しくされていたと聞きます」
「難しい時代を、共に過ごされたのですね」
「そういうことです」
ここに到着し最初にお会いしたトルンブロム宰相は、丁寧だけれど、どこか探るような含みを持った態度だった。
どうしてだろうと思っていたけれど、今の説明で少し納得できる。
つまり、トルンブロム宰相はフェリクス陛下のことを大事に思われている、ということだろう。
ふと、気になったことを思う。
「エーリク事務官は、どうしてそれを私に伝えてくださったのですか?」
「宰相閣下は少々誤解を受けやすい性格をされておりますので、余計だったかもしれませんが、僕が気を回しました」
エーリクの言葉に嘘は感じられなかった。
フェリクス陛下とトルンブロム宰相、そしてトルンブロム宰相とエーリク事務官は良い関係を作っているのだろう。
そうしている間に、滞在している客室の扉が見えてきた。
「お部屋につきましたね。それでは、明朝、お部屋にお迎えに参ります」
「よろしくお願いします」
そこで、エーリク事務官とは別れ、私は明日の準備をすると、早めに休んだ。