5.売られた聖女は療養する
気がつくと、見覚えのない部屋の寝台に寝ていた。
趣味の良い調度が置かれ、窓には薄いカーテンがかけられている。
窓から差し込む光から、お昼に近い時間帯だろうとわかった。
(私、どうして……)
そこまで考えてはっとした。
(こちらの国王陛下の治療をしていたのに。瘴気は払えたと思うけれど、治癒の術を使ったところまでしか記憶がないわ)
体を起こしたところで、部屋の扉が開き、お盆を手にした侍女が顔を見せた。
「聖女様。お目覚めになられたのですね」
「あの……?」
「医師をお呼びしますので、そちらで少々お待ちください。こちらをどうぞ」
侍女は、水差しとコップを寝台の側に置かれた机に置くと再び扉から出ていく。
喉が渇いていたから嬉しい気遣いだった。
水をいただき、ベッドの上で辺りを確認していると、侍女は帰ってきた。
寝台の上に起きあがっている私を見ると、羽織るものを準備してくれる。
「これは、着替えも、あなたが?」
思い当たったことを尋ねると、侍女は頷いた。
「僭越ながら、私がいたしました」
「そうなのですね。ありがとうございます」
侍女は、名をマリーというようだ。
茶色の髪に、紅茶色の瞳をしている。
私より少し年上のようだ。
マリーの話によると、ここは王宮の客室の一つで、私は二日程眠っていたようだ。
寝台から少し離れたところに花が飾ってある。
香りが弱いものを選んであるのか、匂いはないが優しい色味の花々に癒される。
そうしてマリーから状況を確認していると、医師がやって来た。
「この王宮で医師をやっておりますパルムと申します。聖女様はどこまで覚えていらっしゃいますか?」
「セシーリア・ロセアンです。
確か、私は陛下の浄化を終え、治癒を施していたはずです。
ですが、それ以降の記憶がおぼろげで――」
「そうですか。それなら、ほぼご記憶されている通りです。
聖女様は陛下に浄化と治癒の術をかけられた後、魔力切れでお倒れになったのです。
もう大丈夫と思いますが、念のため明日までは安静にされてください」
「わかりました。あの、」
「何か?」
いいかけると、パルム医師が『何でも言いなさい』というように頷く。
「私は既に聖女ではありませんので、そう呼ばないでいただきたいのです」
「ですが、私ではどうしようもできなかった陛下をお救いくださったのです。
陛下のご体調については私が相談を受けておりましたが、何をしても陛下をお救いすることはできませんでした。
ご快復なさった陛下の体を診察いたしましたが、あの浄化と治療は見事な物でした。
長年医師をやって参りましたが、あれこそまさに聖女の御業だと思います」
「あの、でも、私」
思った以上のパルム先生の熱弁に戸惑っていると、パルム先生は頷く。
「ですが、『聖女様』とお呼びするのはロセアン様がお嫌なようです。
今後は、お名前をお呼びしましょう」
「お願いします、パルム先生。
それで、陛下のご様子は、もう大丈夫なのですか――?」
先ほど、パルム先生が診察して問題ないとおっしゃっていたけれど、治癒の後最後まで確認するまもなく倒れてしまったので、詳しく伺っておきたい。
「ロセアン様の浄化の後すぐにお目覚めになり、あれから再び倒れられるようなこともなく、お元気に過ごされています。
体内に蓄積されていた瘴気も消え、傷ついていたお体の方も綺麗に治癒されています」
「そうですか。よかったです」
「今は、ロセアン様の方が病人です。
私が診察に呼ばれたときには、魔力がほとんど底をつきかけていました。
ご快復されるまで、ゆっくり静養していただかなくては」
普段使える魔力が尽きても、生命力を削れば魔法を使うことができる。
滅多にできないことだが、あの時はそれに近い状態だったのかもしれない。
素直に頷くと、パルム先生が立ち上がった。
「それでは、くれぐれも、明日まではご安静にお願いします」
そう言い置いて部屋を出て行かれた。
人と話をしたせいか、私は軽い疲労を覚えて、二日も寝ていたのに、また眠ってしまっていた。
次に目が覚めたのは翌日の朝だった。
体を起こそうとしたところで、マリーがやってくる。
手伝ってもらいながら体を起こすと、飾られている花が目に入った。
昨日とは違う種類の花が増えている。
「あの花は、どなたがお持ちくださっているのですか?」
「陛下からです。聖女様へと、お見舞いとして頂きました」
「お見舞い、ですか」
来て早々倒れてしまったのに、こんなによくしてもらって良いのだろうか。
「どなたも治療できなかった陛下を治してしまわれたのです。堂々と、ごゆっくりなさってください」
マリーの言い方が面白くて、自然に微笑みを浮かべてしまう。
「もう体調は大分いいのよ?」
「それでも、先生が本日まではご安静にと言われていましたので」
真面目な顔をするマリーのいうままに頷くと、マリーはほっとした顔をする。
「お食事はいかがなされますか?」
時間的には早いけれど、倒れてから何も食べてなかった。
「食べやすいものを、お願いします」
用意されたものは、野菜をすりつぶして作られたスープで、何日か食べていなかった胃にも優しかった。
それから数日。
体調がよくなった私は時間を持て余していた。
当初、こちらに到着し、翌日に予定されていたはずの正式な挨拶ができていないので、その取り次ぎをお願いしているところだ。
けれど、元気になられた陛下は忙しいようで、なかなか謁見がかなわなかった。
現在は調整中で、準備が整うまでは部屋で待機するように言われている。
こういう時、何か趣味を持っていたらよいのだろうけれど、私には趣味といえる趣味などない。
今までは聖女とエヴァンデル王国の王太子殿下の婚約者としての教育で忙しく、まとまった時間を持つことがなかった。
最初は部屋に置かれていた本棚を見てみたのだけれど、興味が沸いた本は一通り見てしまい、今は主に庭に出ている。
ここの庭は黄鈴花という、黄色く球状の花を咲かせる小さな草が各所に植えられ、その花と調和するように様々な草木が配置されていた。
エヴァンデル王国では、黄鈴花は女神の祝福で生まれたと言われていた。
弱いながらも、あの花自体が浄化の力を持っているからだ。
瘴気を根から取り込み、ゆっくりと浄化していくらしい。
意図的に黄鈴花が使われているのかはわからなかったけれど、馴染みある花を使い美しく手を入れられた庭に心引かれた。
「今日も、お庭に下りられますか?」
「ええ。そのつもりです。今日は西側を見てみたいわ」
「それでは準備をいたします。私もついて行きますが、あまり、奥には入られませんようにお気をつけくださいね」
「まだ朝だから、日傘は不要よ?」
「いえ、必要です」
そういって、マリーは真面目な顔をして日傘を準備してくれる。
マリーは最初は側について、私の知らない花々について教えてくれていたけれど、私が草木の観察に集中しすぎると黙って見守ってくれる。非常に有能な人だと思う。
エヴァンデル王国での聖女教育で薬草に触れたりもしていたので、庭に出るのは楽しかった。
聖女一人の魔力では何かあったときに限界がある。
さすがに医師や薬師といった専門家のように、個々人の症状にあわせて本格的に調合することはできないけれど、一般的な頭痛や腹痛、血止めや軽い瘴気払いの薬は私も調合できるように学んでいた。
「こちらには、つむぎ草が植えられているのね」
今日見て回っている範囲は、白い花が多く植えられている。
つむぎ草は腰程までの背丈で、白く柔らかな花弁が重なる花を咲かせる。
そして何より、薬の材料にもなる。
万能薬とも言われ、花も根も葉も、茎ですら薬の材料になるものだった。
(どこでだって工夫すれば草花は育つし、人も生きていける。私も聖女としては力が足りなかったけれど、できることをして、誰かの役に立ちたい――)
そう考えていたところで、風に乗って人の声が届いた。
「なにかしら?」
あたりを見回すと、いななきと共に黒い馬が駆けてくるところだった。
馬も私を見つけたのか、一直線にこちらにやってくる。
「――ヒヒン」
「ええ?」
驚いている間に黒馬はあっという間に側にくると、速度を落とし、私の前に立ち止まった。
今まで見たことのあるどの馬よりも大きい気がする。
けれど性質は大人しいようだ。
攻撃的な様子はなく、私のことを興味深げに見てくる様子に肩の力を抜いた。
「ロセアン様、大丈夫ですか」
マリーは私と黒馬の間に入ろうと奮闘しているけれど、馬にたくみにかわされていて近寄れないようだ。
「ええ。大丈夫みたい。私のことが珍しいのかしら?」
「わかりませんが、その馬は陛下の愛馬だと思います。
誰か呼びに行きたいのですが、ロセアン様をお一人にするわけにはいきません。
きっとすぐ誰かいらっしゃるでしょうから、申し訳ありませんが、そのままお待ちください」
「わかったわ」
マリーは険しい表情で黒馬を見つめている。
黒馬の方はマリーの視線を意に介さず、私の匂いを嗅いだりしている。
「あら、あなたも傷だらけなのね」
よく見ると、黒馬の体には薄く古い傷が残っている。
「陛下と初陣から一緒だったと聞いています」
「そうなの。触れたら、怒らせてしまうかしら」
マリーに尋ねたつもりだったけれど、マリーが答える前に馬がいいよとでも言うように、いなないた。
そして『さわれ』とでも言うように体の向きを少しずらし、私が撫でやすいようにしてくれる。
「ふふ、賢いのね」
「お、お待ちください」
マリーの声も聞こえたけれど、私が黒馬に手を伸ばすのが早かった。
触れると、ビロードのような手触りの毛皮と、その下にあるしなやかな筋肉のあたたかみが感じられた。
嫌がる様子がないので、暖かな体を優しくなでる。
穏やかな気性のようだが、この黒馬は陛下と共に戦場にも立っていたのだ。
この目の前の黒馬からも、わずかながら陛下にまとわりついていたのと同じ瘴気の気配がした。
どうしようかと少し考えて、驚かせないよう、触れているところから、ゆっくりと浄化の力をなじませることにした。
「瘴気を払いたまえ」
黒馬の見た目は変わらないが、気持ちよさそうに大人しくしてくれている。
「治癒の術もかけておきましょう」
浄化の後には治癒の術をかける。
すると、黒馬は満足気に鼻を鳴らした。
そうしていたところで、後ろから、低く深みを持つ声がかかった。
「スヴァルト。ここにいたのか」
スヴァルトと言われた黒馬が、耳を動かし声の主を探す。
私も集中していたために、その人が近づいていたことに気がつかなかった。
「陛下」
先日とは違い、おそらくはこの国の軍服だろう、詰め襟の黒い服をきっちりと着こなしている。
鋭い目元はスヴァルトと呼ばれた黒馬に向けて緩められていて、怖さは感じない。
きっちりとセットされた濃い金色の髪は太陽の光をはじいて、キラキラと透けていた。
「この場で礼は不要だ」
淑女の礼をしようとしたところで、すかさずそう言われ、出かかっていた挨拶の言葉を飲み込む。
側にいたはずの黒馬が陛下のところへと向かっていた。
「スヴァルトは魔馬だ。普通の馬よりは賢いが、あまり背は向けない方が良い」
「はい」
どうやら、私を気遣ってくれての言葉だったようだ。
「飼育員のところから、脱走したと聞いたが、聖女殿を見に来たのか?」
スヴァルトがいななく。
「そうか。お前も聖女殿の癒やしの技を受けたのか。
ああ。私も元気になった。また、お前と戦いに行ける」
会話をしているようなやりとりだ。
そうして、陛下はスヴァルトの顔を撫で、やってきた飼育員にスヴァルトを引き渡す。
「スヴァルトも聖女殿に会いたかったようだからな。今回は罪には問わぬ」
「はっ」
そうして、スヴァルトは飼育員に連れられて行ってしまった。
陛下の鋭い瞳が私を見た。
「聖女殿。少し話がしたい。散歩にお付き合いいただけるか?」
「かしこまりました」
断る理由もなく、私は突然の陛下の申し出に頷いた。