41.売られた聖女は浄化する
瘴気が濃いせいか、障壁の中も魔獣が湧いていた。
中にいるだろうシーンバリ伯爵令嬢が心配だが、魔獣を倒さねば前に進めない。
フェリクス陛下と共に、騎士たちも付いてきてくれている。
障壁から生まれた魔獣を退治に向かった隊とは別の隊になる。
これから何が起きるかわからないというのに、皆不満を表すことなく、魔獣が襲ってきても危なげなく対処してくれる、本当に優秀な人たちだ。
私は下手に動くと危ないからと陛下の腕の中で大人しくしているように言われていた。
「おそらくは、今の聖女様がこの障壁を張っておられるはずです。
それらしい姿を見つけたら教えてください」
「わかった」
可視化している瘴気のせいで視界は悪い。
騎士たちとフェリクス陛下には伝えておく。
その時、後ろから騒がしい物音が近づいてきた。
「待て、私も行く」
誰に向かって言ったつもりなのだろうか。
そこには王太子殿下が護衛を連れてついてきていた。
フェリクス陛下を見上げると、陛下は眉根を寄せている。
「セシーリア嬢の邪魔にならぬとよいが」
陛下はついてきている王太子殿下を見なかったことにされたようで、殿下の言葉に返事をすることなく魔法陣のある聖域の中心部へと進んだ。
途中、何度か魔獣に襲われた。
陛下と騎士たちは、これまで同様、魔獣に対処している。
殿下たちの方もなんとか魔獣を追い払う位のことはできているようだ。
彼らの手に追えない程の魔獣が出ればどうするのかと陛下に尋ねると、流石に危なくなれば手を貸すが、積極的に助けることはしないそうだ。
そうして、魔獣に対処してもらいながら進むと、聖域の中心にある魔法陣のある泉へとついた。
驚くことに、この辺りの方が瘴気が濃い。
用心しながら進んでいくと、とうとう泉の魔法陣の台座の上で、今代の聖女、シーンバリ伯爵令嬢が倒れているのを見つけた。
台座が何か不思議な力を持っているのか、倒れていても魔獣に襲われることはなかったようだ。
「フェリクス陛下、下ろしてください」
騎士たちの警戒の元、馬を降りる。
すぐにでも様子を見たかったが、陛下に引き留められ、騎士の一人が確かに人間であると判断した後、彼女に近づくことが許された。
疲労とひどい魔力切れのようだ。
魔力を使いすぎた代償か、金色をしていたはずの髪の毛は白銀に色を変えている。
シーンバリ伯爵令嬢の体に負担をかけないよう、浄化の魔法をかけた。
髪色に変化はないが、呼吸が穏やかになり、無事に浄化できたのだとわかり、ほっと息をつく。
これから瘴気の浄化が控えており、治療は最小限となったけれど、これで命に別状はないだろう。
シーンバリ伯爵令嬢の身柄を進み出てくれた騎士に預ける。
次は、この瘴気の浄化だ。
王太子殿下たちは、いつの間にか遅れているのか、まだ姿が見えない。
ちょうど良いと彼らが不在のうちに取り掛かる。
浄化の泉は、酷い有様だった。
本来は白いはずの石柱は、今は黒く瘴気に染まっている。
泉の方も、本来は水底が透けて見えるほどの透明度を持っているはずなのに、今は、墨を落としたように濁っていた。
これをどうにかしなければいけない。
「何をするのだ?」
前に出た私に、フェリクス陛下が問う。
「泉と石柱を浄化し、浄化の魔法陣を起動します」
「いくらセシーリア嬢がすぐれた浄化の使い手とはいえ、こんなにひどい状態でも、浄化できるのか――?」
「おそらくは。やってみないことには、わかりません」
確約できない私は、フェリクス陛下が返答する前に、魔力を注ぐための台座に立った。
台座に魔力を注ぎ魔法陣とつながる。
すると、新たなことがわかった。
石柱と泉を浄化しさえすれば、すべての瘴気を一気に浄化できるはずだと思っていた。
けれど、それらはただ瘴気に染まっているだけではなく、自ら瘴気を取り込み続けている。
(それでも、やることは変わらないわ)
まずは、魔法陣を浄化しなければならない。
そのためには、一旦、瘴気の流入を止めて、魔法陣を穢している瘴気も浄化する必要があった。
どれだけの魔力が必要かは、わからない。
それでも不思議と、できないとは思わなかった。
「参ります」
台座に魔力を注いでいくが、台座が取り込もうとする瘴気も含めて浄化していく。
けれど、浄化する範囲が広大過ぎて、手ごたえが全くない。
ここで私が諦めてしまえば、被害が拡大する一方で食い止める術もないのだ。
後のことなど考えずに、ありったけの魔力を大地に注いでいく。
だが、それでも完全には瘴気の流入を止めることはできない。
何か方法はないのか。
必死で探ると、大地に根付く、なじみのある感覚をみつけた。
黄鈴草だ。
――女神様。どうか、お力をお貸しください。
そうして、黄鈴草に意識して魔力を注ぐ。
「何を無駄なことをしているのだ!」
「ロセアン殿の邪魔はやめよ!」
ようやく追いついたのか、後ろで王太子殿下が騒いでいる声が聞こえる。
フェリクス陛下が止めてくれたようだ。
そして、今まで以上に一気に魔力を持って行かれたあと、泉の周囲に黄鈴草が咲き誇り、大地からの瘴気の流入が止まった。
「お願い、これできれいになって!」
後先を考えず、台座の魔法陣を浄化するための魔力を注いだ。
まるで体内にあるすべての魔力が引っ張られ、外に出て行くかのような感覚だった。
代わりに、台座の魔法陣から光があふれだす。
光は石柱をむしばむ瘴気を浄化し、かつてのように浄化の力を帯びた魔力が石柱の間の移動をはじめた。
「おお! ロセアン公爵令嬢、よくやったぞ!」
アルノルド殿下はこれでもう大丈夫だと思ったようだが、私にはそうは見えなかった。
浄化の魔法陣が浄化するために引き寄せる瘴気の量が多すぎるのだ。
瘴気は浄化の魔法陣に引き寄せられ、魔法陣の光に触れると浄化される。
そして、今度は浄化された瘴気が光となり、さらに魔法陣の光に取り込まれる。
それが繰り返され、障壁内のすべての瘴気が魔法陣へと取り込まれていった。
障壁内の全ての瘴気を取り込む勢いで質量を増していく浄化の光は、ついには石柱を巻き込み、竜巻のように育っていった。
同時に、魔法陣を作るのに必要な石柱もぼろぼろと崩れていく。
瘴気を取り込んだことで石柱の素材自体が弱っていたのか、この量の瘴気を取り込むことを想定していなかったのかはわからない。
けれど、風圧に飲み込まれるように解けていく姿に、石柱がもう限界だというのは見てわかった。
「は!? 浄化の石柱が。建国の時より伝わる聖なる遺物が、崩れるだと!?
な、なんとかしろ、ロセアン公爵令嬢!」
そう言われても、もう、魔法陣は私の制御下にはない。
できるのは、今あるすべての瘴気を浄化するまで、この石柱が保つことを祈ることだけ。
(お願い、――)
竜巻は、私が見守っている間にもぐんぐん育っていく。
気がつくと、上空にわだかまっていた黒雲すらも引き込んでいる。
そして、竜巻の回転がおそらくは最高速度に達したとき、無数の光が上空で解き放たれ、きらきらとしたものが大地に降り注いだ。
おそらくはもう二度と見ることができないその光景を目に焼き付けようと、私は空を見上げた。
光が消えても、誰も何も発しなかった。
まるで女神様からの祝福が降り注ぐような光景に、皆目を奪われていたのだ。
はっとして泉を見ると、魔法陣の根幹をなしていた石柱は台座のみを残し、すべて跡形もなく消えてしまっている。
泉は、何事もなかったかのように凪いでいた。
泉の周囲には、見渡す限りの大地に黄鈴草が咲き誇っている。
「できたの――?」
「ああ。瘴気はすべて浄化したようだ」
フェリクス陛下のお声が、すぐ側で聞こえる。
振り返ると、陛下もまた眩し気に空を見上げていた。
陛下の後ろにいる騎士たちは、呆然と私を見ている。
目が合うと、彼らは一斉にひざまずいた。
「聖女様……」
何か言っているのが聞こえたけれど、私の方も限界が近い。
早く休めるところにいきたかった。
けれど、そうもいかないようだ。
「ロセアン公爵令嬢、これはどういうことだ!」
「……王太子殿下」
兵士たちを連れて近寄ってきた殿下は、浄化の泉の有様を指さす。
「浄化の魔法陣の取り込んだ瘴気が多すぎたのか、瘴気に触れて素材が弱っていたのかはわかりませんが、石柱は浄化の力に耐えられなかったようです」
「浄化の力に耐えられなかった、だと。壊したの間違いではないのか!」
「そう言われましても、私が浄化の力を注いだだけなのは、殿下もご覧になっておられたはずです」
「だが、……神話の時代から伝わる遺跡だぞ。
それがこんなにも簡単に消えるのか!?
おまえがなにかしたのではないのか!」
「それこそ、どうやってでしょうか。私にそのような力がないことは、殿下もご存じでしょう」
アルノルド殿下は、事実が受け入れられないようだった。
「……浄化の魔法陣なしに、これから、この国はどうするとよいのだ!」
誰にもこたえることのできない叫びに、私は言う。
「殿下。この国以外は、どこも浄化の魔法陣などもっていません。
それでも、人々は暮らしを立て、生きているのです。
これからは、この国も聖女や魔法陣なしでやっていくしかないでしょう」
殿下は、私の言葉が聞こえないのか、呆然と膝をつき、泉を見ている。
その姿にこれ以上何を言っても同じだろうと、私は背を向けた。
待ってくれていたフェリクス陛下に、微笑みかける。
「戻りましょう」
「ああ。共に帰ろう」
フェリクス陛下が差し出してくれた手を握り、陛下を見上げる。
「フェリクス陛下」
「なんだ?」
「わがままを聞いてくださってありがとうございました」
「気にするな。私がしたくてしたことだ」
えっと思う間もなく、耳元で囁かれる。
「私の想いの深さが、これで少しは伝わっただろう?」
思わず頷いた私に、陛下は満足げに口の端を上げた。
私も、微笑みを浮かべたが、同時に、目の前が暗くなっていく。
魔力切れのようだ。
「申し訳ございません。なんとか見栄を張っていましたが、もう限界のようです。後を頼んでよろしいですか?」
「ああ。あとは任せるといい」
陛下は私の発言に、一瞬驚いたように目を見開く。
私はというと、陛下の返事を聞いたところで、もう限界で――。
崩れ落ちる体がふんわりと抱き留められる感覚をどこか遠くで感じていた。