40.売られた聖女は聖域に向かう
エヴァンデル王国へ向かう行程は、来たときよりも遙かに快適だった。
私がフェーグレーン国へ向かった時の倍以上の速度で進み、あっという間にエヴァンデル王国へと到着した。
王国内は、ひどい状態だった。
民に話を聞くと、頻繁に町や村が襲われており、安全に外に出ることもできないという。
それでも最近は、一時期に比べると瘴気の拡散が落ち着いているということだった。
大きい町には王都から兵士が派遣されており、そこまで被害がないようだが、中小規模の町や農村では、兵士が足りずにかなりの被害が出ているということだ。
私たちは可能な範囲で出会う魔獣をすべて倒しながら進んだ。
「人から聞く話では、このエヴァンデル王国は緑あふれる楽園のような国ということだったが……」
荒れ果てた大地を進むフェリクス陛下がつぶやく。
「確かに以前はそうでした。私もこのように酷いことになっているなど思いませんでした」
立ち寄った町や村は、どこも魔獣の対処に苦労しているようだ。
水や食料の列を襲っている魔獣を排除したり、怪我をしている人の手当をする。
おかげで『聖女様が戻られた』という噂になってしまっているようだ。
フェリクス陛下もその話を煽るように振る舞われるので、行く先々で歓迎されるようになった。
本来ならすべての町に立ち寄り魔獣を狩ることができればよいのだろうけれど、浄化の魔法陣を起動させ、生まれた魔獣を全て倒してしまわなければ根本的な解決には至らない。
けれど、浄化の魔法陣は起動されている様子もなく、聖域で何が起きているのだろうと疑問が浮かぶ。
私たちは、聖域のある王都まで急いだ。
王都にたどり着くと、そこには見たことのない光景が広がっていた。
本来なら、扇状に広がる町並みの要の部分に王城があり、その奥に浄化の泉のある聖域が存在する。
それが、今は聖域を中心に障壁が展開されている。
障壁は王城を半分ほど包み込み、中はすごい瘴気の密度だ。
瘴気を拡散させるのを押しとどめているのだろう。
障壁内は真っ黒いガスのように可視化した瘴気に覆われており、中の様子は全く伺うことができない。
どうして聖域がこのような事態に陥っているのか。
誰が障壁を張っているのかわからないが、障壁の表面は時々波打ち、障壁自体が限界に近づいていることが見ただけでわかった。
あの量の瘴気が拡散されてしまえば、ここら辺一帯はとても人が暮らすことができなくなってしまうだろう。
「瘴気を拡散するのを防ぐ障壁か。
だが、あれは悪手ではないのか……?」
隣に来て、共にこの光景を眺めるフェリクス陛下がつぶやく。
瘴気を浄化する術があればあの方法は有効だが、それでも限度はある。
それに、浄化の魔法陣はあの瘴気の中にあるのだ。あの量の瘴気の浄化を人の手で行うには、途方もない魔力が必要となるだろう。
私も陛下に同意しようとして、あることに気が付いた。
荒れ狂う瘴気を留める障壁から、うっすらとシーンバリ伯爵令嬢の魔力が感じられるのだ。
どこまで信じて良いかわからないが、あの使者は聖女であるシーンバリ伯爵令嬢が体調を崩していると言っていた。
これほどの規模の障壁を展開させるなど大丈夫なのだろうか。
だが、それを口にする前に、陛下の元へと従者が知らせを持ってきた。
「エヴァンデル王国の国王陛下の使者がいらっしゃっています」
「めざといな」
隠れてやってきたわけではなかったけれど、こちらから何も知らせていないのに、あちらから使者がくるなど思いもよらなかった。
「会う必要を感じないが――」
言いかけて、フェリクス陛下が口をつぐんだ。
『お待ちください』という声を引き連れて、誰かがやって来ようとしている。
人影の合間から見える顔には見覚えがあった。
「王太子殿下……」
私の呟きを聞き、フェリクス陛下が表情を引き締める。
そうしている間にアルノルド殿下が私たちを見つけ、こちらへやってきた。
「ロセアン公爵令嬢、遅かったな。
だが、戻ったならば遅参は許そう。
陛下から公爵令嬢に、あの瘴気の浄化を命じる、という伝言を預かっている。
早急に取り掛かるように」
一息に告げられる言葉に、反論をする隙は無かった。
「さぁこちらだ」
そして、私の手を取ろうとアルノルド殿下の手が伸びる。
「待て」
アルノルド殿下の手が私に触れる前に、フェリクス陛下が私をかばうように前に出られる。
「お前は……?」
フェリクス陛下のことは目に入っていなかったのだろう。
「私はフェーグレーン国国王、フェリクスだ」
「は!? なぜ他国の国王がここにいるのだ」
「そちらは?」
「私は、この国の王太子、アルノルドだ」
「私が何故ここにいるかは、エヴァンデル王国の使者殿がよくご存じだろう」
そして縄で縛られた使者が連れてこられた。
「これは、どういうことですか?」
連れてこられた使者を見て、アルノルド殿下が怒りを抑えながら尋ねる。
フェリクス陛下はその疑問に涼やかな顔で答えた。
「これがエヴァンデル王国流の流儀ではないのか?
私の王宮にいたロセアン殿を、そちらの使者殿がこのように拘束し、まるで誘拐するかのように連れて行かれたので、そう理解しているが」
「……それは、私の国の使者がご無礼を働いたようです。申し訳ありません」
謝罪を述べた後、アルノルド殿下の目が一瞬冷たく使者を見た。
「こちらへは彼女の希望で参ったが、本来ならそのまま彼女と我が王宮へと戻るところだ。
だから、ロセアン嬢を無事に連れ帰るまでは、目を離すつもりはない。
それに共に参ってよかったかもしれん。
緑あふれる楽園とも言われるこちらのエヴァンデル王国が、まさかこのように瘴気にあふれ、魔獣の跋扈する土地になっていようとは、思いもよらなかったからな」
フェリクス陛下の言葉に、アルノルド殿下の目に怒りと屈辱の色がにじんだ。
「ロセアン公爵令嬢を送ってきてくださったことは感謝します。
この礼は後日改めていたしましょう。
しかし、今は急ぐのです。ロセアン公爵令嬢をこちらへ」
「ここで殿下のお言葉に従っても、もう彼女を私の国へは遣わしてくださるつもりはないのでは?」
フェリクス陛下の言葉に、アルノルド殿下は大仰な仕草で驚いてみせる。
「まさか、そのようなことは致しませんとも」
「その言葉だけを信じるほど、私も愚かではないのだ」
アルノルド殿下の要求に従わないフェリクス陛下に、アルノルド殿下は矛先を変えたようだ。
「ロセアン公爵令嬢はどう考えているのだ。
この国の公爵令嬢でもあり、我が王家の血も流れている、お前はこの光景を見て何も思わないのか。
今、この事態を納める力があるのは、ロセアン公爵令嬢だけだろう。
その血に流れる義務を果たし、国に忠誠を示すべきだと私は思う」
「ロセアン殿、答えなくて良い」
私を挑発するアルノルド殿下の言葉に、フェリクス陛下が首を振る。
その時だった。
障壁がいびつに膨れあがり、きしむような音が響く。
なんとか消失はまぬがれたが、障壁は今にも破れそうで、ところどころ亀裂が入っている。
ほっとしたのも束の間、亀裂から吹き出た瘴気が集まる。
そして魔獣へと姿を変えた。
不気味な音に、聖域を不安そうに見つめていた人々から悲鳴があがる。
それを見て、アルノルド殿下は顔をしかめた。
対して、フェリクス陛下は後ろに控えていた騎士隊長に指示を出し、襲われている民を騎士たちが助けに向かう。
私は、その間にアルノルド殿下に向き直った。
「義務を果たす、というのならば、まずは聖女様がなさるべきでしょう。
今、この国の聖女様はどこにいらっしゃるのですか?」
アルノルド殿下は、顔をしかめる。
「あの結界の中で瘴気を押さえる結界を張っている」
「あの中で、ですか!?」
驚きで一瞬次に言おうとしていた言葉が出てこない。
いくら聖属性の魔力を持っていようとあの瘴気の中に居続けるのは、尋常ではない。
「それで、殿下は何をされていたのですか?」
「……っ、だからおまえを呼び戻したのだろう!
そんなこともわからないのか!」
怒鳴るアルノルド殿下を、不思議と怖いとは思わなかった。
それは、騎士たちに指示を出し終えたフェリクス陛下が私の後ろで見守っていてくれるからかもしれない。
「ここに参るまでに、いくつかの村に寄りました。
大都市以外では、どこも、領主に助けを求めたものの、兵は派遣されない、もしくは派遣されても数名で、とても村の安全は確保できないと言っていました。
彼らは魔獣に襲われても、自分たちでなんとかするしかなく、被害は甚大です。
彼らの生活を守り、助けるための力を王家はお持ちなのではないですか?
私のことを呼び戻すよう指示をして、それを待つ間に他にできたことはあったのではないですか?」
「王家だからと言って、民のすべてを救えるわけではない。
守るべき価値のあるものに、力を集中させたのだ」
「では、質問を変えます。
なぜ、今湧き出したあの魔獣から、この国の民を助けようとしているのは、殿下ではなく、フェリクス陛下なのでしょうか」
「それは……」
何かを言いかけ、結局やめた殿下に、私は続ける。
「殿下は、目の前で襲われる民すら、その手で救おうとなさらないのですね。
私も、殿下に同じことを問いましょう。
襲われる民を見て、殿下は何もなさらないのですか?」
「衛兵! 私の警備の者を残し、あちらの騎士と共に、我が国の民を助けよ!」
アルノルド殿下は近衛兵に命令をくだし、私に向き直る。
「それで、ロセアン公爵令嬢はどうその義務を果たすのだ」
「もちろん、私も、私の義務を果たすために戻りました。
もし私が戻らなければ、両親には殿下からお伝えください。
それでは、失礼いたします」
「なっ――」
アルノルド殿下に背を向け歩き出す。
だが、数歩もいかずに、私の腕を、フェリクス陛下にとられた。
「ロセアン嬢、何をするつもりだ」
振り返ると、フェリクス陛下が私を見つめていた。
「聖域に向かいます」
「それは、あの瘴気の中に向かうということか」
「はい」
「ならば私もゆこう」
アルノルド殿下が叫ぶ。
「他国の者を聖域に入れるなど――」
「殿下もご覧になったであろう。瘴気から魔獣が生まれるのだ。そのようなところにロセアン殿を一人で行かせるなど彼女を殺すつもりか。
それとも、殿下は戦う力のないロセアン殿を安全に送り届ける準備がおありか?
今、湧き出た魔獣にすら、彼女に言われないと対応できなかったようだが」
黙るアルノルド殿下を置いて、フェリクス陛下と共に聖域に向かった。
そして、障壁の前に着くと、シーンバリ伯爵令嬢が張っているのだろう、障壁の壁に触れた。