4.売られた聖女は異国へ向かう2
宰相に案内されるまま、私は旅装もほどかず城の奥へと進んだ。
お互いに無言である。
宮殿を飾る装飾が、華やいだ、人に見せるための物から、個人の趣味を感じさせる素朴なものになってきたので、王族のプライベートエリアに入ったのがわかった。
トルンブロム宰相は長い廊下の先の、ある一つの扉の前に立つと、ゆっくりと振り返った。
「改めて言いますが、ここで見たことは他言無用でお願いします」
「わかっております」
重ねての口止めに、私も覚悟を決める。
宰相にここまで言われるのだ。
中にいる人物の予想はついていた。
事前にお父様に調べてもらったところ、フェーグレーン国の王は何年か前に代替わりが行われていた。
先王は不慮の事故で亡くなられたという。
その王は『戦狂い』と言われるほどの戦好きで、この国を興した後も周辺国に戦を仕掛け、国土を広げている。
慈悲のかけらもない苛烈な性格だったらしく、戦場に息子を送りこみ、第一王子と第二王子は戦場で亡くなられてしまったそうだ。
今、この国の国王の座は、その王の第三子にあたると聞いた。
そして、その人も他の兄たちと同じく、戦場で過ごした時間が多いということも。
宰相が扉をノックをすると、重い音が響いた。
取り次ぎに出てきた侍従の案内で、続き間を奥へと進む。
主寝室のカーテンは閉められ、中央に寝台が置かれていた。
「陛下。エヴァンデル王国の先代聖女殿をお呼びしました」
宰相は返事がないのを知っていたように、私に許可を出すように頷いた。
宰相の『陛下』という敬称から、中にいるのは予想していた通り、この国の国王であるようだ。
「失礼いたします」
近づくと、寝台に横たわる男性は酷く苦しげで、意識がないようだった。
額には汗が浮き、艶めく濃い金の髪が額に張り付いている。
普通の人には見えないかもしれないが、私の目には全身を瘴気にむしばまれているのが確かに見えた。
ひどく痛みもあるのだろう。
体に巣食う瘴気が脈打つたびに、呼吸が乱れている。
この状態で生きていることが不思議なほどだ。
どうしても生きたいという願いがこの方を生かしているようだった。
「これは……。この方は、どうしてこのようなことに」
彼をむしばむ瘴気が、普通のものではないことは一目でわかった。
単に体が弱ったから寄ってくる瘴気ではない。
もっと根深く、たちの悪いものだった。
「お倒れになったのは、少し前です。
最初はこれほどに酷くはありませんでした。
日中のめまい程度だったと思います。
ただ、あまりに頻繁にご体調を崩されるため、今回は、使者をそちらのエヴァンデル王国へ遣わすことにしたのです。
陛下は幼い頃より、長年、魔の地と接する国境沿いの地で、瘴気から生まれる魔獣から国民を守るために戦ってこられました。
時々瘴気当てられてご体調を崩されることはありましたが、すぐに健康を取り戻されてこられていたので、今回も、少し療養すればいつものようにご回復されると思っていました。
ですが、今回はそのようにはいかず、めまいが始まったあと、徐々にご体調を崩されていき、ついにこのようなことに……。
おそらく、体に溜まってきた今までの瘴気が芽吹いたのでは、というのが王宮の医師の所見です」
「魔の地の瘴気が、ですか」
魔の地は、神魔戦争で特に争いの激しかった土地だと、聖女として学んだ知識の中にある。
ただ、このように人をむしばむ強い瘴気を生んでいるとは思わなかった。
そのように強い瘴気を、聖女としての力がたりないと言われた私に浄化できるものだろうか。
けれど、心は決まっていた。
このような体になりながら、王族として国民を守るために国境で戦い続けて来られたという、この方を助けたい。
女神様に祈りを捧げると、彼の手を取る。
「ロセアン殿!?」
宰相が何か言っているのが微かに聞こえたが、その時にはもう魔術を発動する前の集中状態に入っていて、なんと言っているのか頭に入ってこなかった。
そして、浄化の魔術を発動する。
「この方を蝕む穢れし力を清めたまえ」
一度目の浄化で、溢れ出ていた表面上の瘴気の気配は薄れた。
しかし、手に触れたことで、より強く、この方の魂に食い込むように瘴気が侵食しているのがわかった。
闇夜に浮かぶ星のように美しい魂の輝きが、混沌とした色合いの瘴気に汚されているように見える。
これを取り払わないと、再び今のような状態になってしまうのはわかりきっていた。
「終わられたのなら、その手をお離しください」
「まだです」
怒ったような宰相の声が聞こえるが、首を横に振り、浄化を続ける。
魔力を注ぐたびに、彼の魂の光をかげらせていた瘴気が少しずつ薄れていく。
様子を見ながら施す治療は神経を使った。
それでも、すでに傷ついている魂をいためないよう、可能な限り丁寧に浄化の力を注いでいく。
(あと少しで、完全に瘴気が消える。そしたら、今度は治癒の魔法を)
正直、ここまで繊細な魔力の行使を行ったことはない。
豊富なはずの私の魔力も底をつきそうだった。
けれど、瘴気を払って現れた彼の肉体は傷だらけで、そのままにはしておけなかった。
完全に浄化が終わり、尽きかけた魔力を集めると、今度は治癒の魔法をほどこすために再び集中する。
傷だらけの体を私の魔力で損なわないよう、注意しながら魔力を注いだ。
すると、やわらかな光が彼の体をおおい、ゆっくりと傷ついていた肉体が癒えていく。
全身の傷を治癒しおえたところで、今度は私の体から力が抜けていった。
魔力切れだった。
薄れていく意識の端で、意識を失っていたはずの彼のまぶたが薄く開き、青銀の輝きを宿す瞳と目があった気がした。