39.幕間 アルノルド・エヴァンデル
三百年以上前、神魔戦争の末期に誕生し、続いてきたエヴァンデル王国。
私は、その国の王族にして次代の王として育てられた。
生きていく上でのすべての道筋は整えられ、何かに不自由を感じたことさえない。
この国の王になるからこそ、すべてを与えられ、代わりに自ら何かを選び取るという自由は持つことができない。
だが、物心つく前からの教育で、それこそが最適に王国を存続させていくために必要なことだということを知っていた。
乳母は、たまに『もっと甘えても良いのですよ』などと意味のわからないことを言っていたが、私には、教育係から施される教えに従い生きることに何の疑問も不満もなかった。
父上も私と同じ教育を受けてきているのだ。
乳母は、私に父上よりも劣った王になってほしいのだろうか。
だがそう問うと、乳母は悲しい顔をして謝罪を述べ、以降何も言わなくなった。
ある日、父に呼び出された。
「そろそろ聖女の血を王家に取り込む必要がある」
「承知いたしました、父上。次の聖女となる者を、妻といたしましょう」
「わかっているならばよい。つつがなく取り計らえ」
教育係から聞いていたことを念押しされ、素直に答えると、父も満足したようだった。
聖女選定の儀で選ばれたのは『はとこ』にあたる少女だった。
義務で私の妻となるのだ。
最低限の務めさえ果たしてくれればそれ以上は望むまい。
そう思って接していた。
物覚えも悪くないようで、取り立てて不満はなかったが、ある日、シーバリ領での瘴気の噴出事件が起きた。
国内で瘴気による被害が起きるなど、三百年を超えるこの国の歴史で初めてのことだった。
聖女としての能力が一番高いと選ばれたのではなかったのか。
王宮から調査もさせたが、結果は聖女の力不足という結論だった。
このように能力が低いものが自分の妻となり、いずれ生まれる子供にこの国を継がせることはできないと、父との話し合いの末、婚約を破棄することにした。
父は、破棄だと角が立つというので解消となったと言っていたが、本当に力のある聖女との結婚が決まるのならば問題はない。
新たな婚約者は、私に恋人のような振る舞いを求めたが、それで満足し力を振るってもらえるのならば些細なことだった。
はじめは、次の婚約者となる新聖女に満足していた。
婚約者教育では、向上心が見られ、それに伴う実力もすぐに身についてきた。
だが、しばらくすると異変が現れた。
前の聖女の時には起きなかった国内での異変がちらほらと報告されてくる。
どれも浄化しきれない瘴気が原因だと思えるものだ。
聖女としての能力が高いのではなかったのか。
力を出し渋っているのだろうか。
一度目は呼び出して次はないと伝え、一瞬、持ち直したかのように見えたが、すぐに細々とした異変が報告されてくる。
私は念のため、裏で手を回すことにした。
前の聖女を呼び戻すよう、使者を出した。
見切りをつけるには早すぎるかもしれないが、国の安全には変えられない。
それからも状況の悪化は続き、王都では日が経つごとに国の上空には毎日暗雲が立ちこめ、その範囲は広がっていった。
空気にも微かに瘴気が混ざるようになってきている。
体質が敏感な者の中には、瘴気のせいで体調を崩す者が出始めていた。
そして、聖女であり、婚約者でもあるシーンバリ伯爵令嬢の二度目の呼び出しを行った。
私の執務室にやってきたシーンバリ伯爵令嬢は、ひどく顔色が悪く、憔悴していた。
だが、だから何だというのだろう。
「この状況、どう収集をつけるつもりだ? 次はないといったはずだが」
「……申し訳ございません」
「今ほしいのは、謝罪の言葉ではない。この状況に対する解決策だ。何かあるのだろう?」
目の前で顔を伏せる婚約者に声をかけるが、しばらく待った末に聞こえたのは『ありません』という言葉だった。
「エミリ嬢、あなたが聖女なのだ。最初はできていただろう?」
「――魔力が、足りないのです」
「魔力を補う魔石はどうしたのだ?」
「なぜ、それを!」
「むしろ、隠しきれると思っていたのか」
その通り、隠しきれると思っていたのだろう。
驚いた様子が私のことを侮っているようで腹立たしい。
確かにエミリ嬢が魔石から魔力を補っているのを知ったのは最近だった。
シーンバリ伯爵がやたらエミリ嬢に物資を差し入れているので、王宮の支給品で足りないものがあるのかと思って調査させたのだ。
伯爵たちが新しく生み出した術式は、詳細はわからないものの王宮の研究者も興味を示しているが、それはよい。
今は、この瘴気の浄化を急がなければいけなかった。
ちなみに、今回のことで、かつてシーンバリ伯爵領で起きた事故についても秘密裏に再調査を命じた。
結果は半ば予想していた通りだった。
当時の調査担当者にシーンバリ伯爵が金を積み、事実を捻じ曲げ報告を上げさせていた。
だが、私は真実を知ったのだ。
そう何度も騙すことができると思わない方がよいという意味を込め、私は彼女が知らないだろうことを教えてやることにした。
「魔石といえば、ロセアン公爵からも面白い報告が来ている。
なんでも、わが国の加護の届かぬ異国で、違法に購入した奴隷に魔石を掘らせている、とか。
陛下はひどくご立腹だったよ」
「そんな、まさか……! お父様が、……」
こちらの調査通り、シーンバリ伯爵令嬢は違法奴隷については知らなかったのだろう。
私の言葉が信じられないといった様子だが、思い当たったのだろう。
狼狽えていたのが急に顔色を白くし、口を閉じた。
そう。
普通に考えればわかるはずだ。
シーンバリ伯爵令嬢が消費する大量の魔石は、一般には流通していない。
一回二回は仕入れることができたとしても、高頻度に手に入れることがどれだけ難しいか。
「私が嘘をついても何にもならんだろう。
だが、それも、お前の働き次第だ。よく働けば、それに見合った減刑を私から陛下へ奏上しよう」
私が何を言わんとしているのかわかったのだろう。
エミリ嬢は悲痛な表情で私へと訴えるように言葉を発した。
「減刑など願えません。
それより、本当に、私では無理なのです!
私が、間違っていたのです。私では、能力が足りません。本当の聖女は――」
「そうか。おまえの見込みが甘かったために、我が国は被害を受けているわけだな」
シーンバリ伯爵令嬢は泣くのをこらえているのか、涙声がいらだたしい。
泣けばすむことではないのだ。
「本当の聖女は、おまえだろう。本当に、おまえにできることは何もないと申すのか?」
「……もとの、先代の聖女様を呼び戻してください」
「なんだそんなことか。呼び戻すよう、使いなら、もう出している」
驚く気配を隠すことすらできなくなった少女に、そんなこともわからないのかと思う。
「驚くことか? 国に異変が起きたのだ。すぐに対処するに決まっているだろう」
「ですが、私は何も聞いておりません」
「なぜ、おまえに言う必要がある。実際、このような事態に至るまでに、おまえも私に何も言わなかっただろう」
「それは、私もなんとかしようと思って、色々試していたのです――」
「それで?」
黙り込む少女にため息をついた。
「元聖女の元には使いをやっている。その上で、おまえはどうする」
「……聖域に、向かい、力を尽くします」
「そうか。良い報告を待っている」
退室を許可すると、手元の書類に目を落とした。
そこには、国内の町で魔獣が発生したため、至急派兵を求める要望書だった。
このような要望は国内の各地から送られてきている。
すべてに対処することは難しい。
兵の数にも限りがあるのだ。
それにこれからを考えるならば、この王都にも兵を残しておく必要がある。
領主に可能な限り対処をさせ、派兵は優先度の高い主要な都市に絞った方が効率が良いだろう。
最終決定は王がなされるが、元聖女が戻るまでに、被害を最小限に抑えねばならなかった。
「まったく、頭が痛い」
どうしてこのようになったのか。
私はめったにつかないため息を、ゆっくり吐き出した。