3.売られた聖女は異国へ向かう
季節は冬が終わり、春に移り変わろうとしている。
私は、フェーグレーン国へと向かう馬車の中で、一人外の景色を眺めていた。
侍女は連れてきていない。
一緒に来てくれようとする侍女もいたけれど、いつ帰ることができるかもわからない異国に付き合わせるわけにはいかないと断った。
けれど、それでよかったと思っている。
初めて目にする大地は、私が見たことのない程に荒れ果てていた。
これまで緑豊かな自国の様子しか知らなかったけれど、エヴァンデル王国の国境を離れるに従い、うっすらと瘴気が漂いだし周囲からは緑が消えていった。
私は聖女として受けた教育を思い出していた。
(毎日起動していた、聖女だけが動かす資格を持つ魔法陣。
あれは、女神様の加護の力を宿していて、はるかな昔に起きたという神魔戦争で穢れた土地を癒やすと聞いていたけれど、本当のことなのね。
『土地が穢れる』とはどういうことだろうとずっと思っていたけれど、こういうことなのだわ)
聖女が起動する魔法陣の力は、エヴァンデル王国中に届き、あの国を緑豊かな国に変えていたのだ。
神魔戦争以降、何もしないと土地は瘴気を生み出し続けるようになったと聞いていたが、それがようやく実感を伴った。
瘴気をはらんだ土地で、植物は育ちづらいという。
だからこそのこの荒野なのだろう。
けれど、このような環境で育つ生き物もわずかだが、存在する――。
そして、それを育て、暮らす人々も。
ほとんど目にすることはなかったけれど、過酷な環境での暮らしをしているだろうことは容易に察せられた。
休憩の際に、私と共にフェーグレーン国へと帰国する使者様から話を聞いたところ、エヴァンデル王国以外は多少の差はあれど、どこの国もここと似たような環境らしい。
その中でもわずかでも暮らしやすい土地を奪い合うように国が作られていると言うことだった。
力が足りないと聖女のお役目からは外されたけれど、祈りを捧げることは禁止されていない。
私は、馬車の中で過ごすほとんどの時間を、少しでも彼らの暮らしが楽になるようにと女神様に祈りを捧げた。
そうして馬車に乗り続け、ようやくフェーグレーン国の国境に到着した。
国境からさらに何日か進み、王宮のある首都へつく。
意外にも、緑は少ないものの、貧しい国ではないようだった。
荒野の中に浮かび上がるように、壮麗な宮殿が作られており、周りには民家が広がっている。
宮殿はフェーグレーン国の建築様式とは違い、尖塔がいくつも建ち並び、その奥のドーム状の大きな屋根が特徴的だ。
夕焼けに染まる宮殿の門をくぐり、玄関の前で馬車から降りると、長いまっすぐな金髪を背で一つにくくった細面の男性が出迎えてくれた。
着ている服は質が良いもので、高い位に就かれているのだろうということが一目でわかる。
「セシーリア・ロセアンと申します」
「宰相のヘンリク・トルンブロムだ。
遠いところはるばる来ていただき感謝する」
この国の様式なのだろう。胸に手を当てる見たことのない礼だった。
トルンブロム宰相は続ける。
「まずはここで過ごしてもらう部屋に案内しよう。
疲れていらっしゃるだろうから、明日改めて面会の時間を設けている」
大金を払って招かれたのだ。
きっと何か癒やしの力を持つ私にしかできないことを期待されているのだろう。
ここまで通ってきたこの国の状況を見て、使い潰される覚悟も決めていたが、今日は休むように言われ、少しだけほっとした。
そこまで酷い扱いを受けるわけではないのかもしれない。
そう判断し、お礼の言葉をいおうとしたところで、ふと気がついた。
エヴァンデル王国を出てから感じていた、大地をうっすらと漂う瘴気の気配が、この王宮は特に濃い。
特に王宮の奥の方から、酷く重苦しい気配がしている。
「ここに、どなたか私の力を必要とされている方がいらっしゃるのですね」
それは確信だった。
「話したのか?」
「いいえ」
「どうしてそれを?」
宰相様が使者様と短いやりとりをされて、私に問われる。
探るような視線に、口に出さない方が良いことだったと悟った。
それでも言ってしまったものは仕方がない。
「この王宮は、ここへ来るまでのどこよりも濃い瘴気に覆われています。
そして、王宮の奥には、さらに濃い気配があることが感じられます。
私が学んできた中には、瘴気は弱った人や動物に集まりやすいという説があったものですから、それで、ついそれを口にしてしまいました」
「そうか。ロセアン殿はエヴァンデル王国の先代の聖女だったと事前に聞いていたが、そこまでわかるものなのだな」
頷いている宰相様に、続ける。
「もし、癒やしの力を必要とされている方がいらっしゃるのならば、本日、先にその方に癒やしの術を施させてください」
「長旅を終えたばかりで、ロセアン殿の負担が大きいのではないか?」
「かまいません。苦しんでおられる方がいらっしゃる側で、自分ばかりが休むことはできません」
「そう言われるのなら、案内しよう。
ただ、そこで見たことは他言無用に願う」
そして、私だけに付いてくるように言うと、使者様には先に休んでいるように告げて、城の奥へと案内された。