22.売られた聖女は夜会に誘われる
その後も商店を見て回り、目についた店で昼食を取った後、王宮へと戻った。
お互いに贈り合ったロクムや町で購入してきた品は、王宮に到着した時点で従者が預かってくれた。
部屋に運んでおいてくれるそうだ。
フェリクス陛下が見せたいものがあるということで、少し遠回りをして部屋に帰る。
玄関口からいくつかの廊下を進み、初めて通る角を曲がると、いつも騎士団へ行くのに通る外廊下に出た。
そのまま庭へ下りる階段を使い、奥へと向かう。
ここで仕事を始めた日に、エーリク事務官から噴水があると聞いた庭だ。
目隠しとなっていた木々の間を回り込み、先に進むと、その庭はあった。
噴水は、想像していたよりもはるかに大きい。
庭は、左右対象となるよう木や花が植えられ、石畳が敷かれている。
そして、庭の中央に噴水があった。
計算されて作られた風景は、一枚の絵画のように見事だった。
私たちは石畳の上を歩き、噴水へと近づいた。
「すごい……! 大きな噴水ですね!」
近くによると、噴水の大きさがより実感できた。
私の腰ほどの台座から、背丈よりも高い水が跳ねていた。
空へと跳ねる水が光をはじいてきらめいている。
思わず、跳ねるしずくに手を伸ばした。
「濡れるぞ」
けれど、そういうフェリクス陛下も私を本気で止めようとはされない。
「意外と冷たいのですね」
「ここの水は、地下から引いている。だからだろう」
「そうなのですね」
噴水を堪能して振り向くと、フェリクス陛下はまぶしげに私を見ていた。
陽光を受けた陛下の金色の髪は美しく輝き、青銀の瞳は今の空を切り取ったような色合いをしている。
まっすぐに私を映している瞳に、私の心臓がドキリと跳ねた。
「少し話がある」
なんだろうか。
動揺を出さぬよう慎重に首を傾けると、陛下が続ける。
「今度、夜会がある。騎士団の慰労もかねて毎年春のこの時期に王宮で開いているものだ」
「夜会……」
「そこで、セシーリア嬢、あなたにも私と共に出席してほしい。
今回はあなたのお披露目と寝込んでいた私の無事を知らせるのがメインの目的になるだろう。
箝口令は敷かれていたが、私が寝込んでいたのは一部の大臣などは知っているだろうからな」
改まった雰囲気で切り出されたので何を言われるのかと思ったけれど、気負うほどのことではなかった。
夜会向きのドレスも一応は持ってきている。
出席に問題はない。
「それはかまいませんが」
「そうか。あなたがそう言ってくれて助かる。それと、もう一つ話があるのだ。
あなたがこのフェーグレーン国に対して行ってくれた功績はかなりのものだ。
フェーグレーン国の聖女として称号を設け、セシーリア嬢を遇してほしいという要望が宰相や騎士団から上がってきている。
セシーリア嬢はどう思う?」
「フェーグレーン国の聖女……」
「あなたは、それだけのことをしたと思う」
聖女ではないと言われて母国を出たのに、こうして『聖女』の名が与えられようとしているのは不思議な感慨があった。
驚きもあるけれど、それだけこのフェーグレーン国の人たちの役に立ち、受け入れられたのだと嬉しくも思う。
少し考えて、フェリクス陛下を見た。
「断れば、どうなりますか?」
陛下はただ首を横に振る。
「何も。これは、私たちの希望であり、押しつけるつもりはない。
あなたの意見が優先されるべきだと思ったから聞いている」
「でしたら、称号は辞退させてください」
「……残念だな」
少しあきらめの混じる陛下の低い声に、私も伝える。
「先日もお伝えしたとおり、私がこちらで聖女を名乗れば、どうしてもエヴァンデル王国はよく思わないでしょう。
エヴァンデル王国を刺激してまで、私のことを持ち上げる必要はありません」
「戦になったとて、安全で綺麗な場所で暮らしてきて、魔獣とすら戦ったことがない者たちに、我々が負けることなどありえん」
「それでも、私はそのようなこと望みません」
戦慣れしている、という意味ではフェーグレーン国に分があるだろう。
だが、エヴァンデル王国の兵士は、魔術を使えるものが多い。
魔術師が戦に出るとなると、いくら武を誇るフェーグレーン国でもどこまで通用するかわからない。
というのも、フェーグレーン国の騎士団に所属する魔術師は少数のようだからだ。
フェーグレーン国の騎士団の方が実力は高いかもしれないが、魔術師の人数という点ではエヴァンデル王国に負けるだろう。
実際に戦ってみないと勝敗はわからないけれど、『聖女』という呼び名のために戦う必要はなかった。
「その答えは予想はしていたが、やはりあなたは高潔すぎる」
「……そういうわけではありません」
「そういうことにしておこう。だが、夜会には出てくれるだろう?」
「それは、お約束しましたから」
そうすると、陛下は頷く。
「セシーには、私から一式、ドレスと装飾を贈る。そのつもりでいてくれ」
瞬時に、断らなければと思う。
けれど私が遠慮の言葉を口に出す前に、陛下が続ける。
「聖女の件はこちらが折れたのだ。睡蓮の庭で個人的に礼をしたいと伝えた、その礼だと思って受け取ってほしい」
フェリクス陛下は美しい微笑みを浮かべた。
けれどそれは今までの柔らかなものではなく、口元に浮かべる微笑みとは対照的に視線は射貫くような鋭さを持っている。
そのまなざしの強さに、これについては陛下も折れるつもりはないのだと悟った。
思わず固まった私に、フェリクス陛下は目元を和らげた。
「あなたの能力が目当てだと勘違いされたくないので黙っていようと思っていたが、やはり、これも伝えておこう」
不穏な前置きに、少しでもフェリクス陛下の真意を探ろうと、吸い込まれそうな深い色合いを宿したその目をみつめた。
何をお考えになっているのか探る間もなく、陛下の大きな手が私の頬に触れる。
ふりほどこうと思えばふりほどける強さだが、そうしてしまえば私がフェリクス陛下を意識していると伝わってしまうかもしれない。
一瞬ためらった隙に、フェリクス陛下の優美な指先は私の輪郭をたどり、おとがいに添えられた。
陛下を見上げるような形に縫い止められる。
戸惑う私に、フェリクス陛下は見たことのもないほどやわらかく微笑んだ。
まるで今の日差しのようで暖かで、いつもどちらかというと厳しい雰囲気をまとっている陛下の素の表情を垣間見てしまった気がして、私の呼吸が止まった。
噴水の水が跳ねる音だけが響いている。
「セシーリア、私はあなたが好きだ」
低い声でささやくように甘く告げられた言葉が、私の中に静かに響き、反響する。
はじめに感じたのは、『うれしい』という感情だった。
そして、心の中にしみこむように広がっていくうれしさに、私の中で育っている感情が陛下に対する好意なのだと、間違いなく自覚する。
(まさか、私は陛下を好きなの――?)
(でも、だから、アーネスの村で陛下に『聖女』と呼んでしまったと聞いたときにショックだったのね)
自覚したばかりの感情は『まさか』という戸惑いと、『だから』という納得をもたらしていた。
陛下を見つめたまま身動きもしない私に陛下は表情を苦笑に変える。
「あなたの聖女としての高潔さはまれに見るべきものだと思う。だが、それ以上に私はあなたという個人に惹かれている。
その責任感の強さも、意思が強いところも好ましい。
あなたの母国とこの国とでは比べるべくもないが、それでも私はセシーリア嬢の幸せを、私の手で作り出せたらと思うし、あなたに私の隣に居てほしいと思っている」
まっすぐなまなざしに、そこに嘘など含まれていないことは痛いほど伝わってきた。
どこか乞われるように告げられる言葉は、私の心を震わせていく。
この間、家族から帰ることができるかもしれないという手紙が届いたばかりなのに。
(たとえ、どんなに嬉しくとも、陛下のお気持ちは受け取るべきではない)
そう思うのに、陛下の告白を嬉しく思う気持ちは止まらない。
自覚してしまったこの気持ちは、ただ胸に秘めておくしかないのに。
不意に涙がひとしずくこぼれた。
戸惑って、まばたきをすると、さらにあふれていく。
それをどう受け取ったのか、フェリクス陛下はそのまなじりを下げた。
触れていた手が離れ、今度はあふれた涙をぬぐってくれる。
早く泣き止まなければと思うのに、それでも涙は止まらない。
「泣かせてしまったな。迷惑、だっただろうか?」
「……いいえ」
もっと、自分の気持ちも、家族からの手紙のことも、きちんと伝えなければ。
でも、どうしてか口からは言葉が出てこない。
泣き止まない私に、陛下の表情は、どこか後悔をしているようにも見える。
その顔を見て、私は『そうではない』と伝えたかった。
フェリクス陛下が私の涙をぬぐう手に、私の手を添え、指をからませた。
陛下の動きが一瞬止まる。
「セシーリア……?」
「本当に、――嫌では、ないのです」
「……わかった。信じよう」
言葉と共に、指先をからませたままの手をすくい上げられて、陛下の口元に引き寄せられる。
そして、その唇が私の指先をかすめていった。
「っ……」
思わず揺れた体に、フェリクス陛下は少しだけ目元を緩めた。
「今は、返事を求めぬ。だが、いつか、セシーリア嬢の気持ちを教えてほしい。私はいつまでも待とう」
そして、絡めた手を優しく解かれ、今度は改めて手の甲へと口づけられた。
すぐに離れていったけれど、思った以上に柔らかな感触だった。
呆然としている間に、フェリクス陛下はいつもの調子を取り戻されたようだ。
喉の奥で笑われて、私の涙を取り出したハンカチでぬぐってくださる。
「涙は、止まったな。では、部屋まで送っていこうか」
そのまま手をひかれ、私は客室へと送ってもらった。