21.売られた聖女は町歩きをする
午前中の終わり頃に、サムエル医務官がトルンブロム宰相からの伝言と共に医務室に戻られた。
伝言は明日以降の予定のことで、午前中は今まで通り騎士団に通い、午後からはパルム先生の医務室に向かうようにということだった。
グルストラ騎士団長にも調整済みだそうだ。
王都に居る騎士隊の浄化の進捗率が半分を超えているため、騎士団の医務室への滞在時間を減らしても騎士団長からは不満は出なかったそうだ。
むしろ、黄鈴花が瘴気を浄化するのであれば、この国へのメリットは計り知れない。
騎士団の方でもできるだけ協力することで話はまとまったそうだ。
黄鈴花の浄化の効果については、すぐに実験が始まった。
王都の郊外で、周囲に草が生えていない場所の選定を行い、黄鈴花を近くに植えた場合と、植えなかった場合で植物の育成試験をするそうだ。
また、一株でどのくらいの範囲を浄化できるのかも確認するという。
広大な土地が必要だけれど、王都の周囲は荒野なので問題はないそうだ。
翌日には、私の能力の検証も始まった。
まず、何もないところから黄鈴花を生み出せるかどうかから確認が始まる。
しかし、もちろん、そんなことはできなかった。
けれど、黄鈴草に限らず植物の種に魔力を注ぐことで、種を発芽させることはできた。
その確認のあと、今度は私が魔力を注ぎながら育てた黄鈴花と、普通に育てた黄鈴花に違いはあるのか、というところを試している。
日数がかかることなので、並行して普通に育ってきた黄鈴花に途中から魔力を注いで変化があるのかということについても調査をしている。
こちらは、王宮の庭で区画をわけて行われていた。
毎日、少しずつ魔力を注ぐだけなので、負担はない。
こちらにきて無茶ばかりしているので、もしかしたら私の魔力量もあがっているのかもしれなかった。
研究が落ち着いたら、その確認もさせてもらおうと思っている。
そうして、あっという間に休日となった。
マリーに準備してもらった服は、明るい朱色の足首まである長さのフェーグレーン国風のワンピースだった。
町娘というには、豪華な装いだ。
朱色の布地には、金糸で抽象的な草木の文様が刺繍されている。
下に白いシャツを合わせるようになっていて、上衣の袖口から覗く白い飾り袖が華やかさを加えていた。
自分ではまず選ばない色だけれど、意外なことに服の色味が肌に合うようで顔色が明るく見え、マリーからはものすごく褒めて貰った。
自画自賛となってしまうが私も似合っているように思う。
お誘いを受けてから、陛下とは何度か手紙でやり取りをしていた。
今日は陛下が部屋まで迎えに来てくれることになっている。
約束の時間少し前にフェリクス陛下がいらっしゃった。
マリーが陛下の来訪を取り次いでくれて、出迎えに向かうと貴公子風に変装した陛下の姿があった。
黒いジャケットに銀糸で刺繍が施され、その下から白いシャツが覗いている。
隠し切れない高貴な雰囲気で、どう見ても貴族のお忍び風にしか見えない。
もしかしたら、私もそう見えるのかもしれなかった。
「おはようございます」
「ああ。おはよう」
フェリクス陛下は、私のいでたちを見ると、満足気に頷いた。
「よく似合っているな」
「ありがとうございます。フェリクス陛下も、お似合いです」
そういえば、陛下が軍服以外の服をお召しになっているのを見るのは初めてかもしれない。
思わず見とれていた。
「今日はお忍びだ。今からここに戻ってくるまでは陛下ではなく、フェリと呼んで欲しい」
「でしたら、フェリ様、とお呼びします」
「それでいい。私は、セシーリア嬢のことを何と呼べばいいのかな?」
「では、セシーとお呼びください。家族はそう呼びますので」
私の答えに、フェリクス陛下はほほ笑んだ。
「わかった。ではセシー、こちらに」
自分で言っておきながら、陛下に愛称で呼ばれるのは少し照れる。
機嫌のよい陛下に手を取られて、廊下を進んだ。
今日は王都の目抜き通りの近くまで馬車で行き、そこから町を回ることになっていた。
王宮を抜けて町を走る馬車の中で、私は窓から外の様子を眺めていた。
ここに来た当初も思ったけれど、町並みは清潔で、人々には活気があり、瘴気という脅威があるのに栄えている。
「何か気になるものが?」
「豊かな町だと思っていました」
「どのようなところをそう思うのだ?」
「人々にも、町にも、活気があるように感じます」
「そうか、活気がある、か」
陛下は嬉し気に口の端が上がる。
「治世を褒められているようでうれしいが、この国は案外恵まれているのだ。
瘴気という問題はあるが、お陰で手付かずの豊かな大地がそのまま残されていたりもする。
そういった恩恵が大きいのであろう」
『豊かな大地』ということは、おそらくは何かの特産物があるのだろうか。
農作物の生産力という点ではエヴァンデル王国が抜きん出ているはずなので、鉱脈とか、そういったものかもしれない。
エヴァンデル王国には大金をはらい、そのうえ私にもお給料をくれている。
お金はどこから生まれているのだろうと、少し疑問に思っていたのだ。
話をしている間に目的地についたようで馬車が止まった。
フェリクス陛下のエスコートで馬車を降りると、そのまま陛下は私の手をとった。
しっかりと手を繋がれる。
「人が多いから、はぐれるといけない」
アーネスの村では、抱きしめられたりもしたのに、どうしてか今の方が気恥ずかしさを感じてしまう。
けれど、そう思ったのも裏道を出るまでだった。
一本通りを移動すると驚くほどの人の多さだ。
今まで、これほどの人波の中に入ったことはない。思わず手に力が入った。
後ろからは、護衛の騎士がそうとわからないように付いてきてくれているから、陛下とはぐれても迷子にはならない気がするけれど、それでもこの人の多さには圧倒される。
私の手の力が強くなったからか、陛下はこちらを見て、けれど何も言わずに手を握り返してくれた。
「せっかくだ。一通り見て回ろう」
そう言って、フェリクス陛下は人波を進んでいく。
陛下のただならぬオーラが感じ取れるのか、他の人の方が避けてくれるので歩きやすい。
今歩いている通りの両側には私が両手を広げた位の幅のお店が並んでいて、服や小物、靴、鞄などを売っている。
その突き当たりからアーケードが始まっていた。
石造りの背の高い建物が集まり、通路は、これまた高いアーチ構造で、人が多くとも圧迫感はない。
入り口付近にランプ屋さんがあるようだ。
大小様々な吊り下げランプが天井から下がり、近づくと壁や平台にも並んでいる。
小さな色ガラスを組み合わせて模様が作られていて、一つとして同じデザインはなかった。
見本として、ろうそくが灯されているものもあり、壁にカラフルな影を投げかけていた。
奥には香辛料のお店や、食材を扱うお店も見えている。
眺めながら歩いていると、入り口に一抱え程の大きな塊が並び、中の台に小さなかけらが山のように積まれたお店があった。
かけらは入り口で見たランプの色とりどりの光を閉じ込めたような色合いをしている。
「あれはなんですか?」
「飴だ。この国の伝統菓子でロクムという」
店の前に並べられている飴は量り売りになっているようで、買い物をしている他のお客さんがその飴を秤に乗せてもらっている。
「見てみるか」
フェリクス陛下の先導で店の中に入ると、モザイク模様の飴だけではなく、砂糖をまぶされた少し高級そうな飴や、一色で作られた飴などがガラスの器に入って飾られていた。
見ているだけで楽しくなる。
「お客様、こちらご試食はいかがでしょうか」
前のお客さんの対応を終えた店の主人とまだ若い店員がやってきた。
この服装は裕福な家の人間に見えるようで、主人はもみ手をし、店員の方がうやうやしく小皿を差し出している。
皿の上には売り物よりは一回り小さい、砂糖のまぶされた桃色の四角いかけらがいくつか乗っていた。
「これは?」
フェリクス陛下が説明を求めると、店の主人が話す。
「バラのロクムとなります。ここ最近、一番売れている商品となります」
「これは食べて良いのか?」
「こちらはお客様にお味を確認していただく分ですので、お代などもいただいておりません」
主人がそういうと、フェリクス陛下が頷き、手を伸ばした。
毒味などは気になさらないお方のようだ。
一瞬、店の入り口に居る護衛の騎士が陛下を止めようとしたけれど、静止がかかる前に陛下は飴を口に入れられた。
私も差し出された飴を手にとると、口に含んだ。
食感は意外に柔らかい。甘みは優しく、口の中にふわっと花の香りが広がった。
私は好きな味だった。
「花を食べているようだな」
「そういうところが、特にご婦人方に人気のようです」
陛下は頷いているがあまり好みではなかったようだ。
わずかに眉根がよっていた。
「あちらは?」
「はい、あっちは、レモネのロクムになります」
主人が説明している間に、店員さんの方がさっと小皿を取り出してきて、ガラスの容器から黄色の小さなかけらをとりだす。
食感は一緒だが、こちらは酸味が強く、さっぱりする味だ。
陛下は以前の夕食の時も、鳥肉の上に酸味のある果物の輪切りがのっていたものを好まれていた。
甘い物よりは酸味のあるものの方がお好きなのかもしれない。
表情は変わらないものの、見ている限り、陛下はこちらの方がお好きなような気配だった。
「なるほど」
陛下は頷くと続ける。
「セシーはどう思う?」
「最初のバラのロクムが好きでした」
「そうか、ならそちらを頂こうか」
陛下があまりにもあっさり決めるので、思わず見上げる。
「フェリ様?」
「気に入ったのだろう?」
「自分で買います」
「私がセシーに贈りたい」
そう言われると、固辞しづらい。
自分で買うつもりでこちらで頂いたお給料からお小遣いを持ってきていたのに。
「通常ですと紙袋でのお渡しとなりますが、別料金であちらの瓶に詰めることもできます」
お店の主人が、にこにこしながら壁際に並べられた透明なガラスの器を指し示す。
瓶だけれど、香水瓶のように華麗な装飾がされていた。
とってもかわいい。ねだるつもりはないのに、一瞬視線が止まったのを見られてしまったようだ。
「そうか。ではそちらで」
「デザインがどれも若干異なるのですが」
「セシー、どれがいい?」
陛下はあっさりとうなずき、店員さんがいくつか私が目をとめた品をカウンターに並べる。
私はその中から二つ、器を選んだ。
「こちらは私が支払いますので、あちらのレモネのロクムをお願いします」
「セシー?」
「私もフェリ様に贈りたいので」
そう答えると、フェリクス陛下が何かいうよりも先に店の主人が『かしこまりました』と返事をして、ニコニコしながら包み始める。
フェリクス陛下は、目を丸くしているが、それも一瞬のことで、すぐに楽しげに微笑まれた。
「食べる度に、あなたのことを思い出しそうだ」
どうやら陛下の方が一枚上手のようだった。
答える前に、品物の用意ができて、それぞれ購入したものを手渡される。
私はレモネのロクムを受け取った。
「では、今日の記念に、これをセシーに差し上げよう」
「ありがとうございます。私からは、こちらを」
プレゼント交換のようなやりとりに楽しくなって笑ってしまう。
それはフェリクス陛下も同じようだ。
「お買い上げありがとうございました」
店を出ると、背後で店主の上機嫌な声が聞こえた。