20.売られた聖女は王都へ戻る
行きと同じ時間を掛け、私たちはアーネスの村から帰還した。
宮殿に到着したのは日没間際の時間帯だった。
陛下と騎士隊の皆さんとは騎士団の建物の前で別れ、私はエーリク事務官と共に宮殿に向かう。
私はそのまま休暇に入るよう言われており、エーリク事務官も私を送ってくれた後、トルンブロム宰相のもとに報告に行き、それからお休みを取ると聞いている。
部屋にたどり着き、ノックをして中に入ると、マリーが部屋の戸締まりをしてくれているところだった。
私が居ない間もカーテンの開け閉めや空気の入れ換え、清掃をしてくれていたようで、部屋は行く前と同じ状態を保っている。
マリーは私たちを見ると、無事に戻ってこられたことを喜んでくれた。
エーリク事務官はマリーに私を休ませるように伝えると、トルンブロム宰相の元へと報告に向かった。
エーリク事務官を見送った後、マリーが改めて私に向き直る。
「おかえりなさいませ」
「ただいまもどりました」
『おかえり』の言葉が嬉しくて、思わず笑みがこぼれる。
「心配しておりました。ご無事でなによりです」
「ありがとう。陛下と騎士隊の皆様のおかげで何事もなく戻ってこれました」
「なによりでございます。ご不在の間に、お手紙が届いております。お持ちしますか?」
「ええ。お願いします」
「こちらです」
明日読むことも考えたけれど、誰からの手紙かも気になるので先に読むことにした。
マリーが取ってきた手紙を受け取ると、封蝋を確認する。
薔薇の封蝋。ロセアン公爵家の印章だ。
家族からだろう。
開封された痕跡はない。
封蝋を割らぬよう、手紙の上部をペーパーナイフで切り開く。
中に入っていたのは、やはり、お父様たちからのお手紙だった。
ソファに移動して、ゆっくりと手紙を読み進める。
まずはお父様の筆跡で数枚。
私を心配する言葉に始まり、私が出国した後の王国の様子が記されている。
私が出国してしばらくしてから、国境で植物が枯れるなどの異変が起きたのだそうだ。
原因は書かれていない。すぐにその騒動は収まったということだが、そのことについてお父様が『やはり、私たちのセシーが聖女なのだ』と記されているのが気にかかった。
国境の異変とは、どの程度のものだったのだろうか。
ここからでは何もできないけれど、家族が無事であるようにと祈った。
続いてお兄様の調査状況について書いてあった。
なんと、お兄様は従者を連れて自らシーンバリ領へ向かわれているそうだ。
詳しくは書けないと前置きされているが、どうやら調査は順調のようだ。今は私が帰れるように動いているところだという。『どうか信じて待っていてほしい』という言葉が共に記されていた。
お母様からも私の体調を気遣う内容が添えられている。
読み終わると、もう一度始めからゆっくりと読み直す。
(お兄様が、自ら調査に向かわれているなんて……)
無茶をなさっていないだろうか。
お兄様は学園を優秀な成績で卒業され、お父様もお兄様のことを次期公爵として期待なさっていると聞いていた。
だとしても、このように行動力がある方だなんて知らなかった。
(……帰ることができるかもしれないのね)
その知らせは、本来ならきっと、もっと嬉しいはずだ。
けれど、素直に喜べない自分がいた。
(どうして、かしら……)
手紙を手に考え込む私に、マリーが心配げに声を掛けてくれた。
「なにか、良くないことが書かれていたのですか?」
「いいえ、家族の近況と、私が苦労していないかという心配を伝える内容が書かれていました」
「ロセアン様はお一人でこちらにいらっしゃるのです。ご家族もさぞ心配していらっしゃるでしょうね」
「皆様によくして頂いているから、何も心配することなどないと、そう返事にも書くつもりよ」
「ロセアン様がそう思ってくださるのは嬉しいことです」
心配をかけないよう、あえて明るく振る舞ってみたけれど、マリーは心配げな様子を崩さない。
手紙を読んだことで、私が故郷が恋しくなったと思っているのかもしれない。
けれど気落ちしている理由を深く追求されても、私にもわからないのだから、ただ大丈夫という他なかった。
「少し、疲れが出てきたみたいです。いつもよりもまだ早い時間ですが、お風呂の支度をお願いできますか?」
「ロセアン様は、お戻りになられたばかりでしたね。至らず申し訳ありません。すぐに支度致します」
実際、座り心地の良いソファに座っていると眠気も感じる。
思った以上に疲れているのかもしれない。
手紙に書かれていたことについて、もっと考えないといけないと思うのに、その日はお風呂と夕飯をいただくとすぐに眠ってしまった。
翌日は、ゆっくりと朝寝をさせてもらい、起きると昼に近い時間だった。
ブランチを頂き、午後からの時間をどうしようかと、文机の上におかれた小さな花瓶に生けられた黄鈴草に目を向ける。
アーネスの村でイーダちゃんにもらった花だった。
ここへ帰ってくる間に枯れてしまわないよう、魔法を使ってできるだけ貰ったときのままの状態を保つようにしていたのだ。
華奢な茎を手にとると、爪の先程の小さな黄色い花が小さく揺れる。
可憐な花を眺めているとアーネスの村での出来事が思い起こされた。
魔獣に襲われたり、フェリクス陛下に庇ってもらったり、土地を浄化したり。たくさんのことがあった。
イーダちゃんに『自信を持って』と言われたけれど、もうエヴァンデル王国で聖女としての能力が足りないと言われたことは、心の中のトゲが抜けたように、いつの間にか気にならなくなっていた。
見渡す限りの大地を浄化し、黄鈴草を蘇らせた。その実感が私に自信を持たせてくれていた。
(代わりに違うことが、気になるようになってしまったけれど)
私は、ここへ帰る途中に既に何回も繰り返し考えてきた、フェリクス陛下から『聖女』と呼ばれたことにどうして胸が痛むのか、ということを改めて考えた。
――フェリクス陛下に、名前を呼ばれることが、普通になりすぎていたから?
――普段、あれだけ私が『聖女』と呼ばれないですむよう気を遣ってくださっていたのに、それが表面だけのものだったのかと、残念に思った?
けれど、どちらもしっくりとこない。
私は考えるのをやめて、この花をどうするか決めることにした。
「マリー、この花を押し花にしてみたいのだけれど、やり方を知っていますか?」
「はい。おそらく、大丈夫と思います。そちらは?」
「アーネスの村で、女の子からもらったの」
「さようでございましたか。では、準備を致しますね」
イーダちゃんがくれた花は、私が成したことの証だ。
『聖女』と自ら名乗ることはなくとも、『聖女』と呼んでくれた人たちのために常にその言葉に恥じることのない私でいたい。
その気持ちを忘れないために、形として残すことにした。
そうやって休日を過ごしていると、陛下からの手紙が届いた。
手紙は、次の私の休みに共に王都の町に出かけようというお誘いだった。
アーネスの村に行く途中に結んだ約束を果たそうとしてくれているのだろう。
それが嬉しい。
(けれど、町に陛下と出かけられるような服を持っていたかしら……?)
持ってきている服は王宮で過ごすには問題ないが、町に下りるとなるとエヴァンデル王国風の仕立てで悪目立ちしそうだった。
考えていると、マリーが声をかけてくれた。
「いかがなされましたか?」
「陛下から、次のお休みに町に行こうと誘われたのだけれど、どのような服がよいのかと思って」
「お二人でお出かけになられるのですか?」
「ええ。この間、陛下が町を案内してくださるとお約束してくださったの」
「そうでしたか。でしたら、私の方に手配を任せて頂けませんか?」
「よいのですか?」
こちらには伝手も何もなく、マリーがそう言ってくれるなら頼りたい。
「ロセアン様にお似合いになられるものを、必ずやご準備いたします」
「ありがとう。でも、そんなに気合いを入れなくても大丈夫よ?」
とても気合が入っている様子に、思わずそう伝えると、マリーが私をしっかりと見つめて言う。
「いえ、ロセアン様の魅力を引きたてつつも、町にいて差し支えない服を何としても探してまいりますから」
陛下へとお手紙の返事を書いた後は、マリーから今こちらで流行している服の形についてのレクチャーが始まった。
そして、それについて私の意見を聞かれる。
できるだけ私の好みに寄せてくれようとする気遣いがありがたい。
どのような服を探してくれるのか、とても楽しみだった。
そうしているうちに数日あったお休みはあっという間に終わってしまった。
休み明けは、宰相から執務室に寄るよう連絡が来ていた。
黄鈴花について詳しく話を聞きたいそうだ。
エーリク事務官の迎えで朝一番に向かう。
許可を得て入室すると、中にはトルンブロム宰相の他に、パルム先生、サムエル医務官が控えていた。
「お待たせ致しました」
「いいえ、時間通りです。こちらの二人は、話すことがあったため先にお呼びしていただけですから」
トルンブロム宰相に進められて、椅子に座る。
エーリク事務官は、私の後ろに立っている。
「陛下から、黄鈴花が瘴気を払うという話を伺いました。
そのことについて、詳しくお話を聞かせていただきたいのです」
トルンブロム宰相の瞳がまっすぐに私を見つめる。
「国家機密で、お話しできないと言うことでしたら、可能な範囲でかまいません」
「いいえ、秘密でも何でもありません。
エヴァンデル王国では黄鈴花の根は瘴気を取り込み、少しずつ大地を浄化していくと言われていました。
ですから、黄鈴花は女神様の祝福で生まれたとも伝えられています。
こちらの宮殿のお庭にも黄鈴花の花が植えられているので、ご存じだと思っていました」
「そうなのですか!?」
驚愕しているサムエル医務官とパルム先生に、宰相が頷く。
「エーリク事務官、依頼していた記録の調査結果はどうだった?」
「宰相閣下のおっしゃるとおり、過去の書類に記載がありました。
こちらが、この宮殿を建てた当時の書類です。
黄鈴花を混ぜないと庭木が枯れてしまうと言うことで、庭のデザインを変更するための申請書類と草木の購入履歴が残っていました」
「そうですか。では、詳しいことを知らずとも、現場では体感としてその効果を知っていたのですね……」
宰相はエーリク事務官が差し出した書類を見てつぶやいた。
なんとなく必要だと言うことは実感としてわかっていても、誰もあの草にそんな効能があるというのは考えもしなかったのだろう。
「至急、その花の効果がどれほどのものか、検証をさせましょう。
ロセアン殿にもお話を伺うことがあるかもしれません。その時はご協力お願いします」
「かしこまりました」
頷くが宰相の表情はまだ固い。
「もう一つお尋ねします。報告によれば、アーネスの村で、ロセアン殿のお力で黄鈴花が一面に生え、花が咲いたとありますが、そのようなこともできるのですか?」
「いいえ。私だけの力ではあのようなことはできません。
もともとあの場所には地中に黄鈴花の根が残っていたので、大地の浄化の際に魔力を一緒に注いでいたのです。
すると、黄鈴花の方から魔力を引き出された感じがして、気がつくと一面に黄鈴花がよみがえっていました」
「では、黄鈴花を操ったというのは?」
「それは、私にもわかりません。どうしてか、できたというしか――」
「でしたら、黄鈴花のこともありますし、パルム医師とサムエル医務官と共に、その件の解明にご協力頂けたらと思うのですが。よろしいですか?」
「願ってもないことです。私も、自分のことですので、是非知りたく思います。よろしくお願いします」
そういうと、トルンブロム宰相は頷いた。
パルム先生は興味深げに私を見ているし、サムエル医務官も目をきらめかせている。
「でしたら、時間の方はこちらで調整します。騎士団の治療と浄化は大分進んでいましたね。
午前中か午後からか、騎士団の業務をどちらかにしぼり、しばらくはパルム医師たちとの研究にあててください」
「わかりました」
私が了承の返事をすると、宰相はわずかに肩の力を抜いた。
そして、パルム先生とサムエル医務官の方に向き直る。
「パルム医師とサムエル医務官もこの件について、よろしくお願いします」
「もちろんでございます」
「名を加えていただいて光栄です」
「では、パルム先生とサムエル医務官と、もう少し話を詰めますので、ロセアン殿は本日は通常通りの業務をお願いします」
「わかりました。失礼いたします」
そして私はエーリク事務官と共に執務室を後にした。