2.元聖女は王太子から婚約破棄を告げられる2
私が帰宅して、そう間をおかずにお父様も帰宅された。
お父様のお帰りは夕方になると伺っていたのに、早退されたようだった。
帰宅されたお父様はとてもお怒りだった。
私はお母様とお兄様と共に薔薇の間に呼ばれた。
「何があったのですか?」
お母様が言い、お兄様が頷く。
お母様は淡い金髪に水色の瞳の儚げな方だ。
お兄様は髪と瞳の色はお母様と同じだが、顔立ちはお父様に似ている。
お父様は私と同じ白銀の髪に紫の瞳だ。
私はまだ王宮で起きたことを二人に話していなかった。
一番に話すべきなのは、お父様にだろうと思っていたからだ。
そのお父様の瞳が、悲しげに細められている。
「陛下から、セシーの婚約が解消されフェーグレーン国へと遣わすこととなったと言われた」
「あの野蛮人の国にセシーをですか!?」
「そんなっ」
お父様の言葉にお兄様が立ち上がり、お母様は蒼白になった。
王太子殿下に聞いていた話と違う。
「セシー?」
一瞬疑問を浮かべた私にお父様が言いたいことがあるなら言うよう目線で促した。
「婚約は破棄ではないのですか?」
私が尋ねると、お父様が驚いたお顔をされる。
「まさかっ!?
そうか。セシーも朝から王城に呼ばれていたな。王太子から聞かされたのか?」
「お父様!?」
敬称をつけずに、それも『王太子』と呼んだお父様に思わず驚きの声を上げた。
「あのようなものに敬称など必要ないだろう。無理矢理婚約を迫ったのは王家の方だというのに、破棄とは言わせん。
陛下とは白紙ということでまとまった」
「そう、なのですか?」
私は当時聖女の仕事の引継ぎで忙しく詳しい事情は聞いていなかった。
「そういえばセシーには詳しい事情は話していなかったな」
お父様が続ける。
「六年前、当時の聖女様が急逝されたのは覚えているか?」
「はい」
「この国では、聖女様が亡くなられたり、そのお役目を降りられたら、次の聖女様を立てねばならん。
だが、あの時は聖属性の魔力を持ち、その役目である泉の魔法陣を起動できる魔力量を持つものが、まだ幼かったセシーの他にいなかったのだ。
私たちはセシーが聖女となることを許すしかなかった」
お父様は、悲しげながらも怒りをにじませた複雑な表情だ。
「そのうえ、セシーが幼いから王家の後ろ盾があった方が良いとして、あの王太子との婚約も無理矢理に結ばされて、どんなに腹立たしかったことか。
今になって聖女のより強い力を持つものが出てきたからと、今度は懸命に励んでいたセシーから聖女の御役目を取り上げ、婚約を取り消すなど許されることではない」
私のためにお父様が怒ってくれているのは嬉しい。
けれど、私の実力が足りなかったのも事実なのだ。
「ですが、最近、私の力が落ちていたのも事実です」
「あのシーンバリ伯爵領の件か?」
私の力が足りなかったために、国内の一部の地域で浄化をしても瘴気が残るという事態が発生したのだ。
聖女の力は絶対視されている。
私を含めた聖女は皆、毎日、建国の時から伝わる泉の魔法陣を起動することで、この土地の浄化を行う。
聖女が務めを果たしているのに、王国内に瘴気が残るということは誰も考えない。
シーンバリ領でいつ頃から瘴気が溜まっていたのかはわからない。
けれど、ある日突然、シーンバリ伯爵領で瘴気があふれた。
そして、土地も人も巻き込んだ大事故になりかけたところを、偶然そこに居合わせたエミリ・シーンバリ伯爵令嬢が浄化したのだ。
王宮の調査の結果、その瘴気は私の力が足りずに浄化できなかったものだったと言われ、私は聖女として不適格だと断じられた。
そして、私でも浄化できなかった瘴気を浄化したとして、エミリ・シーンバリ伯爵令嬢が新聖女に就くこととなった。
シーンバリ伯爵令嬢も、もともと聖属性の魔力を持っている。
六年前、聖女候補として名前もあがっていたそうだが、保有する魔力量が足りず候補から外されたそうだ。
けれど後天的に魔力量が伸びていたようで、自領の危機を救ったことで私よりも力を持つ聖女としてもてはやされるようになった。
「僕にはセシーの魔力が昔と変わったようには見えないのですが。
むしろ、聖女としての経験を積んだことで、輝きを増して量も増えているように見えます」
お兄様の言葉に、お父様も頷く。
「ああ。候補に選ばれたら、未成年の場合は成長後の伸び代まで含めて審査される。
一度はその候補から外れたご令嬢が、公爵家の魔力量に匹敵する力を手に入れることができるとも思えん。
だから、きっと何か理由があるはずだ」
私の実力が足りないのに、それでも私を信じてくれようとする家族に、どう頑張ろうとしても涙がにじんでしまう。
「でしたら、僕はもう一度、その件を調べ直してみます」
「頼む。私も当時、調査はしたが、王家の調査に不服があるのかと言われて、詳しく調査することができなかった。
王家も王家だ。セシーの後ろ盾として婚約を結んだのなら、こういう時こそセシーの側に立つべきなのだ」
私を庇うようなお父様のお言葉に、とうとうこらえていた涙がこぼれた。
お母様がそんな私を抱きしめてくれる。
「セシー。このようなことを許してしまう力ない父で本当にすまない」
「お父様……」
意気消沈するお父様にお母様が言う。
「ルーカス、セシーはどうしても行かなければいけないの?」
お父様は頷く。
ルーカスというのはお父様の名だ。
「そちらに関しては、どうすることもできなかった。
私やセシーの意見も聞かずに、王太子殿下がセシーを派遣するとあちらの使者に伝えてしまっているそうだ。
その上、信じられないことに、既にセシーを遣わす対価として大金も受け取っているという。
ここで断ると、戦争の口実を与えることになってしまうと、陛下からは重ねて頼まれた」
「そんな!
ひどいわ。それでは、まるで――」
お母様が悲鳴を上げる。
私も口には出さないものの、どこか人ごとの様に『まるで売られるようだ』と思った。
「ロセアン公爵家など、そのような扱いで良いと言うことだろう。
あまりにも腹が立ったので、大臣の職は辞めてきた。
陛下には引き留められたが、しばらく領地にこもろうと思う」
「あなたに従いますわ」
「セシー。本来はこのようなことを言ってはいけないが、私個人の感情としては、あのような王家にセシーが従う必要はないと思っている。
だから、向こうに着いてから、すぐに帰ってきてもいい。約束は、向こうに行くという話だけだ」
「お父様……」
王太子殿下の話では、できれば長く居ることができる人が望まれているようだし、そのようなことをすれば、それこそ戦争になってしまうだろう。
けれど、そこまで怒ってくれる父様のお気持ちは嬉しかった。
「既に、王太子殿下にも、フェーグレーン国へ向かうと伝えています。
それに、あちらで私の能力を期待してくださっている方がいらっしゃるというのなら、その方のために力を振るってみたいと思います」
私の言葉に、お父様は深く頷いた。
「そうか。そのように覚悟が決まっているのか。
なら仕方がない。もし、あちらで何かあれば、手紙でも何でも、こちらに送りなさい。できるだけのことはしよう。
なんとかセシーが早く帰ってこられるように、私たちも道を探してみる」
「……お父様。ありがとうございます」
このような家族に恵まれただけでも私は幸せだ。
そうして、残された出立までの日々を、私は家族のもとで過ごした。