19.幕間 エミリ・シーンバリ2
あの色味の薄い元聖女を押しのけて聖女となった日、私はアルノルド殿下に聖域へと案内された。
エヴァンデル王国の王宮から馬車で一時間ほど行ったところに、王家の管理する森がある。
その中に聖女と王族のみが入ることができる聖域があるという話は聞いたことがあったけれど、本当にそのような場所があるなんて、私はわくわくしながら森に足を踏み入れた。
森の中には、石畳が敷かれた道があり、そこを進むと、うっそうとした木々の奥に、泉が現れる。
泉の周りにはレリーフが刻まれた石柱が六本、円を描くように等間隔に並んでいた。
アルノルド殿下いわく、この泉と石柱こそが建国の時から伝わる浄化の魔法陣なのだそうだ。
不思議なことに、石柱は野ざらしだというのに、ほとんど白さを保ったままだった。
「ここで聖女が魔力を注ぐのですね……!」
「そうだ」
感動する私とは違い、アルノルド殿下は見慣れているのか無感動だ。
石畳は泉の前まで続くと泉の手前で一段高くなり、人が三人は立てそうな台を作っている。
案内をしてくださるアルノルド殿下の指示に従い、私はその石段の上に立った。
アルノルド殿下によると、そこは聖女のみが立つことを許されるそうだ。
「エミリ嬢。その場所から石柱に魔力を注ぐと魔法陣が起動し、王国に浄化の力が行き渡るそうだ」
「やってみます」
胸の前で手を組んで、集中しやすい態勢を取る。
台座が魔力を導く回路になっているようで、魔力を注ぐ方法は直感的にわかった。
それだけでも、私が想像もつかないくらいの高度な魔術が組み込まれていることがわかる。
呼吸を整えて、ゆっくりと魔力を注いでいく。
すると、台座が起動し、私が注いだ魔力が円柱の間を巡っていった。
円柱の間を走る魔力は光として知覚され、とても神秘的な輝きを放っている。
魔法陣は信じられないほどの魔力を消費するようだ。
どれだけ注いでも魔法陣は完成せず、結局、私の持つ六割ほどの魔力を注いで、ようやく魔法陣は完成した。
魔法陣が必要とする魔力を込め終わると、自然と台座の魔力回路が閉じられた。
強く輝きを放つ石柱が、泉の上空に光の線を描き出す。
そのまましばらく待つと魔法陣は複雑な図形を描いて完成し、柱と共にひときわ輝くと、浄化の力を持つ魔力が空へと解き放たれた。
光の尾を残して四方へ散る魔力を、私はかなりの疲労を覚えながらも眺めていた。
「ご苦労だった。調子はどうだ?」
疲労のあまり、少しぼうっとしていたようだ。
アルノルド殿下にかけられた声に振り向くと、殿下はこちらの疲労を推し測るような目で見ている。
ここで「疲れました」と言おうものなら、前の聖女に戻そうと言う話が出るのが簡単に想像できた。
つとめて、なんでもない風を装い答える。
「……問題ありませんわ」
「なら、この調子で毎日頼む」
私の回答は問題がなかったのか、アルノルド殿下は満足げに頷いた。
聖女の務めを始めたあの日から、まだ三ヶ月もたっていない。
だと言うのに、私は危機を感じていた。
毎日、継続して六割以上の魔力を魔法陣に注ぐというのは、思った以上に力を消費するものだった。
そして、聖女の仕事はそれだけではない。
王家から求められれば、他の人々のために浄化を施すこともある。
体調によっては魔力が底をつきかける日もあり、私は魔石から魔力を補いつつ、ギリギリの魔力をやりくりしていた。
私の魔力が底をつき出してから、魔石に内包する瘴気の量が多いと浄化がおいつかないことがあった。
そのような場合は、魔力と共に瘴気も共に取り込んでしまう。
若干の気持ち悪さもあり、魔石から魔力を取り込むのは最終手段として可能な限り避けていた
疲れてどうしようもない時には、ふと、前の聖女のことを考えてしまうことがある。
今、私は十六歳。
前の聖女がこの勤めを引き継いだ時は、まだ十二歳だった。
私と二歳しか年の変わらない元聖女は、最近まで、このような激務を軽々とこなしていたのだ。
何度か会っただけだが、彼女は特に消耗しているような様子も疲労している様子もなかった。
子供でも出来ていたことだからと考えていたけれど、もしかして、私とあの元聖女には、とんでもない力の差があるのではないだろうか。
一瞬浮かんだ考えを振り払う。
私が「お役目がきつい」と言えば、どうなるのか結果は目に見えている。
おそらく、アルノルド殿下と婚約は破棄され、次の聖女を探すか、前聖女が呼び戻される。
せっかく手に入れたアルノルド王太子殿の婚約者の座を手放すのは嫌だ。
せめて、結婚までは聖女でいる必要がある。
でも、このまま、続けることはできるだろうか。
不安と疲労に揺れる、そんなある日のことだった。
アルノルド殿下に呼び出された。
入室すると、執務室の机に向かうアルノルド殿下は見るからに不機嫌で、私は一体何をしてしまったのだろうと思う。
長い間頭を下げたまま待たされ、執務室内にはアルノルド殿下が羽ペンを動かすカリカリとした音だけが響いた。
どれだけそうしていたのか、気がつくとペンの音が止まっていた。
「顔をあげよ」
体を起こすと、逆光の中、机に頬杖をつき、アルノルド殿下がこちらを見ている。
黙ってその視線に耐えていると、アルノルド殿下が短く息を吐き、口を開いた。
「国境から、作物が枯れ始めたという話があがってきた。
聖女の浄化の力が及んでいないのではないかと言われたのだが、申し開きはあるか?」
まさかの事態に、息をのむ。
ありえない。毎日、あれだけ必死にやっているというのに、それでもまだ足りないというのだろうか。
「わ、私は精一杯やっております!」
アルノルド殿下は、私の頑張りをわかってくださる。
そう思って訴えると、アルノルド殿下は鼻を鳴らした。
「お前がどれだけ頑張っているかは関係ない。結果が全てだ」
突き放された一言に、思わず涙がにじむ。
しかし、ここで涙をこぼせば、王太子殿下の婚約者としての教育さえ身についていないのかと更に叱責されるだけだろう。
私は涙をこらえて、アルノルド殿下が満足する答えを探す。
「力が及ばず申し訳ありません。以後、このようなことは起こしません」
「わかっているならよい。誰にでも過ちや失敗はある。一度目は許そう。
婚約者教育は無事に終わったと聞く。今後は聖女としての役目に集中しろ」
「かしこまりました」
「明日以降、期待している。話は以上だ」
退室を促され、部屋を出る。
涙は、なんとか王宮内に作られている私の部屋までこらえた。
あんなにもお慕いしていたのに、私の好意はアルノルド殿下にとっては何の価値も持たず、ただ、聖女としての能力を満たすかどうかだけを量られていた。
そのことが酷くショックだった。
けれど、それでも、私はアルノルド殿下の隣を離れたくない。
私は、涙を拭った。
結果を出せねば、次は切り捨てられるだろう
そうならないために、私はお父様に運んでもらう魔石の量を増やすように手紙を書いた。
そして、部屋の奥に運ばせている魔石に手をつける。
これらは、魔力は高いけれど瘴気の内包量も多く、手をつけるのをためらっていた物だ。
できるだけそのような魔石は避けていたけれど、今は手持ちがこれしかないのだ。
明日のために、少しでも魔力を増やす必要があった。
翌日、私は聖域へと来ていた。
私の様子を見るためか、初日以降、来られていなかったアルノルド殿下もいらっしゃっている。
失敗はできない。
いつもより多くの魔力を注ぐ。
これで大丈夫なはずだ。
ふと、魔法陣をくみ上げ始めた石柱を見ると、石柱の間を走る魔力に、若干黒い影が混ざっている気がした。
よく見ようと目をこらした時には、黒い影は既に光に飲み込まれ霧散していた。
疲れているから、気のせいかもしれない。
それに、魔法陣から飛び立った光は、いつもより光量も強く、光の尾の数も増えていた。
問題はなさそうだと芽生えかけた不安を押し殺す。
数日後、再び王太子殿下の執務室に呼び出された。
今回は、すぐに頭を上げることを許される。
「国境の緑が活力を取り戻したそうだ。よくやった」
私は、アルノルド殿下の言葉に笑顔を作った。
「何よりでございます。これからも、励みますわ」
「期待している」
父が持ってきてくれた魔石は、どれも瘴気の内包量が多い。
これからの日々を思い、私は「まだ、耐えられる」と自分に言い聞かせた。