15.売られた聖女は旅路につく2
馬車が王宮を離れ、王都の町を抜けていく。
馬車の前後には第二隊の面々が馬を走らせていた。
夜明けが近いのか、空がゆっくりと白んできていた。
まだ夜明け前で固く戸締まりをしている家々を見ながら、フェリクス陛下が口を開く。
「そういえば、セシーリア嬢はもう町には下りたか?」
「いいえ、まだです。お休みの日に出かけてみようと思っているのですが」
先日の休みは、サムエル医務官と意見を交換するため、覚えている薬の調合を書き出していたので、結局外出する時間はとれなかった。
「なら、そのうちに私が案内しよう」
「フェリクス陛下がですか?」
意外なフェリクス陛下の申し出に、驚いて聞き返してしまった。
「ああ、私が」
私の視線を受けて、陛下が微笑みゆったりと頷く。
この方は、どうして、こう、自分の魅せ方を知っているのだろう。
無意識なのかもしれないが、フェリクス陛下がずっとこの調子では私の心臓の方が持ちそうにない。
けれどそれを悟られるのも嫌で、できるだけ平静を装った。
「では、楽しみにしています」
赤くなっているだろう頬をごまかすために、私は窓の外を見た。
すると、地平に太陽の光が見えた。
「夜明けです!」
フェリクス陛下の視線も窓の外に向かう。
大地からゆっくりと太陽が顔を出し、空が朝焼けに染まっていく。
今日は天候に恵まれたようだった。
「アーネスの村まで、順調に進みますように」
「そうだな」
窓の外から視線を戻すと、フェリクス陛下と目が合った。
真面目な顔をして、フェリクス陛下は続ける。
「アーネスの村について説明しておこう」
「お願いします」
「知っているかもしれないが、この国は、いくつもの国を併合してきた。
アーネスもそうして併合した国の一つだ。
といっても、あの辺りはここよりもさらに瘴気が多く、土地も貧しい。
いくつかの集落のまとまりが、かろうじて国という体裁をとっていたところに、兄上が攻め込み、ほぼ戦わずに併合を果たした。
なので、彼らに私たちへの心理的な確執はないと私は思っている」
「そう、なのですか」
事情は飲み込めたが、フェリクス陛下の言われた『兄上』という言葉が気になった。
だが、フェリクス陛下の兄上は、既に亡くなっておられると聞いている。
気軽に聞いて良いものだろうか。
「気になることがあるなら、遠慮などしなくてよい」
「その、お兄様、というのは」
「亡くなった一番上の兄だ。私には兄が二人いる。
一番上の兄は私が物心つく頃には既に戦場に出ておられたが、国を拡大することにしか興味のなかった父と違い、次の兄と共に今のフェーグレーン国の礎を築かれた。
年の離れた私のことも、よく気にかけてくれていた」
「……お兄様方のことを、お好きだったのですね」
「二人とも、私などより、余程王に向いていたと思う」
そういうと、フェリクス陛下は黙り込んだ。
物思いに沈んでいるようだ。
私も、それ以上尋ねることはせず、黙って窓の外で変わりゆく風景を見つめた。
それからは特に大きな問題もなく順調に進み、日程的には半日ほど早く進んでいる。
今日の昼過ぎにはアーネスの村に到着できるそうだ。
フェリクス陛下も元の調子を取り戻し、アーネスの村のこと以外にも、この国の地方ごとの特色などをかいつまんで教えてもらった。
窓の外の風景は、相変わらずの荒野だ。
気になることと言えば、この辺りは黄鈴花の姿が少ないことだろうか。
細い蔦を持ち、地を這うように広がる黄鈴花はどこでも見ることができるのだが、この辺りではあまり広がっていないようだ。
そういえば、フェリクス陛下は黄鈴花に弱いながらも浄化の力があることをご存じなのだろうか。
知っていたらもっと有効に活用している気もするし、聞いてみようと口を開いた。
「フェリクス陛下におたずねしたいのですが」
「なんだ?」
その時だった。
馬車が急停止したようだ。
体が進行方向に投げ出される。
私は咄嗟に何もできず、痛みを覚悟して目をつぶった。
しかし、痛みはなく、代わりに暖かい何かに受け止められていた。
思い当たるものは一つしかなく、おそるおそる目を開けると、私は陛下の腕の中にいた。
自ら戦いに出られると言うだけあり、見た目よりも意外と筋肉質のようだった。
険しい顔をした陛下が、窓の方を見ている。
私も外を見ようとしたけれど、陛下にしっかりと抱き留められていて、動くことができない。
馬車自体も、脱輪したのか傾いていた。
騎士達の緊迫した声と、おびえたような馬のいななき、そして獣の咆哮が聞こえている。
「大丈夫か?」
「はい、失礼致しました」
どうにか体勢を立て直そうと身をよじると、陛下の腕の力が強くなった。
「少し待て」
外をうかがう陛下は、息を殺している。
その様子を見て、私も同じようにできるだけ息を殺した。
剣が鋭いものを弾く高い音。
そして、騎士たちの声がする。
「――下と、ロセアン殿は無事か!?」
「怪我人は下がれ!」
「血の匂いで興奮しているぞ!」
「今はあいつを馬車に近づけさせるな!」
どうやら、外で何ものかに襲われ、今はそれを迎撃しているようだ。
誰もこちらを見に来ないのは、その余裕がないのだと伺われた。
「セシーリア嬢、一人で、ここで待てるか?」
陛下は、外に出るおつもりなのだとわかった。
そのために、私が一人で大丈夫か聞いている。
私は今までこのような危険に遭遇したことなどなく、フェリクス陛下が庇ってくださっていても、体の震えが止まらなかった。
陛下にもそれが伝わっているのだろう。
だから、私ができないと言えば、フェリクス陛下は残ってくださるおつもりなのだとわかった。
けれど、陛下が外に出る必要があると判断されたのなら、それを私が引き留めるわけには行かない。
つとめて冷静に見えるように返事をする。
「大丈夫です」
「では気休めにしかならんが、これを被り、じっとしていろ。
必ず、なんとかしてくる」
フェリクス陛下は着ていた上着を私にかぶせると、タイミングを見て扉を押した。
けれど、扉も衝撃でゆがんでいるらしく、押しても開かない。
陛下は扉を蹴破って出ていった。
一人きりになると、より外の様子が気にかかる。
少しだけ見てみようかとも思ったけれど、うかつな行動をして悲鳴でもあげれば、陛下や騎士たちの迷惑になるだろう。
私は膝を抱え、陛下の上着をしっかりと被って、その場でじっとしていることを選んだ。
「へ、陛下!?」
「危険です。馬車にお戻りください!」
扉が壊れ、風通しがよくなった分、騎士達の声がよく聞こえる。
騎士たちが戻るようにいう声を遮り、フェリクス陛下の凛とした声が響く。
「私を誰と心得るか!
あのような魔獣、お前達も魔の地で戦ってきただろう。
落ち着いて、いつものように対処しろ!」
フェリクス陛下の一声で、ざわついていた現場の雰囲気が一気に落ち着いたものになった。
「一班から三班まで、三方向に分かれて牽制。
あくまで牽制で無理はするな。
四班は五班はこちらで私と攻撃をしかけ、六班はその隙に背後に回り込め」
フェリクス陛下の指示が飛び、それに答える騎士達の返事が聞こえる。
「おい、三班、あまり突出するな!」
「六班、急げ!」
その後、魔獣の叫び声や刃物が鋭いものを弾く高い音がしばらく聞こえる。
「今だ!!!」
ひときわ大きい陛下の号令の直後、大きな爆発音が聞こえ、魔獣の悲痛な咆哮が響いた。
誰かが魔法を使ったのかもしれない。
一拍遅れて、地響きが聞こえる。
直後に、騎士達の歓声が広がった。
その歓声の中、陛下の声が再び響く。
「各班、全員の点呼と怪我の確認をしろ!」
「はい!!」
その声に、私も膝に伏せていた顔を上げた。
馬車の外に出た方がいいのだろうか。
そう思い、立ち上がろうとするけれど、傾いた馬車の中は不安定でうまくいかない。
扉の隙間からフェリクス陛下がこちらにいらっしゃるのが見えた。
「セシーリア嬢。無事か」
馬車の入り口に立つフェリクス陛下は、その場でなんとか立とうとしている私を見下ろすと、ほっと肩の力を抜いた。
「大丈夫のようだな。出てこられるか」
フェリクス陛下の手が差し出される。
私は傾いている馬車の中で、差し出されていたフェリクス陛下の手を取った。
「手が、冷たいな」
フェリクス陛下は私の手をしっかり握り、馬車の中から引っ張り出してくれた。
地上に立つと、無事だったのを実感する。
「悲鳴をあげず、よく耐えた」
ねぎらいの言葉に横に立つフェリクス陛下を見上げると、フェリクス陛下もほっとした表情を浮かべている。
「陛下もご無事で何よりです」
「私が倒れれば、責任を取るのは彼らだからな」
その表情は優しい。
フェリクス陛下が騎士達を信頼しているのが良くわかる。
「上着を、ありがとうございました」
「もうしばらく貸しておこう」
上着を羽織ったままだった。
返そうとしたが、脱ごうとした手を押しとどめられる。
「では、もうしばらくお借りします」
ところで、フェリクス陛下たちが戦っていたのは何だったのだろう。
視線を巡らせようとしたところで、私の目をフェリクス陛下の手が覆った。
「フェリクス陛下?」
「あなたには、刺激的すぎるだろう。見ない方がよい」
「ですが、これから行くところで、たくさん見かけるのではないですか?」
「……見ても、倒れないと約束できるか?」
フェリクス陛下の言葉に一瞬ためらう。
けれど、断る選択肢はなかった。
これから向かうアーネスの村は、魔獣の被害にあっているのだ。
その度にこのように目をふさいでもらうわけにはいかないだろう。
「約束します」
答えると、手の覆いが外される。
フェリクス陛下の向こうに何歩か進むと、それをはっきりと見ることができた。
馬車の進行方向に、私の身長の三倍以上もある大きな牙をはやした猿に似た魔獣が頭部を損傷し倒れている。
衝撃的なその光景に、やはり一瞬意識が飛びかけた。
けれど、ここで倒れてしまえば、もう二度と私の言葉を信じてもらえないだろう。
私はお腹に力を入れて、なんとか耐えた。
「……このような大きな魔獣が襲ってきたのですね。
倒してくださって、ありがとうございます」
「無理せずともよい」
フェリクス陛下の声色には、心配げな響きがにじんでいた。
「問題ありません。私にもできることを、――怪我をしていらっしゃる方の治療をさせてください」
「無理をするなというのに」
「ですが、そのために私はここにいるのです」
重ねて言うと、フェリクス陛下が「仕方ない」とつぶやきを発した。
「各班長は、点呼と怪我人の確認が終わり次第、私のところに集合せよ。
治療の必要ない無傷か、軽傷のものはいるか!」
すると、その声にミアさんともう一人、話したことのない騎士が進み出てきた。
「お前達には、セシーリア嬢の治癒の間、ついていてもらいたい」
「かしこまりました」
「では、少し待て」
敬礼をする二人にフェリクス陛下は頷くと、集まってきていた班長達の元へと向かった。
怪我人の聞き取りを終えた陛下の指示で、私は二人に案内され、重傷の怪我人のところを回り治療を行った。
陛下の方は、無事なメンバーと共に戦いの後始末をされていた。