12.売られた聖女は晩餐に向かう
庭から戻った後、手を引かれるままに王宮内をフェリクス陛下について行く。
まだ立ち入ったことのないエリアで、案内がなければ迷いそうだ。
廊下の先に扉が見えた。
その前に従者が立っている。
私たちが近づくと、従者は静かに扉を開いてくれた。
陛下は足を止めることなく室内へと進み、私はそこに広がっていた光景に思わず感嘆の声をあげた。
アーチを描く天井からはシャンデリアが下がり、ろうそくの光をはじいて室内をキラキラと照らしている。
室内の調度も豪華で、とても二人だけで食事をするための部屋だとは思えない。
この王宮の中でも小さめの部屋なのだろうけれど、とてもきらびやかだった。
フェリクス陛下は私の手を離すと、椅子に手をかけた。
「私が致します――」
室内に控えていた先ほどとは別の従者が進み出てくるが、陛下が首を振る。
「よい、私がしたいのだ。さぁ、セシーリア嬢」
一国の王にこのようなことをしてもらって良いのだろうかと思案する間に、座るように促された。
素直に従い、席に着く。
そしてフェリクス陛下は、私の正面に作られた席に移動した。
長机の長辺側に席が作られているので、テーブルは広いけれど、手を伸ばすと触れることのできる近さだ。
すでに食卓の上にはいくつかの皿が運ばれていた。
この国の名物なのだろう、私が見たことのない料理が多い。
ただ、並べられているうちのいくつかの料理は私の故郷のもののようだった。
「飲み物はいかがする?
アルコールもあるが、果実水もおすすめだ」
「では、そちらをお願いします」
「そうか。では、私にも同じものを」
成人は済ませているが、無理にアルコール入りの飲料を勧められなかったことにほっとする。
食事の前の祈りを捧げ終わると、金の杯に入った果実水が運ばれてきた。
フェリクス陛下が杯を手に取る。
「あなたに逢えたこの幸運に」
「陛下のご回復を祝って」
杯を軽く合わせた後、口をつける。
果実水は昼間ミアさんと食べた果実の果汁のようだ。
ほのかな酸味と、甘い飲み口にいくらでも飲めそうだった。
「それでは、いただくとしよう」
陛下の言葉に、給仕の人が、伺うようにこちらを見た。
「食べたいものを言うといい」
どうやら希望を言うと、控えている給仕の人が取り分けてくれるようだ。
「セシーリア嬢は、どのような料理がお好きだろうか」
「そうですね。この食卓の上の料理はどれも美味しそうだと思います。
おすすめの料理はありますか?」
「そうだな――」
フェリクス陛下は食卓の上を見渡した。
「酸味があるものが大丈夫なら、あちらの蒸し物などはいかがだろうか」
示されたのは、丸く少し深みのある平皿の上に鳥肉と野菜が並び、その上に酸味のある果実の輪切りが載ったものだった。
「では、そちらをお願いします」
「私にも頼む」
鳥肉は食べやすいように薄く切られ、野菜も共に美しく盛られた皿が目の前に給仕された。
「味はついておりますので、そのままお召し上がりください」
口をつけると、鳥肉はやわらかく、上に載っていた果実のお陰でさっぱりとした食べ応えだった。
野菜も口にすると、蒸してあるからか味が濃縮されている気がする。
『おいしい』と思わずつぶやいていた。
「我が国の料理だ。気に入ってくれたようでうれしい」
フェリクス陛下が、目じりの端をやわらかく緩めた。
「人づてに聞いたものだが、エヴァンデル王国の料理をいくつか再現させてみた。
次はあちらをどうかな」
示されたのは、確かに私の故郷の料理だった。
細かく刻んだ肉に、同じく刻んだ香味野菜を混ぜこみ、型に入れて焼いたものだ。
パイ生地にくるまれて焼かれる場合もある。
今回は四角い型に入れて焼かれたものだった。
私と陛下の前に食べやすいよう切り分けられ、とりわけられた皿が並んだ。
手元のナイフで切り分けて口に運ぶと、閉じ込められた肉汁が口の中にあふれる。
知らない香草の味もして、知っているのに違う味で新鮮だ。
「おいしいです。使われている香草はこちらのものですか?」
フェリクス陛下が従者に頷くと、従者が口を開く。
「はい。この国でよく使われるハーブも使用しています」
「あちらの料理なのに、こんなに合うものなのですね」
「そうだな。あなたの国と、私の国と、良いところの組み合わせだ」
フェリクス陛下の言葉に、私も微笑み同意した。
食事の終わりに、フェリクス陛下が口を開いた。
「隣の部屋に、食後のお茶の用意をさせてある。
お付き合いいただけるかな?
もちろん、気が乗らなければこのまま部屋に帰ってもいい」
フェリクス陛下からのお誘いに私は頷いた。
もう少しだけ、フェリクス陛下と話をしてみたかった。
「では、案内しよう」
フェリクス陛下の先導で、隣室へと向かう。
こちらの照明は食事をした部屋より光量がしぼられていた。
その代わりに、ガラス戸の外に見える庭にはかがり火がたかれ、落ち着いた雰囲気だ。
庭の景色を見るためなのか、庭に向かって『八』の字の形に一人用のソファが二台置かれていた。
「こちらへ」
私がソファに座ると、フェリクス陛下は隣に座る。
ソファがお互いを向くように並べられているため、自然と体がフェリクス陛下の方を向く。
光の加減か、フェリクス陛下の金の髪が艶を含んでその色味を濃くしていた。
思わずドキリと心臓が跳ねる。
雰囲気が良すぎるのだ。
まるで婚約者同士の逢瀬の様に感じられる。
何か言わなければと思うものの、こういう時に最適な話題など知らない。
目の前で侍女がお茶を入れてくれるのを黙って眺めた。
フェリクス陛下も何も言わない。
お互いに黙ったまま目の前でお茶の準備が進み、支度が終わると侍女は壁際まで下がった。
フェリクス陛下がティカップを口元まで運び、一口味わうと元の場所へと戻した。
そして、おもむろに口を開く。
「騎士団はどうだった?」
フェリクス陛下の口から出たのが仕事の話で、私は知らずに入っていた肩の力を抜いた。
今日浄化を行った人たちの顔を思い出す。
「心地よい方ばかりでした。活気があり、職務に誇りを持っておられて、皆さまがこのお国をお好きなことが少し話しただけで伝わってきました」
「あの者たちは私が倒れている間もこの国のために尽くしてくれていた。
私などより、余程この国のために働いてくれているのだ。今後もよろしく頼む」
『よほど働いている』とはどういう意味だろう。
ふと、今日ミアさんが言っていた話を思い出した。
「余程というのは、魔の地の防衛ですか?」
「そうだ。魔の地の脅威を抑えることは、この国の永遠の課題だ」
フェリクス陛下が、私を見つめる。
「来てくれたのがあなたで、本当によかった」
不意打ちだった。
陛下の青銀の瞳が優しさを宿して細められ、私を見つめる。
突然のフェリクス陛下の変化に、心臓がうるさく音を立てていた。
冷静になろうとその瞳の奥にある感情を見極めようとしたけれど、そう簡単に読み取らせてもらえるものでもなく、とても太刀打ち出来そうにない。
この部屋の雰囲気もあり、油断すれば、私自身を求められているのではないかと勘違いしてしまいそうだった。
でも、もしそうであれば、どうだというのだろう。
一瞬、これまでのフェリクス陛下の態度が頭の中をよぎる。
ここに来た当初、フェリクス陛下は瘴気に倒れ意識がなかった。
次に睡蓮の庭で会った時には、陛下はすっかりご回復なさっていた。
王らしい強引さの中に年相応の茶目っ気が見え、人に好かれる方なのだろうと思った。
三度目に顔を合わせた謁見では、お互いの本来の立場で会い、支配者としての姿を拝見した。
(まだ数度しかお会いしていないのに、もしかして、私、この方に惹かれているの……?)
出そうになった結論を慌てて打ち消す。
冷静な部分では、陛下の優しさは私の浄化の力があってのものではないかとも思うのだ。
今、気持ちを定めてしまうのは避けたかった。
ひとまず私は陛下のこの優しさは浄化の能力あってのものだと思うことにした。
「お褒めいただき光栄です。
先日も申し上げましたが、私を招いてくださった対価の分だけは、しっかり働きます」
フェリクス陛下はわずかに首を傾げる。
「対価はあなたの国に支払ったもので、あなたに払ったものではないだろう?
あなたに払っている対価も、それはあなたの働きがあってのものだ。
私は、個人的な気持ちを伝えたつもりだ」
逸らそうとした話をこれ以上ないほどしっかり戻されてしまった。
その真っすぐな言葉に、逃げ場を失ってしまう。
このままだと、何かとんでもない失言をしてしまいそうだった。
けれど、私にとってはありがたいことに、不意にフェリクス陛下が視線をそらした。
直後、扉が開き、静かに従者が部屋に入ってきた。
フェリクス陛下はその従者を見ると、わずかに眉を寄せた。
「失礼。少し、こちらで待っていて頂けるか」
「かしこまりました」
突然の乱入に、正直なところ少しだけほっとしていた。
従者と共に陛下が隣室に出ていったのを見て、サイドテーブルに用意されたお茶を口に含む。
心を落ち着ける時間が何よりもありがたかった。
けれど少しと言っていた陛下の帰りは遅い。
その分、心の余裕ができて先程まで眺める余裕がなかった庭の様子を堪能することができたが、少しだけ、陛下がどうして呼ばれたのか気になった。
戻ってきた陛下には、中座の理由とともに謝罪された。
どうやら大臣が火急の用事でわざわざこちらまで会いに来られてしまったそうだ。
そのような理由ならば納得だった。
その夜は客室まで送ってもらい、お開きとなった。






