1.元聖女は王太子から婚約破棄を告げられる
「元聖女セシーリア。そなたとの婚約を破棄し、新しく聖女となったエミリ嬢と婚約を結ぶこととなった」
呼び出された王宮の応接室。
来訪の挨拶をして、頭を下げた姿勢のまま前置きもなく聞かされた言葉に、私は一瞬だけ息を止めた。
聞かされた内容についても衝撃だけれど、このことを告げるのが、元婚約者となる王太子のアルノルド殿下だという事実が酷く悲しい。
けれど私は、長い間、王太子殿下の婚約者として教育され、聖女としても修行を積んできた。
このような場で涙を見せることは意地でもできない。
義務的に告げられるアルノルド殿下の言葉に、私もできるだけ感情をにじませないように注意しながら口を開く。
「かしこまりました。今までご厚情を頂きまして、ありがとうございました」
アルノルド殿下から愛されていないのは知っていた。
彼の気持ちが新聖女となった彼女にあることも、気がついていた。
それでも、十二歳で選ばれてからこの六年、この国と王太子殿下に尽くしてきた日々を思う。
聖女としてのお役目と、それと並行して行われた次代の王妃としての婚約者教育は決して楽な物ではなかった。
「それで、そなたの今後についてだが、こちらから一つ提案がある」
提案、と言われても、私に拒否権などないのだろう。
今までも、そうだった。
この王宮で私が決定権を持っていたことなどない。
「フェーグレーン国は知っているな」
「はい、存じております」
フェーグレーン国は、最近できた国だ。
三十年ほど前、瘴気で荒れ果てた土地に散在していた国家群をまとめ上げ、国家としての名乗りを上げた。その後も、近隣の国に戦争を仕掛け、瞬く間に領土を拡げていった。
ここ何年かは戦争の話は聞いていないが、それでも、この国の王宮では蛮族として扱われている国だ。
「かの国が癒やしの力が使えるものがほしいと言っている。
そなたさえよければ行ってくれぬか。
能力が足らず聖女の席を譲ることとなった者でも構わぬそうだ」
思わず固まった私に、アルノルド殿下は続ける。
「そなたも、聖女としての身分を失い、私の婚約者でもなくなるのだ。
しばらくは、居心地が悪いだろう」
ほぼ決定事項のように言われる言葉に、私は体の前で重ね合わせたまま冷たくなっていく指先を強く握り、聞かなくてはいけないことをたずねた。
「しばらくは、ということは、いずれは戻って来られるのでしょうか」
「……フェーグレーン国からは、可能なら無期限で、それが難しくともできるだけ長く来られる者を、とのことだ」
実質、この国を追放、ということだろうか。
「両親には」
「ロセアン公爵には、今頃陛下が伝えているだろう」
さすがに、私のことは取り替えのきく部品のように軽く扱えたとしても、王家の血筋が流れるこの公爵家自体をそのように扱うことはできなかったのだろう。
ロセアン公爵家は、先代の国王の王女で聖女であった祖母が輿入れし、父は大臣として陛下に仕えている。
「元聖女としてはいい話がきたと思わないか?」
私の承諾の言葉がほしいのだろう。
アルノルド殿下の声は、私が頷くことだけを期待していた。
どう答えるか考え、私はゆっくりと息を吐いた。
ここで、拒否を示すのも良いかもしれない。
一旦考える時間をもらったり、言い方を考えればいくらでも逃げ道はある。
けれど、無理に残ったとして、一体私に何が残るのかとも思うのだ。
今の私は、能力が足りずに聖女を下ろされ、それにより王太子殿下から婚約を破棄された女だ。
どちらか一つだけでも私の今後は暗いというのに、それが二つも重なれば、私の存在は実家でさえ持て余すに違いない。
それよりも、新しい土地で、私の能力を求めているという人のために役に立ちたいと思った。
期待されるだけの働きをできれば、きっと私のことを必要とする人がいるかもしれない。
「殿下の、――おっしゃる通りだと思います」
「では、フェーグレーン国へ行ってくれるということだな」
「はい」
「そうか。頼んだぞ。くれぐれも、かの国で我が国の名誉を損なうことがないように」
「承知いたしました」
返事をすると、一刻も早く視界から私を消したいというように、アルノルド殿下は私を残して応接室を出て行った。
残された私は、王太子殿下に礼を表すためにお辞儀の姿勢で固まっていた体をゆっくりと起こした。
部屋に控えていた侍女たちが、いたわるようなまなざしで私を見ている。
このやりとりがどんな風に噂になるのか、少し気になったが、もう関係ないことだった。
父はまだ仕事があるだろう。
私は馬車の手配を頼むと、一人、王宮から屋敷へと戻った。