1-5.自分にできること
あれから一週間。
雄悟は、部活をサボったのは一度きりで、その後は真面目に出席していた。あと1ヶ月もしないうちに、中学総合体育大会が始まるため、練習も佳境を迎えているのだ。獣宿し事件から数日休んだ部長は、学校へは雄悟から2日遅れて復帰したらしい。”らしい”というのは、隣のクラスである上に、2限目から来て昼前には帰ってしまうというスケジュールだったため、すれ違うことがなかったのだ。復帰はしたものの、聞く話によると授業は上の空とのこと。そんな部長だったが、今日、久しぶりに部活の方にも顔を出すという噂を聞いた。雄悟は、会いたいような会いたくないような複雑な心境だったが、その理由は分からずモヤモヤした気持ちを抱えていた。
猫屋敷はといえば、陸上部とはすっかり縁を切った、くらいの勢いで部活には顔を出していないようだった。逆に、今まで雄悟とは距離を置いていたのが、いつの間にか頻繁に会話をするようになっている…気がする。クラスメイトも「猫屋敷、変わったな」「どうしたんだ?」と、ざわざわしている。あろうことか、2人は付き合い始めたのでは?という噂まで流れているらしく、雄悟はとても居心地が悪かった。
例のごとく、今日も昼休みに雄悟のところへ来た猫屋敷は、雄悟の前のあいている席に腰掛け、バンっと書類を机にたたきつける。
「ちょっと聞いてよ、猿!」
机上の数枚の書類は、ぱっとみた感じだと能力者関係の資料のようだ。
「ソーマ陽性って、結構めんどくさいのよね」
その資料の一枚を手にとって見ながら、猫屋敷は話を続けた。
「それを何で俺に言うんだよ…」
雄悟は机に肘を付き、掌に顎を乗せた姿勢で、ため息交じりに言葉を返した。能力者でもない雄悟にそんな話を持ってくるのは、やはり先日の真神病院でのことがきっかけだろうか。能力者とはできれば関わりたくない。とはいえ、クラスメイトと関わらないわけにもいかない。しかも、前の席を陣取られ、行く当てもない雄悟は、結局は猫屋敷の話を聞く以外に選択肢はないのだった。
「まず、ソーマが見つかったら国に届出しないといけないんだって。それでここからよ。もし能力者にならないって決めたら、その時点でソーマ無効薬を打たなきゃいけないらしいのよ!せっかく特殊な力を持てるかもしれないのに、能力者として活動しない人はその力が消されちゃうんだってさ」
能力者の事情は、弟が能力者だったこともあって多少は知っていた。ソーマ無効薬という注射の存在も、知ってはいる。しかし、当時――弟のソーマが発見された時――は興味もなかったため、今の雄悟には大した情報はない。
「能力者になるって決めたら修行しなきゃいけないし、ならないって決めたら定期的に注射しなきゃいけないし…どっちにしても長くお役所とお付き合いしなきゃいけないみたいなのよね」
確かに、面倒なことこの上ない。しかし、ソーマが陽性になってしまった時点で仕方のないことなのだろう。今のこの世の中では。
雄悟は、資料のうちの一枚を拾い、文字を目で追った。「来たれヒーロー!」とか「一緒に日本を救おう!」という、いかにもなキャッチコピーがでかでかと書かれているそのチラシは、能力者=正義、獣宿し=悪、という構図を一般市民に刷り込んでいるように、雄悟には思えた。
「……お前、能力者になんの?」
「んー、正直まだ迷ってる」
こうやって能力者の道を模索しているということは、少なからず興味があるのだろう。雄悟からすると、「誰が好き好んでこんな危ない世界に首を突っ込むか」と言いたいところだが、これが好き好んで首どころか全身漬かってしまう人間もそれなりにいるのだ。母や義弟のように。
「でも、自分では良く分からないけど、能力が発現し始めてる?とかって真神さんに言われたじゃん?ソーマを持っていても能力が発現しない人もいるらしいから、私はまあ、ラッキーっていうのかなぁ?せっかく能力が発現してるなら、能力者になってみても良いかなあとも思うんだよね」
だって超能力ってカッコイイじゃん、という猫屋敷は、本当に真剣に考えているのだろうか、と雄悟は思わずにはいられなかった。カッコイイからという理由で能力者になるのは、まぁ良い。このキャッチコピーからして、「カッコイイ職業」と認識されるのは必至だろう。雄悟自身も、子どもの頃はテレビの中のヒーローに憧れたし、能力者=ヒーローだと思っていた時期もあった。しかし、能力者とは、獣宿しと戦うために存在する。戦うということは、怪我をする確率が、普通に生活している人間よりは高いということだ。それが、獣宿しとの戦闘となれば、確率は2倍にも3倍にもなる。下手をすると、ラムのように寝たきりに、さらにその先には――
そういえば、猫屋敷にラムがどうして寝たきりになってしまったのか話していなかったな、とふと思い出した。
「…あいつも言ってたけど、危険な仕事だぞ?親は良いって言ってんのか?」
「うち、放任主義だから」
雄悟の問いに、猫屋敷はあっけらかんとした様子で述べる。
「だから、自分のことは自分で好きに決めちゃうんだ。それでさ、猿」
ニコッと笑って見せる猫屋敷だったが、”そんなことどうでも良い”とばかりに、話を打ち切る。そして――
「真神さんのところに行ってみたいんだけど、一緒に行かない?」
「……は?」
話の展開の速さについていけず、雄悟は目を瞬かせた。雄悟の様子には構わず、猫屋敷は続ける。
「真神さんに、どこで修行したら良いか聞くのよ。最近、能力者になる方法をネットで調べたり、役所に問い合わせたりしてみてるんだけどね。役所って、修行できる場所を紹介してくれるのよね」
「……だったら紹介してもらった所に行けば良いだろ……」
何を言っているんだお前は、という言葉は飲み込み、雄悟は代わりにため息交じりにそれだけを言葉にした。
「でもね、聞けば聞くほど、なんかレールに乗せられてる感じがして嫌になっちゃってさ。真神さんイチオシのルートがあったら、参考にしようかな~と思って」
雄悟は乗せていた手のひらから顔を上げ、改めて猫屋敷を見た。今、共感を覚えた気がしたのだ。先ほど、チラシから概念の刷り込みの意図を感じ取った。もしかすると猫屋敷も、似たような感覚を覚えたのかもしれない。だから彼女は、その役所が仕掛けた罠にハマらず、自分の意思でもって自分の身の振り方を決めたいと思ったのではないだろうか。
それは雄悟の推測に過ぎないが、それでも今までよりも少し、自分と猫屋敷との距離が縮まったような気がした。
しかし。
「なんで俺まで……?」
という疑問が浮かんでしまうのは致し方ないだろう。能力者に興味があるのは猫屋敷であって、雄悟ではないのだ。
「だってあたし、真神さんとほとんど接点ないじゃん?一回しゃべっただけのあたしが、修行できるところ教えてください!なんて行くのは図々しいでしょ?猿と一緒なら良いかな~と思って」
雄悟の心情が伝わっているのかいないのか、自分のペースで話を進める猫屋敷。そもそも雄悟だって零とはあれが2回目の接触である。猫屋敷と状況は大して変わらない。
「やだよ。1人で行ってこいよ」
行きたくもない。
「無理だよ~!」
だって恥ずかしいじゃない!とか訳の分からないことを言いながら、似合わない科を作ってている彼女の頬は、ほんのり色づいている…気がするのは気のせいだろうか。
「あたしが、真神さんのところに通ってもおかしくないくらいの関係になるまで、付き合ってよ」
間を取り持て、ということか。
「……そんな暇ねぇし」
そうだ。空手の練習をしなければならないのだ。
「んじゃ、行く気になったら教えてね」
そう言って猫屋敷は、雄悟の机にばら撒いた資料をかき集めて去って行った。猫屋敷があっさりと引いたことで拍子抜けはしたが、雄悟はほっとして次の授業の準備を開始した。
* * *
放課後、確かに部長は部活に顔を出した。部室では後輩たちが久しぶりに見る部長に群がり、「体調は大丈夫っすか!?」等々、口々に声をかけるのに対し、部長は笑顔で対応していた。雄悟が部室に入るころには、後輩たちは挨拶が終わったようで、練習場へと流れていく。後には雄悟と、着替える様子もなくぼんやりとベンチに腰かけている部長とが残された。
「……後輩たち、すげー勢いだったな」
雄悟はなんて話しかけて良いものか迷い、当たり障りのない会話から切り出した。
「そうだな。こんな大事な時期に休んじまったのに、みんな優しいな」
へらっと力なく笑う部長の顔には、心なしか疲労の色が見えた。その言葉にはニッと笑って見せることで同意を示し、雄悟は着替えに入った。
「なぁ猿田…」
相変わらず座ったままの部長が、顔を下げた状態のまま雄悟に声をかける。雄悟は帯を締めながら部長へと顔を向けた。
「獣宿しとか能力者って、何で存在してるんだろうな…?」
顔を下げているので声がくぐもっている。雄悟は返事をすることなく、立ったまま、ただ黙って部長の話を聞いていた。
「……おれ、ずっと能力者が嫌いだったんだ」
部長が顔を上げたことで目が合う。彼の目は潤んでいた。
「だってさ、獣宿しって、元々人間だろ?この前の高校生だって、直前まで普通の人だったじゃん?ちょっとおどおどしてさ、普通っつーか、まぁ…イケメン……だけどさ。それなのに、能力者は平気で殺そうとすんだぞ?いや、もちろん平気じゃないのかもしれないし、倒してくれないと被害は大きくなるから、やってもらわなきゃ困るんだけど…でもさ…」
そこまで一気に捲し立て、再び顔を下げる。
「なんか、嫌なんだよな…」
表情は見えなかったが、泣いているのかもしれない、と雄悟は思った。
「……高校生がさ」
しばらく沈黙した後、再び部長が話始める。
「生きてるって知って、安心した」
後輩たちは、高校生が生きていると知ってあまり良い反応はしていなかった。他人ごとだから、そんなものなのかもしれないと、雄悟はその時感じた。しかし。
「好きで獣宿しになった訳じゃないだろ?それなのに殺されて、それがさも当然のように扱われてさ、かわいそうじゃん」
部長はあの高校生のことを気にかけている。世の中にはこんな人間も少数ながらいるんだ。雄悟は、胸のあたりがじわっと温かくなるのを感じた。
「おれ、ソーマないし、何ができる訳でもないけど……獣宿しに何かしてあげられたら良いなって、思うんだ」
そんな風に思っている人間もいるのに…自分はしてあげられる力を持っているのに……。
「……そうだな」
これまで部長をまっすぐ見て話を聞いていた雄悟は、視線を床へと落とした。