1-4.女友達
なんとなく部活をサボってしまったが、さてこれからどうしたものか。雄吾はぼんやりと考えていた。今家に帰ってしまうと、サボったことが母にバレてしまう。しかし、遊ぶところなんて何もない、田んぼに囲まれた田舎の学校は、帰りに寄るような施設なんてない。
「ラムんとこでも行ってくるか…」
雄吾はひとり呟いた。
弟のラムが入院しているーー先日雄吾自身も入院したーー真神病院は、ここから自転車で数分の場所にある。何度も見舞いに行っているから、受付嬢とも顔馴染みだった。暇潰しに行くような場所ではないが、この際仕方がない。ラムが何も言わないのを良いことに、サボる場を提供してもらうことにした。
「あれ…?猿……?」
自転車に股がり校門へ向かって漕ぎ出したところで、自転車を押して歩いていた猫屋敷に声をかけられた。
「猫…?」
「あんた、部活はどうしたの?」
そう聞かれてギクリとする。真面目な委員長さまになんて言い訳しようか?などと考えてはみたものの、すぐに良い案が浮かぶわけもなく。
「あー…サボった」
「はぁ!?」
正直に言ったら呆れたような声が返ってきた。
「期待を一身に背負ってる空手部のエースとは思えない行いね…」
ジト目で見てくる猫屋敷の視線に居心地の悪さを感じ、明後日の方を向いてごまかす雄吾。
「もしかして、まだ具合悪いの…?」
この場をなんとかやり過ごそうと考えていた雄吾に、猫屋敷は少し心配そうに尋ねた。
「いいや」
本当に、身体の方はまったくなんともない。あれは夢だったのではないだろうか?と思えるくらい、今、身体の調子は良いのだ。
「んじゃ本当にただのサボりなのね」
再びあきれたような口調で言い捨てて、猫屋敷はそのまま自転車を押して進み始めた。雄吾は、そのまま走り去るのもいかがなものかと思い、自分も自転車から下りて、猫屋敷の隣を歩き始めた。
しばし無言が続き、間が持たなかった雄吾は、「お前は部活どうしたんだよ?」と聞こうとしてなんとか思いとどまった。そうだ、部活を辞めたんだった。
「あんたは何してんの?って顔してるわね」
口に出していないのにバレたことで、雄吾はぎょっとした。そんなに顔に出ていただろうか?と考えたところで「顔にバッチリ出てたわよ」と言われ、もう何も言うまいと諦める。
「……部活辞めちゃったからさ、暇なのよね」
まっすぐ前を向いたまま言う猫屋敷の横顔は、本当になんでもないことを話すかのように無表情だった。
「……大会に出られなくても、後輩育成って道もあったんじゃね?」
大会で結果を出すことだけが部活じゃない、と簡単に言えるのは、部活を真剣にやっていないか、もしくはやり切ったあとの人間だけだろう。雄吾自身も空手でレギュラーを張っている。今でこそ惰性で続けているようなものであるが、小学生の頃は、強くなりたい一心で一生懸命やっていたのだ。空手にすべてを掛けていた当時の自分だったら、こんなことを言われたら頭に来たかもしれない。それでも、猫屋敷の部活での功績はすぱっと辞めてしまうにはもったいないのではないかと、雄吾は思ったのだ。他人事だからできるアドバイスというものもあるのだ。
「ソーマがあるとさ」
無責任なことを言ってしまっただろうか?と少し不安に思いはじめたとき、猫屋敷が話し始めた。
「どれだけ努力して早く走れるようになったとしても、結局は『ソーマがあるから身体能力が高いのは当たり前でしょ』って思われるじゃん?別になんて思われたってかまわないんだけどさ、なんか、悔しいじゃん?それに――」
猫屋敷は一度言葉を区切り、頬を膨らませて続ける。
「”ソーマがあるから早い” 人間のアドバイスなんて、なんの役にも立たないでしょ」
なるほど、それは一理ある、と雄吾は思った。努力して勝利を勝ち取った人間は称賛され、アドバイスをしてもありがたく受け取る人間がいる半面、もともとスーパーマンからのアドバイスなど「あなただからできるんでしょ?」で終わりだ。誰も聞き入れてはくれないだろう。例えその力がソーマのせいではないとしても、それを他者が――本人ですら――知るすべはない。ソーマを持つということは、そういうことなのかもしれない。
「まぁ、このまま続けて常に一位を独り占めしても良かったんだけどね」
にやりと笑い、「だって、あたしソーマがなくても速いし」と自慢げに話す猫屋敷は、雄吾が思う以上に強かな女性なのかもしれない。雄吾は内心、ほっと胸を撫で下ろした。
「んで?あんたは、これからどこ行くの?家、こっちじゃないわよね」
校門を出たところで自宅とは反対方向、つまり病院へ向かって進んでいた雄吾は、猫屋敷が自分の家の方向を把握していたことに驚いたが、態度には表さなかった。
「あぁ、弟の見舞いにでも行こうかと思って…」
「え?弟がいるの?っていうか、入院してるの?」
ごまかすことでもないと思い正直に言うと、思いのほか食いついてきた。「ふーん、弟いるんだ~」とかなんとかぶつぶつ言っていたが、良いことを思いついたとでも言うようにパッと表情が明るくなる。
「ねぇ、あたしも着いてってって良い?」
「はぁ!?」
これにはさすがに驚いた。
どうしてそういう選択肢が浮かぶのだろう。クラスメイトの弟の…会ったこともない人間の見舞いに行こうなどと、誰が考えるのだろうか。そもそも、この猫屋敷と言うクラスメイトは、雄吾に対してはいつも厳しい態度を取ってきた。だから雄吾は、「猫屋敷は自分のことが嫌いなのだ」と、その態度の理由付けをしていた。だって、それ以外に何があるというのだろうか?嫌われるようなことをした覚えもないのだが。
「お前、俺のこと嫌いなんじゃねぇの?」
だから素直に思っていたことを口に出してみたのだが。
「は?何それ?」
当の猫屋敷は、目を瞬かせて頭にクエスチョンマークを飛ばしている。
「え…だってお前、俺にばっか当たりキツいじゃん」
これまで思っていたことを正直に口に出すと、猫屋敷はキョトンとしたあと、目を泳がせた。
「あー、ごめん…」
口元を歪めて、気まずそうにしながら「そう思われてたのか~…」と小さくつぶやく。
「違うの、別に嫌いなわけじゃなくて…」
そして、雄吾に視線を戻して、真顔で。
「ただムカつくだけ」
「……は?」
いや、嫌いなのとムカつくのと、どう違うのだろう…?今度は雄吾の頭にクエスチョンマークが大量に発生した。これは、嫌われていなかったと安堵するところなのだろうか?それとも、ムカつくと言われて凹むか怒るかするところだろうか?どちらにしても、今度は雄吾がキョトンとする番であることに変わりはない。
「まぁそんなことどうでも良いじゃない」
「良くねぇよ!!」
これまでの人生、雄吾はそれなりに周りと上手くやってきたと自負している。自分で言うのもなんだが、小学生の頃は昔で言うガキ大将のような存在であり、男女問わず友だちは多かった。テストの成績は悪いが、バカではないと、雄吾は自分を評価している。人間観察からの考察、それを日常生活に活かすことも、自然の流れてやっていたのだ。だからなのか、目立つわりには敵を作ることもなかった。
それがどうだ、この猫屋敷というクラスメイトは、他のクラスメイトがみんな雄吾に好意的なのに、彼女だけは好意とは言えない眼差しを向けていた。
「嫌われてると思って寂しかった?」
つまりは、そういうことだったのだと思う。
自分は何もしなくても人から好かれる人間だという自覚は、微かにあった。それなのに、自分を嫌う人間がいたことに、少なからずショックを受けていたのだろう。しかし、そんなこと恥ずかしくて言えるわけもない。どれだけ自信過剰なんだと、自分でもツッコミたくなるくらいだ。だから雄吾は。
「いや、別に」
猫屋敷と同じく、真顔で返してやった。
「え~?」
またまた~なんて言いながら肘で突いてくる猫屋敷と並んで自転車を押しながら、病院へ向かってゆっくり進む。進んでも進んでもついてくる猫屋敷に、一応言っておかねばなるまいと思い、雄吾は口を開いた。
「……見舞いっつっても、弟は眠っちまったまんまだぞ」
歩調を合わせていた猫屋敷が、「え…?」と声をもらして立ち止まる。雄吾が構わず進むと、慌てて追いかけてきて再び隣に並んだ。
「……昏睡状態が続いてるってこと?」
「まぁな。もう少しで丸一年になるかな」
そう、ラムが倒れてから、もう丸一年になるのだ。弟は、当時と変わらない姿で眠っている。
「そう、なんだ…」
猫屋敷に気を使わせてしまっただろうか?と隣を盗み見た雄吾だったが。
「あんたも意外と苦労してんのねぇ」
あっけらかんと言われて、再び安心したのだった。
* * *
校門を出てから病院に到着するまで、優に30分を超える時間を費やしていた。
あれからしばらくは、くだらない話をしながらダラダラと歩いていた。しかし、いつまで経っても目的地に着かないため、今度はどちらが早く到着するか、自転車で競走することになったのだ。幸い、交通量の少ない県道である。中学生がふざけて猛スピードで自転車を漕いでいても、だれも咎めることはない。
雄吾は体力には自信があったが、さすが陸上部短距離のエース。猫屋敷は自転車も早かった。
「く…っそーっ!!もっと、長い持久走、なら…負けなかっ、た、のにっ!」
山の麓にある真神病院までは、緩い坂道がしばらく続く。猫屋敷は短距離選手だからスタートダッシュは負けたとしても、あとで追いつけるものと軽く考えていた。しかし予想に反して、彼女はなかなか体力もあり、結局一度もリードを取ることが出来ず、真神病院の門をくぐったのだった。2人とも汗だくで、はぁはぁと肩で息をしている。幸い、人通りの多い時間帯ではなかったようで、病院に似つかわしくない子ども2人を気に留める人間は、誰もいなかった。
雄吾は自転車から降り、ハンドルに全体重を預けて寄り掛かるようにしながら、のろのろと駐輪場まで運ぶ。
「負け惜しみ、なんて…見苦しい、わよっ!」
こちらも同じく、少しでも自分の足にかかる体重を減らそうと、自転車のハンドルとサドルに助けてもらいながらタイヤを転がしていた。
息が整うのと汗が引くのを待ち、病院のエントランスをくぐる。入ってまっすぐ進むと受付があり、いつも誰かが座っているのだが。
「あら猿田くん、今日は彼女連れ?」
雄吾が、誰が座っているのか視覚で確認するまえに、声がかかった。この声は、雄吾が一番遭遇率の高い人だ。案の定、若いのか年配なのか良く分からない、いつもの”お姉さん”が、ニヤニヤした表情でこちらを見ていた。
「はぁ!?こんなのが彼女なわけないじゃないスか」
眉をひそめて受付嬢に抗議の意を示す。つい30分ほど前、自分に「嫌いなわけじゃない、ムカつくだけだ」と言ってのけた女を、どうして彼女にしようと思うのか。そんな出来事があったからなのか、雄吾は余計に拒否反応を示してしまった。
雄吾も健全な男子中学生であるため、異性に興味が全くないわけではない。顔は可愛らしいより美人系の方が好みだし、胸は小さいより大きい方が良い。その程度の関心は薄ぼんやりと持っているが、今のところ、あまりそういう話を積極的にしたいとは思っていなかった。
「こんなのって何よー。まぁでも、あたしもあんたみたいな野生児は選ばないから、その辺は気が合うんじゃない?」
これを「気が合う」と表現して良いのだろうか?と一瞬考えたが、そんなのどうでも良いことだと思い直し、雄吾は通いなれた廊下を、弟の病室へと向かって歩いた。「あ、ちょっと待ってよ猿っ!」と叫びながらバタバタ走る足音と、「何よ~やっぱり仲良しさんじゃない」という受付嬢の冷やかしを聞きながら。
* * *
弟・ラムの部屋は、2階に上がって東側の病棟にある。そこはどうやら、訳アリの人間が多くいる病棟らしいというのを、雄吾は母から聞いていた。”訳アリ” とはたぶん能力者のことだろうということは、この病院に通うようになってから察したことだ。能力者専門病棟とはうたっていない。しかし、たまに診察中でも検査中でもないのに病室から、バチバチっと電気のような光や、青く光る何かが見えていた。今思えば、能力者が何かにソーマを流したときの光なのだろうと想像が付くが、そんな現象がたびたび起きていたのだった。
病室の入口のドアは、大抵は開きっぱなしだ。患者側は、余程プライバシーを保護したいとき以外は、病棟スタッフが出入りしやすいように開けておくのが、この病院の暗黙のルールらしい。もちろん、締めきっているからといって咎められるわけではないが、郷に入っては郷に従え、である。
もちろん、ラムの病室も開きっぱなしであるため、雄吾はいつも「入るぞ~」と一応声をかけて入室するのだった。
「え……」
お邪魔しまーすと小さく声をかけて入ってきた猫屋敷は、眠っているラムを見るなり、いきなりテンションが上がった。
「うそ、なんで…!?どうしてあんたの弟が天然の金髪なのよっ!?」
ここは病院である。騒いではいけないが、猫屋敷が驚くのも無理はないだろう。雄吾はどこからどう見ても生粋の日本人であるのに対して、弟のラムはどこからどうみても西洋人の容姿だ。厳密にいえば東洋人とのハーフであるが、白い肌に天然の金の髪は、それだけで東洋人離れした容姿にする。
「母さんの連れ子」
「子連れ同士の再婚ってこと?」
「そう」
雄吾は、重ねて置いてあった丸いパイプ椅子を、慣れた手つきで猫屋敷に出した。ありがとうと受け取りつつも、興奮冷めやらぬ猫屋敷は渡された椅子に座ることなく、ラムのベッドに張り付いて、さらには身を乗り出して眠れる金髪少年の顔を覗いている。
「ねぇねぇ、名前は?」
しばらく覗いていた猫屋敷は、一瞬だけ雄吾に顔を向け、そしてまた視線をラムへと戻した。
「ラム」
雄吾は、これと言ってやることもないため、丸いパイプ椅子に腰かけてラムと、ラムを覗き込んでいる猫屋敷をぼんやりと眺めていた。
「ラムくんか~。はじめまして、猫屋敷だよ」
猫屋敷は、今度こそ丸椅子に腰掛け、ベッド柵に両腕を載せてその上に顎を載せた、くつろいだ格好で眠っているラムに話しかける。
「いいな~金髪の弟なんて。あたし、美形には目がないのよ」
再び大人しくラムをじっと見ていたかと思うと、ボソっとつぶやく。言うに事欠いてそんなことか、と、雄吾はジト目で猫屋敷を見たが、彼女は眠れる王子に目を奪われているため、その視線に気づくはずもない。そもそもラムは美形というよりは、可愛らしいタイプだと雄吾は認識していた。性格がそう見せていたのかもしれない。金のくせっ毛に大きな青い目。その人形のような容姿が、まさに人形のように動かなくなってしまって一年経ってしまったのだ。この桜の町に引っ越してきたのも、真神病院が能力者の治療を積極的にお行っていると知ったからだった。雄吾は、猫屋敷に気づかれないよう、小さく小さくため息をついた。
「君、来ていたのか」
突然、入口から男の声が聞こえた。どこかで聞いたことのある声としゃべり方だと思ってそちらを向くと、そこには先日、まさにこの場で会った真神零が立っていた。「失礼します」と一言断りを入れてから部屋へと入ってきて、ラムのベッドの足元で止まる。猫屋敷は状況を把握できずに「え?ちょ、誰!?知り合い?素敵っ!またまたイケメンっ!」と早口で捲し立て、零の歩みを目で追っていた。
「そちらの女性は?」
猫屋敷の熱烈な視線に気づいた零は、雄吾に尋ねる。
「あー、クラスメイトっす」
話を振られた猫屋敷は、ガタっと音を立てながら慌てて立ち上がり、身なりを整えた。
「ね、猫屋敷と言いますっ、よろしくお願いします!」
何をよろしくするんだ、と雄吾は心の中で突っ込む。
この数時間で、猫屋敷美華というクラスメイトの印象がだいぶ変わった。学校ではどちらかといえば頼りになる委員長という印象が強いが、こうやって接してみると意外とミーハーだということが分かった。そしてなんだ、その美形好きという、委員長にはあり得ない設定は。顔が良ければ誰でも良いのか。ラムを気に入っていたかと思えば、数分後には零に目移りしているという、変わり身の早さだ。彼女の言う ”美形” の基準も、いまいち分からない。ラムと零ではだいぶタイプが違うじゃないか――雄吾はそうツッコミたいのを我慢して、事の成り行きを見守った。
「真神 零だ」
「え、真神って、もしかして…」
この病院の名前は『真神病院』。そして、真神なんていう苗字はそうそうない。
「この病院の院長兼理事長は、僕の祖父だ」
猫屋敷がその事実に気づくのも当然だろう。
整った顔立ちにスラっとした長身、さらに真神病院の御曹司であり同世代という、これ以上ないくらい条件のそろった男子の登場に、猫屋敷は目を輝かせている…ように雄吾には見えた。
自己紹介を終えた2人だったが、零は猫屋敷をじっと見つめたまま動かない。さすがに居心地が悪かったようで、猫屋敷が「え?何?何!?」と猿田と零を交互に見る。雄吾が知り合いだと思い、なぜ自分が見られているのか教えて欲しかったのだろうが、あいにく雄吾も零とは先日合ったばかり。しかも、彼の言動はいささかピントがずれている…気がしないでもない。そんな零の行動の理由を雄吾が知るわけもなく、首を小さく横に振るしかなかった。
「……君は」
猫屋敷にとっては、だいぶ居心地の悪い時間だっただろう。彼女が言葉を発しようと口を開きかけたそのとき、零がボソリと話し出した。
「ソーマがあるな」
「え…?」
雄吾と猫屋敷は、目を丸くして顔を見合わせた。猫屋敷が雄吾を見ながら眉をひそめる。「あんた、何か言った!?」と無言の質問が飛んできたため、雄吾は再度、首を横に振らざるを得なかった。
「なんで分かるんですか!?」
再び視線を零へと向ける。相変わらず零の表情は変わらず、メガネのブリッジを、右手の中指でくいっと持ち上げた。
「僕も能力者の端くれでな、身体能力は一般人と変わらない……いや、一般人よりも劣るが、知覚力が発達している。いつも分かるわけではない。が、君は能力に目覚め始めている。能力が発現している人間からは、ソーマの気配を感じることが多いんだ」
猫屋敷は、へーと感心しながら聞いていたが、雄吾はというと「どうしてメガネをかけているやつは、ズレてもいないのにメガネを直すんだろう」と、頭の片隅で考えていた。
「ついこの前ソーマが陽性になったばかりで、能力者になるかどうか、まだ全然決めてないんです…」
雄吾が余計なことを考えている間に、2人の会話は進んでいく。
「そうか。能力者は危険な仕事だ。親御さんともよく話し合った方が良い」
「……はい」
猫屋敷の、らしくない歯切れの悪い返事を、雄吾は聞いてはいたが、気に留めてはいなかった。
「ところで、猿田雄吾くん」
メガネのことを考えていた雄吾は、突然自分に話題が移ったことで現実に引き戻される。ぼんやりと、零のメガネへと向けていた視線を、その奥の、彼の瞳へと移した。
「親御さんと、その後話はしたか?」
やっぱりそれか。
想像はついていたが。そもそも、話しもなにも、両親は獣宿しとの接触を嫌がっているのは明白だ。話題に上らせるのも憚られる。
「いや…」
そうだよ、獣宿しと関わって、自分にいったい何の得があると言うのだ?と、雄吾は冷静に考えた。確かにこの前は、自分がヒーローになれる気がして心が躍った。だけど、両親を悲しませてまでやりたいことだろうか?と問われると、それは「否」だ。
弟のようにはならないと、決めたんだ。
「そうか」
淡々と、といった様子で雄吾の返事を受け入れる零。メガネが反射していて表情は読みづらい。しかし、声色からしても気落ちしている様子もなく、今後断り続けても大した影響はないのかもしれない。雄吾はほっとすると同時に、ほんの少し、腹の奥にモヤモヤしたものを感じていた。
「玉藻が――」
モヤモヤの正体を突き止める前に、零が話を続ける。顔を少し下げたことで、メガネの奥の切れ長の目が姿を現す。その双眸は、まっすぐに雄吾を捉えていた。
「欲しいものを聞くと、毎回必ず焼きそばパンと牛乳を希望するんだが、何か知っているか?」
ドクン
雄吾の心臓が、一度だけ大きく脈打つ。知っているか?と問われれば、答えはYESだ。高校生、もとい玉藻が獣化する前に、雄吾が選んでやったスペシャルセットだ。コンビニには必ず置いてある、食べ盛りの男子なら一度は食べたことのあるもの。それを、例の獣宿しが欲しがったからといって、何か不思議があるだろうか?
そう、思ってはみるものの、まるで、「雄吾が選んでやったから玉藻が何度も欲しがるんじゃないか?」と問われているようで……自分と獣宿しとは無関係ではないと言われているようで、雄吾の背中には冷たい汗が流れた。
どうしてこんなに緊張しているのか。正直に「俺が選んでやったんだ」と言えば良いじゃないか。それで何か問題があるだろうか?もしくは知らないとシラを切れば良い。これからも無関係を続けたいのであれば、何があっても知らぬ存ぜぬを通せば良いじゃないか。
なぜ自分はそれをしない、いや、出来ないのかーー。
なかなか返事をしない雄吾を、零はじっと見つめている。事情を知らない猫屋敷が、その場の空気に耐えかねて、小さく右往左往している。
「……知らねぇ」
雄吾は自分の勇気を総動員し、否と答えた。
「……そうか」
納得はしていないだろうことが表情から読み取れる。しかし、雄吾が否と答えたことで、零はそれ以上追求することを諦めたようだった。
「邪魔したな。ゆっくりしていってくれ」
そう言って零は、来たときと変わらぬ足取りで病室を出ていった。
「ねぇ、ちょっと、何の話?もしかして、獣宿しと遭遇したときのこと?」
これまで挙動不審になりながらことの成り行きを見守っていた猫屋敷が、零の姿が見えなくなったと同時に、畳み掛けるように雄吾に迫る。
「猿が、直前にしゃべってた男子高校生が獣宿しだったとか、能力者に食って掛かってってたって聞いたけど」
一体誰からそのような詳しい内容を聞いたというのだ。いや、想像はできるが。
「…誰から?」
「空手部の後輩よ」
一応確認してみると、予想した通りの人物が浮き彫りになった。
「さっき言ってた『タマモ』って、もしかしてその獣宿し?」
猫屋敷の感が良いのか、それともこの程度のことなら会話から読み取れるのか。猫屋敷も後輩からいろいろ情報を得たようだから、きっとその情報と情報が合致したのだろう。YESともNOとも表出せずにいたが、猫屋敷は続けた。
「あ、そういえばこの辺りよね、獣宿しの施設があるのって」
「施設?」
そういえば、後輩も…他の部員だっただろうか?そのようなことを言っていた気がする。『獣宿しを飼っている』という言葉を聞いて、気分が悪くなって部室を出てきたのだった。
「そう。たいていの獣宿しは駆除されちゃうけど、捕まえて、悪さしないように檻みたいなところに入れておくこともあるんだって。動物園のライオンとか虎みたいに、飼う、みたいな?そんな施設がこの辺にあるらしいんだよね。」
きっと、玉藻はそこにいるのだろう。檻に入れられ、人間に『飼われて』いるのかもしれない。たまにはあぁやって、買い物に連れて行ってもらって――直前までは、あんなに『普通の』人間だったのに――
「……そういえば、良く考えたら飼うって表現、失礼だね」
元人間なのにね、とバツが悪そうにする猫屋敷を、雄吾は目を丸くして見つめた。
自分と同じような感覚を持つ人間がいた。自分だけじゃなかった――。
多数意見は、時に物事の正誤を曖昧にする。雄吾は、自分の感覚の方が人間として正しいと思っていたし、『獣宿しを飼う』に疑問を持たない人間が多くいようとも、自分は違和感を感じていて良いのだと思っていた。しかし、人間とは弱い生き物だ。長いモノに巻かれたくなるし、短い自分は間違えているのではないかとさえ思えてくることがある。
しかし、いたのだ。自分と同じ感覚の人間が。
そのことが…ちょっとしたことなのにとても嬉しくて、雄吾の胸を温めてくれた。