1-2.家族の愛
熊のような、茶色く大きな毛だらけの獣宿しに狙われているのは、自分。鋭い爪が、今にも雄吾の身体を引き裂きそうなほどに近づいてきた。
やられる――っ!
そう思った次の瞬間、傷を負ったのは自分ではなく、母だった。あまり顔を覚えてはいないが、自分を産んだ母だと、なんとなく分かった。彼女の身体から流れる液体は色がなく、しかしそれが血であることは察しがついた。
熊型の獣宿しはもう一度、腕を振り上げ、雄吾に向かって勢いよく振り下ろす。
ザシュッという音と共に斬りつけられたのは、血の繋がらない弟だった。雄吾よりも小さい身体が、音もなく地面にたたきつけられる。
2人とも、自分をかばって倒れた。
襲われたのは自分なのに。
自分が助かった嬉しさよりも、二人が倒れたーーしかも、自分を庇ってーーという事実が雄吾の胸を締め付けた。
どうしてそんなことをしたんだ、という怒りにも似た感情が、雄吾の胸で渦巻いた。
守られるより守りたい、だけど力が及ばない。
自分が倒れれば、自分を大切に思ってくれている人が悲しむ。
今自分が、この2人が倒れたことで感じている感情を、他の家族も感じることになる。
辛い。悲しい。悔しい。
どうして倒されたのが自分じゃなかったのか――。
どうして自分が襲われたのかーー。
どちらにしてもつらい思いをするのだったら、『関わらない』のが一番だ。
きっとそれが良い。
そうだろう――?
目の前には、背の高い、髪を伸ばした男子高校生。綺麗な笑顔を雄吾に向けている。その彼が突然、大きな尖った耳と、ふさふさの尻尾、そして、先ほどの熊型のやつよりも人間に近い外見をした、綺麗な獣へと変貌した。光る眼を自分に向け、鋭い牙を見せながら唸り、そして、低い体勢で今にも襲いかかって来ようとしている。
来る――っ!
そう感じた瞬間に、その獣は雄吾の方へ向かって地を蹴り――……。
ハッとして目を開けると、そこには見慣れない白い天井があった。
今のは夢――?
どうしてこんな夢を見たのだろう……?
さっきのは、実母と、義理の弟と、そして――。
いろいろ考えてはみるものの、頭がうまくまわらない。
この白い天井はどこだったか……。見慣れてはいない、だけど知っている天井。そう思いながら頭を動かすと、見知った顔が雄吾を覗いていた。
「あぁ……ユーゴ、くん……」
青い目にいっぱい涙をためている女性、それは、10年くらい前に新しく家族となった母だ。いつも綺麗に整えていた天然の金髪が乱れ、ボサボサになっていた。
「良か……っ、ひーん……良かった……っ!」
わーっと勢い良く泣き出し、雄吾が寝ていたベッドの端に頭を伏せた。その騒ぎが聞こえたのか、様子を見に来たらしい看護師が二人、開いている入り口のドアから見ている。そのうちの一人は雄吾の姿を確認すると、パタパタともと来た廊下を戻っていった。
そうだ、ここは病院だ。
雄吾は徐々に頭がハッキリしてくるのを感じた。見覚えがあるはずだ、だってここはーー
「ラムの隣にベッド作ってもらったの…」
首を母とは反対――窓側へと向けると、見慣れた弟の姿が、見慣れないアングルでそこにあった。いつもと雰囲気が違うのは、普段は眠っている弟を上からみているけれど、今は横からみているからだ。
ぼんやりと弟の横顔を眺めていると、母は続けた。
「丸一日眠ってたんダよ……ラムみたいに起きなかったらどうしようかと……」
そう言って目元を潤ませ、また泣き出しそうな母を見て、雄吾は慌て起き上がった。しかし、いきなり動いたためかグワンと目が回り、思わず頭を抱える。それに驚いた母は「ダイジョウブ!?」と一瞬泣くのも忘れたようだったが、雄吾が大丈夫だと分かった途端、再びひーん、と声を出しながらぼろぼろと大粒の涙を流し始めた。
「わ、悪かったって、だから泣くなよ…」
泣いている母にどう対処して良いか分からずオロオロする雄吾は、とりあえず、鼻水まで出始めたのを見てティッシュを探して辺りを見回す。
「ひーん、泣き虫でゴメンなサーい」
「いや、別にそこは良いんだけどさ…」
ふと、入り口に気配を感じて顔を向けると、病院では珍しくもない白衣が見えた。そして、その白衣は雄吾たちのいる病室へと入ってくる。
「目が覚めたようだね、雄吾くん」
「センセー!」
そこに立っていたのは、雄吾の弟・ラムの主治医である、真神ドクターだった。
「センセ、ありがとうゴザイました!」
母は勢い良く立ち上がり、ガバッと頭を下げた。
「いや、私は何もしていないよ。ただラムくんの隣にベッドを準備しただけだ」
縁のないメガネの奥の目が笑みの形を作るその人は、歳は60代といったところだろうか。白髪交じりのグレーの髪は綺麗に整えられており、上品な雰囲気を醸し出している。
「雄吾くん、調子はどうかな?」
ドクターはそのままベッドへと近づき、母とは反対側――雄吾とラムのベッドの間ーーに立ち、雄吾に話しかけた。
「あ、今はなんともないっス」
「そう、それは良かった」
ちょっと失礼、と言いながら、雄吾の脈拍や血圧を測り、瞳孔を観察しているドクターは、そのまま一通りの診察を続けながら続ける。
「お母さんが大層心配していてね、昨日から泊まり込みで君の様子を見ていたんだよ」
雄吾がなんと答えたものか、と思案していると、診察の手を止めて雄吾の目を見た。
「大切にされているねぇ」
ふんわりと言われ、雄吾は頬が熱くなるのを感じた。多感な時期の少年は、母親に大切にされている事実を認める心の余裕は持ち合わせていない。照れの感情からか、ついそっぽを向いてしまったが、雄吾のその反応を見て回りのみんな――ドクターだけにとどまらず、母も看護師もみんな――クスクス笑っているのを感じて、雄吾はさらに顔を真っ赤にして下を向いてしまった。
柔和な笑みを浮かべ、穏やかに話していた彼は、「ところで」と話を変える。
「いきなり本題に入るんだが……雄吾君、君の身に何が起こったのか、知りたいかい?」
その言葉に、雄吾は床に向けていた顔をバッと上げた。ドクターの笑みは先ほどまでと変わらない気がするのに、雄吾はなぜだかプレッシャーを感じていた。それは、空手の試合で、格上の選手を相手にするときのような感覚に近かった。知りたいか?と聞いてはいるが、雄吾に話を聞くか聞かないかを選択する権利はない。そういうプレッシャーだった。
しかし、どちらにしても、知りたかったのは事実だ。
自分はなぜあそこで倒れてしまったのか?高校生が髪をほどいたら獣化したのはどういうこと?能力者たちは「封印」がどうとか言っていたが…?
聞きたいことは山ほどあったが、雄吾は小さくうなずくことしかできなかった。
頷いた雄吾を見て、ドクターは「そうだろう」とでも言うように、満足そうな表情を浮かべる。そして、入口の方へ向かって「零」と声をかけた。
「それについては、孫の零から話をさせていただくよ」
呼ばれて姿を表したのは、昨日の高校生と同じ、桜狩獣高校の制服を身に着けた少年だった。背はすらっと高く、昨日の獣化した高校生と同じくらいだろうか。ドクターと似たような、縁のないメガネをかけており、髪はまったくと言っていいほど乱れがなく、絵に描いたように整っている。メガネの奥の瞳はスッと切れ長で、いかにもインテリキャラといった風情だった。今日は日曜日なのになぜ制服?という疑問が生まれる心の余裕は、雄吾にはなかった。
「真神零です」
メガネがキラっと光る。
雄吾は、今まで積極的に交友関係を築いてこなかったタイプの相手にたじろいだが、零と呼ばれた少年はそれに構うことなく話し始めた。
「猿田くん、まずはこちらの不注意で危険な目に遇わせてしまい、申し訳なかった」
そう言って、真神零と名乗った少年は頭を下げた。謝るには些か不遜な物言いであるが、態度は謝罪の気持ちがこもっている気がしないでもない。
「母上には先に少し話をさせてもらったが…」
少年が、雄吾の母にチラッと視線を向けたため、雄吾もつられて母を見る。その母は、さっきまで少年に向けていた視線をスッと外したことで、なんとなく不穏な空気を察した雄吾だったが、次の零の言葉で思考は停止した。
「君にはソーマはないそうだな」
「……は?」
いきなりなんの話だ…?と、雄吾の頭はプチパニックに陥った。獣宿しに襲われた件について説明でもしてくれるのかと思っていたのだが、どうやら少し違うらしい。しかも、突然ソーマの有無を話題に出されたことで、『ソーマあらずんば人にあらず』とでも言われているかのような錯覚に陥った。彼の話し方が堅苦しく人間味が薄いことも原因の一つなのかもしれない。とにかく、雄吾は自分が否定されているような気がして、面白くなかった。
「それと今回のことと、どう関係があんだよ……」
普段から敬語なんて使い慣れていない上に、相手の遠慮のない口調にこちらも遠慮なくタメ口で応対する。しかも気分を害している分そっけなく、雄吾は言い放った。
そんな雄吾の様子を気にもとめていない様子で、零は続ける。
「単刀直入に言おう。君には、能力者よりも特別な力が備わっている」
「……はぁ!?」
話がぶっ飛びすぎていて着いていけなかった。さっきは自分が否定された気がしたが、今度はだいぶ持ち上げられた…ような気がする。
特別な力?いったいどんな力があるというのだろう?そもそも、誰がどうやって自分にそんな力があることを知ったのか?
雄吾の、普段からあまり使わない頭は簡単に容量を超過し、真っ白になっていた。
「我々には君の力が必要だ。僕たちを助けてくれないか?」
『助けて』と言われても……。
訳が分からず、ぎこちない動きでやっとのことで母の方に首を回すと、母は少年からも雄吾からも目をそらし、下を向いたままだった。
「あ、あの~…何が何やら、よく分からないんスけど…?」
仕方がないので、その場にいたもう一人の人物、零の祖父であるというドクターに助けを求めてみる。
「零、いくらなんでも単刀直入過ぎやしないかい?」
少し困ったような、苦笑い状態のドクターに、そうっスよね!と激しく同意したくなった雄吾だったが、大人しくことの成り行きを見守る。
「そうですね、では順を追って説明します。まず獣宿しがいつから出現したのかについてはーー」
「いや、そこから話したのでは長過ぎると思うんだがねぇ…?」
祖父と孫のコントになりつつあったが、ドクターは孫に説明させるのを諦めたらしい。最初からそうしてくれれば良かったのに、と雄吾は思ったが、もちろん口には出さない。孫の方は「申し訳ありません」と祖父に対して謝罪を述べたが、いかんせん無表情のため、本当に申し訳ないと思っているのかどうかが、どうも伝わってこなかった。
少し話が長くなるが聞いてくれるかい?と前置きしてから、ドクターは話し始めた。
「獣宿しについては、なんとなくは知っているね?」
「はぁまぁ、なんとなくは……」
『獣宿し』と『能力者』の存在を知らないものは、この時代にはいないだろう。事故のニュースは、それこそ連日どこかのテレビ局が放送しているが、獣宿しに関してはそこまでの発生頻度はない。しかし、たまに大火事が起こったときのように、ニュースになるときは数日間、獣宿しによる被害報道がなされることもある。獣宿しによって建物が破壊される場面や、能力者が応戦する姿などを、雄吾もテレビで見て知ってはいた。幼いころは、能力者と特撮ヒーローとの区別がつかず、能力者は悪い獣宿しを倒すヒーローとして憧れたものだった。ものの分別が付くようになってからは、獣宿しの正体を知り、獣宿しが必ずしも悪ではないことを知った。獣宿しも可哀そうな存在だと思いつつも、弟が能力に目覚めるまでは、対岸の火事よろしく、自分にはまったく関係ないものと思っていた。
「普通に暮らしていた人間が、ある日突然、獣のような風貌になって暴れ出す。そうなった人間のことを『獣宿し』と呼んでいる」
弟が能力者を目指すようになってからも、雄吾が住んでいた東北地方では獣宿しの発生件数が少なかったため、弟が獣宿しと対峙する確率は低いと踏んでいた。実際、東北地方の能力者は獣宿し退治を経験した者は少ないらしいと聞く。そもそも能力者の配置自体が少ないため、実際に獣宿しが出現しても現場に着くまでに、周辺を破壊しつくして自滅していることも多いらしい。
それなのに、弟はまだ能力の開発途中にもかかわらず、運悪く獣宿しと遭遇し、対峙した。そして今、その時に力を使いすぎたことが原因で、昏睡状態が続いているのだ。獣宿しと直接戦って、命を落とさなかっただけマシだったと考える他ないのかもしれない。
「現在彼らは、動物園から逃げ出した猛獣と似たような扱いだ。もともと人間であるにもかかわらず、獣化したら殺処分の対象となる。これまで獣化した人間、つまり獣宿しが普通の人間に戻った例が公表されたことはない。だから一度獣化すると二度と戻れないものと思われている。それに、強大な力を持って暴れている彼らを殺さずに捕まえるのは容易じゃないからね。生きるか死ぬかの戦いを挑まないと、こちらが殺されてしまう。だからそれは仕方のないことだったんだ。今まではね」
ドクターの眼鏡がきらっと光った。眼鏡とはどうしてこうもタイミングよく光るものなのだろう、と雄吾は頭の片隅で考えていた。
「だけど、君が昨日見た獣宿し…」
雄吾の脳裏には長髪の高校生の笑顔と、獣化したときの鋭い眼光が続けざまに浮かんできた。
「あ、そういえば!その…獣宿し……さん?はどうなったんスか?」
雄吾はなんと表現すべきか迷って、結局「獣宿しさん」という微妙な表現になってしまったが、ドクターは気にせずに続けた。
「あぁ、彼は無事だよ」
雄吾は「良かった」と思いつつ、獣宿しが「無事」というのは、どういう状態のことを示すのだろう?と疑問に思った。耳と尻尾が生えた状態でグルグル唸りながら過ごしているのか?はたまた元の穏やかな高校生に戻れたのか…?
疑問が顔に出ていたようで、ドクターは少し笑いを含んだ表情で続けた。
「彼の名前は玉藻と言うんだが――」
そういえば、倒れる前に「玉藻!」と誰かが叫んだのが聞こえた気がする、と雄吾は思い返していた。
「今、彼はすっかり人間の姿に戻っているよ」
安堵した、というのが正直なところだった。別に身内でも、友達だったわけでもない。ただ一言二言言葉を交わしただけの相手ではあるが、それでも、まったく見たことも話したこともない人よりは、幾分近い存在に感じる。親切にしてあげたり、されたりした相手というのは、すでにまったくもって無関係というわけでもないのかもしれない。
しかし、そこで雄吾はあることに気がついた。
「……そういえば獣宿しって、一回獣化すると人間に戻れないんじゃ……?」
だから殺処分の対象にもなるし、社会的な問題にもなっているのだと、雄吾は認識していたが。そうではないのだろうか?
「一般的には、そう言われているね」
『一般的には』という言葉を強調したドクターは、内緒話をするように、雄吾に顔を近づけ、小さな声で告げた。
「実はね、彼は、獣化するのが昨日で三回目なのだよ」
「三回目…!?」
二回のみならず三回目、ということは、二回も獣化を経験したあとで、あのように穏やかな表情で過ごすことができていたということだ。しかも、今回も人間に戻っている…。普通の人間とどこか違っただろうか?最初にパンを渡したときには、獣宿しだなどと露ほども思わなかった。それほどまでに、『人間』だった。
なんだ、獣宿しって言っても、普通の人間じゃないか――
雄吾は、獣宿しに関しては一般的に言われている程度の情報しか持ち合わせておらず、悪とこそ思ってはいなかったが、心のどこかには「恐ろしい怪物」という認識があったのだろう。長髪の高校生に出会ったことで、別世界から生れ出た怪物のような印象から、自分たち人間の延長線上にいる存在という印象に変化し、より身近なものに感じられた。
「私たちは、獣化してしまった人間を元に戻すための研究をしていてね、君のような人間が現れるのを、ずっと待っていたのだよ」
ドクターは一度そこで言葉を区切り、優し気なまなざしを雄吾へと向けた。
「断言しよう。獣化した獣宿しは人間に戻れる」
ドクターは言いきる。
「そして、君は獣宿しを人間に戻すことができる、数少ない人間なんだ」
ズイッと前に出て発言したのは、孫の方の真神だった。
「俺が…獣宿しを人間に戻せる……?」
にわかには信じがたいことだ。だが、立派な大人と、生真面目そうな高校生が大芝居を打って雄吾を騙そうとしているとも考えにくい。そもそも、雄吾を騙したところで、彼らに何の得があろうか。『助けて』というのはつまり、獣宿しを人間に戻すために協力して欲しいと、そういうことだろうか。
というか、長髪の高校生が、「すっかり人間の姿に戻っている」ということは、もしかすると、それが自分の力なのだろうか……?
「正確に表現するならば、『獣化を解いて人間に戻せる』となる」
人間に戻せる。つまり、今まではどう転んでも死しか選択肢のなかった獣化した『人間』を、長髪の高校生のように普通の生活に戻してあげることができるということだ。
「獣宿しは、たぶん一生『獣宿し』のままだ。獣宿しとは、『獣を内に宿しているもの』という意味。すなわち、条件によってはまた獣化する彼らは、獣宿しということになる」
なんとなく、「自分ってすげーじゃん!」と気持ちが高揚していた雄吾だったが、続く零の説明を聞いているうちに、途中から内容を把握できず混乱し始めた。「獣宿しを人間に戻せるけど、獣宿しは獣宿しのまま」…?んん…?と、『獣宿し』と『獣化』という言葉の定義が曖昧な雄吾は頭を捻る。
「まぁ、獣宿しの定義は置いておくとしよう。つまりね、猿田雄吾くん。君は獣宿し社会の救世主となるやもしれないのだよ」
と述べるのはドクター。雄吾の耳は、ゲームやアニメの世界ですら近ごろ耳にしない単語に大きく反応した。
「俺が、救世主…?」
「そう」
「マジで…?」
「マジだとも」
雄吾は自分の心がワクワクッとしたのを感じた。幼いころに憧れた、テレビの中のヒーローに、自分がなれるかもしれないのだ。幼いころはよく、戦隊ヒーローや仮面ライダー、獣宿しを退治する能力者になったつもりで、父親相手におもちゃの剣を振るった。こっそり回し蹴りの練習をしたこともあった。空手を習い始めたのだって、強くて格好良い、誰かを守れる男になりたかったからだ。年を重ねるうちに、都合よく武道が役立つ場面に遭遇することはそうそうないし、獣宿し退治だってソーマを持つ能力者にしか出来ないことに気付いた。真剣にそういう道を目指そうと思っていたわけではないけれど、心のどこかにはまだ、憧れはあったのだ。
自分がヒーローに…。
「でもっ!」
活躍している自分を想像して、気分はすでに英雄だった雄吾は、母の大きな声で現実に引き戻された。
「でも、あなたたちに関わったら、ユーゴくんは危ない目にあうってことデスよねっ!」
必死な様子の母を見て、弟のラムが倒れたときのことが脳裏に浮かんだ。弟の安否を確認するまで、父も母も青い顔をして一言もしゃべらなかった。自分がヒーローになるということは…獣宿しに関わるということは、自分も死と隣り合わせの生活をおくるということだ。もしかすると、弟のように目を覚まさなくなるかもしれない。今回だって、だいぶ心配をかけたのだろう。
「ケモノになっちゃった人はカワイソウと思います。でも、だからってユーゴくんが、知らない人のために、危ないことをするのは、ワタシ嫌ですっ!」
涙目になりながら訴える母に、雄吾はなにも言えなかった。
しばしの沈黙の後、最初に声を発したのはドクターだった。
「まぁ、今話したのは、あくまで君の『能力』の話だ。もちろん私たちは、君が私たちの仲間として活動してくれるなら嬉しい。しかし、能力があるからといって、必ずしもやらなければならないということはない。やるかやらないかは、君が決めることだ」
大声で自分の気持ちを主張した母は、下を向いて歯を食いしばっていた。
「親御さんの気持ちは分かるからね。考えておいておくれ」
雄吾はハイともイイエとも答えられず、「あ、あぁ…」という声を絞り出した。
その日は、念のためもう一日入院を勧められたが、少しだるさが残っているだけで、他に身体に異常はなさそうだったため、明日一日だけ学校を休んで家でゆっくり過ごすという条件で夕方帰宅した。帰宅前に、母は父に連絡を入れてくれていたようで、父は雄吾たちの帰りを、家で首を長くして待っていた。
「雄吾っ!お前というやつは…っ!!」
家に帰るなり、父は雄吾の肩を掴んで大きく揺さぶり、そして、強く抱きしめた。
『もう辞めてくれ…母さんの真似はしないでくれ…』
昔、父に言われた言葉を、雄吾は思い出していた。