別の生活スタイル
今多くの人が、都市の近くの非常に狭い住居にほぼ一人で住むか、都市からやや離れたベッドタウンで核家族で暮らすかしている。
それは唯一だろうか?
別に、こういう生活はどうだろう。ただしこれは、多くの専業主婦核家族があった過去の話か。
かなり都市から離れた郊外にある程度広く、家庭菜園などもある家。
都市で働く親は、都市の近くにある少し大きいカプセルホテルのような場で普段は寝泊まりする。
そして長い休みで帰る……今の曜日制、鉄道料金体系とは合わない。定期券と回数券の差が大きく、普通切符と回数券の差が小さい、つまり普通切符と定期券のちょうどいい中間が見られない。
月に2度3連休以上がある、そのかわりほかの週末は休みが1日、というような形だろうか。
その場合に、現実より家族の接触がどの程度少なくなるかはわからない。
緊急対応が必要な責任がある職の場合、長めの連休があっても都市から離れて「帰る」ことが許されないかもしれない。
家族構成によっては……専業主婦なしでは……ペットの世話が困難になることはある。
専業主婦が困難になった今は?両親が共働き、子は寄宿学校、とすればそれに近いことも可能だ。
子をもてなす場を別にする……食事を作って多人数で食べる場と、夫婦二人で普段生活する場を分ける。
その場合はペットが困難になるか。
子供を一瞬たりと管理から外してはならない海外でも不可能だろう。
ロシアにはダーチャという別荘がある。設備などはないに等しく、自分たちで井戸を掘ることすらある。
そこの家庭菜園が、ソ連崩壊での経済的な困難で、食糧を供給することで多くの人を救ったそうだ。
ほかにも、おそらく自民党政権は本音で推奨したいのが、大家族制度。
だがそれは封建道徳が強い、弱い者にとっての地獄になる。
では、どうすれば封建・体育会的な権力支配でない、核家族でもないライフスタイルがあり得るだろう?
核家族にはワンオペ子育ての過重負担、専業主婦が期待される>女性の労働上評価が低い>才能の無駄遣い、死別離別でシングルマザーもシングルファーザーも地獄、さらに将来の介護地獄、と大きな欠点がある。
どうすれば、一人で二人を見るのではなく、5人で20人を見ることができるだろうか。それなら常に二人が見て、睡眠も休日もある生活になるだろう。
人間性に反する?進化心理学的には、5人で20人を見る方が普通だったのでは?
人はどのように生活できるのだろう。
本当に今のやり方しかないのか。
逆に、不可能と証明されているのは…共産主義や、さまざまなカルトや共産主義に近い運動などがいろいろな社会実験を行い、多くの社会が不可能と証明されている。それは直視しなければならない。
『お母さんは忙しくなるばかり』という本で、食事や洗濯の共同化は失敗するとあった。それは人間の性の限度を超えるように見える。ただし、中国では壁がなく丸見えのトイレが当たり前になっている。
できることとできないこと。生贄の心臓をえぐる帝国はそれなりに存続したが、完全平等はだいたい失敗する。
そして、今のやり方しかないと考えるのをやめるのが正しいとは思えない。
これからの技術の進歩もあるだろう。
今の技術でも、やればできることは多いだろう……監視と水・餌をやるだけなら十分今の技術でもできる。哺乳瓶ごと滅菌密封された乳児ミルクは、単にやっていない・許可されていないだけだ。