肆 あまつさえその都度都度に。
「はぁ……」
その日も、思わず溜息が漏れ出てしまうほどに酷く晴れ渡った日であった。
例えばこれが冬だったのならば、僕はさぞ喜んだだろう。どれくらい喜んだかと言われれば、童心に返って近所を叫びながら走り回るくらいだ。まあ冗談はさておき。
ともあれ、これが冬ならばの話だ。
そう。残念ながら今は冬ではない。
どっちかと言えば、いや、今の気候ならばどっちかと言わずとも、やはり夏である。
むしむしと湧き出るようなこの暑さは、およそ九月のものとは思えない。天気予報では、もしかしたら三十度を上回るほどの異常気象らしい。
もう九月も終わろうとしているのに、具体的に言えば、あと一週間もせずに終わると言うのに、この気温は、この暑さは、どう考えてもおかしい。どう考えたって、秋の天気ではない。
とまあ、ぐだぐだ文句を連ねたところで、この暑さがどうにかなるわけでもない。神でもあるまいし、やはり天気を変える、なんて言うことはできるはずもなかった。
むしろ、暑い暑いと思えば思うほど、身体中の穴という穴から汗が滲み出てきそうだ。
そうだ。
こんなときは寒い寒いと自分に暗示をかけようそうしよう。
「おはよ、今日も暑いね」
僕が寒い寒い寒い寒いと小声でお経よろしく呟いていると、背中をぽんと叩かれ、背後から声がする。
振り返ることもなく、やはりその後ろの人物は想像できた。想像できたというか、断言できた。
愛咲えりな。紛れもなく、悪びれることもなく、彼女は僕の彼女だ。言わばガールフレンド。(仮)ではないよ。絶対にそんなことはないよ。たぶん。おそらく。
「この調子だったら、冬も暖かいんじゃないの?」
「そうだといいんだけどなー」
言いながら、自転車を押しながら歩く僕の横で、えりなも並び歩く。
まあそんなわけもないか、なんてふたり談笑しながら、やはり学校を目指す。一応はカップルなんだし、行先も同じなんだし、もちのろん一緒に登校だ。むしろ、ここで僕が置いていかれたら一生立ち直れそうにないまである。
「んー」
と、僕の気持ちなんて露知らず、知る由もなく、彼女は思いっきり背伸びをする。少なくとも、女子高生らしからぬその胸あたりの双丘の主張に、思わず目を逸らす以外の行動をすることはできない。彼氏なのにな、とこころの中で誰かが囁いたが、しかし彼氏でも、彼女の胸を凝視してもいいというわけでもなかろう。まだそういう行為をしてない僕ならば、尚更だ。
「今日、阿須舌さんのところに行くんでしょう?」
「ん。あぁ、まあ、そうだね」
なんてちょっと曖昧な返事をしながら、彼女を向いた。
「わかってるよね?」
わかってる。
彼女がこんな顔をするということは──つまり。
「連れていかねぇからな」
その目はつまり、僕に『一緒に付いていく』と訴えかけている目だ。
「えー、なんでダメなのさ?」
まるで幼女が怒ったときのように頬を膨らまし、上目遣いという、なんとも可愛い顔をし僕に訊くが、そんな顔をされても、ダメなのだ。
「ていうかそもそも、あの人、何処にいるのかさえ分からないし」
「え、理科準備室にいるんじゃないの?」
むかーしむかし、そのまたむかし。どのくらいむかしかと言えば、およそ一ヶ月ほどまえ。いやそれ以上前かな? どうでもいいか。
とにかく、夏休み。たしかに阿須舌マキヤは、私立綽森高等学校、東棟二階の、理科準備室を寝床としていた。もちろん、教師には見つからないようにいろいろと工夫をしていたみたいだが、実際問題、僕たちにはバレバレであった。
「今はもう、あそこにはいないぞ」
たしか、一ヶ月に一回だとか、二ヶ月に一回だとか、正確なことは何ひとつわかっちゃあいないけれど、でも、しかし、阿須舌は定期的に住処を変える。いや、何だかかんだか、住処と言ってしまっては野生動物のようなので、ここは敢えて、拠点と言っておこう。
そしてその拠点が、八月、たまたま私立綽森高等学校の理科準備室だっただけであって、ずっとそこに住んでいる訳では無い。必然的に、彼が今何処で寝ているのかは、この僕でも果たしてわかったことではないのだ。
「そっかー……」
なんて、さぞ阿須舌と会えないのを残念がっているような反応をする。
「お前、そんな阿須舌と仲良いわけじゃないんだろ……?」
「いや……そうなんだけどさ。でもさでもさ、結局ちゃんとお礼言えてないんだよねぇ……。阿須舌さんは『そんなのはいらない』って言ってたけど、でも、やっぱり次会う機会があったら言っておこうと思って……」
「お礼?」
はて。
どうして彼女が、阿須舌にお礼を言わなければならないのだろうか、と首を傾げるが、『あぁ、やっぱ何でもないや』と何故だかはぐらかされてしまった。
「何でもないこともないだろう?」
「そうだね。何でもないこともない。けれど、それはカレンにとっては関係の無い話なんだよ」
彼女の、まるで突き放すような言い方に、妙な違和感を覚えた。その言葉は氷のように冷たく、僕をまるで人間だと思っていないようで、酷く焦燥感のようなものを感じる。あくまでも、そんな気がしただけなので、本当に彼女がそんな思いで言ったのかは果たして、たとえ彼氏である僕でも、わかったことではないが。
「と、に、か、く!」
今までの空気一変。
明るく彼女は僕に訴えの目を向ける。
さっきまでの冷酷なまでの眼の裏腹、優しい眼であった。いつもの、彼女であった。
「私を、阿須舌さんのところに連れていけぇっ!」
びしっと指さす愛咲えりなは、今日も笑って僕を見る──