拾玖 ありすいんざありす。
放課後。
ついに、決戦のときがやってきた。
思えば、夏休み以来の神との対決である──まあもちろん、あの夏休みの事件については異常なので、正式(と言っていいものなのか)な神との対決は、これが初めてになる。いわゆる、初陣である。まあそんな言い方をしたら大袈裟かもしれないけれど。
ともかくとして、放課後僕は、例によって例のごとく、やっぱりいつものように、二年B組の教室前に来ていた。今回も、前回と同じように教室前方──つまり黒板側に立って。
黒板側から、じっと、その集団モアイ催眠を見ている……いや、より正確に言えば、生徒たち全員を見ているわけではなく、もちろんたった一点──雪躪紀色の顔を見ていた。さながら男子に想いを寄せる初々しい女子生徒のように、熱い視線を向けた。
「──」
動いた。
若干、ほんの少しの動きだったけれど、それでも、ぴくりとは動いた。そして時折、わかるかわからないか程度に瞬きだってしている。
昨日は、『誰ひとり動くことなく、瞬きさえもすることもなく』なんてその異様さを表現すべく、そんなことばをうっかり使ってしまったわけだけれども、しかしこうやってひとりだけを熱心に観察してみたら、よくわかった。
誰ひとりとして動いていないわけではない。
ひとりだけ、たったひとりだけ──動いているのだ。
そのことに、ようやくと言うべきかやっとと言うべきか、ともかく僕は気づくことが出来た。これを阿須舌は、一瞬で、一発で当てることが出来たのだから、やっぱりそう言うところは専門家であるが故なのだろうか。普段はあんなにふざけて怠けているあいつでも、やるときはやるみたいだな、とちょっと上からものを言ってみる。早く僕も、そんな専門家になりたい、なってみたい。
そんな思考を巡り廻らせていると、彼女──愛咲えりなは走って僕のもとへと来た。「廊下を走ってはいけないぞ」なんて、場違いなことばは言うつもりもない。状況が状況だ。
「ごめん、待った?」
「いいや、今来たところだよ。つい三十分前」
「だいぶ待ったね!? ごめんねっ!!」
「いいよ、待つのは嫌いじゃないし」
「それならいいけど……いいのか……?」
ん? あれ?
とか何とか困惑しているえりなは無視して、あともうひとりを待つ。メールを送ってから四十分。そろそろ来てもいい頃合いだろうけれど。
「おにぃちゃん、昨日ぶり」
思っていたら、既に来ていたようで後ろから聞き慣れた声がかかった。振り向くこともなくその正体は知っているけれど、やっぱり、あんまり見ることの出来ない制服姿は今のうちに拝んでおいたほうがいい。
そんなわけで、ぱっと後ろを向く。短いプリーツスカートをひらりと翻しながら、彼女は微笑んでいた。
「昨日ぶり、悠莉」
普段は決して学校に来るはずがない、実の妹である結梛悠莉。
実の妹。
最近は、そんな事実も疑わしくなってきたけれど。
わけあって学校を中退した悠莉だったが、制服を着ていれば案外学校にいてもバレないようで、「あれ、あんな娘いたっけ?」くらいの認識なのだろう。視線は感じるが、それほど困るものでもない。
「行こうか、悠莉……」
悠莉の手を引き、僕は教室のドアに手をかける。
集団モアイ催眠。
さあ、戦争だ。
◇
教室に入った瞬間感じたのは──『威圧』だった。
教師たちがこの教室に入るのを嫌がっていたのもなるほど納得できるほどに、その教室には異様な空気が漂っていた。それでもこの空気で勉強を教えていた教師を、心底尊敬する。もっとも、馬の耳に念仏という諺があるように、彼ら彼女らにとってはまったくもって無意味なのだろうけれど、それでもやっぱり、尊敬に値する。
ひとまず、この異様な空気を変えるために、教室のドアを前方も後方も開け、そして窓も全て全開にする。その間、雪躪が何もしてこなかったのは、やっぱりバレてないと括って演技をしているのだろうか。犯人がわかってしまっている僕にとっては、バレバレなんだけど。
そうして、空気が変わったところで。
僕は……『彼女』を呼んだ。
「来い──ありす」
血に濡らされた烈火の剣──『ありすいんざありす』は、僕の声と共に出現した。
同時に、『結梛悠莉』は消失する。
つまり。
悠莉。
イコール。
ありす。
自分でも信じられないが、人間である僕の実の妹は、堕天使なのだ。空から落ちてきた、もとい堕ちてきた、終末として終極であり終焉の堕天使なのだ。もちろん、それは勝者の歴史として。
そうして堕天使は、僕の従僕となり、奴隷となり、ペットとなった。
あの日──夏休みのあの日から、僕は彼女を飼っている。
一緒に住んでいるけれど、同時に、彼女を飼っている……堕天使として。
そんな彼女は、ひとつの刀になることが出来た。
刀と言うべきか、剣と言うべきなのかはともかくとして、それでも、真っ赤に濡れた刀に、変身することが出来る。
それが……血に濡らされた烈火の剣──ありすいんざありす。つまりは結梛悠莉の正体である。
と。
ある程度の解説も終えたところで、そろそろ、雪躪紀色と対話をしなければならない。
これが果たして、事故か事件なのか未だ定かではないが、しかしそれでも、当事者との会話くらいは出来るはずだ。あの夏休みがそうであったように、そして今回も。
「よう、ユキニジムくん」
ありすを向けて、僕は呼ぶ。
もう全部わかってるんだぞ、と言う意味合いを込めて。
「やっぱ……バレてたか……」
はじめは黙りこくって、知らないフリを決め込んでいたようだったけれど、一分ほど睨んでいたら、ようやく諦めたように、酷く落胆したように、肩を落として、そして呟いた。
雪躪紀色は、とうとう、白状したのである。
「僕を、どうするつもりだい?」
「斬る、と言うか叩く」
「殺すの?」
「神は殺すが、お前は殺さない」
言うが、何を言っているのかわからないと言う風に、首を傾げ、肩を竦めた。
「説明する必要はない。行くぞ」
彼に言ったのか、それとも彼女に言ったのか、それとも神に言ったのか、言った本人でさえわからないようなセリフを吐き、僕は刀を構える。
ありすいんざありす。
対神専用の、神狩り用の刀である。これに斬れないものなど、決してない。
ぐさり。
音を立てて、彼の奥深くへとありすの刃を突き立てた。
物理的ではない。
精神的に、彼の奥へ奥へと突き刺す。
そうすることによって、ようやく、神が現れる。神様が降臨する──僕の目の前に。
さながら夏休みのときのように、僕は『そいつ』に刀を向けた……血に濡らされた烈火の剣──ありすいんざありすを。
《────!》
そんな僕を見て、ユキニジムに宿っていた神が何かことばを発しているようだったけれど、生憎と言うべき気か、僕は彼らのことばが聞き取れないし、仮に聞き取れたとしてもことばを理解することはできない。彼らは彼らなりのことばがあるのだから、僕なんかのいち人間に理解出来るようなものでもないのだ。
だけれど、これだけは確信を持って言えた。
神は──怒っている。
憤怒だ。
今にも狂ってしまいそうなほど、その表情は怒りに満ち溢れている。
「…………」
しかしここで怯んでしまったら、夏休みの二の舞になってしまいかねない。あんな過ちは、出来れば二度と繰り返したくはないことだ。
だから、僕も最大限の怒りを込めて、ほぼ八つ当たりに近い気持ちでこう言った。
「さっさと楽にしてやるぜ」
次回はバトルです。




