第十話 勘当貴族、あの日の決着に痺れる
剣術の腕以外は全て兄に劣っていた私は、どうあがいても公爵家の跡取りになることはできない。幼い頃より分かり切っていたことだが、たとえそうであっても『剣』以外にも兄より優れている何かしらを欲していた。そこで目を付けたのが、クロエという黒狼族の女冒険者だ。
黒狼族は、獣人の中でも屈指の身体能力と高い魔術的な素養を持った一族。そして、一度主君と決めた相手に対しては血の繋がりよりも強い絆を結ぶことで知られている。その能力と主への忠誠心故に、黒狼族を配下として迎えた者は、優れた名君と賞されるほどだ。
「待たせて申し訳ないでござる、細部の調整に時間が掛かったゆえ」
「いや、こちらが無理を言って時間を割いてもらったのだから、贅沢は言わん。むしろ、こちらの申し出を受け入れてくれて感謝する」
奇しくも再会した私は、一度武器屋を後にした。逃げたわけではなく、場所を改めるためだ。
そして現在、武器屋の近くにある喫茶店の一席で対面に座っている。私が店を出てから三時間ほど経過した後、現れた彼女の腰には見慣れない『剣』が携えられていた。興味は引かれたが、それよりも先にすべき事がある。
「以前に見たときとは随分と様変わりしたでござるな」
「その中……あの後に色々とあったのでな」
ミスリル合金製で揃えていた以前と比べればまさしく雲泥の差だ。彼女に指摘されると、改めて自分が一度落ちる所まで落ちたのだと再認識した。
「どうやら苦労をしたようでござるな」
借金地獄の日々を思い出すとそれが顔に出ていたのか、彼女の声には同情の色が含まれていた。そんなに酷い顔をしていたのか
「身から出た錆だ。思うところはあるが、それを口にする資格を私は持ち合わせていない」
「…………殊勝すぎでござるな。本当にあの坊ちゃん貴族でござるかこの御仁」
ぽつりと、心底不思議そうな彼女の小さな呟き。本人は独り言だったのだろうが、ばっちりと聞こえていた。失礼な、と口からで掛かったが私はそれも飲み込む。
まず私が口にすべきは──謝罪だ。
「クロエ嬢」
私は、呼吸を整えてから彼女──クロエ嬢に改めて言った。
「黒狼族の貴殿に対して重ね重ね非礼を働いたこと、深くお詫びする。以前は本当に済まないことをした」
そう易々と下げる頭は持っていないが、下げるべき時は心得ている。そして今がその時であった。
「謝って済む話ではないのかも知れない。だが、一つのケジメとして頭を下げさせて貰った。もし貴殿の気が収まらないと言うのなら、この身を煮るなり焼くなり好きにしてもらってかまわん」
クロエ嬢からすぐに反応は無かったが、私はそのままずっと頭を下げ続けた。
「……………………頭を上げるでござるよ」
しばらくして、ようやくクロエ嬢から声をかけられた。言われたとおりに顔を上げると、クロエ嬢は微笑みながらこちらに向けって手を差し出していた。
意味が分からなかった私だが、彼女が私の前で手を軽く上下に降り、ようやくそれが〝握手〟の格好であることを理解できた。
「許して……くれるというのか?」
返答はなく、彼女は笑みを浮かべたまま。
……本当に、この程度の謝罪で許してもらえたのだろうか。
私は、恐る恐るとクロエ嬢の差し出された手を握り返──。
──バチバチバチバチバチッッッッ!!
「$"&>?{|0"!ッッ!?」
彼女の手を握りしめた途端、強烈な痛みが腕を通して前進を駆け巡った。声にもならない絶叫が口から飛び出し、視界が激しく明滅した。
やがて手が解放されると、私はテーブル席に倒れた。
「あ、お騒がせして申しわけないでござるよ〜〜。何でもないから気にしないで欲しいでござるよ〜〜」
クロエ嬢が軽い調子で店内に客に対して言ったが、私はそれどころではない。全身が痛みと痺れで全く動かなかった。というか、半開きになっている口から煙がでていないだろうか。
「く、クロエ嬢……い、いったい何を…………?」
ビクンビクンと痙攣しながらも、私は辛うじて声を発した。
「黒狼族にとって、主君との契りは血の繋がりよりも強く深いものでござるよ。それを承知の上で侮辱した貴殿に対しての〝報い〟でござる」
やはり、そう簡単に許してはもらえないか。いや、どれもこれもがまさしく自業自得。彼女に文句を垂れるのは道理が通らないか。
「故に、今ので手打ちとするでござるよ」
「…………え?」
「そう簡単に許しては黒狼族の沽券に関わるでござるからな。少しばかり〝仕置き〟をさせて貰ったでござるよ」
徐々に躯の痺れが薄れ、再度顔を上げるとクロエ嬢の苦笑が目に映った。
「貴殿、謝罪はしかと受け取ったでござる」
そう言って、彼女はもう一度手を差し出してきた。
「これにて、過去の諍いは水に流すでござる」
「………………」
「安心するでござる。もう雷は流しておらんよ」
先ほど躯に走ったのは雷だったのか。明らかに手加減はされていたと思うが、よく生きていたな私。
痺れの抜けた躯を起こし、私は差し出された手を握り返した。
「既に貴族の身分では無いので改めて名乗らせてもらおう。冒険者のルキスだ。以後、よろしく頼む」
「了解でござるよ、ルキス殿!」
再会して初めてクロエ嬢に名前で呼ばれた。
──こうして、私と彼女との間にあった諍いに、一つの決着が付いたのであった。
しかし、すんなりとクロエ嬢が許してくれた事に私は驚いていた。雷を流されるという折檻はあったが、だとしても不思議に思えた。
「気づいてござらんだろうが、ルキス殿の顔は以前とは全く別人だったでござるよ」
「……特別に手入れしたつもりは無いが」
「そうでござるな。造形そのものは全く変わってはござらんよ。そうでござるな……あえて言うならば『良い顔』をしているでござるよ」
「ふむ、全く分からん」
「そうでござるか? まぁ、そんなわけで、武器屋で顔を合わせた時点で貴殿が心底反省したのは何となく察していたでござるよ」
いまいち理解できず、私は首を傾げてしまった。
「それで、あの決闘が終わった後はどうしていたのでござるか? 差し支えなければ教えて欲しいでござるよ」
「そうだな……あまりおもしろい話ではないが」
雇っていた冒険者二人に見限られたこと。それがきっかけで出来た借金返済の日々。白夜叉によって強制労働行きの危機を逃れたことも、嫌々ながら正直に告白した。どうせここでクロエ嬢に話さなくとも、白夜叉の口から伝わるからだ。その上で、シナディ嬢に見出されて冒険者の最下層からどうにか脱し、先日に昇格したことを彼女に語った。
「な、中々に濃い日々を過ごしていたのでござるな……」
「先ほども言ったが身から出た錆だ。自慢できる類の話では無い」
「しかし、だからこそ拙者とこうして和解できたのだから、そう捨てたモノではないでござるよ」
「そう言ってくれると気が晴れる」
あの日々が無駄ではないかったとクロエ嬢に言われると、二度と御免ではあるが悪い経験では無かったのかもしれない。
「興味本位で聞くがクロエ嬢はどうなのだ? 先ほど武器を新調していたようだが……」
「先日に、ようやく念願のBランクに昇格できたのでござるよ」
「そうか、Bランクか……」
今の私にとっては遙かな高見だな。いずれ目指すとしても、まずはDの一つ上であるCランクに昇格せねばなるまい。
「さらに聞くが、貴殿の腰に差している剣は風変わりだな。刺突剣にしては反りが強いし、斬撃剣ともまた違うように見える」
「こいつは、そのどちらとも違う『刀』と呼ばれる剣でござるよ」
クロエ嬢は腰に差す剣の柄を叩いた。
「貴殿は黒狼族──ヒノイズルの出身だったな。そうか……これが」
『刀』の噂は私も聞いたことがあった。ヒノイズル独特の武器で、特殊な製法で鍛造された剣で、見た目よりも遙かに頑丈ありながら恐ろしい切れ味を誇るという。
「主な製造元がヒノイズルでござるからな。この一本を探すのには本当に苦労したでござるよ。……………………あと、値段も」
最後に付け足された小さなつぶやきは深く聞かない方が良いな。それまでピンッとたっていた狼の耳が力なく垂れているし、口の端からカサカサに乾燥した笑いが漏れていた。アレは少し自棄になっているときに出てくる笑い声だった。
聞いた噂が本当であり、なおかつ希少価値があるのならば、ミスリル合金製の剣と同じ値段だと予想ができた。とすると、おおよそ金貨二十枚あたりが妥当か。
「……お茶を誘ったのは悪かったか?」
「あ、いや。お茶代くらいは大丈夫でござる。……明日からしばらく塩と水で暮らすことになるでござろうが」
ぜんぜん大丈夫そうではなかった。
「頼むからお茶代は奢らせてくれ。誘った手前、自分に付き合わせたせいで餓死されたら後味が悪すぎる」
「………………助かるでござる」
絞り出すような声に、私は思わず苦笑してしまった。
たとえ以前に事を許されたとしても、彼女とこうして気軽に言葉を交わせる日が来るとは思っていなかったからだ。
「さて、話は終わったし、面倒な奴が来る前に帰るとするか」
「面倒な奴?」
首を傾げるクロエ嬢に私は肩を竦めた。
「全く持って迷惑な話だがな」
「あ、店員さん。この店で一番おいしいお茶頂戴。代金はあの──」
どこぞの幼女が場を引っかき回すからな、と続けたかったが、遅かったようだ。