第9話
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伊達家と約束していた賠償金はすぐに支払われた。次は九条が凛花を渡さなければならない。
「叔母上、どうにかなりませんか?」
「どうにかと言ってもねぇ……」
紫苑は、凛花をこのまま渡すつもりはなかった。
凛花が伊達グループに戻れば、彼女はバッシングを浴び、罰を与えられ、また不自由な生活を送ることになる。
なにより、彼女自身が伊達家に帰ることを望んでいない。
紫苑はどうにかできないかと、九条真美に相談していた。
「正式に約束してしまったことだし、破るわけにもいかないわ。かと言って、このままでは凛花さんが可哀想ね」
「……」
紫苑は奥歯を噛み締める。
本来なら九条グループが凛花を拘束し続けることはできないのだ。いつかは伊達グループに返さなければならない。
会談では謝罪と賠償金を得た。
会談が平行線のままで終われば、本格的な武力衝突が起きかねない。その点で言えば、会談は成功だった。だが、凛花を渡す約束もしてしまった。
約束を違えれば、他の組織から敵対視されるだけでなく、社会の信用を失いかねない。それは組織が最も恐れていることだ。
「……ごめんなさいね。私には何も出来そうにないわ」
「……いえ、こちらこそ厚かましいお願い、申し訳ありません」
九条真美に出来ないことは、九条グループの誰にも出来ないのだ。
結局、何の収穫もなかった。
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「短い間でしたが、ありがとうございました。本当に楽しい学校生活でした」
凛花がクラスのみんなに別れを告げる。
彼女は笑顔だった。心の奥では大粒の涙を流しているだろう。
事情を知っている紫苑は胸がキリキリと痛む。やるせない思いが全身から溢れてくる。
「凛花ちゃん、また転校しちゃうんだね。私、結構好きだったのに」
「……そうだな」
隣の席の愛梨は、名残惜しそうに呟く。
凛花の別れの挨拶も終わり、クラスメイトが彼女の別れを惜しんでいる。特に女子は彼女に抱き付いたり、涙を流したりする者もいた。
そんな様子を紫苑は遠目に見ていたが、だんだんと内側から怒りが湧いてきた。
どうして彼女がこんな目にあうのか。伊達グループはどうして彼女の気持ちを大事にしないのか。自分に何も出来ないのか。なぜ彼女は伊達家に生まれてしまったのか。
運命の不条理に対する数々の疑問と苛立ちが紫苑の頭をグルグルと蠢めく。
何も出来ない自分が恨めしかった。
紫苑は自分の胸の内を、怒りを爆発させたい気持ちを必死に抑えながら、夏の青空をじっと見つめていた。
◆◇◆◇◆
凛花が伊達グループに帰る前日。
凛花は紫苑に別れの挨拶をした。そのときも、彼女は帰ることを恐れていた。クラスメイトには見せなかった涙を流し別れの挨拶をする凛花は、紫苑を怒りと悲しみに苛んだ。
「……片桐、本当にこれでいいのかな」
「……仕方ありません。私たちには何も出来ないのですから」
「凛花は、何も悪くないのに……」
彼女は組織に仕事を押し付けられ、全ての責任を負わされる。
「紫苑様、あなたは被害者で凛花さんは加害者です。紫苑様が悲しむ必要はないのです」
「……っ!」
あまりにも冷静な片桐の声が、紫苑に大きなショックを与える。
「今回のことで伊達グループの力は多少なりとも、弱体化したはずです」
「……やめろ」
「むしろ、私たちにとってみればよかったことなのです」
「やめろ!」
「私たちは自分たちの組織の利益を一番に考えるべきなのです」
「片桐!!!」
紫苑が片桐をこれほどまでに怒鳴ったことは初めてかもしれない。
「お前もそんなことを言うのか! 組織のことが一番なんてわかってる!」
片桐がそんなことを言うのが悲しかった。
「だけど! 可哀想だとか、何とかしてあげたいとか思わないのか!?」
「……思ったところで何も出来ません。何も出来ない自分に腹を立て、運命の不条理を呪い、悲しみに明け暮れるだけです」
「……お前がそんなことを言うなんて……残念だよ。一番信じていたのに」
紫苑は裏切られた気分だった。片桐が人間ではなく、ロボットのようにさえ見えた。
「……紫苑様、あなたは最近酷く落ち込んでいらっしゃいました」
「当然だろ!」
「……そんなあなたを見ていた私の気持ちがわかりますか? 私は凄く辛かった。悩み、苦しんでいるあなたを見ているのが……」
「片桐っ……」
「私も凛花さんのことはお気の毒だと思います。ですが、私の役目は紫苑様を支えること。紫苑様のお姿を見ると、私の心は張り裂けそうです……」
「片桐の気持ちは嬉しいよ。俺のことを思ってくれてありがとう。でも、それでも……」
「わかっています。紫苑様は優しいですから。」
片桐も悩んでいたのだ。それでいて、いつも紫苑の背中を押してくれる。
「……紫苑様、賭けのようなことですが、凛花さんを救う方法があります」
「何!?」
「……ですが、危険を伴います」
「何だ?」
「凛花さんが伊達家に戻る前に、彼女を消すのです」
一瞬、紫苑の脳がフリーズする。
「彼女が伊達グループに帰りたくないと望むなら、その前に私たちの手で彼女の存在を消して差し上げましょう」
紫苑の答えはすでに決まっていた。
◆◇◆◇◆
愛梨が伊達家に帰る当日。
本来は、九条グループが責任を持って凛花を送り届ける予定だったが、先日伊達グループから連絡があり、迎えの車を手配したとのこと。
九条グループは信用されていないようだった。
その日は、土砂降りの雨が降っていた。見通しも悪く、道も混んでいた。
黒塗りの車が3台並んでいる。その真ん中に凛花は乗っていた。
彼女は幾度となく、車の中でも涙に暮れた。あと少しで檻の中に閉じ込められる。その前に、つかの間の楽しかった時間の記憶に心を傾けていた。
もう、あんな幸せ時間は来ない。もう十分楽しい時間を過ごした。
何度も何度も繰り返し自分に言い聞かせる。その度に涙腺が緩くなる。
3台の車が人気のない通りをゆっくりと走る。雨のせいで周りの景色は見えず、雨粒が道路を叩きつける音だけが響く。
3台の車が信号に捕まった。止まっているのは、彼らだけだ。前を横切る車すらない。
運転手はいらいらしながら信号が青になるのを待つ。
突然、3台の車に同じような車が横付けされた。
窓が開けられたが、見えたのは何かを持った腕だけだった。
パシュ、パシュといくつもの音が鳴る。
数十秒後、3台の車は同時に爆発した。
次の日のニュースで、乗っていた全員の死亡が報道された。事件現場に空の薬莢が複数落ちていたことも。
〜続く〜




