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幻姿の庭  作者: 三利さねみ
第二章 前支度
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2

 終業式を無事終えた後、習一は逃げるように校舎を離れた。正門の柱の前で銀髪の少女が待ちぼうけていた、習一が校門を出ると「お昼ごはん、どうする?」との打診を受ける。

「今朝もらったもんが残ってる。デパートに行って涼みながら食う」

「それで足りる?」

「……さあ。喫茶店でプリントを片付けて、腹が減ったら何か注文するかな」

「うん、それいいね」

 日射はアスファルトを焼きつくし、遠景を歪めていた。近道を試み、乗用車の通行の隙間をついて道路を渡った。

 到着したデパートには出入りする客が少なかった。夕方になれば人がどっと押し寄せる。習一の目当ては客が休憩する椅子だ。ここには規模が小さいながらもフードコートがあり、そこで座席を得る。休日の昼間でもなければ利用客で埋まることのない場所だ。この場で宿題をするつもりはない。他の席を区切る衝立がなく、机のスペースも狭い場では集中しづらいのだ。

 誰かが座ったであろう、机と椅子が離れたままの席がある。そこに少女が腰をおろした。習一はその隣の席に座り、残しておいた弁当を広げた。少女はデパートが物珍しいようで、周囲をきょろきょろ見ている。習一と世間話をする気はないらしい。それは習一としてもありがたいことだった。

 食事を終え、空になったラップをゴミ箱へ捨てる。弁当を包んでいた布を四角に畳み、水筒と一緒に鞄へ入れた。習一の片付けを見た少女が席を立つ。次なる目的地は一戸建てのチェーン店だ。デパートで体に補充した冷気を失う前に到達できた。赤と茶を基調としたレンガ屋敷風の店に入ろうとすると「さきに入ってて」と少女が言い、姿を消した。習一は彼女の行動を不思議に思いながらも、入口の取っ手を押した。店員の案内を受け、四人掛けのテーブル席に座る。冷房の空気にさらされたソファはひんやりしていた。

 習一は銀髪の少女が姿をくらます理由を考えた。彼女が習一と一緒にいてはできないこと。習一は冷えたテーブルに手を置いて、一つの想像にたどりつく。

(シドってやつと連絡してんのか?)

 これには一人、得心がいった。習一が式典に参加したこと、今から課題を処理しようとすることを知らせるのだ。これらの経過状況はあの教師が気を揉むはず。彼の思惑通りの行動をこなす習一に恥じる箇所はない。教師が望む勉学に集中するためにも飲料を確保しに席を立った。

 習一が無料の冷水を氷と共にコップにそそぐ最中、少女は帰ってきた。彼女は瞬時に習一の姿を認め、習一の鞄のあるテーブルへ迷わず歩いた。習一は彼女の分の水も必要だろうか、と考える。だが余計な世話かもしれぬと思い、自分のコップだけを持ってソファに座った。

 少女はソファの端にいた。リュックサックをひざの上に置いて、ブックカバーのついた文庫本を読む。彼女とは斜めに対面した状態で習一も勉強道具を机に広げた。朝に中断した数学の問題を解答する。両者は一言も発さずに各々の世界へ没入した。

 二人の静寂を打ち破る者が一人、あらわれる。

「オダさん! 元気になったんスね!」

 無邪気な子どもの名残りをもつ声が習一に届いた。目線を上げれば他校の知り合いがいる。短く刈り上げた頭髪以外は平凡な外見だ。彼は感情の起伏が激しく、一度沸点まで加熱すると歯止めが利かなくなるクセがあるが、今は屈託のない笑顔を作る。

「ああ、田淵は変わんねえな。今日は一人か? あとの二人はどうした」

 刈り上げ髪の男子は急激に浮かない顔をする。田淵には同じ学校の悪友が二人おり、みな習一とは不良仲間。暇ができれば三人は固まって活動しているのだと習一は考えていた。

「……もう不良はやめたって、更生しちゃったんスよ」

 習一は眉を上げた。彼らとて習一同様、周囲との衝突があってならず者に身を落とした。やすやすと心を入れ替えるはずはない。習一がいない一ヶ月間に変化が起きたというのか。

「どういうワケがあったんだ? オレが眠りほうけてる間に、なにが起きた?」

 田淵は申し訳なさそうに眉や口を顔の中央に寄せる。ごく当たり前のように銀髪の少女の隣に座った。彼の視線はテーブルに落ちている。

「最初のきっかけは、才穎高校の教師っスよ」

「銀髪の……?」

「そう! あの銀髪野郎、オダさんの首を締めあげて気絶させやがった。そんで『こうなりたくなかったら真面目に生きろ』と言ってさ……おれたち、すっかりブルっちまった」

 習一には身におぼえのない出来事だ。それを正直に打ち明けるのは悪手だと感じた。殺人未遂にひとしい暴力をふるわれていながら、記憶に留めていないのはおかしなことだ。伝聞でしか事情を知らぬ掛尾はともかく、その場にいた当事者は情報提供そっちのけで混乱しかねない。習一は知ったかぶりをしておいた。

「おれはオダさんがやられるとこを見てなかったんスけど、やり取りは聞こえてました。ほかの二人は現場を見てて、教師にガン飛ばされたから、おれよりずっとビビってて」

 うつむいていた田淵が上目づかいで習一の顔色を確かめ、また視線を下にやった。

「オダさんが『連中に仕返しをする』と計画を練っても、みんな気が乗らなかった。イライラするオダさんは怖いけど、あの銀髪はもっと怖い。だからずるずる計画を延ばして……」

 習一は話者を怖がらせないよう、顔色を変えずに黙った。男子は格上な少年をちらりと見て、また過去を述べる。

「ある日、変な男が現れたんス。『才穎高校の生徒に報復する気はあるのか』と聞いてきて……ない、と言ったらいなくなった。ほかの二人も同じ夜に同じ男が同じことを聞いて消えたと言って、もう不気味で。だって、いつの間にか知らない男が部屋にいたんスよ。音もなく侵入できるやつってオバケしかいないでしょ? そんなやつ、逆らっても勝ち目ないっスよ。そいつが現れたあとにオダさんが入院しちまったし、もうこれ潮時だなって」

「銀髪の言うことを聞かなけりゃ自分らも危ない……と感じたわけか」

「ハイ……情けないでしょうけど、それが本音です。おれたち、あんなおっかない思いをしてまで不良はやりたくないっス……」

 幽霊などと非科学的な存在を習一は鵜呑みにしない。だが興味をそそる語句が顕在した。

「『オバケみたいな男』は銀髪の教師とは違うのか?」

 才穎高校の生徒への復讐を果たされて困るのは銀髪の教師。現段階の話において、幽霊男は全くの部外者のはずだ。

「え? ハイ、別人っス。二人もおれと同じ男を言ってたし、まちがいないっスよ。スゲーむきむきでデケエ男でした。黒っぽい肌は銀髪と似てましたけど、体は別モンっス」

「髪の色はどうだった?」

「髪は……印象に残ってないっス。みんなも『帽子を被ってた』と言ってました」

 仮に幽霊じみた男の髪が銀色であれば、ある推測が成り立つ。病院に押しかけてきたヤクザ風の男が捜し求める、彼と同様の屈強な大男だ。その男が田淵たちの部屋に無断訪問した男と同一だとしたら。光葉が得た、銀髪かつ色黒の大男がこの地域にいるというタレコミは正しい。おまけに、その大男は帽子を常用すると光葉は言った。

「あのう……オダさん、オバケ男の正体に心当たりがあるんスか?」

「ああ、そいつと手を組んでるらしい男に会う予定だ。そんときにちょっと聞いてみる」

 習一が軽い気持ちで発した提案に、田淵は色めきたつ。

「ひょっとしてあの暴力教師に? 危ないっスよ、またやられちまうっス!」

「平気だ。もう病院で一回会ってる」

 田淵が上体をのけぞって驚愕した。手ごわい敵と遭遇して、なんともない状態がよほど信じられないようだ。

「病院で会っただけじゃない、これからオレの復学の手伝いをするんだとよ。ご丁寧に補習の話をこぎつけて、面倒な課題をプレゼントしてくれやがったぜ」

 習一は解答途中の数学のプリントを掲げた。田淵がちんぷんかんぷんであろう問題を凝視する間、習一は彼の隣席の少女に目をやる。彼女は二人の会話を耳にしていないかのように読書に没頭していた。少女による話題提供が期待できないと習一は悟る。

「今はあの銀髪がオレの味方らしいぞ。もし町中で会ってもビビるこたぁねえ」

「まじっスか? でも、あいつは真面目に生きればなにもしない、と言ってたしな……」

 田淵は半信半疑で目を泳がせる。習一は教師にまつわる話題を切り上げようとした。

「ところで、お前は飯を食いに来たのか?」

「あ、ハイ。テキトーに涼しいところで食おうかな、と……でもオダさんのジャマしちゃまずいっスね。オダさんも真面目にしよう、と思ったからガンバってるんでしょ?」

「どうだかな。ま、飯を食いたいなら違う席か店に移ってくれ。お前といると進まねえ」

 田淵が片手を後頭部にあてて「すんません」と目を細める。そうして店を出ていった。彼は最後まで銀髪の少女について言及をしなかった。本当に気付かなかったのだろうか。

「なぁ、さっきの野郎、お前を完全に無視してたよな」

「うん。気配、なくしてるせい」

「そういうもんか? 絶対視界に入ってたと思ったんだが」

「すぎたことはいいから、がんぱって問題をといてね」

 少女は課題の進行を急かす。習一は冷たいやつだと評を下した。しかし課題をこなさねばあとで大変な目に遭うのは自明の理。仕方なく中断していた解答を再開した。



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