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幻姿の庭  作者: 三利さねみ
第一章 初顔の訪問客
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5

 退院日をむかえ、習一は母とともに車に乗って家路につく。送り出す看護師たちには安堵の色が前面に出ていた。習一は病院においても疫病神だったに違いない。治療の施し方がわからぬ奇病に加え、警察は事件の関係者として習一を訪問する。さらに昨日現れたヤクザ風の男が悪印象を決定的にした。その一方で光葉を知らぬ母は花束を見て「気前のいい方がいらしたのね」とのんきな感想を述べた。

 久方ぶりに実家へ訪れる。広い一軒家だ。習一の胸あたりまで高さのある黒い鉄格子が塀と塀の間に居座り、玄関へ繋がる入口を守っている。鉄格子の留め具を外して庭へすすみ、母に渡された鍵を使って家へ入った。すでに仕事の始業及び学校の授業が始まる時間帯ゆえ、父と妹は不在だった。

 習一は病院にあった荷物と光葉がくれた花束を携え、二階の自室へ入る。室内は整然としていた。部屋主が不在だった間、母が片付けたらしい。

 衣類の入った鞄を床に置き、机には花束を置いた。花は水に活けてやらねばならぬ、とわかっていながら習一は花瓶を用意する気になれなかった。

(どうせ花瓶に入れたって、三日もすりゃ枯れるんだ)

 習一は母が時々飾る花を思いおこし、その枯れた姿の惨めさをいまわしく感じた。どこかに棄てるつもりで花を放置し、窓を開けて室内の換気をする。朝方といえど暑い空気がそよいできた。冷房をつけるか、とリモコンを探す。すると目の端に何か映った。窓を見れば桟に足をかける人がいる。銀髪の少女だ。袖のないケープに不似合いなリュックサックを背負っている。そのせいで上着に多大なしわが寄っていたが、本人はなんとも思っていないようだった。習一は面食らいながらも窓を開けてやった。

「シューイチ、おはよう。補習にひつようなもの、もってきた」

 少女は土足のまま部屋に入った。背中の荷物を床に下ろし、半透明な緑や赤のクリアファイルを三つばかり出して習一に見せる。ファイルの中に多数の紙が入っていた。

「このプリントの問題をぜんぶ答えてね。できたのを先生に見せたら答えがもらえるから、自分で丸つけをして提出するんだって。これは来週中に出してくれればいいって」

 少女はクリアファイルを机に置いた。そして机上にある花束に目を留める。

「このお花、だれからもらったの?」

「病院で会ったやつ」

 習一のみずから発した言葉に喚起され、少女に警告すべき事柄を瞬時にまとめる。

「光葉、とか言ったな。そいつはお前んとこの教師をさがしてる。ヤクザっぽいやつだったから気をつけとけよ」

「うん、シドにそう言っておく」

 彼女も教師同様、普通の人間が不快になる語句には無反応だ。少女は花の贈呈者が無法者らしき人物だったことよりも、花自体に興味をそそぐ。

「お花をお水につけなくていいの?」

「いらねえからお前にやるよ」

「くれるの?」

「オレが持ってても枯らすだけだ。花の好きなやつに渡してやってくれ」

「うん、わかった」

 少女が荷物のなくなったリュックサックへ花束を入れる。花弁の部分は外にはみ出てしまうが、落ちないように両方向にあるファスナーの位置を調整した。

「シューイチ、これから学校に行こう。出席日数をかせいだほうがいいんだって」

「今から? 遅刻確定じゃねえか」

「ケッセキよりチコクがいいものなんでしょ?」

「それはそうだけど……」

「制服にきがえて。お昼ごはんはわたしが用意する。授業のじゅんびなしでもいいから」

「かったりいな……」

「シドのいうこと、聞くやくそくでしょ」

 自分が承諾した契約を持ちだされ、習一はしぶしぶ制服を手にとった。家にいても無聊をかこつのみ。動ける範囲が少ない分、病院以上に不自由な牢屋だ。どんな場所であれ外へ出たほうが暇は潰せる。そのように自分を納得させた。

 少女は窓の外へと出る。習一は着替えを途中にしたまま、少女の行方を確かめた。彼女は難なく庭に着地する。運動神経がかなり良いようだ。習一は窓に身を乗り出し、少女が二階へたどりつく経路を考えた。窓の下には人一人が立てる軒先があり、そこに登れれば習一の部屋に到達できる。軒先の先端は少女の身長より高い位置にある。懸垂の要領で登るには彼女の背が足りないように思えた。忍者のように壁を蹴って上がったのだろうか。

 思考する間に着替えた習一は鞄をとり、窓を閉めて部屋を出た。母には何も言わず外出する。少女が鉄格子の奥で待っていた。彼女の運動能力について議論すべきか迷い、習一は自分に無関係なことだと見て黙った。

 習一が登校を始めると少女は後方をついてくる。学校とは違う方向へ進むと「どうしたの?」と聞かれ、追跡を捲けなかった。じりじりと照りつける太陽の下、習一は汗をじんわりかきながら町中を歩く。少女はこの暑さでもけろりとした顔でいる。

(このクソ暑いの、平気なのか?)

 褐色肌の人は気温の高い地域出身が多い。彼女もそういった暑さに慣れた外国人なのかもしれない。自分とは異なる人種なのだと思い、習一は一人で暑さに耐えた。

 家からほど近い距離にある学校に到着する。現在は授業中のため、外観は静謐さがただよった。生徒玄関に入る段になって少女が立ち止まる。

「それじゃ、お昼にまた来るね」

 少女は習一とともに来た道をもどった。監視を逃れたいま、習一は自由だ。

(これからもっと暑くなるよな……)

 この暑さの中で闊歩する気力はない。冷房をふんだんに活用した教室内にいれば快適だ。習一は少女の思惑通り、授業を受けることにした。見慣れた下足箱は土埃の香りがただよう。自身に配分された下足箱には内履きが変わらずあった。内履きを逆さまにしてゴミを払ったのち、足を入れる。肉が削ぎ落ちた体だが足のサイズは以前と同じだった。

 階段をのぼり、二年生の教室へと繋がる廊下を通る。授業中の生徒が数人、視線を遅刻者にそそぐ。蔑みをふくんだ目はもはや慣れたもの。習一はクラスの後方の戸を開け、入室する時にも同様の視線を集めた。習一は唯一の無人の席へ座る。自席の場所はとうに忘れていた。勤勉な生徒たちの教室で一席空いていればそこが自分の席だとうかがい知れる。

 教鞭をとる教師は出現が稀な生徒の登場に注目し、授業を中断する。習一が大人しく着席するのを見終えて、再び教鞭を執る。習一は鞄を机に乗せたまま、黒板を見つめていた。



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