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幻姿の庭  作者: 三利さねみ
終章 胸襟
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6

 習一はそろりそろりと慎重に階段を下りた。しかしどうしても足場がきしむ。習一の起床を部屋主が察知したはずだが、彼は作業を止めない。大方、用足しに起きたとでも思ったのだろう。習一は座卓のそばに座った。昨晩使用したコップは片付けられている。

「お早いのですね。あまり眠れませんでしたか?」

 シドが椅子をキィっと動かした。彼はいつものサングラスをかけていない。直射日光の入らぬ室内なのだから日除け眼鏡を着用しなくて当然なのだが、習一は変だと感じた。

「べつに、目が冴えただけだ。あんたこそ寝なくて平気なのか?」

「私は力の補給さえ万全であれば眠らなくてよいのです」

「『力の補給』はどうやるんだよ。やっぱり……人を?」

 自身の体験の断片がよみがえり、身震いした。シドは習一の恐怖を払うかのように表情を和らげる。

「昨夜、イチカさんを眠らせた方法です。元気を分けてもらうと眠くなる方が多いんですよ。私もエリーも、流血沙汰はやりません」

「そう、か……オレは別のやつにやられたんだな」

「はい。それともう一つ、栄養の摂り方がありまして……」

 シドが机の引き出しを開けた。透明な瓶が仕事机の上に置かれる。瓶には黒い丸薬がぎっしり詰まっていた。

「これはツユキさん特製の栄養剤です。彼も白いカラスなどを呼び出すと力を消耗しますから、その回復用に作り置きなさっているそうです」

「オレが見た白いカラスもあんたと同じ、こことちがう世界から来てるのか?」

「そのように考えてよろしいです」

 習一は瓶を手にとって観察した。あの露木が作る薬剤には人を傷つけて得る材料は混入しないだろう。シドは他人に危害を加えずに生活できるのだ。習一は一安心し、瓶を机にもどす。

「それで、あんたは寝ないでなにをしてたんだ?」

「生活費の試算をしています」

「なんだ、やっぱりオレがいるとカツカツなんじゃねえか?」

「これは……オダギリさんが一人で生活することを想定した計算です」

 シドはノートパソコンを片手に持ち、習一に見せた。画面に数字の羅列が表示してある。

「一人暮らしをする大学生の生活費の平均値を参考にしました。加えて学校に通うとなると、教材費や修学旅行などの出費もありますから……」

「オレにこれだけ稼げ、と言いたいんだな?」

「いえ、私が負担します。高校生生活の残りの約一年半、私の貯金でまかなえることがわかりました。貴方は安心して勉学にいそしんでください」

「安心して、っつってもな……」

 このまま家出状態で新学期を迎えたなら、親との軋轢あつれきが教師連中に問題視される。とても勉強に身が入る環境ではない。

「雒英高校は貴方が通いたくない学校ですか?」

 シドがわかりきったことを尋ねる。これは確認だ。習一は口をつぐみ、うなずいた。

「では転校しましょう。才穎高校はいかがです? 常識では推し量れない人がいますけど、心優しい方が多いですよ」

「オレ個人で決められるか? 学校側がオレみてえな問題児を抱えたくないだろ」

「たった今、言ったでしょう。常識が通用しない人がいると。それは校長です」

 習一は才穎高校の評判を思い出す。ありえない基準で入学者を選定する、色物高校。

「オレが校長のおめがねにかなう、と?」

「はい。その素質は備えているように思います」

「どういう審査なんだ?」

「ありていに言えば異性にもてる人物が好まれます。くしくも私は風貌の立派な男性を模して、採用と相成りました」

「見てくれのよさでか? それじゃアイドル養成所じゃねえかよ」

「外見はファクターです。ようは校長がお好きな恋愛騒動を起こす逸材だと思わせることが大事です」

「オレは女に興味ないぞ。男にもねえけど」

「私も同じです。言い換えると周りが勝手に騒いでくれればよいのです。校長も含めて」

「おめでたい学長だな……ま、そのぐらいおバカなほうがオレに合ってるかもしんねえ」

 珍しく習一は好意的な返答をした。事実、中退をしないのならこの教師が在籍する学校に行ってはどうだろうと薄々思っていた。はじめは白壁に促されたのを頭の片隅に追いやっていたが、シドとの交流を重ねるにつれて現実味を帯びてきた。

(こいつがいるんならきっと、いい学校なんだろう)

 小山田も過去に習一と敵対したとはいえ現在は普通に接している。彼女は習一のせいで傷を負ったのをおくびにも出さず、食事の用意をした。彼女の友人も後腐れがなさそうだ。たとえ習一を敵視する者がいても、不要な争いを避けたがるシドが釘をさすだろう。

 シドはパソコンを机に置いた。くるっと椅子を回して習一と顔を合わす。

「残るは親御さんの件ですね」

 習一の眉間に力がこもる。多くの事柄に整理がついても、父と対決する心構えは万全でない。

「もし差しつかえなければ……なぜ貴方の父親がわが子を憎むのか、教えてくれますか?」

「それを知って、どうなる?」

「和解の道を探るにはまず、真相を明らかにせねばならないと思います」

「和解なんかできっこねえよ。オレは、本当の息子じゃないんだ」

 習一は腹をくくった。質問者はすでに他言無用の素性をさらけ出したのだ。自分もその誠意に応えねばならないという義務感が芽生えた。聞き手は顔色を変えずに黙っている。

「はっきりした根拠はないみたいだけどな。そんな話を夫婦喧嘩の時に聞いた」

「貴方の母親に不貞行為があったのですか?」

「それは知らない。オレが知ってるのは両親の結婚前に、母親に恋人がいたってことだ」

 習一は直接会ったことのない人物に思いを馳せる。

「その恋人は父親の友人だった。この二人が付きあってることはあいつもわかってた。相手の男が海外の仕事に就こうとしたら母親と別れて、あいつがかあさんと一緒になった。すぐに二人は結婚して、オレが生まれた。妊娠期間が前の恋人のいた時期と被るから、疑われてる」

「遺伝子の検査で父親が判明するでしょう。どうして不明なままにしておくのです」

「それがあいつのバカなとこなんだよ。出産後すぐ検査すりゃあいいものを、その時は自分の子だと疑いもしなかったそうだ。看護師どもが『お父さん似ですね』と言ってきて、その気になってたらしい。オレ、母親似なのにな」

 実父でない可能性のある男を「あいつ」と呼び名を固定して習一は説明を続ける。

「あいつがオレを本当の子じゃない、と思ったのはオレが物心ついてから。頭が回り過ぎるところが、あいつの友人に似ていたんだとよ。一つ疑うとなにもかも疑わしくなる。だから、オレはあいつに冷たくされた記憶ばっかり残ってる。そんなに疑うなら調べりゃいいとはあいつもわかってるはずだ。でも、やらないんだ。本当の子だったからって急に態度を変えられるもんじゃない。思いこみだけでオレをいじめられればそれで満足なんだ」

 もしも息子が実の子だと判明した時、父はピエロに成り下がる。その可能性をおそれて真実をあきらかにできないのだとも考えられた。

「あいつの友人は切れ者だった。見た目はぼーっとしてるのに毎回成績が上位で、司法試験に一発合格したんだとさ。あいつは一度落ちたから余計にみじめだったんだろ。オレが高校でいい成績をとったら、あいつは言った。『やっぱりあの男の息子なのか』ってよ」

 その言葉は両親の口論の後日に出てきた。すでに父は息子に隠し立てする意欲がなくなっていたのだ。

「必死に勉強していい成績をとれば……親はみんな喜ぶもんだと信じてた。まちがってないだろ? 自分の子がバカだから喜ぶ親はかなりの変人だ」

「はい。世間一般的には、その通りです」

「いい成績を見せても渋い顔をすんのは『その程度で喜ぶな』と、高い目標をオレに期待してるからだと思ってた。けど全然違った。あいつはオレが秀才だと言われるたびにオレを憎んでいた。あいつの上を行った友人が時間を越えて、また自分を笑い者にする──」

 この推測は習一がカミジョウの子だと断定した上で成り立つ。習一は想像を膨らませる。

「形を変えた友人を痛めつけて、プライドをずたずたにしてやれば、初めて勝ったことになる──そういう思考だ、あいつは。人の好いあんたにゃ死んでもわからないだろうよ」

 習一で鼻で笑った。愚かな父親と、その父に媚びてきた己への嘲笑だ。

「あいつは妹を溺愛してる。妹はいま、中学生だ。塾に行ってても成績はせいぜい中くらい。塾に通う前は下の中だった。オレの時は『中学生が塾なんぞ行かなくていい』とぬかしてたくせに、妹になったら金に糸目をつけないでいやがる。勉強のできない子どものほうが可愛いんだろうな。自分の子だと安心できるから」

「……根が深い確執ですね」

 傾聴していた聞き手が控えめに感想を述べる。ほとんどが習一の憶測でしかないことを、彼が否定するかと習一は思っていた。人間の醜さを持たぬ異形に「そんなことはない」と諭された時は受け入れるつもりだった。だが、シドは習一の洞察を全面的に支持する。習一は胸に小さな懐炉が入りこんだような温かみが広がるのを感じた。

「オダギリさんは父親との共存ができないことはわかりました。では、貴方はどうしたいですか? 自分を虐げてきた父親への復讐を果たしたいのでしょうか」

「やりたい、つったらあんたはどうする?」

「法に抵触しない範囲で、加担しましょう」

 真顔で答える様子に、習一は声をあげて笑った。目の端に熱いしずくが溜まる。

「もう、どうでもよくなっちまったよ。無駄に疲れるだけで……なにも変わりゃしない」

「でしたら、これからどうします?」

「最低限、別居することは伝えなきゃな。あと学校を替えるのも……学費、どうすっかな」

「才穎高校の学費も私がなんとかできます」

「あんたに頼りっぱなしは癪だ。放課後に稼げるとこ、知らないか?」

 シドがベランダに顔をむけて黙考する。その隙に習一は目をこすった。

「心当たりがあります。オヤマダさんに確認してみましょう」

「お好み焼屋で働くのか?」

「いえ、そちらは人手が足りているそうです。もう一つのお店のほうです」

 小山田と関わりのある店。勘付いた習一はその店に抵抗があるとわかる渋面を作った。

「大丈夫ですよ。店長さんや店の仕事は普通なんですから」

 シドは机の端にあったサングラスを取り、定位置にかけた。光葉の攻撃を受けたまま公園に置き去りにしたかと思われたが、きっちり回収していたようだ。

「さて、オダギリさんのご両親は早起きな方たちでしょうか?」

「どうかな。失踪していた息子が帰宅するのは早いほうがいいと思うが」

「そうですね。では支度しましょう」

 シドはメモ帳の紙をちぎり、書置きを用意する。紙には「散歩に行きます」とあった。

「散歩のノリで行く気か?」

「はい。そのくらいの気持ちでいましょう。殴りこみに行くのではありませんから」

「オレはまぁ、殴り合ってもいいんだけどな」

「拳が心を通い合わせるツールになるのでしたら、止めはしません」

「んな漫画みたいな美談にもっていけねえよ」

 シドはロフト下の壁際に立った。その壁はクローゼットの戸だ。がらがらと戸を動かし、中にあったタイピン付きのネクタイを取る。以前にも見た、三つの宝石がついたタイピンだ。習一はそれが彼の趣味だとは思えなかった。

「そのタイピン、貰いもんか?」

「ええ、オヤマダさんから頂いたものです。私が……この世界に残る証ですよ」

 シドはタイピンを大切そうになでたあと、ネクタイを締めた。



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