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「六月、あんたはオレを襲った。それはなんでだ?」
「貴方が邪魔でした。オヤマダさんたちに報復をしようとする、貴方が」
「覚えてねえな。オレがそんな計画を立てたことをどうやって知った?」
「貴方が仲間と通話するのを聞きました」
「盗み聞きか。ま、鈍かったオレが悪いな」
「それは致し方ないのです。あの時の貴方は実体化しない私が見えなかったのですから」
「なんだと? いまは見えてるのに?」
習一は最初から異形が見える体質なのではなかった。ではなにをきっかけに、彼らを視認できるようになったのか。
「……お前らに喰われたから、見えるようになった?」
「いえ、私が貴方を異界へ連れていった影響です。そこから帰ってきた人はみな、こちらで隠遁した異界の生き物が見えるそうですよ」
「姿を消したあんたが見えるっていう少年もそうか?」
「その方は希少な例でして生まれつきの能力です。彼は異界の者だけでなくこちらの幽霊も見えるので、はじめは私たちのことを普通の霊だと思ったそうです」
霊視能力は国を問わず、まことしやかに健在する。習一がシドに出会うまでは信じなかった特殊能力だ。こうして人ならざる者にまみえた以上、ペテンだと断ずる気は起きない。
「幽霊……か。そいつもめんどくせえ人生を送っていそうだな」
「はい、あの子も苦労の多い生き方をしていると思います。オダギリさんとは少し、似ているかもしれませんね」
「オレと? そいつは家族ともめてんのか」
「家族仲は良好です。二人が似ていると思う部分は……ぶっきらぼうに見えても心根は優しいところですよ」
「オレが、やさしい? あんたの目は節穴か」
「自分では気付きにくい……いえ、認めたくないのでしょうね」
習一は含みのある言葉が気に入らなかった。だがここは軌道修正をはかる。
「そんな話はどうでもいい。あんたのご主人様はなぜあんたに人を襲わせる?」
「理由は知らされていません。私たちは道具と同じです。命令を与えられるだけ……その成果が何をもらたすかは考えなくていい」
ロボットのような存在意義だ。無感情な声が「ただ」とつぶやく。
「主の求める人物を差し出せば、その人は過酷な仕打ちを受ける。鈍感な私でもそう思うほど、主は抑えきれない憎悪を抱えていました」
「あんたはご主人様の気持ちを聞かなかったのか?」
「一度は質問しました。ですが教えてもらえませんでした。『いずれわかる』と……」
「はん、あんたがオレに言ってた『記憶がもどったら話す』と同じだな」
「そう、ですね。主は……私が主と同じ考えに行きつくのを待っていたように思います。私の記憶は、私が人型に変化するまでの期間が抜け落ちています。失くした思い出の中に、あの方の苦しみを共有する何かがあったのでしょう。ですが私はあの方の心を理解する前に……離れてしまった」
シドは左手にある指輪を見つめた。その指輪は主が贈ったものだという。この世界においては肉体同様レプリカなのだろうが、それを常に身に着ける心理からは、彼が忠誠心を失っていないと予想が立つ。だが彼はもう、仕える者の手駒にならない。そうわかる言動は今宵だけで何度もしていた。相反する行為のどれもが彼の本心だ。理屈通りにはいかない、ちぐはぐな姿はとても人間臭かった。
「……オレはバケモンに喰われて死んだはずだ。なんで生きてる?」
「異界へは精神だけが移動します。貴方が喰われた時の肉体は、私の力がつくった偽物です。同胞は私の力と貴方の持つ活力を餌にしました」
「体はこっちに置いたままだから、死ななかった、と?」
「そうです。ですが死なないという保証はありません。私の恩師のケイはこの世界の少し昔の人です。彼女は異界で亡くなり……以後、姿を現しませんでした。異界での死が疑似的な体験なら、彼女は再びあちらに訪れたと思います」
「おい、それって……オレも本当に死んだ可能性があるってことじゃ」
「それはないと思います。オダギリさんと同じ状況下で落命しなかった先例が十ありますから」
「オレが例外だったらどうしたよ?」
「その時は私と心中していただくということで、不運を嘆いてもらおうかと」
「しん、じゅう?」
さらっと発した言葉は彼に自決の計画があったことを匂わせた。
「私は最終的に、ツユキさんに消されるつもりでした。それは教員の生活を過ごすうちに固まってきた願望です」
「人さらいを……気に病んでいたのか。でも、死ぬようなことか? オレ以外の被害者はみんな、普通に生きているんだろ」
「こちらでは公に目立つ被害を出しませんでしたが、元いた世界では死人が続出しました。私はお尋ね者なのです。そのことを、ツユキさんも承知なさっていたのですが……」
「あの警官が、こっちで教師のふりをずっとしろとでも言ったか?」
「大元はツユキさんの発案ですね。正確には、あちらの被害者の生き残りとお話しして私の処遇を決めてもらいました。消息をつかめた一人が……教師業の継続が贖罪になるとおっしゃったのです。その方は恵まれない子どもを育てることに人生を捧げていますから──」
「オレを保護することがあんたの罪を帳消しにする第一歩になるわけか」
「そうとも言えますが、私は貴方に不当な仕打ちをしたのですからその謝罪ですね。これは『子どもを助ける』という契約の履行とは別物だと思っています」
「じゃ、オレがどうなったらあんたの謝罪はおさまって、どっからが罪の償いになるんだ?」
「そう言われてみると……明確な線引きはできませんね。私も、よくわかりません」
習一が思うに、彼の目標である「夏休みの期間中に習一の生活を健全にする」というのが自主的な行動の範囲であり、それ以降の交流は他者に命じられた行為に値するのだろう。どっちがどうであれシドが習一に良くしてくれることに変わりない。習一は次の話題をふる。
「あんたが犯した罪はぜんぶ、ご主人様に従ってのことか?」
「そうです。私もエリーも、あの方に仕えるために存在する。そのように信じて努力してきたのですが……」
「そりゃ無理があるな。あんたは……悪人になりきれない。もともとが犯罪者向きの性格をしてないんだよ」
青い目が習一を見る。その目は優しげだ。
「この短期間で、よく見抜きますね。貴方は聡明だ」
「あんたほどわかりやすい野郎もいない。露木の警戒をそらす手段とはいえ、教師になって小山田に近付いたら情が移るとは考えなかったのか?」
「数ある生徒のうちの一人、であれば大丈夫だと思いました。やはり、というか……あの子も私を気にかけてしまって、ただの他人ではいられなくなりました」
「『やはり』ってどういうことだ?」
「彼女の中には同胞が住んでいます」
「中に……あの黒いやつが?」
「そうです。私とは別の役目を負う仲間でした。自我は欠けた個体だったのですが、現在は主命に背いてオヤマダさんと共存しています。その同胞と共にあり続けるうちに、彼女も私たちに親しみを覚えるようになった……のだと思います」
「彼女『も』? あんたは最初っから小山田が好きだったのかよ」
さんざん恋心はないと否定してきた主張をくつがえす告白だ。彼は首をひねる。
「どう捉えてもらってもかまいません。実を言うと、教師として潜入する前から迷いはありました。その時は彼女とその親への憐れみが先立っていましたが」
「『憐れみ』だぁ? キーワードを小出しにすんのやめろ。とっとと全部言いやがれ」
他人の興味を持続させる方法なのだろうが、まだるっこしいと感じた習一はいらいらした。シドは「貴方とは直接関わりのない話ですが」と警告する。
「私はある特殊な力を持つ人物を捜しています。その判定方法は……私がかけた術を解除できるかどうかを見ます。時を止めた時計の針を動かす──それが合否の判定方法です。オヤマダ以前にも同じ試験を行なった子はいました。彼らのうち、針を動かし続ける時計を渡してくれた人たちを私は攫いました。ですがオヤマダさんは違います。返却された時計は……時間が経つと針が止まったのです」
「電池切れじゃないのか?」
「いいえ、私が術を解けば針は動きました。彼女は術の効果を一時的に無効にする力を備えていたのです。その特別な力が、主の求めるものではないかと思いました」
小山田はこうしてシドの試験に合格した。折を見て彼女を連れ去ろうとしたものの、彼女の友人が「怪しい霊がいる」と露木に連絡したために実行は阻止された。シドが今後の計画を再編していたころ、小さな少女が高所より転落する現場に出くわした。その子を助けた際に同じく助けに入ろうとした女性に感謝された。その女性が小山田の母親だ。
「自分の子ではないのに、ミスミさんはとても喜んでいました。ベランダから落ちた女の子の家族が帰宅するまで私たちがその子の面倒を看ることになり、その時にミスミさんの話を聞きました」
ミスミの人助けへの熱意について質問すると、彼女は身の上を語ったという。
「ミスミさんは、お子さんを次々に亡くしていました。そのせいで他人の子どもであっても傷つく様子を見るのが怖いのだとおっしゃいました」
習一はミスミが野良猫の飼育には否定的だったことを連想した。我が子が先に逝く辛さを経験したせいで、寿命の短いペットを飼うことが怖くなったのだろう。だが──
「娘は生きてるじゃねえか」
「ええ、そうです。あの子は同胞が見逃したおかげで生きのびました」
「『見逃した』……?」
シドが連れ去った人間は化け物に喰われても死ななかった。それがミスミの子たちになると生死に関わるという。
「こっちの人間を拉致していっても、普通は死なないんだろ?」
「私の場合はそうです。しかし同胞はそれぞれに能力と役割が違います。私はおもに人間生活に溶けこんで標的を攫う役目を持ちました。ミスミさんの子を狙った同胞は、他者の頼みを聞いて魂を刈りとる役目を担っていました。この同胞はいわば『死神』です」
シドを超える攻撃的な化け物がいる。習一は黒い異形姿のエリーを脳裏に浮かべた。
「死神が連れ去った人は、もとの肉体と精神を繋ぐ糸を切られてしまい、生還できなくなる……と、私は理屈をこねてみましたが、実際のところはよくわかりません」
習一はがくっと肩を落とした。適当なことをぬかすシドをにらみつける。
「お前な、仲間のやってることくらいきちっと把握しとけ!」
「同胞自身もよくわからないでしていたことです。ご容赦ください」
「死神は襲った人間を覚えてねえのかよ」
「先ほども言いましたが、自我のはっきりしない個体なのです。こちらとあちらの生き物を区別しませんし、どれだけの命を刈ったかも数えていません」
「え? 『先ほど』?」
シドの同胞の話は、エリー以外だと小山田の体内に住まう者が一体だけあがった。
「はい。死神は……オヤマダさんが野良猫に手招きするような呼びかけに応じて、彼女に取り憑きました。以後はひっそりと、彼女と一緒に生きています。私が話しかけると簡単な返答をする程度には自己も生まれていました」
小山田は黒い異形を目の前にしても動じなかった。そこには二点の不審な箇所がある。
「なんで小山田はビビらなかったんだ? いや、それよかどうして死神に気付けた? あいつの目は普通なんだろ」
「彼女には死神とは別に憑いている何かがいます。『クロスケ』と名付けたそれと勘違いしたそうです。このクロスケは彼女の幼馴染が存在を教えていました」
「じゃあなぜ死神がいるとわかった? そいつがわざわざ姿をあらわしたのか」
「半分正解です。生物に接触をはかる際、姿を消した我々は相手に見える時があります。強い害意を持つとその危険が高くなる……それは怪談話に出る幽霊も同じでしょう?」
「まあ……そうかもな。幽霊が見えるタイプじゃねえのに、悪霊にばったり会ったら姿が見えたとかいう、ホントかウソかわからん話はな」
「我々の場合は当てはまります。おいそれと悪事が働けないよう、働いたとしても足がつくように、この世界はできています。ですから私は不意打ちか、闇に乗じて目的を遂行していました。死神はそういう対策を思いつけません。思考しないがゆえに……赤子にも非情になれた」
シドは急に立った。おもむろに座卓に歩み寄り、日記を回収する。
「同胞はもう死神ではありません。他に、よい呼び名があればいいのですけど」
そう言って勉強机の回転椅子に座った。思いついたことを日記に書く気らしい。その姿勢が話を終えようとする意思表示に見えて、習一は少し寂しく感じた。質疑応答をはじめる前は聞かなかったであろう質問が口に出る。
「エリーやシドって名前は誰が付けたんだ?」
「オヤマダさんです」
「なら、あいつに名付け親になってもらえばいい。同居人なんだしな」
シドは笑って「それがいいですね」と同調した。彼は机に向かい、書き物をする態勢になる。その状態でも習一が話しかければ延々答えるだろう。だが習一は思いつく限りの重要な質問を聞き終えた。常温になった茶を飲み干し、そのまま寝床へあがろうとした。
「歯は磨きましたか?」
シドが机に向かったまま尋ねた。習一は黙って洗面台へ行く。歯磨きのために部屋の照明を点けると、鏡には口の端がわずかに上がる自分がいた。




