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幻姿の庭  作者: 三利さねみ
終章 胸襟
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2

 シドは桁外れの跳躍力で移動した。オフィス街のビルの屋上で足を止める。終業の時刻は過ぎていて、階下の明かりがビルの中腹以下に集中する。そういう建物をシドが選んだのだ。習一が騒いでも他人に勘付かれにくい場所を。

 習一はコンクリートの上に立たされた。習一の体にはシドもエリーも触れていない。常人に感知される体にもどっているようだ。

「オレをこんなところに連れてきて、なにがしたい?」

「質問を受け付ける。それと私への罵声も」

「罵ってくれだなんて、どんな変態だよ」

「軽口を叩けるくらいに落ち着いたか。部屋で話してもよかったな」

 言われてみれば習一の興奮がおさまっている。場所移動の時間がクールダウンになったらしい。冷静に考えると、あそこまで感情が動く原因は不明瞭だ。眼前の男は習一を病院送りにした犯人なのだから、怒り自体は正当だ。習一が疑問に思うのは己の涙だ。

「オレ……オレは、なんで泣いたんだと思う?」

「それが私への質問か」

 シドが求める問いは彼が習一を襲った理由や彼らの素性だ。カウンセリングの相談ではないことを習一はわかっている。だが現在、一番不可解な問題は自分の感情だった。

「バケモンに人間の気持ちなんか、わかるわけねえよな」

「難しいが推察はできる。涙は感情が高まった時に出る……良い意味でも悪い意味でも」

 律儀にもシドは習一の疑問に応え、回答を模索する。外見と口調がいささか粗暴に変わっても本質的な性格はそのままらしい。

「傷を負わされた怒り、謀略に気付けなかった悔しさ、愛する者を目の前で失う悲しみ、死を間際にした恐れ……私が見た涙は強い負の感情のかたまりが多かった」

「オレのはどう見えた?」

「最初は死の恐怖……最後は、信用していた者に裏切られた絶望……」

 惨劇の再演のせいで流れた涙は習一もそう感じた。だが二回目の涙が裏切りによるという表現は抵抗がある。それほどの信頼を、猜疑心の強い自分が抱けたのだろうか。

「裏切りに遭った人の顔、あんたは見たことあるのか?」

「最近、あった」

「だれの?」

「オヤマダ……貴方がそう呼ぶ女性だ」

 習一が完全に失念していた、才穎高校の女子生徒。彼女は彼の特殊能力の一端を知る態度を見せていた。その時に口の堅いシドのことを尋ねようかと思ったのだが、ゲームだ飯だ猫だといろいろあって機会を逃していた。

「あいつを、あんたが騙した?」

「そうだ。彼女を主のもとへ連れていく……そのつもりで才穎高校に勤めた」

「待てよ、おかしいだろ? あんたは普通の人に見えない姿になれるんだ。そんな回りくどいことをしなくたって、いつでもかっさらえただろうが」

「では逆に聞く。なぜ貴方は姿を消した我々が見える?」

 この返しは習一の想定外だ。常人代表の光葉がエリーに邪魔をされた時、習一はしっかり目と耳で彼女の存在をとらえた。少女は普通の人間だとばかり、習一には映っていた。

「……小山田はオレみたいに、あんたたちが見えるやつなんだな?」

「いや、彼女は見えていない。だが彼女の友人と、友人が親しくする警官は見えている」

「その警官は……露木か?」

「そう……彼の存在がもっとも厄介だった」

「あののほほんとした野郎が? 体つきだって大したことなさそうなのに」

 どんな役職であれ、警官は一定の武術の心得がある。だが素人に毛が生えた程度の強さしか感じられぬ青年だ。屈強な光葉に圧勝したシドを凌ぐとは到底考えられない。

「率直に言うと彼単体は弱い。強いのは彼が従える仲間だ。白いカラスを見ただろう?」

「ああ、露木のペットか」

「あれはこちらで言うところの、妖怪や式神に相当する。彼の最強の仲間は私では歯が立たなかった」

「露木が呼び出すペットが怖いんだな。それはわかった。で、オレが見たとこ、あんたは露木と仲良くやってる。あんたが騙した小山田もだ。あんたの企みはどうなったんだ?」

「失敗した……というよりは、成功させる意志がなくなった。計画を遂行すると十中八九、彼女はこちらに帰れなくなる。二度と目覚めない姿を……彼女の親にさらせなかった」

 この言い分には習一の不服がせりあがる。

「昏睡するオレをオレの親も見てるんだが、それはかまやしねえってか?」

「その眠りは一時的なもの。魂が健康な肉体に宿るかぎり、いずれは目が覚める。同胞は魂までも喰い尽くすわけではないから──」

「精神的にはかなりキツイぞ、あれ。痛みを感じたし、人を一回殺してるのと同じだからな。そこんとこわかってんのか?」

「わかってはいる。だからこそ私が貴方の保護をする。これが私のあがない方だ」

 決然とした声明だ。習一は疑問を一点はさむ。

「オレ以外にも被害者を出してたんだろ? そいつらはどうするんだ」

「彼らとは接触できない。関われば消えた記憶がもどると警告を受けた」

「オレはあんたと一緒にいてもなっかなか思い出せなかったぞ」

「今の貴方は忘却の効果が色濃く残っているが効き目はいずれ風化する。ほかの子たちはすでに治療を受けて数ヶ月経った。貴方と同じ忘却力のままではいられない」

 得体の知れぬ魔法に関しては議論のしようがない。習一は一応、説明を鵜呑みにする。

「じゃ、オレは事件のことを思い出したいと言ったから、堂々と会ってるわけだ?」

「そうだ。彼らの分まで、貴方には尽くすつもりだ」

 連日の厚遇は以後も継続していくと見えて、習一は胸をなで下ろした。

(信じさせておいて後ろからザックリ、てのはしなさそうだな)

 よくよく考えればその危険があるのなら露木が野放しにしないはずだ。まがりなりにも彼は警官なのだから。警戒を解いた習一は次なる質問をする。

「オレをあんな目に遭わせた動機は? あんたの計画にオレが割りこむ隙はないだろ」

「いや、割りこんできた」

「え?」

 習一の視界にいなかったエリーが現れ、習一の手を取った。手のひらに冷たい金属片をのせる。薄雲に遮られた月明かりを頼りに手の角度を変えると、それはナイフに見えた。だが持ち手と刃は分断している。

「このゴミがどうした?」

「貴方が私と私の生徒に向けた凶器だ」

「オレの……?」

 習一は折れた刃を片手に移し、ナイフの柄を握った。手に馴染む感触はそれなりにある。

「あんたたちにこれを向けたって、どういう……」

 視線を話者にもどすと、見慣れた教師の姿があった。習一の体がこわばる。帽子の男と同じ人物だという認識が瞬時にできなかった。

 彼の目元にサングラスはなく、なぜか切れ込みのあるネクタイを胸に垂らしている。

「そのネクタイはなんだ?」

 大剣部分の生地が半分切れたネクタイだ。使い物にならないナイフに引き続き、シドの所有物も損傷のある形で現れた。これらが示唆する事実は──

「オレがあんたを切りつけた?」

「そうです。私の被害はこの程度でしたが、貴方の攻撃を受けた結果、二人の生徒がケガをしました。その時の記憶はもどりませんか」

 変身とともに丁重な言葉遣いが復活する。習一は異形の演じ分けを奇妙に感じながらも「知らねえな」と答える。ただし、そのような喧嘩があったことは人づてに聞いていた。

「オレを痛めつけすぎたのを苦にして……とかなんとか掛尾先生に言ったんだったか」

「そうです。これらを見ても効果がないようですね」

「ああ、もうちょっとインパクトがないとな」

「では再現しましょう」

 習一が了承しない間に荒々しい手が喉に食らいつく。気管支を圧迫し、首や顎の骨に多大な負荷をかけて習一の体を持ち上げた。地に足がつかぬ浮遊感、強調される脈動、浅くなる呼吸。着実に窒息の順序を経る中、習一は懸命に捕捉者の手を引きはがそうとあらがった。捨てたナイフの残骸がからん、と乾いた音を立てる。

(いくら、思い出させるためだからって……!)

 まかり間違えば死に至る。習一は暴挙に対抗して足を前後に動かした。空を蹴る足先がシドの体に当たったが、全くの無反応だった。

『先生、やりすぎだ!』

 習一と完全に意見が一致する台詞が脳裏を走る。それは習一と同年代の少年の声だ。少年はあの時、こめかみから血を流していた。その傷は──習一が負わせたものだ。少年が放つ蹴りで倒されたことに習一が逆上し、仲間内にもらった武器を振るった。頭を狙った覚えはないが、相手が体勢を崩したせいで結果的に頭部の負傷をつくった。少年が転んだ時に彼の下敷きになった者がいる。小山田だ。彼女は鈍い音を鳴らして倒れた。習一が生みだした負傷者のうち、一人は習一の意図しない巻き添えを食ったのだ。

 足は宙を掻く力が萎え、手は肩より上へあげていられなくなる。あがく気力が根こそぎ奪われた時、足裏が硬いコンクリートに触れた。習一はその場にへたれこみ、潰れかかった首を手でさする。喉にからんだ痰が新鮮な空気の吸入をさまたげた。

「思い出しましたか」

 シドは平素と変わらぬ調子で尋ねる。その態度に習一はむかっ腹が立った。

「あんたなぁ! 昔話をする程度のことで、人を殺す気か!」

「死にはしません。加減をわきまえています」

「死ななかったら何をしてもいいってわけじゃねえんだぞ!」

「その忠告、胸に留めておきましょう」

 詫び言を聞けなかったせいで、習一の苛立ちは加速する。

「オレが不良だから手荒くしても平気だと思ってんだろ」

「いいえ。記憶を取りもどしたいという貴方の希望に沿いました」

「これが小山田だったら、同じことをしたか?」

「彼女の望みにかなうのなら喜んでやります」

 ブレない返答は習一に諦観を生じさせた。第一、相手はこの世の者ではないという異形だ。人間の常識や痛覚を理解するのにも限度があるのだろう。

「あー、わかったよ。あんたは悪気がないんだな。余計タチわりぃが気にしてられ……」

 ふいに鼻がむずがゆくなり、習一はくしゃみをした。

「冷えてきましたか。続きは部屋に帰ってからにしましょう」

「……そうだな。部屋ん中ならあんたも暴れねえだろうし」

「必要ならまたやりますが。『思い出せた』という言葉を私は聞けていません」

「あんたに負けた前後の記憶はもどったよ! とっとと行くぞ」

 再犯をほのめかした男は習一に背を向けてしゃがむ。

「私におぶさってください」

「え……おんぶ?」

「嫌ですか。ではここへ来た時と同じ、肩に担ぐ方法がよいのでしょうか」

「いや……あの体勢は腹が苦しくなる」

 なにより頭が地面をむく姿勢は不安定で怖い。だが、赤の他人の男性に背負われることへの戸惑いもあった。シドは向きなおる。

「おすすめはしませんが、横抱きで行きましょうか?」

「げ……男同士でやるもんじゃねえだろ。緊急時は、しゃーないにしても」

「私もそう思います。……そうですね、では私が女に化けます」

「あんたが女に……? ああ、光葉が言ってた長身の女って」

「私のもう一つの形態です。あの姿は、武術の師匠に稽古をつけてもらう時によく変化していました」

「なんで大男の格好じゃダメなんだ?」

「彼は男が苦手で女好きな方でした。それで私は彼の……従者兼娘にあたる女性の姿を模倣して、指導を受けたのです──この詳細を話すのも帰宅してからにしましょう」

 習一は無難におぶさる運送方法を選び、意を決して黒シャツに覆いかぶさった。自身のひざ裏を持つ手と、広い背中に体を預ける。

(父親にもされた覚えがねえのに……)

 全身を他者に託す感覚が不慣れで、妙にうわついた気分になった。

 シドは助走をつけ、屋上の塀を跳びこえる。彼は風と一体化したかのように疾走した。



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