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幻姿の庭  作者: 三利さねみ
終章 胸襟
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1

「ごめんね、すごくこわかったでしょ」

 異形は銀髪の少女に変貌し、涙を流す習一を抱きしめた。彼女は習一の背中をやさしくさする。その接触が、過去に奪われた体の実在を証明した。

「記憶、もどった?」

 習一は自信なくうなずく。自分が怪物に襲われた瞬間は思い出した。そこに至るまでの経緯はまだはっきりしない。

「バケモノに……手や、足を……でも、どうしてオレは生きている?」

 薄暗い灯りの下に黒い異形が無数にうごめいていた。それらが帽子の男の「喧嘩をせずに分け合え」という号令のもと、習一の肉体を咀嚼した。その惨劇は吐き気をもよおすほどにまざまざと思い出せる。習一はエリーの両肩を押して離れさせ、喋らない男を正視した。

「あんたがオレをバケモノたちの住処に運んだんだろう」

 言ってすぐ、習一は手錠のかかった片手が自由に動かせることに気付いた。

「あれ、手錠は……」

 拘束具は鉄棒に繋がっていた。習一の手首にあった輪は閉じたまま、ゆらゆら揺れる。錠が開いた形跡はない。手錠などなかったかのように、習一の手がすり抜けたのだ。

「なんで……?」

「いまのシューイチはね、ニンゲンじゃなくなってるの」

 エリーは習一の背に回した手を外し、習一の片手を握る。

「オレも、お前みたいなバケモノになっちまったのか?」

「うーんと……姿を消したわたしがくっついてると、シューイチも消える」

「『姿を消した』……?」

 エリーの存在は他人に気付かれない。それは彼女が常人に見えない姿で活動する影響か。

「わたしとシドはね、ほんとうは体がないの。こっちの世界の生きものじゃないから」

「シドも、お前と同じ? じゃあ、あの男は……」

 エリーが帽子の男に変化できたのだ。同類であるシドがくだんの男に化けられぬ道理はない。であれば教師がこの場におらず、帽子の男がいるわけは。

「……あんたが、シドか」

 男は頭を縦にふる。習一の警戒心がだいぶ薄れた。人外だという告白は衝撃的ではあるが、時折そういった疑念を抱いた習一にとっては仰天するほどの事実でない。なにより、シドは習一に危害を加えない。人を異形たちの食糧にする悪行は、気立ての優しい彼にできるはずがない。習一にトラウマを植えつけた犯人とは異なるのだ。習一は安堵のため息を吐き、目元に残るしずくをぬぐった。

「趣味の悪いことをしやがる。でもまぁ、おかげで少しは思い出せた。もうそのニセモンの姿はやめていいぞ」

「違う……」

 シドはいつもと異なった声質で答えた。その声はその姿の持ち主のもの。

「声もあの野郎のをコピーできるのか。エリーみたいな見た目だけじゃないんだな」

 これもシドは否定の素振りをした。彼が言わんとする主張はなにか。それを習一が明確に理解した瞬間、悪寒が脳天から足先まで走りぬけた。

「私が貴方を同胞に喰わせた」

 習一が本物だと思っていた教師の姿こそが、彼にとっては偽物だった。そうとわかると習一は握りこぶしをつくり、打ち震えた。

「とんだ……とんだお笑いぐさだ! 誰にでもいいツラして、善人ぶってたくせに! 裏じゃあんな酷いことをやってたのかよ!」

 今までの人物像が見せかけだったと知ると気が昂ぶり、エリーの手を乱暴に振りほどいた。

「シューイチ、さけぶなら手をつないで。ミツバがおきる」

「知ったことか! あんた、オレ以外にもバケモンに喰わせた人がいるんだってな。なにが目当てだ? 他人を信用させた隙に喰おうとしてんのか!」

 エリーが背後から習一に抱きついた。習一は暴れる。

「くっそ、放せ!」

 習一は上半身を左右に大きく揺さぶった。エリーは離れない。そもそも巨漢の光葉を突き飛ばす腕力のある相手だ。常人が力でかなう見込みはなかった。その拘束自体は怒りの対象ではない。習一はかまわず憤怒の根源に立ち向かう。

「バケモンのくせに、オレを真っ当な人間にするとぬかしたのか!」

 彼らが人間と偽った怪物だった──それは怒りの核心を突いてはいない。

「オレを殺したくせに、オレの前で笑っていやがったのか!」

 自分を傷つけた張本人だと隠していた──これも怒髪天を衝く要因には不足があると感じた。唐突に涙が垂れる。これは恐怖が生む涙ではない。だが純粋な怒りが生むものとも違う気がした。

(オレは……なんで泣いてる?)

 複数の感情がせめぎ合い、言葉を失う。混乱する習一に罪人姿の異形が詰め寄る。習一は怖気づいた。だが身の安全は取るに足らぬと思い、恐怖をねじ伏せた。

 大きな手が習一の顔を覆う。指の隙間から見える目は、彼の冷血さを伝える青色だ。

「私への不満はすべて吐き出せ。それらを私が余すことなく飲み込もう」

 シドは暴言を受け入れるという。天邪鬼な習一はかえって文句が言いにくくなる。彼にぶつけたいわだかまりは残っているのだが、それはどういううらみ言で表現すべきなのか習一自身がわからなかった。

「……場所を移すか」

 習一が黙りこくったのを見かねたのか、習一の顔からシドの手が離れた。圧迫感が遠ざかり、ほっとしたのは束の間だった。太い腕が習一の体を捕え、肩に担がれてしまった。

「急になんだ! どこ行くんだよ!」

 視界一面に広がる背中に問うたが返答はない。ごつごつした背に手をついて離れようとするものの、両腿をがっちり捕縛されて動けない。動ける範囲で胴に蹴りを入れたが、巌のごとき強固な体に跳ね返される。シドの背か地面の二つしか見れぬ習一はせめてもの抵抗として上体を反らす。新たに見える周囲の景色は離れ、小さく、低くなっていく。

(飛んでる……?)

 公園全体が俯瞰できるまでに高度が上がった。そこが最頂点であり、徐々に降下する。落下には二人の体重が合わさって加速が始まる。民家の屋根が拡大し、習一は慌てだした。

「わ、バカ! お前みたいな野郎が屋根に落ちたら……!」

 重くて家を破壊してしまう、と危惧したがもう遅い。彼の足は屋根瓦を踏んだ。組み合わさった瓦がこすれる音は鳴らなかった。巨体を支える屋根は無事でいる。

(あ、そっか……)

 エリーの説明によると彼らは姿を消すことができる。人間である習一も彼らに接触する間は同様に消える。いわば幽霊になったも同じだ。その状態での物理的な質量はないのだろう。そう理解した習一は虚脱した状態で夜の空中遊泳を体験した。



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